拙ブログ10周年記念: 自薦レビュー記事20

僕のこの拙い映画感想ブログつらつら津々浦々は、2009年1月21日にHatena Diaryにて開設して以来、なんやかんやで10周年を迎えることになりました。読んでいただいた方々に厚く御礼申し上げます。

それにしても、学生時代に始めて──クオリティや熱量の差、表記方法の試行錯誤、Hatena Blogへの移行、そして私生活における様々な変化などの変遷はあれど──よくもまあ続いたものです。

10年といえば、赤ん坊は少年となって自我に目覚め、少年は新成人となって酒に酔っ払い、新成人は三十路となって「やあい」と後ろ指をさされるのに十分な時間であります。ランチュウならば一生分だ。自分のメモによると、開設以来きょうまで観てきた映画(初見)は1,762本(+TVアニメなど10ちょっと)だとか。多いのだか少ないのだかよくわかりませんが、しかし「ほかにすることはなかったのか」という疑問の念は禁じえません。ほかにすることはなかったのか

ということで、いま読んでも、まァそれなりに面白いことが書けたのではないかしらんと思われる過去レビュー記事20本を備忘録的になんとなくピックアップしてみました(下に行くほど古いものになります)。今後とも拙ブログをお楽しみいただければ幸いです。


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GODZILLA 星を喰う者(「2018 10-12月感想(短)まとめ」内) >>記事はこちら
『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(「2017年鑑賞映画 感想リスト/21-30」内) >>記事はこちら
シン・ゴジラ』感想 >>記事はこちら
ガールズ&パンツァー 劇場版』感想 >>記事はこちら
進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(実写版・前編)感想 >>記事はこちら

『007 スペクター』感想 >>記事はこちら
THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』感想 >>記事はこちら
アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズ 感想マラソン >>記事はこちら
バートン・フィンク』についての雑考 >>記事はこちら
屍者の帝国』感想 >>記事はこちら


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『STAND BY ME ドラえもん』(2D版)感想 >>記事はこちら
GODZILLA ゴジラ』(2D字幕版)感想 >>記事はこちら
思い出のマーニー』感想 >>記事はこちら
『TRAIL*1』感想 >>記事はこちら
ゼロ・グラビティ』(日本語吹替え版3D)感想 >>記事はこちら

許されざる者』(2013年版)感想 >>記事はこちら
LOOPER/ルーパー』感想 >>記事はこちら
『007 スカイフォール』感想 >>記事はこちら
『プロメテウス』感想 >>記事はこちら
映画 けいおん! >>記事はこちら


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*1:インディーズ作品。現在、監督の波田野州平氏のオフィシャルWEBページ「Shuhei Hatano Official」で現在全篇視聴可能なうえ、なんと作品ページには当レビューへのリンクが貼られております。

2018年鑑賞作品リスト

2018年に観た映画等の備忘録リストです。今年は209+α作品でした。
末尾に“◎”のあるものは劇場で観たものです。

気まぐれに短い感想を書いた作品もありますので、よろしければ過去投稿記事をご参照いただければ幸いです。

それでは皆様、よいお年を。


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【映画(ソフト含む)

アメリカン・ハッスルデビッド・O・ラッセル監督、2013)
クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』オリヴィエ・ダアン監督、2004)
キングスマン: ゴールデン・サークル』(マシュー・ヴォーン監督、2017)◎
『人形霊』(チョン・ヨンギ監督、2004)
『OVER SUMMER 爆裂刑事』(ウィルソン・イップ監督、1999)

『ロスト・レジェンド 失われた棺の謎』(ウー・アールシャン監督、2015)
マジンガーZ/INFINITY(志水淳児監督、2017)◎
ブラッド・ファーザージャン=フランソワ・リシェ監督、2016)
『ハードコア』イリヤ・ナイシュラー監督、2015)
1984マイケル・ラドフォード監督、1984


10


『イントルーダーズ』(フアン・カルロス・フレスナディージョ監督、2011)
ガールズ&パンツァー 最終章 第1話』水島努監督、2018)◎
『Mr. & Mrs. スパイ』グレッグ・モットーラ監督、2016)
ダークタワーニコライ・アーセル監督、2017)◎
ジオストームディーン・デヴリン監督、2017)◎

『LUPIN THE THIRD 血煙の五ェ門(前・後篇)』小池健監督、2017)
パディントン2ポール・キング監督、2017)◎
スキップ・トレースレニー・ハーリン監督、2016)
ベイビー・ドライバーエドガー・ライト監督、2017)
霊幻道士/こちらキョンシー退治局』(ヤン・パクウィン、チウ・シンハン監督、2016)


20


マンハントジョン・ウー監督、2018)◎
『美しい星』(吉田大八監督、2017)
ジェーン・ドウの解剖アンドレ・ウーヴレダル監督、2017)
『gifted/ギフテッド』(マーク・ウェブ監督、2017)◎
KUBO/クボ 二本の弦の秘密トラヴィス・ナイト監督、2016)◎

『ブラック・エース』(マイケル・リッチー監督、1972)
『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』パブロ・ラライン監督、2016)
ロックアウト(スティーヴン・セイント・レジャー、ジェームズ・マザー監督、2012)
グレイテスト・ショーマンマイケル・グレイシー監督、2017)◎
空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』チェン・カイコー監督、2017)◎


30


『死霊高校』(クリス・ロフィング、トラヴィス・クラフ監督、2015)
パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊(ヨアヒム・ローニング、エスペン・サンドベリ監督、2017)
『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー監督、2016)
『インナー・ワーキング』(レオナルド・マツダ監督、2016)
15時17分、パリ行きクリント・イーストウッド監督、2018)◎

『サーカス』チャールズ・チャップリン監督、1928)
アナと雪の女王 家族の思い出』(スティービーー・ワーマーズ監督、2017)◎
リメンバー・ミー(リー・アンクリッチ、エイドリアン・モリーナ監督、2017)◎
沈黙 -サイレンス-マーティン・スコセッシ監督、2016)
華麗なる相続人テレンス・ヤング監督、1979)


40


ブラックパンサーライアン・クーグラー監督、2018)◎
トランスフォーマー/最後の騎士王マイケル・ベイ監督、2017)
トゥームレイダー ファースト・ミッションローアル・ユートハウグ監督、2018)◎
『アトラクション 制圧』(フョードル・ボンダルチュク監督、2017)
『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス監督、2016)

名探偵コナン から紅の恋歌静野孔文監督、2017)
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書スティーヴン・スピルバーグ監督、2017)◎
曇天に笑う本広克行監督、2018)◎
ネオン・デーモンニコラス・ウィンディング・レフン監督、2016)
ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングルジェイク・カスダン監督、2017)◎


50


さよならの朝に約束の花をかざろう岡田麿里監督、2018)◎
『ディセント/ザ・ダークサイド』(デヴィッド・ハント監督、2013)
『日食』ジョルジュ・メリエス監督、1907)
『午前の幽霊』(ハンス・リヒター監督、1928)
『対角線交響楽』(バイキング・エグリング監督、1924)

『犯罪王リコ』(マーヴィン・ルロイ監督、1930)
『死闘伝説』(トビー・ラッセル監督、1993)
『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールトリュフォー(エマニュエル・ローラン監督、2010)
『名前のない少年、脚のない少女』(エズミール・フィーリョ監督、2009)
うる星やつら4/ラム・ザ・フォーエバー』やまざきかずお監督、1986)


60


ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(最終版)』ジョージ・A・ロメロ、ジョン・A・ルッソ監督、1999)
たかが世界の終わりグザヴィエ・ドラン監督、2016)
『ブレード/刀』ツイ・ハーク監督、1995)
民衆の敵ウィリアム・A・ウェルマン監督、1931)
宇宙戦争バイロン・ハスキン監督、1953)

曼陀羅実相寺昭雄監督、1971)
『暗黒街の顔役』ハワード・ホークス監督、1932)※2種エンディング
『アイズ』ダヴィド・モロー、ザヴィエ・パリュ監督、2008)
『M』フリッツ・ラング監督、1931)
リスボンに誘われて』ビレ・アウグスト監督、2013)


70


『アンナ・クリスティ』クラレンス・ブラウン監督、1930)
恋愛睡眠のすすめミシェル・ゴンドリー監督、2006)
サルトルボーヴォワール(イラン・デュラン・コーエン監督、2006)※仏本国ではTVM
暗殺の森ベルナルド・ベルトルッチ監督、1970)
愛の神、エロスウォン・カーウァイスティーブン・ソダーバーグミケランジェロ・アントニオーニ監督、2004)

オルランド(サリー・ポッター監督、1992)
マタ・ハリ(ジョージ・フィッツモーリス監督、1931)
ルナシーヤン・シュヴァンクマイエル監督、2005)
ミッドナイトムービー(スチュアート・サミュエルズ監督、2005)
『フレンジーアルフレッド・ヒッチコック監督、1972)


80


『私はロランス』グザヴィエ・ドラン監督、2012)
『タンゴ・レッスン』(サリー・ポッター監督、1997)
『女はみんな生きている』コリーヌ・セロー監督、2001)
『審判』オーソン・ウェルズ監督、1962)
『太陽はひとりぼっち』ミケランジェロ・アントニオーニ監督、1962)

