2025年11月に、思い出したかのようにちょこまかとX/旧twitterにて書いていた短い短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。
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【劇 場】
◆とある妖精会館が人間による謎の部隊に襲撃され、その首謀者としてシャオヘイの師匠ムゲンに嫌疑がかかる『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)2 ぼくらが望む未来』(木頭(MTJJ)、顧傑監督、2025)は、太くシンプルな描線でデザインされた可愛らしいキャラクターたちに柔らかな筆致と淡い色彩で描きこまれた背景美術、そして前作同様──いや、それ以上に──圧倒的なスピード感と新鮮なアイディアで縦横無尽に展開される激しいサイキック・カンフー・武侠アクションのつるべ撃ちが楽しい1作。
本作ではテーマが妖精と人間との戦争勃発の危機であるだけに、アクションのなかに明確な殺意を盛り込んだシーンも多々あり、コロコロと可愛い世界観とのギャップにより心動かされるだろう。それにしても、クライマックスでは師匠が最強すぎて、もはや使徒(エヴァ)かシン・ゴジラかいった感じになっていたのには笑いました。
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◆弱者として氏族から追放されたプレデターの青年デクが、その意趣返しのため、まだ誰も倒したことのない怪物カリクスのハントに挑む『プレデター: バッドランド』(ダン・トラクテンバーグ監督、2025)は、「プレデター」を観てると思いきや『コナン・ザ・グレート』かーい、というか至極まっとうな貴種流離譚に仕上げられた快作だった。
もちろん単に古色蒼然たりというのではなく、氏族の掟に倣って1匹狼の狩猟者を目指すデクが辿る旅路のなかで経る冒険と、半壊したアンドロイドのティアや原住生物バドとの出逢いの果てに選択する結論は、種族や立場──Alien であることすら──を超えて互いに守り合うことこそ強さであると宣言する、今日的に刷新されている──べき──ものだ。本作を観ていて、こんなにまでプレデターに感情移入する日が来ようとはと驚くと同時に、「だけどプレデターだからなァ」と思うこと自体がもはや旧態依然とした考え方なのだと突き付けられるようなSF的な風刺と、切なる願いにも似た感覚が満ちていて面白く、そして胸を打つ。あるいは、僕らの現実世界がそこまで逼迫しているということかもしれない。
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◆酔って逮捕された中年男スズキタゴサクを取り調べるうち、彼の口から爆弾の爆破を思わせる不穏な言葉がまろび出る『爆弾』(永井聡監督、2025)は、しかっりと骨太なスリラーとして仕上がった1作だった。
佐藤二朗の持ち味を逆手に取ったタゴサクが醸す圧の強い存在感、劇中に何度か訪れる容赦のない爆発描写、そして終始「事件」の展開を描くことに集中したソリッドな作劇が、なんとも知れぬ緊張感を持って観客の予断を許さない。とくに取調室で繰り広げられる言葉の攻防戦を切り取った撮影と編集は見事で、タゴサクを尋問する捜査官が入れ替わるたび絶妙にそのニュアンスを変化させることで人物描写と物語転換、そして心理合戦の命運を暗に示す巧みなものだった *1。ラストに交わされるタゴサクと等々力 *2のやりとりのパンチラインも思わず「ハッ」とさせられるもので、本作の幕切れの余韻とともにわれわれ観客の胸中にしっかりと傷跡を残してくれることだろう *3。
もちろん正直もうすこし尺は摘まめるのじゃないかしらん、とか、比較的抑制の利いた音楽使いではあるものの、ならばもっと抑えても緊張感が高まったのじゃないかしらんと思ったりもするけれど、取調室と同様に暗い密室である映画館の椅子に腰を据えてじっくり味わいたい1作だ。
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◆大粒の雨が降りしきってアスファルトを色を染めるなか、久々に隣県の映画館まで遠出してOVA『天使のたまご 4Kリマスター』(押井守監督、1985-2025)を観た。今回のリマスターで黒味の情緒が増し、もともとモノラルだった音声の新規リミックスでふっと音の場が拡がったことで、闇と影と風と水流とが戯れる作品世界への没入──沈没というべきか──感がしっとりと強まる。そして、耳をつんざくような汽笛の轟音と少女(兵藤まこ)の絶叫も、より生々しく脳裏に残響するだろう。それにしても、まァなんとも知れぬ叙情に満ちた──あるいはヘンテコな──1作だ。すぐにもディスクでくれ *4!

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【ソフト/配信】
◆前漢で武将だった夢を見た教授と助手が、秘められた遺跡を捜すジャッキー・チェンの『A LEGEND/伝説』(スタンリー・トン監督、2024)は、久々に観た、結構な大金をかけてこんなにも歪な作品を仕立て上げたのか大賞作品というか、なんとも知れぬ1作。それだけに、石丸博也氏の吹き替えで観たかったなあ。
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◆テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督、1995-1996)を、約20年ぶり──初見は、高校生の時分に学校近くのレンタル店で借りた旧DVD版──に観返した。細かいところはだいぶ忘れていて新鮮だったし、こんなに綺麗な画だったかと驚いたし、それ以上になんだか胸に感じ入るものもあって、つまり自分がすこしも大人になれていないということなのでしょう。
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*1:誰が負け、誰が踏みとどまるか、それぞれのイマジナリー・ラインの揺らぎに注目しよう。そして思い返すなら、開幕冒頭のタゴサクを映すカメラワークこそ、われわれ観客への挑戦にほかならない。
*2:彼と類家──モジャモジャ頭でその場にそぐわなぬ学生風の風体──は、横溝正史の等々力警部と金田一耕助へのオマージュだったのだろうか。
*3:もうひとつの爆弾があるかないかは、もはや問題ではない。謎が謎のまま留保されることによって、名無しの権兵衛/ジョン・ドゥーでしかなかったタゴサクの存在は──神や悪魔のように──永遠のものとなるからだ。これこそが、あるいは彼の真の目的ではなかったか。彼が謎かけ言葉で人心を篭絡しようとする様は、まさしく神/悪魔の所作にほかならない。そしてラスト、暗転した画面のなかで自販機に小銭を入れてボタンを押すのは、われわれ自身だ。今後われわれが自販機で飲み物を買うとき、いつもタゴサクが不敵な笑みを浮かべて、こちらを見返しているに違いない。