アデル、ブルーは熱い色アブデラティフ・ケシシュ監督、2013)
『コール・オブ・ヒーローズ/武勇伝』(ベニー・チャン監督、2016)
ジョン・ウィック: チャプター2』チャド・スタエルスキ監督、2017)
『グレースフィールド・インシデント』(マチュー・ラザ監督、2017)
『阿呆遊戯 ブルース・リーを探せ!』ジャスティン・リン監督、2007)


90


ベイウォッチセス・ゴードン監督、2017)
虐殺器官村瀬修功監督、2017)
『ソウル・ステーション/パンデミックヨン・サンホ監督、2016)
怪物はささやくJ・A・バヨナ監督、2016)
『都市伝説: 長身の怪人』(ジェームズ・モラン監督、2015)

ピーターラビットウィル・グラック監督、2018)◎
ランペイジ 巨獣大乱闘ブラッド・ペイトン監督、2018)◎
レディ・プレイヤー1スティーヴン・スピルバーグ監督、2018)◎
『燃えよ! じじぃドラゴン 龍虎激闘』デレク・クォック、クレメント・チェン監督、2010)
GODZILLA 決戦機動増殖都市静野孔文瀬下寛之監督、2018)◎


100


ガール・オン・ザ・トレインテイト・テイラー監督、2016)
『質屋』シドニー・ルメット監督、1964)
アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーアンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督、2018)◎
西遊記2~妖怪の逆襲~』ツイ・ハーク監督、2017)
『バイバイマン』(ステイシー・タイトル監督、2017)

デッドプール2デヴィッド・リーチ監督、2018)◎
プラネタリウムレベッカ・ズロトヴスキ監督、2016)
アナベル 死霊人形の誕生デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2017)
ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーロン・ハワード監督、2018)◎
『エターナル』(イ・ジェヨン監督、2017)◎


110


ワンダー 君は太陽スティーブン・チョボスキー監督、2017)◎
『セールスマン』アスガル・ファルハーディー監督、2016)
名探偵コナン ゼロの執行人立川譲監督、2018)◎
ジュラシック・ワールド/炎の王億』J・A・バヨナ監督、2018)◎
アトミック・ブロンド(デヴィッド・リーチ監督、2017)

暗闇にベルが鳴る(ボブ・クラーク監督、1974)
『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』(クレイグ・ガレスピー監督、2017)◎
ガス人間第一号本多猪四郎監督、1960)
『黒い牡牛』(アーヴィング・ラバー監督、1956)
バルカン超特急アルフレッド・ヒッチコック監督、1938)


120


『天上の剣 The Legend of ZU』ツイ・ハーク監督、2001)
山羊座のもとに』アルフレッド・ヒッチコック監督、1949)
未来のミライ細田守監督、2018)◎
マイティ・ソー バトル・ロイヤル』タイカ・ワイティティ監督、2017)
『ウィッチ』(ロバート・エガース監督、2015)

『ミッション: インポッシブル/フォールアウト』クリストファー・マッカリー監督、2018)◎
『Bao』(ドミー・シー監督、2018)◎
インクレディブル・ファミリーブラッド・バード監督、2018)◎
悪魔の棲む家(スチュアート・ローゼンバーグ監督、1979)
『超能力学園Z』(ロバート・J・ローゼンタール監督、1983)


130


『エンジェル・バトラー 戦闘無双』(ション・シンシン監督、2009)
MASTER マスター(チョ・ウィソク監督、2016)
バーフバリ 王の凱旋S・S・ラージャマウリ監督、2017)
スクランブル』アントニオ・ネグレ監督、2017)
『マッドボンバー』(バート・I・ゴードン監督、1973)

『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督、2017)◎
『ドリーム』セオドア・メルフィ監督、2016)
『ちいさな英雄 -カニとタマゴと透明人間-』米林宏昌、百瀬義行、山下明彦監督、2018)◎
オーシャンズ8ゲイリー・ロス監督、2018)◎
アフターマスエリオット・レスター監督、2017)


140


ペンギン・ハイウェイ(石田裕康監督、2018)◎
『rain town』(石田裕康監督、2011)
陽なたのアオシグレ(石田裕康監督、2013)
『寫眞館』なかむらたかし監督、2013)
『Control Bear』新井陽次郎監督、2013)

『ポレットの椅子』(石田裕康監督、2014)
『FASTENING DAYS』(石田裕康監督、2014)
台風のノルダ新井陽次郎監督、2015)
『FASTENING DAYS 2』(石田裕康監督、2016)
『FASTENING DAYS 3』(柴山智隆監督、2017)


150


ザ・リング/リバース』(F・ハビエル・グティエレス監督、2017)
アントマン(ペイトン・リード監督、2015)
アントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督、2018)◎
MEG ザ・モンスタージョン・タートルトーブ監督、2018)◎
ブルースチールキャスリン・ビグロー監督、1989)

『悪女 AKUJO』チョン・ビョンギル監督、2017)
『早春』イエジー・スコリモフスキ監督、1970)
『悪魔を憐れむ歌』(グレゴリー・ホブリット監督、1998)
『バニシングin60″』(H・B・ハリッキー監督、1974)※音楽差し替えの再公開版
『エクリプス』(パコ・プラサ監督、2017)


160


ザ・プレデターシェーン・ブラック監督、2018)◎
プーと大人になった僕マーク・フォースター監督、2018)◎
ヘラクレスブレット・ラトナー監督、2014)
おみおくりの作法』(ウベルト・パゾリーニ監督、2013)
『ラストサマー』(ジム・ギレスピー監督、1997)

『恐怖のエアポート』(バーナード・コワルフスキー監督、1971)※TVM
BLAME!瀬下寛之監督、2017)
セントラル・インテリジェンスローソン・マーシャル・サーバー監督、2016)
アトランティス 失われた帝国(ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ監督、2001)
イコライザー2』アントワーン・フークア監督、2018)◎


170


『レイク・マンゴー ~アリス・パーマーの最期の3日間~』(ジョエル・アンダーソン監督、2008)
カンフー・ヨガスタンリー・トン監督、2017)
女神の見えざる手ジョン・マッデン監督、2016)
酔拳2 《香港公開版》』(ラウ・カーリョン、ジャッキー・チェン監督、1994)
セルロイド・クローゼット』(ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン監督、1996)

チャップリンの舞台裏』(チャーリ・チャップリン監督、1916)
『午後8時の訪問者』ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌ監督、2016)
『マーキュリー・ライジング』(ハロルド・ベッカー監督、1998)
デス・ウィッシュイーライ・ロス監督、2018)◎
否定と肯定ミック・ジャクソン監督、2016)


180


パーティで女の子に話しかけるにはジョン・キャメロン・ミッチェル監督、2016)
スリー・ビルボードマーティン・マクドナー監督、2017)
『シックス・シューター』マーティン・マクドナー監督、2004)
シェイプ・オブ・ウォーターギレルモ・デル・トロ監督、2017)
怪談新耳袋 怪奇(ツキモノ、ノロイ)』(篠崎誠監督、2010)

シンクロナイズドモンスターナチョ・ビガロンド監督、2016)
『ヴェノム』ルーベン・フライシャー監督、2018)◎
GODZILLA 星を喰う者静野孔文瀬下寛之監督、2018)◎
ボヘミアン・ラプソディブライアン・シンガー、デクスター・フレッチャー監督、2018)◎
セブン・シスターズトミー・ウィルコラ監督、2017)


190


『フューリー』ブライアン・デ・パルマ監督、1978)
コンフィデンシャル/共助キム・ソンフン監督、2017)
ヴァレリアン 千の惑星の救世主リュック・ベッソン監督、2017)
『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション京田知己監督、2018)◎
ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!』(スティーヴン・クォーレ監督、2017)

ガールズ&パンツァー 第63回戦車道全国高校生大会 総集編』水島努監督、2018)◎
ゲット・アウトジョーダン・ピール監督、2017)
『レゴ®ニンジャゴー ザ・ムービー』チャーリー・ビーン、ポール・フィッシャー、ボブ・ローガン監督、2017)
くるみ割り人形と秘密の王国』ラッセ・ハルストレムジョー・ジョンストン監督、2018)◎
マイ・プレシャス・リストスーザン・ジョンソン監督、2016)◎

200


トレイン・ミッション(ジャウム・コレット=セラ監督、2018)
『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』ヨルゴス・ランティモス監督、2017)
『RAW 少女のめざめ』(ジュリア・デュクルノー監督、2016)
『SF/ボディ・スナッチャーフィリップ・カウフマン監督、1978)
ミニオンのミニミニ大脱走(ファビアン・ポラック、セルゲイ・クシュネロフ監督、2018)◎

グリンチヤーロウ・チェイニースコット・モシャー監督、2018)◎
『狙撃』堀川弘通監督、1968)
『妖魔伝 レザレクション』(ウー・アールシャン監督、2012)
シュガー・ラッシュ: オンライン』(リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン監督、2018)◎



【TVアニメ】
けものフレンズたつき監督、2017)
『だがしかし』高柳滋仁監督、2016)
だがしかし2(桑原智監督、2018)

OVA
『Re: キューティーハニー庵野秀明総監督、今石洋之、伊藤尚往、摩砂雪監督、2004)

【TVドラマ】
『デッドストック~未知への挑戦~』(権野元、三宅隆太、森達也監督、2017)
ストレンジャー・シングス 未知の世界〈シーズン1〉』(ダファー兄弟、ショーン・レヴィ監督、2016)

2018年 映画館で観た作品ランキング

すっかり開店休業状態なので恐縮ですが、今年僕が映画館で観た映画(56作品)を備忘録としてゆるやかなランキング形式──“○”で区切られたなかは、ほぼ順不同くらいの気持ち──で並べております。もちろん、この並びはいまの気分や好みであり、また、地方在住者であることに加えて、自身の偏食具合から、かなり偏った作品リストになっていることをご容赦ください。リストの内の数本を除き、簡単な感想を過去記事にてご覧いただけますので、よければご参照ください。


     ※


ボヘミアン・ラプソディブライアン・シンガー、デクスター・フレッチャー監督、2018)
ペンギン・ハイウェイ(石田裕康監督、2018)
パディントン2ポール・キング監督、2017)


イコライザー2』アントワーン・フークア監督、2018)
シュガー・ラッシュ: オンライン』(リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン監督、2018)


『ミッション: インポッシブル/フォールアウト』クリストファー・マッカリー監督、2018)
レディ・プレイヤー1スティーヴン・スピルバーグ監督、2018)
『gifted/ギフテッド』(マーク・ウェブ監督、2017)
プーと大人になった僕マーク・フォースター監督、2018)
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書スティーヴン・スピルバーグ監督、2017)


     ○


ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングルジェイク・カスダン監督、2017)
KUBO/クボ 二本の弦の秘密トラヴィス・ナイト監督、2016)
『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督、2017)
デッドプール2デヴィッド・リーチ監督、2018)
ピーターラビットウィル・グラック監督、2018)

ランペイジ 巨獣大乱闘ブラッド・ペイトン監督、2018)
15時17分、パリ行きクリント・イーストウッド監督、2018)
インクレディブル・ファミリーブラッド・バード監督、2018)
リメンバー・ミー(リー・アンクリッチ、エイドリアン・モリーナ監督、2017)
アントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督、2018)


     ○


ワンダー 君は太陽スティーブン・チョボスキー監督、2017)
グリンチヤーロウ・チェイニースコット・モシャー監督、2018)
ジュラシック・ワールド/炎の王億』J・A・バヨナ監督、2018)
ブラックパンサーライアン・クーグラー監督、2018)
トゥームレイダー ファースト・ミッションローアル・ユートハウグ監督、2018)

『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』(クレイグ・ガレスピー監督、2017)
グレイテスト・ショーマンマイケル・グレイシー監督、2017)
アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーアンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督、2018)
名探偵コナン ゼロの執行人立川譲監督、2018)
キングスマン: ゴールデン・サークル』(マシュー・ヴォーン監督、2017)


     ○


ダークタワーニコライ・アーセル監督、2017)
『Bao』(ドミー・シー監督、2018)
デス・ウィッシュイーライ・ロス監督、2018)
オーシャンズ8ゲイリー・ロス監督、2018)
ザ・プレデターシェーン・ブラック監督、2018)

MEG ザ・モンスタージョン・タートルトーブ監督、2018)
ミニオンのミニミニ大脱走(ファビアン・ポラック、セルゲイ・クシュネロフ監督、2018)
『ヴェノム』ルーベン・フライシャー監督、2018)
『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション京田知己監督、2018)
ガールズ&パンツァー 最終章 第1話』水島努監督、2018)


     ○


マイ・プレシャス・リストスーザン・ジョンソン監督、2016)
くるみ割り人形と秘密の王国』ラッセ・ハルストレムジョー・ジョンストン監督、2018)
『ちいさな英雄 -カニとタマゴと透明人間-』米林宏昌、百瀬義行、山下明彦監督、2018)
ガールズ&パンツァー 第63回戦車道全国高校生大会 総集編』水島努監督、2018)
『エターナル』(イ・ジェヨン監督、2017)

マジンガーZ/INFINITY(志水淳児監督、2017)
ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーロン・ハワード監督、2018)
アナと雪の女王 家族の思い出』(スティービー・ワーマーズ監督、2017)
さよならの朝に約束の花をかざろう岡田麿里監督、2018)
マンハントジョン・ウー監督、2018)


     ○


ジオストームディーン・デヴリン監督、2017)
空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』チェン・カイコー監督、2017)
GODZILLA 星を喰う者静野孔文瀬下寛之監督、2018)
GODZILLA 決戦機動増殖都市静野孔文瀬下寛之監督、2018)
未来のミライ細田守監督、2018)

曇天に笑う本広克行監督、2018)

2018 10-12月感想(短)まとめ

ちょこまかとtwitterにて書いていた2018年10月から12月にかけての備忘録(一部加筆修正)です。


     ※


【劇 場】

◆タクシーの運転手に転職しながらも、目についた悪を持てる技術全開で制裁する元CIA特殊捜査官マッコールの活躍を描くイコライザー2』アントワーン・フークア監督、2018)は、クズの大小やイデオロギーに関わらず正義の鉄槌を下すマッコールの勇姿に胸がすく快作。

本作において、マッコールがタクシーという移動手段を得たことでより一層の広がりと増加を見せた活動範囲とタスクを淡々とこなしてゆく様子は、快感であると同時にちょっと怖ろしくすら──彼が敢えて“ナメられキャラ”を演じる瞬間の妙な緊張感たるや!──ある。前作(同監督、2014)ではわりと見せないことで描写されたマッコールの暴力描写が直接的になり、彼の悪への慈悲なき制裁の凄惨さが垣間見られるのも、それに拍車をかけるだろう。彼は、文字どおり神出鬼没でタスク・マネージメントのできる勧善(完全)懲悪中毒おじさんなのであった。たいへん怖い──もとい、かっこいい! やっぱり悪党が皆殺しになる映画はいいですね。心が穏やかになる。

その、ある種の荒唐無稽さをマッコールが一身に担う一方で、本作の演出は非常に文学的でかつ古典的だ。キャラクターや物語がはらむ感情の起伏は、雨が涙の代わりであり、嵐の到来は文字どおり物語の抑揚であるといった具合に、むしろ風景や気候が雄弁に語ってくれるだろう。また、前作のキーとなる舞台の夜のダイナーが明らかにエドワード・ホッパー風であったように、嵐の上陸によって一時的なゴーストタウンとなった町を舞台に展開される本作のクライマックスもまるで絵画のように──当てずっぽうではあるが、ハドソン・リバー派の筆致を思い起こさせる──描写されており、正義の裁定者たるマッコールのキャラクター設定とも相まって、荘厳さすら感じられる印象的な名場面となっている。余談だが、この舞台立てと、ここでマッコールの取ったある行動が、『荒野のストレンジャー』(クリント・イーストウッド監督、1973)のクライマックスを彷彿とさせるのも興味深い。

そういった細やかな演出の積み重ねの末に訪れる本作のラスト・ショットの──デンゼル・ワシントンの立ち位置を含めた──構図の美しさにも注目したい。感動もひとしおだ。


     ○


◆最愛の妻と娘を強盗に襲われたことで、街に巣食う悪党たちの制裁に目覚めてしまう外科医ポール・カージーの姿を描くデス・ウィッシュイーライ・ロス監督、2018)は、オリジナル版『狼よさらば』(マイケル・ウィナー監督、1974)とはまた違った魅力を放つ快作。

なんといっても、さすがホラー映画で鳴らしたロス監督の面目躍如というべきか、本作に数多ある襲撃シーン──カージー一家が襲われるとき、あるいはポールが制裁に出向くときの受動/能動を問わず──は、実に的確なカメラワークや編集、テンポでどれも観る者の不安や緊張感をグイグイ煽ってくれるので、その臨場感たるや凄まじく、冷や汗モノ。同様に、徐々に自警意識の狂気に呑まれてゆくポールの心理描写もまた見事なものだった(背景美術の色味に注目)。ポールが銃の扱いを学ぶのがユーチューバーの動画だったり、彼の凶行がSNSで即座に拡散されるのも、いかにも今日日(きょうび)のリメイクといった感じで楽しい。

ただ、よくも悪くも、本作は後半にかけて、いよいよ逃れようもなく狂気に沈んでゆくオリジナル版とは逆に、普通のアクション映画的展開になってしまうので、そこは若干の食い足りなさが残ったところもある。ラストショットの“あの”同じポーズの印象がだいぶ異なるが、いずれにせよ直接の原因たる悪は、ポールそのものではないところは、どちらも一貫しているといってよいだろう。悪党皆死すべし! 面白かった。


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◆違法な人体実験を行っているという“ライフ財団”を追っていた記者エディ・ブロックが、財団が宇宙で採取した寄生生命体“ヴェノム”と融合してしまうマーベル・コミックスの実写化『ヴェノム』ルーベン・フライシャー監督、2018)は、粗を探せば山ほどあるが、それでいてキュートな魅力を持った不思議な印象を残す作品だった。

本国での批評家受けが芳しくないのも納得で、前半の1時間は展開や話し運びがなんだかマゴついていたり、妙に辻褄が合っていなかったりで、正直退屈だった。けれど、ついにエディに巣食ったヴェノムが覚醒してからの後半は打って変わって、スピード感溢れるアクションのつるべ打ちと、その最中に交わされるふたりの軽妙で漫才のような掛け合いの楽しさに一気に引き込まれた。まるで「水曜どうでしょう」のロケ中にまろび出る大泉洋のボヤきのごときヴェノムの台詞の数々──アンゼたかし氏による字幕翻訳も素晴らしい──が可愛らしく、なるほど『ゾンビランド』(2009)のフライシャー監督作なのだった。

映像表現の面白さは、長い長いスタッフロールの果てに付された“アレ*1”に全部持っていかれた感もあるのが残念だが、予告編とはまるで違った体験を味あわせてくれる本作は一見の価値アリだ。


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◆2万年後の未来の地球を舞台に、生き残った人類たちとゴジラとの攻防を描く長編アニメシリーズ第3作にして完結篇GODZILLA 星を喰う者静野孔文瀬下寛之監督、2018)は、前2作にあった問題点はそのままに、とりあえず終わった、という感じ。

たしかに、低音を効かせたサウンド・デザインは聴き応えがあるし、ある種の日本人論をやろうとした本シリーズの筋立て、というか着眼点は面白いものだと思う。日本人である主人公ハルオ・サカキに対して、それぞれが日本人のルーツを思わせる3種族──縄文人弥生人、そして南洋の人々──が異なった価値観をぶつけ、彼がその渦中で葛藤し、どの未来を選び取るのかという展開は興味深い。

また、そこかしこに付されたユダヤ教キリスト教的な味つけについても、やりたいことはわかる。ゴジラ映画第6作『怪獣大戦争』(本多猪四郎監督、1965)に登場するX星人が種族名の由来である「エクシス」の神官であり、本作では人類(=ハルオ)を篭絡して破滅させようとするメトフィエスの名は、ファウストに魂の契約を持ちかける悪魔メフィストフェレスのモジリだろうことは明らかだし、彼がハルオを抱く本作のポスター・アートは、受難のイエスを抱く聖母マリアを表した「ピエタ」像そのものだ。

同時に、ひたすらな献身──信仰──と供物を求める本作のキングギドラヤハウェを髣髴*2とさせ、そんなギドラを盲信するメトフィエスが終盤において丘の上に祭壇を築き生贄を供える様子は、ヤハウェの命令に従って息子イサクを奉じようとしたアブラハムの姿に重なるだろう*3 *4 *5。こういった試みを「ゴジラ」でやろうとすることそれ自体は面白い興味深いと考えるものである。

ただ、いかんせん映画としての面白さを伴っていない。小説朗読やドラマCDもかくやとばかりにひたすら台詞は多いが、同じ話を3度も4度も繰り返すばかりで、話が遅々として進まない。たとえば、何回「ギドラはゴジラに噛みついているだけなのに!」という台詞を聞いたかってことであって、脚本段階での整理がなされていないのは明々白々だ。そのくせ空間描写はおざなりなので、相変わらず誰がどこにいて、どういったスケールや距離感なのかがサッパリつかめない。というか、今回の目玉であろうゴジラとギドラの闘いが、文字どおりポスター・アート以上でも以下でもないとは、いかがなものか。まったく、ゴジラキングギドラよりも、絶望したのは映画の出来だよ!


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◆地球を覆い尽くし、数多の人命を奪った謎の群生体と、それを統べる“エウレカセブン”に対抗すべく選出された少女アネモネの姿を描くリブート版第2作『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション京田知己監督、2018)は、シリーズで描かれてきた世界に文字どおり外側から切れ込みを入れるという構成もあって、なんとなくリブート版前作(京田知己総監督、清水久敏監督、2017)を未見のままで観たものの、けっこう楽しめた(テレビ版と旧劇場版はほぼリアルタイムで観賞)。

もちろん自身の不勉強さゆえに腑に落ちない点もあったし、クライマックスは画面どおり駆け足だった嫌いもあるが、本作が新規に作った画面を観てもわかるとおり『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、2016)など庵野監督作の影響が色濃い本作らしく、昨今の国内情勢に対する痛烈な皮肉がそこかしこに込められている──思い起こせばオリジナルのテレビシリーズもそうだった──ところなども、本作のSF的ストーリーとも相性がよかったのだろう、しっかりと効いているのも印象的だ。

画面それ自体に関していえば、戦闘や爆発などのエフェクト・アニメは非常に見応えがあり、大画面でこその臨場感が味わえたものの、基本の画面サイズがシネマスコープになったためか作画部分に解像度に不足がところどころ感じられたり、部分的にトゥーン・シェイドCGで描画されたキャラクターの動きには若干の違和感があったりで、こういった技法/技術的伸び白はまだまだあるといったところだろうか。


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◆一世を風靡した英国のロックバンド“クイーン”のリード・ボーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を描くボヘミアン・ラプソディブライアン・シンガー、デクスター・フレッチャ*6監督、2018)は、自身の出自や性格、容姿やセクシュアリティから来る自他からの抑圧によって孤独にあえぎながら、それでもなお安住の地と“Somebody to Love”を求めて放浪するひとりの人物をテンポよく、かつ非常に繊細に描き出した見事な1作。

歴史考証によって徹底的にリアルに再現された当時の光景もさることながら、本作は、フレディの内面にそっと寄り添うかのような画づくりと編集が本当に素晴らしい。画面構成から照明、色彩の変化、切り替えしたフレディの視線の先になにが見えるのか、あるいは彼の後ろにはなにがあるのかに至るまで、計算され尽くしている。撮影のニュートン・トーマス・サイジェルの仕事ぶりに驚くことしきりだ。そしてもちろん、音楽演出──ときおり挿入されるクイーン以外の楽曲にも注目したい──の的確さも格別で、本作を観れば、劇中でも使用された何曲かのクイーンの楽曲で歌われる詩の意味が、より重層的に心に迫ってくるだろう。そして、だからこそ映画のオープニングがあの曲だったのかと、膝を打つはずだ。

クイーンのファンであるか否か、あるいは知識の在る無しに関わらず*7、きっとなにかしら得るものがあるはずだ。本作ばかりは、ぜひ劇場のスクリーンと大音響で観てほしい1作だ。


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◆テレビシリーズ全12話とOVA版を約2時間にまとめ上げたガールズ&パンツァー 第63回戦車道全国高校生大会 総集編』水島努監督、2018)は、なるほど映画館で観ると、音響のアップグレードによって増幅された戦車まわりのサウンド・エフェクトが、ズンと腹に響いて気持ちがいい。

もちろんシリーズとおして約6時間あるものを3分の1程度の尺にしているので、いろいろ無理もあるのだけれど、そうとなれば主人公・西住みほを巡るドラマに焦点を置いた編集にして、あんこうチーム5人のナレーション演出──彼女たちが、われわれと同じ映像を見ながら思い出語りをしているという設定だが、せっかくの音響を邪魔する部分もかなりあり──を排せば、もっとスッキリしたのじゃないかしらん。


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◆ホフマンの小説とチャイコフスキーによる組曲を元に映画化されたくるみ割り人形と秘密の王国』ラッセ・ハルストレムジョー・ジョンストン監督、2018)は、お世辞にも巧い映画とは言い難い作品で、ハッキリ言って話運びや展開は大雑把そのもの。テーマの描き方もいささか陳腐だし、ギャグもいちいちスベっている。

ただ、ヴィクトリア朝ロンドンの町並みを完全再現した冒頭の長い空撮風ショットに始まり、やがてヒロインの少女クララが迷い込む秘密の王国に至るまで、画面に映るものすべてを──メイク、衣装、セット、そしてVFXと、あらゆる技術を総動員して──徹底的に作り込んだ美術デザインの数々は、まさに総天然色──『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督、1939)や『ファンタジア』(ベン・シャープスティーン監督、1940)などを思わせるシーンもチラホラ──と言い表すにふさわしい絢爛豪華さだ。

しかしながら、その目のくらむほど──実際、情報量が多すぎて目がチカチカしたのだけれど──人工的に隅々までカッチリと組み上げられた映像*8のなかで、もっとも見応えがあったのが中盤とエンドロールに映されるバレエ・ダンサーたちが舞い踊る生身のパフォーマンスだという皮肉。なんとなれば、本作をこそミュージカルとして撮ったほうが、題材とも合っていたのではないかしらん。

いっぽうで、『死霊館』(ジェームズ・ワン監督、2013)なんかのころからするとすっかり大きくなった主演のマッケンジー・フォイの可憐なフォトジェニックぶりは見事。その美少女ぶりと演技の豊かさは、並の猛獣なら一撃で倒せそうではあったので、彼女のアイドル映画として観れば、本作は5億点満点だろう。けれど、せっかくテコンドー黒帯の彼女にアクションをさせるのだから、ジャッキー・チェンとかブラッド・アランをアクション演出に招けばよかったのになあ。そうすれば、冒頭のつかみであったピタゴラスイッチが、クライマックスでもっと活かせたろうになあ。惜しい。


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ドクター・スースによる児童文学をイルミネーション・エンターテインメントが長編CGアニメーション化したグリンチヤーロウ・チェイニースコット・モシャー監督、2018)は、鮮やかだが煩すぎない適確な色彩設計とデザイン、3D上映を徹底的に意識した画面レイアウトとカメラ・ワークによって繰り広げられるアクションの臨場感や疾走感、高所感溢れる演出とスラップスティックな笑いを誘うコメディとが合致した楽しく、思いやりの心を描くクリスマス精神に溢れた作品。CGによる毛並みや雪の質感表現も──新作を観るたびに思うけれども──見事だ。

ひねくれ者グリンチの映画前半で描かれる独り暮らしシーンが物悲しくもどこか楽しげでね(シミジミ)。飼い犬マックスや、はぐれトナカイのフレッド相手に喋りまくるヤサグレ感も楽しく、大泉洋のボヤキ吹き替えもバッチリ!*9 原語版のベネディクト・カンバーバッチも早く聞きたいものだ。あえて難を言えば、クライマックスがいささか性急過ぎる嫌いがあったのと、画づくりとアクション演出が完璧だった本作には返ってナレーションは邪魔だったのじゃないかしらん、ということくらいだろうか。ともあれ、様々なソリ滑りシーンは超楽しいゾ*10


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◆レトロなアーケード・ゲーム機内のキャラクターであり、深い絆で結ばれたラルフとヴァネロペがインターネットの世界に迷い込むシリーズ第2作シュガー・ラッシュ: オンライン』(リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン監督、2018)は、前作*11とは違う意味において、いたく感動させられた作品だった。

インターネット内の世界を見事にカリカチュアして視覚化したカラフルで多種多様なデザインの数々に目を見張るし、インターネット内外の現実社会*12から、ディズニーの各種自社製品──劇中にあるミュージカル・シーン用の楽曲を、ディズニー・ルネサンス期の作品を支えた作曲家アラン・メンケンにわざわざ書かせている徹底ぶり──までを強烈に皮肉った毒のあるギャグの乱れ撃ちが、まずは楽しいところ。前半のラルフとヴァネロペの仲睦まじい様子もとても微笑ましいし、前作同様にカー・アクションも迫力満点だ。まあ、ちょっとそれらに傾倒しすぎて、たとえば物語内設定が前作と微妙に矛盾していたり*13、明らかにタイムリミット・サスペンスとしては失敗していたり*14と作劇のバランスが若干おかしくなっている点は否めない。はっきり言っていびつである。

それでもなお本作が胸を打ったのは、本作の物語が、友情や恋愛、あるいは結婚といった様々な人間対人間どうしのつきあいのなかで必ず起こりうる変化や、各々が取りがちなふるまいについて徹底的に向き合って──ラルフやヴァネロペが、それぞれのやり方で文字どおり自分を見つめ直すシーンを思い出したいし、そういった意味でクライマックスは正しく怪獣映画*15なのだった──葛藤し、もがきながらも前進しようとするキャラクターたちを描き、僕らにそれについて考えさせてくれるからだ*16

変化のない人間関係はないし、ディズニーが描いてきたようなキスひとつで決定される“不変の愛”もないが、だからこそ尊いのだという、本作の導き出す結論は、とても現代的な着地だろう。自分も1個の人間なら、相手だってそうなのだ。ファースト・シーンの対となる本作のラスト・シーンには、ほろ苦くもあたたかい機微が溢れていた。


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【ソフト】

孤独死した人々ひとりひとりと誠実に向き合って荼毘にふしてきた民生係のジョン・メイだったが、人員整理による解雇が決定してしまい、いま調査中の向かいの部屋で亡くなった男性が最後の仕事になるおみおくりの作法』(ウベルト・パゾリーニ監督、2013)は、もの静かで几帳面で、そして彼自身も孤独であるジョンの日常──その繰り返しと、変化──を、エディ・サーマンの微細な演技と、衣装や美術、カメラと編集によって口数は少なく、しかし豊穣に切り取ってみせる。この丁寧な積み重ねがあればこそ、本作のクライマックスに置かれた、ある種ロジックを飛躍/超越するような展開が不思議とストンと腑に落ち、むしろえもいわれぬ感動を呼び起こしてくれるだろう。


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◆創造主たる人間の手を離れ、あまつさえ人間を排除しながら無限増殖する階層都市に住まう人間たちの戦いを描く弐瓶勉の同名SFコミックの映画化BLAME!瀬下寛之監督、2017)は、さすがに美術やデザイン・ワークといったヴィジュアル面について見事のひと言。だが、他の瀬下監督作品同様に空間把握のしづらい画面構成と編集、そしてアクション構築によって、せっかくの舞台立ての魅力が十分には活かせておらず、なにより同じ話題を短時間に2回、3回と繰り返す展開が鈍重に感じられてならない。もうちょっとスマートに、かつ、設定やら説明を少しずつ詳(つまび)らかにしてゆく作劇を考えるべきではなかったか。


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◆不勉強ながら観ていなかったディズニーのアトランティス 失われた帝国(ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ監督、2001)は、いかに物語を素早くかつ判りやすく展開するかに特化した画面レイアウトの連続が凄い。恐ろしくテンポが早いのに、スルスル飲み込めてしまう。また、ディズニーのアニメーション映画とは思えないほどに人が直接的にむざむざとたくさん死んでいくのにも意表を突かれた。


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◆マンゴー湖にて溺死した少女アリスの家族に、やがて不可解な現象が起こりはじめる『レイク・マンゴー ~アリス・パーマーの最期の3日間~』(ジョエル・アンダーソン監督、2008)は、少女の遺族や関係者にインタビューをしつつ過去を再構築してゆくモキュメンタリー型ホラー。本作の肝は、なんといっても心霊写真演出。派手な脅かし演出をいっさい排して、じっくりとフィルムや低解像度のデジタル・カメラにうっすらと見える画面の“しみ”が、こちらを見ていることに気づく戦慄を、本作はいやというほど味合わせてくれる。そして同時に面白いのが、心霊映像についての事実が二転三転しながら重層的になってゆく展開だ。「こう」かと思われたものが、別の真実へと繋がり、登場人物や地域社会の持つ隠された暗部がさらけ出され、ただでさえ不穏な空気がより澱んでくる。しかも、それらすらもレッドヘリングであったかのように付される本作のラストを観るとき、いいようのない感情が芽生えるだろう。


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◆考古学者ジャッキー・チェンが古代インドに伝わる財宝に挑戦するカンフー・ヨガスタンリー・トン監督、2017)は、ジャッキーらによる華麗なカンフー・スタントに加えて、作中でも言及があるように『インディ・ジョーンズ』シリーズや、近作の『ワイルド・スピード』シリーズの面白さを取り入れたVFX満載のバッキバキの映像とアクションがとにかく目まぐるしく楽しい。しかも最後には皆で踊り狂って大団円という、なにが“ヨガ”なのかはサッパリ判らないが、とにかくハッピーな作品だ。日本での劇場公開時に正月に観ていれば、そりゃ運気も上がったろうさ。


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◆人生に行き詰まって酒に溺れ、同棲中の彼氏にも振られて帰郷したアラサー女性グロリアが、突如ソウルに出現した怪獣と自分の動きがシンクロしていることに気づくシンクロナイズドモンスターナチョ・ビガロンド監督、2016)は、どこかコメディ的な突飛な設定ながらも、あくまでも人間ドラマを主眼に置いた、とても心に染み入る傑作。アン・ハサウェイの絶妙なダメ人間っぷり──なんやかんやで全然安眠できない天丼ギャグが楽しい──や、ジェイソン・サダイキスのどこか緊張感を醸す雰囲気など、役者陣の演技アンサンブルがたいへん見応えがあるし、部屋の内装の変化といったキャラクターたちの心理を暗喩する美術演出が非常に細やかになされていて素晴らしい。本作が示すように、怪獣はいつでも自分の心のなかにいることを忘れないよう心がけたい。


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◆ピエール・クリスタンとジャン=クロード・メジエールによるバンド・デシネを実写化したヴァレリアン 千の惑星の救世主リュック・ベッソン監督、2017)は、ベッソン監督作としては久々に普通に楽しめる作品。本作のキモはなんといっても、“千の惑星の都市”と呼ばれる人口惑星「アルファ」内部をはじめとした、多種多様で雑多で絢爛豪華でプリミティブでエキセントリックな美術デザインの数々だ。シーンごと、あるいはショットごとに目まぐるしく変転する画面内のあれこれを眺めるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまう。そのぶん若干テンポが単調な気もするが、今日(こんにち)こそ観られるべき問題提起をはらんだSF的ストーリーも評価されうるポイントではないだろうか。


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ジャッキー・チェンが出演&アクション演出までしているCGアニメーション『レゴ®ニンジャゴー ザ・ムービー』チャーリー・ビーン、ポール・フィッシャー、ボブ・ローガン監督、2017)は、決してスマートで要領のいい作劇とはいえない。しかし、目のくらむような情報量の映像と、ジャッキー印でありながら同時にアニメーションならではの新鮮さに溢れたアクションがなんとも楽しい。そして、それらもさることながら、父子、母子を巡る物語として思わず感動してしまった。あと、にゃんこがかわいい。


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◆心臓外科医スティーヴンが、とある少年と知り合ったことで、家族をも巻き込む不条理に呑まれてゆく『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』ヨルゴス・ランティモス監督、2017)は、もう本当にイヤなイヤなイヤな気持ちになる作品(褒めてます)。スタンリー・キューブリック映画を思わせるシンメトリックで硬質な画面作り、それを作中の空気感そのままに絶妙に揺らぎながら移動するトラッキングショット、キリキリと神経を逆なでする不協和音、ひたすら抑揚のない早口で冷たい台詞まわし、そして噴出する家族それぞれのエゴイズムが軋みだす展開が怖い。出口のない話なのに、ひたすら画面に「EXIT」が映りこむのが非常に意地悪で最悪なのが最高。


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◆長年観たいと思っていたジャック・フィニイ原作の2度目の映画化作『SF/ボディ・スナッチャーフィリップ・カウフマン監督、1978)をようやっと観た。グッと闇に沈んだ色調や不気味に傾いだカメラ・ワークが、もの言わず徐々に侵食される日常を端的に描いていて、なんとも知れぬ不穏さが映画全体を貫いている。主人公たちを追うサヤ人間たちの様相や生態は、時折使用される特殊メイクの見事さとも相まって、まるでゾンビのように、あるいはそれ以上に怖ろしい。そして、不意に訪れる映画技法的な平穏のなかで突きつけられる最後の大オチ……うーん、絶品!


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【ソフト(ネット配信ドラマ)】

◆1983年、インディアナ州の田舎町で起きた失踪事件に端を発して巻き起こる怪異現象に立ち向かう少年たちを描いたNETFLIXオリジナル・シリーズストレンジャー・シングス 未知の世界〈シーズン1〉』(ダファー兄弟、ショーン・レヴィ監督、2016)は、スピルバーグからカーペンター、クローネンバーグなど愛すべき'80年代SFホラー映画へのオマージュ、スティーヴン・キングや『グーニーズ』を思わせる負け犬少年チーム、超能力少女、そしてウィノナ・ライダーと、とかく僕の好きなものしか入っていない幕の内弁当的な内容でかつキッチリと楽しめるという、まぁツボにはまりまくるシリーズだった。ドラマ・シリーズゆえに、ちょっと間延びした部分もなくはないが、それでも全8話とコンパクトでよろしい。


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*1:日本では来年公開予定の、異なる世界線スパイダーマンたちが一同に会するアニメーション長編『スパイダーマン: スパイダーバース』(ボブ・パーシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン監督、2018)のイントロ的な短篇。

*2:エクシスが持つギドラのエンブレムはダビデの星だろう。

*3:それをハルオは否定するわけだけれども……本作がラストに辿るあの結論はどうなんだろう? ちゃっかりハルオは現地妻に子種だけ宿した上に、元カノと一緒に神になっているではないか!! なんだそりゃ、育児放棄か!! このヤリチン野郎がよゥ!! なんだかゴジラそっちのけ宗教戦争している印象のほうが勝っているんだよなあ。それについては、劇中にキャラクター自身がハルオに突っ込みを入れているし……、やっぱり整理が足りてないよ!

*4:また、メトフィエスが終盤において、ある種の隻眼となるのは、初代『ゴジラ』(本多猪四郎監督、1954)に登場する芹沢博士のオマージュ、というよりは、彼が柳田國男いうところの「一つ目小僧」の系譜であることを仄めかすであろう。彼自身がハルオの神格化の生贄になってゆくのだから。

*5:あるいは本シリーズを、虚淵玄による水木しげる論と捉えることもできるかもしれない。本作の辿る、発達した科学文明を捨て、プリミティブに生きることを選択する顛末──あの挿入歌とともに、中途半端にディテール・アップしているせいで微妙に気持ち悪い静止画を垂れ流すダサいダサい演出もどうかと思うけれども──を観れば、本シリーズはむしろ「ゲゲゲのゴジラ」とでも呼ぶべきなのやも。

*6:ノン・クレジットだが、シンガー監督が途中降板して以降を担当している。

*7:クイーンについては、不勉強ながらほとんど白紙の状態──いちばん馴染み深いのが、『ハッチポッチステーション』内でグッチ裕三が「ボヘミアン・ラプソディ」を完璧なパロディにしていた「犬のおまわりさん(GUEEN)」という体たらく──で観たけれど、本当にいい映画だった。

*8:雪の積もった寒空の下で、息がひとつも白くならないのはご愛嬌か。

*9:劇中に映る文字表記のローカライゼーションも──フレジテビが金を出しているからかどうかは知らないが──徹底されていて舌を巻く(ディズニーも見習ってほしい)。まぁ正直なところ、過度な──エンド・ロールまで日本語とか、吹替え版キャスト表記とか──ローカライゼーションは面白くもあるが、洋画を観ている感じが薄れてしまって、それはそれで微妙な感覚になりはするのだけれど……。

*10:同時上映の短篇ミニオンのミニミニ大脱走(ファビアン・ポラック、セルゲイ・クシュネロフ監督、2018)は、サイレント時代のキートンやロイド、チャップリン映画を思わせるスラップスティック・アクションコメディで、それなりに楽しかった。

*11:リッチ・ムーア監督、2012。公開当時の僕のつたない感想はこちら>>拙ブログ「『シュガー・ラッシュ』(日本語吹替え版2D)感想」。

*12:本作に登場する動画投稿サイト「BuzzTube」絡みの描写で、流行は、もはやA.I.が作り出し、流通させているという描写はなかなか考えさせるものがある。

*13:前作では「悪しきこと」とされていた「ターボする」ことの捉え方の反転が、もっとも大きな部分だろう。

*14:eBayへの支払期限と、ゲーセンが開店するまでに帰らなければない件──前作とは変わって、ラトウィック氏のゲーセンに客足が遠のいていることを示唆する描写もあるにはあるけれど──がうまく噛みあっていないからではないか。後者に関しては、ひとつ台詞を入れれば解決しそうだけれど。

*15:もちろん本作のクライマックスの画づらは、劇中ゲームである『フィックス・イット・フェリックス』の元ネタである『ドンキーコング』(任天堂、1981)の名前の由来である映画『キング・コング』(メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック監督、1933)で描かれるエンパイア・ステート・ビルでの攻防シーンへのオマージュである。それと同時に、ここに出現する怪物は、まさしくラルフ自身が生み出したイドの怪物──怪獣やモンスターとは、往々にして登場人物の抑圧された無意識的欲望を具現化した存在でもあるのだから──なのである。だからこそ、ファミリー映画としてはあり得ないほどに怪物が気色悪い造型なのも意図的だ。ときに傲慢ともとれるような自身の欲望こそ、人間がもっとも目を背けたくなるもののひとつなのだから。

*16:だからこそ、前作より引き続いて、日本語吹き替え版において非常にザツなローカライゼーションを施された“ヒーローのメダル”が惜しい、というか勿体ない。なんだよ、あの愛のない丸文字ゴシックは。前作も、というか最近のディズニー作品にも思うことだけれど、だったら画面の脇に字幕処理とかのほうが、よっぽどイイよ。デザイン性や演出意図が崩れないし、読みやすいもの。

2018 7-9月感想(短)まとめ

ちょこまかとtwitterにて書いていた2018年7月から9月にかけての備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】

◆若き日のハン・ソロの冒険を描くハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーロン・ハワード監督、2018)は、たしかにおもしろく観られるのだけれど、オリジナル3部作──いいかえれば、本作の辿る未来──との関連付けをアレもコレもと盛り込みすぎた感があって、そういったノルマは達成したのだろうけど、いささか鈍重な印象が拭えない。正直、過去作との関連づけは、チューバッカとの出会いだけに絞ったほうが、よかったのではなかろうか。

まあ、本作も監督の交代劇やら脚本の修正やら再撮影やら制作途上のゴタゴタに見舞われていたので、きちんと整理する時間がなかったのかしらん。ただ、中盤にある“反乱”シーンは、まさにいまこそ描かなければならないという危機感の高まりがヒシヒシと感じられて、非常に印象深いものとなった。


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◆勤務する会社が起こした不良債券取引によって失意のどん底に叩き落された証券マンが、離れて暮らす妻子に会おうと韓国からシドニーに降り立つ『エターナル』(イ・ジェヨン監督、2017)は、画面や展開にささやかにほのめかされる伏線から、観るうちに「おそらくは、こういうオチなのだろうな」と予想はしていたのだが、その種明かしの方法があまりに変化球だったので、ものすごくビックリして、ア然としてしまった。その分、それに続くエピローグがちょっと長ったらしいのが惜しい。


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◆顔に障害を持つゆえに家庭学習で育ってきた少年オギーが、ついに普通の学校で過ごす1年間を描いたワンダー 君は太陽スティーブン・チョボスキー監督、2017)は、登場人物に対する演出の着かず離れずの距離感と、メインから脇に至るまでの役者の見事な──きわめて自然な──演技のアンサンブルに裏づけられた、単に難病感動モノに留まらない見事な1作だった。テンポのよさと的確な見せ方の按配も相まって、出番の大小に関わらず、本当にキャラクターが生き生きしている(1シーンだけ合成の甘いところがあったが、あのシーンは黄泉の国なので、あれはあれでよし!)。

たしかに本作は、“いい人”ばかりに溢れた理想主義的な映画にもとれよう。劇中の台詞にもあるように「現実の社会に即していない」と。しかし理想とは、現実に即して捻じ曲げるものではなく、われわれが目指してゆくものではなかったか。僕たちが向かうべき理想の世界を観客に示すこと、そしてわれわれ自身がそれを再認識することにこそ、本作の意義があるはずだ。必見。


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◆東京サミット開催予定地で勃発した爆破テロの容疑者として毛利小五郎が逮捕されてしまう劇場版第22作名探偵コナン ゼロの執行人立川譲監督、2018)は、近年陥りがちだったキャラ同士の馴れ合い描写への偏重と行き当たりばったりな展開がかなり抑制され、事件そのものから軸がブレずに展開されるので、かなり見易く面白い。貪欲に『君の名は。』(新海誠監督、2016)や『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、2016)を思い起こさせる要素を取り込んでみたり、キー・パーソンである降谷零まわりのアクション演出も度が過ぎていたりで楽しい。

欲をいえば──毎度の恒例となっているとはいえ──クライマックス、謎解きの後に追加されている“2回目”のタイムリミット・サスペンス&アクションは楽しいといえば楽しいけど、蛇足だったかなあ。


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◆前作から3年後、火山活動によって壊滅寸前のイスナ・ヌブラル島から恐竜を救出するミッションに挑むオーウェンたちの冒険を描いたジュラシック・ワールド/炎の王国J・A・バヨナ監督、2018)は、第2作『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1997)のストーリーをかなり踏襲しつつ、同時に第1作『ジュラシック・パーク』(同監督、1993)の恐竜描写あるい演出への熱いオマージュに溢れた作品だった。本作で再現される1作目の恐竜描写に、四半世紀を経たVFX技術の変化に注目してみるのも面白い。

そして、なにより本作の見所は、バヨナ監督による恐竜とホラー演出の融合だろう。画面の奥に、ふっと現れる大きな影やピンボケの姿から、溜めに溜めて襲い掛かってくる恐竜の怖いこと怖いこと。本作の後半は、もはや洋館ホラー映画もかくやの展開と見せ場が目白押しで、さすが『永遠のこどもたち』(2007)を撮った監督だけのことはある。


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◆生まれたばかりの妹ミライちゃんに両親の愛を盗られたと思い込んで膨れっ面のくんちゃんの前に成長した姿のミライちゃんが現れる未来のミライ細田守監督、2018)は、なるほどカットごとの作画や背景描写などのクオリティは非常に高く、アニメーションを観ることの多幸感に溢れている。子ども特有のやわらかな肌の質感や挙動を再現した作画など、とくに素晴らしい。しかし、作劇上の問題が多いのも確かである。

とくに気になるのは、本作の劇中における「ルール」が曖昧というか適当すぎる点だ。本作は、主人公くんちゃんがことあるごとに妹に嫉妬して感情的になったとき、ふいに彼の目の前にふしぎな異世界が拡がり、未来のミライちゃんらと冒険をするという構成を繰り返す、いわばオムニバスのようなつくりだが、その異世界や体験がくんちゃんの見た夢/幻なのか、はたまたタイムトラベルなのか、そもそも実際にあったのかどうかがまるでハッキリせず、その場しのぎ的に放置されたまま次のシーンに突入してしまう。しかも、そのくせ──本作のクライマックスで殊に顕著だが──ここで言いたいことはこういうことですよと、作者の意図からテーマまですべて説明台詞で処理してしまうのだ。

これでは、きっと本作が元々目指していたのであろう、童話や昔話(=本作)がくんちゃん──引いては観客自身の再体験として──の成長を促すという役割を本末転倒にも封じている。本来、その寓意性や見立てをくんちゃんや我々が読み込むことで結実することであり、だからこそ想像力や共感性がはぐくまれ、やがては成長に繋がるのではなかったか。本作を観終わってみると、下手な道徳の教科書を無理矢理読まされた挙句に最適解を述べよと強要されているような居心地の悪さばかりが印象に残ってしまうのだ。

これはおそらく、本作に、くんちゃんと両親のふたつの視点が混在していることに起因するのだろう。本作では、先に書いたようなくんちゃんの視点と、兄妹の育児に奮闘する両親とが入れ替わり立ち代わり描かれており、彼らの世界観は決して交わらない。彼らは、お互いそれぞれの見る世界を知らぬうちに、気がつけば互いに兄/親として成長している。これはある意味では、非常にリアルな描写であり、安易な共有に逃げない本作の評価されるべき試みだと思われる。しかし、前述したような「ルール」の不明確さと同様に、1本の映画としてのすり合わせが圧倒的に足りていない。その辻褄合わせのために前述のような説明台詞の応酬に陥ってしまったのではないだろうか。

ことほど左様に本作は、くんちゃんの不思議な冒険というせっかくのお膳立てがありながら、なんら拡がりを持ち得ない1作となってしまった。もったいない。


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◆“シンジケート”の残党が組織した“アポストル*1”によって盗まれたプルトニウムを奪還すべく世界中を奔走するIMF諜報員イーサン・ハントらの活躍を描くシリーズ第6作『ミッション: インポッシブル/フォールアウト』クリストファー・マッカリー監督、2018)は、トム・クルーズ本人によるアクションがひたすら連続する驚天動地の1作。

脚本すらアクションを撮りながらリアルタイムに作っていたという本作は、追走、跳躍、カーアクション、挙句の果てには山岳地帯でのヘリ・チェイスまで、隙さえあれば熱量も高く完成度も高い、たいへんなアクション・シーンを入れ込んできており、観終わるころにはこちらもグッタリするほど。それ以外はイーサンが登場人物と漫才ないしコント的なやりとりをしまくるという、本作はいよいよジャッキー・チェンの映画めいてきている。

アクションありきで作ったため、予告編にあったアクションが話の都合上バッサリ切られていたり、そうかと思えば、そこもわざわざアクション・シーン撮るのかよと、嬉しさ半分呆れてしまったところもあるけれど、まあ凄い。その分ストーリーは、「○○だと思った? 残念、俺でしたー!」という展開の多様に頼りすぎな嫌いもあるが、それはそれとして、撮影中のキャスト同様に振り回されながらトム渾身の怒涛のアクションを堪能しよう。


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◆スーパー・ヒーロー禁止法のもと、活躍の場も生活も場も奪われたパー一家が、現状の打破と家事に育児にと奮闘する姿を描くインクレディブル・ファミリーブラッド・バード監督、2018)は、同監督による前作から14年経つにもかかわらず、前作のラストと堂々直結した開幕が清々しい。ピクサー・アニメーション・スタジオ制作ならではの物語のフィクション・ライン上で最大限にリアルスティックな質感表現はいわずもがな、本作はやはり前作に引き続き、キャラクターからメカニカル・デザイン、美術、撮影、音楽、音響にいたるまで徹底的にデザインされたレトロ・フューチャー感が素晴らしい。

そんな映像世界のなかで、ブラッド・バードらしい捻くれ具合──好みの分かれるところだろうけれど──が主人公家族とヴィランの口を借りて問答しながら物語をスウィングしていく様子が面白いし、カートゥーン調のCGアニメーションならではのケレン味に満ち、かつ計算されつくしたアクション・シーンも、たいへん臨場感があって見応えがある。ところで……アレッ? そういえば、冒頭のモグラ男はどうなったのかしらん?


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◆評判を聞いたらしい師匠と急遽出かけた『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督、2017)は、まーやられた! という感じの見事な大傑作。隅々にいたるまで的確すぎるキャスティング、緻密に重ねられた脚本と構成、間の取り方と数々の伏線の妙で、序盤からクライマックスまで、ゲラゲラ笑いながらも実に感動させられた。それだけに、元となった演劇と本作の作り手たちのあいだでの論争が、双方がきちんと納得する形で解決されることを切に願っている。


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スタジオポノック制作による3本の短篇オムニバス『ちいさな英雄 -カニとタマゴと透明人間-』米林宏昌、百瀬義行、山下明彦監督、2018)は、水の表現が凄まじい『カニーニカニーノ』、クレバスと水彩絵の具で描いたような『サムライエッグ』、フィルム・グレインの効いた『透明人間』と、おそらくは“赤ちゃん”をお題にした3本でも、それぞれに違った映像の手触りが楽しめる。

とくに面白かったのは3本目『透明人間』。誰からも見向きもされない主人公の設定も相まって、多弁に物語を語るのではなく、あくまで画とアクションを主軸に魅せてくれる。作画的な見所も多く、とくに中盤の高低差を活かした大跳躍(?)シーンは、映画館のスクリーンで観てこその迫力だ。


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◆ファッションの祭典“メットガラ”に潜入して超高級首飾りを盗み取る女盗賊チームの活躍を描いたオーシャンズ8ゲイリー・ロス監督、2018)は、実にちょうどよい湯加減の作品だった。変にシリアスぶることも、おふざけに走ることもなく、安心してサンドラ・ブロックケイト・ブランシェットアン・ハサウェイらの演技アンサンブルを楽しめる。クライマックスの大仕掛けも、いまどき珍しいくらい古典的なのも良い。まあ、ちょっとエピローグ部分が長ったらしいかな。


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◆とても賢く研究熱心な小学生アオヤマ君が、町に突如出現したペンギンと、それに関係しているらしいお姉さんの謎に挑むひと夏の冒険を描いた森見登美彦の同名小説を映画化したペンギン・ハイウェイ(石田裕康監督、2018)は、主人公アオヤマ君の性格や彼の暮らす町の様子、そしてペンギン出現事件から“ペンギンの通り道(ペンギン・ハイウェイ)”までをテンポよく的確に映し出すアバン・タイトルからオープニング・クレジットにかけての短いシークェンスが象徴するように、原作を劇映画として再構築した脚本の見事な交通整理力と瑞々しい演出、躍動感──ペンギンの総毛立つ作画が面白い──と疾走感に満ちたアニメーション、そして背景から小物に至るまでの実在感に溢れた美術設定の緻密な素晴らしさに裏打ちされた見事な映画化作品だった。

本作は、原作にあったSF的ギミックのロジックを文字どおりヴィジュアルで押し切った力技な部分もなくもないが、その分ジュブナイル的な要素を前面に押し出すことによって、実に爽やかな感動を与えてくれる。とはいえ本作は、過剰なほど直接的な感情表現が多い昨今の日本映画において、むしろそれが抑え目だ。むしろ、そんな安直な手法に頼らずとも、本作にはより一層豊かな感情が内包されている。

とくに、いくつかある本作の反復シーンを思い出してみよう。そこにはかすかな、しかし決定的な変化と成長、そして少年期の終わりと別れの予感が、言葉ばかりが多弁な映画よりもハッキリと刻印されていることに気づく。それは全篇にわたって置かれた、そういった変化のトリガーとなる風の演出だ。夏の日差しに焼けたアスファルトや石畳、草むらや木々、ひんやりとした雨、そして甘く香る長い髪を匂い立たせるような風が、キャラクターやわれわれ観客をそっと包み、次への展開へと後押ししてくれるだろう*2

ことほど左様な細部に至る緻密な演出の積み重ねによって、本作は原作小説を読んだときにそこはかとなく胸を打ったなにかを、たしかにそこに現前せしめた力作だ。ぜひとも劇場でじっくり堪能したい作品だ。ぐんない。


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◆“ソコヴィア協定”違反の咎によって自宅軟禁にあった2代目アントマン/スコット・ラングが、2年以上も絶縁状態だったピム博士とホープの父娘に突如呼び出されるアントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督、2018)は、第1作に引き続き、どちらかといえば捕り物合戦的楽しさを前面に出し、かつ小さくなったり大きくなったりといったアントマンの設定を活かしたアクション・シーンのアイディアと手際のよさを堪能できる良質な続編だった。ギャグが効いているのも相変わらずで、設定説明や中だるみなシーンになると、間髪入れずにユーモアを重ねてくれるのが嬉しいし、クライマックスにあるカーチェイスが──サンフランシスコが舞台ということもあるのだろう──『ダーティハリー5』(バディ・ヴァン・ホーン監督、1988)を彷彿とさせるのも興味深い。

時系列的には、先ごろ公開された『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(ルッソ兄弟監督、2018)の直前か同時くらいになると思われ、あんな世界的大災厄が進行するなかで、つい見落とされがちな市井の生活*3が描かれ、そして、シリーズ総体としてはかなりこじんまりとした冒険──今回のヴィランの苦々しい設定と、それが辿る顛末がそこはかとなく感じさせるヒューマニズム的な温もりも含め──があったことに、感動を覚えた。だからこそ、お約束のエピローグには、より深い絶望が待っているのだが……。


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◆上海沖200キロにある最新の海洋研究施設を古代より生き残ったメガロドンが襲うMEG ザ・モンスタージョン・タートルトーブ監督、2018)は、“世界イチ信頼のおけるハゲ”ジェイソン・ステイサムと“世界イチの超巨大ザメ”メガロドンとが並び立つ画でもはや100点満点の作品であり、テンポよく適度にスリリングで、時おり笑いも入る、肩肘の張らないポップコーン・ムービーとしてはなかなかの出来。文字どおりステイサムと一騎打ちする“白鯨”的な見せ場もたくさんあって、飽きさせない。もともとはディズニーが映画化しようとしていた企画ということもあったのだろうか、全篇を通して小さな女の子が現場に出ずっぱりなのも、なんとなくノホホンとした空気感もよかった。

いっぽう敢えて言い方をかえれば、このステイサムとメグという強烈な画ひとつで押し切った作品でもあって、惜しむらくは、メグの巨大さがイマイチ感じられなかったこと。水面下を巨大な影が泳ぐ俯瞰ショットなどはいいのだけど、彼が非常に巨大であり俊敏であるために、肝心の人間との接近遭遇が一瞬のうちにひと呑みにされてしまう。そして観客がそのスケールを感じる前にショットが終わってしまうのが、ひとつの要因かもしれない。多少大仰に振り切っても問題ないから、いっそバレット・タイムなり使って、しっかりと対人物比をじっくり感じられる画を盛り込んでくれれば、より一層スリルを味わえたのではないかしらん。


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◆人質救出作戦中に墜落してきたプレデターと遭遇した特殊部隊隊長マッケナが政府保有の謎の施設に連れられるザ・プレデターシェーン・ブラック監督、2018)は、丁々発止のくだらない台詞の応酬りと、半笑いで人がムザムザ死んでゆく軽妙な無惨さが延々と続く、よくも悪くもシェーン・ブラックと脚本のフレッド・デッカーらしさ満載の作品。本来の“プレデター”の意味と実際のエイリアンの習性を巡ってチマチマ言い争ったり、プレデターよりも人間のほうが露悪的に人を殺したりといった、これらの要素を好むか好まざるかで、だいぶ評価が割れそうな1本である。あ、僕ぁ好きですよ。

本作は、監督自身もかつてヤラレ第1号で出演したシュワルツェネッガー主演の1作目『プレデター』(ジョン・マクティアナン監督、1987)、そして舞台をロスに移したダニー・グローバー主演の『プレデター2』(スティーヴン・ホプキンス監督、1990)の正当な続編として作られており、プレデターのあの行為に「そんな意味が!」と驚くと同時に、本作で新たに披露される“彼”のわれわれ地球人に対するロジックを聞いて「お、お前ら勝手だな!」と思うこと必至。ただ、それは翻って鏡に映ったわれわれ自身の姿そのものであり、まさに「人のふり見て我がふり直せ」とはこのことだよなァ、と考えさせられるあたり、けっこうSFとしても上物なのではないかしらん。


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◆仕事の重責から家族と触れ合うこともままならなくなったクリストファー・ロビンの前に、かつての親友“くまのプー”が現れるプーと大人になった僕マーク・フォースター監督、2018)は、ディズニーが制作した最初期の短篇アニメ版をまとめた長編、いわゆる『くまのプーさん 完全保存版』(ウォルフガング・ライザーマン、ジョン・ラウンズベリー監督、1977)の直接の続編*4として、このエピローグ部分が本作のプロローグとしてリメイクされている*5。とにもかくにも、実際のぬいぐるみとアニメ版を非常に見事に融和したプーやティガーたちのデザインと、微細に作られたCGの造型が愛おしい1作だ。

この、ぬいぐるみたちの見事なデザインが示すように、本作ではクリストファー・ロビンの暮らす“現実”のロンドンと、あくまで幼少期のインナースペースであった100エーカーの森という、リアリティ・ラインの異なるふたつの世界を如何にしてシンクロさせるかという点に非常に苦心し、かつ慎重に構築している点が印象的だ。ある種、心霊映画的でもあるし、見ようによっては狂気に満ちたエンディングを迎えるのもたしかである。

また、本作の作り手たちが、おそらくは念頭に置いていたであろうディズニー版『メリー・ポピンズ』(ロバート・スティーヴンソン、ハミルトン・S・ラスク監督、1964)と並べて観ると興味深い。ビターな画調でスウィートな味わいと醸す本作と、スウィートな画調でビターな味わいを醸す『メリー・ポピンズ』を見比べると、なにかしらの発見があるのではないだろうか。なんにせよ、心にちょっとしたゆとりを与えてくれる素敵な1作だ。


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【ソフト】

ジェームズ・ワンの“死霊館”シリーズの前々日譚に当たるアナベル 死霊人形の誕生デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2017)は、呪いの人形──というか、シリーズ全体の主犯──の正体が“アイツ”なのは若干の陳腐さがあるけれど、本作のホラー・シーンの見せ方の巧みさに「超怖いな」と思ったら、監督が監督だけに仕方なし。


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◆架空の古代インドを舞台に、マヒシュマティ王国を巡る親子三代に渡る運命を描いた壮大な叙事詩2部作バーフバリ 伝説誕生S・S・ラージャマウリ監督、2015)とバーフバリ 王の凱旋(同監督、2017)は、壮麗なプロダクション・デザインと、それを具現化した見事なセットとVFX──いかにもなリアルさではなく、ちょっと模型っぽいCGの質感がまた良い!──を融合した見事な映像美、そして、物語の展開と感情の起伏に寄り添いつつ、なにより笑ってしまうほど──滑稽なという意味ではなく──カッコいい怒涛のアクションの連続に、度肝を抜かれること必至。これらすべてを統括する歌曲の数々も名曲ぞろいだ。

正直なところ、序盤はあまり乗り切れずにいたのだけれど、1作目の途上から2作目の大半を使って語られる過去編、すなわち主人公シブドゥ=マヘンドラ・バーフバリの父親アマレンドラ・バーフバリの物語が開幕するに至って、俄然面白くなった。アマレンドラの“真の王”っぷりが本当に素晴らしく惚れ惚れする。王たる者、こうであらねばならぬという姿をまざまざと観客に見せ付けてくれる。公開時の熱狂も納得だ。王を称えよ!


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◆実際にあった旅客機同士の衝突事故をもとに、遺族と担当管制官の葛藤を描いたアーノルド・シュワルツェネッガー主演アフターマスエリオット・レスター監督、2017)は、禁欲的ともいえるほど抑制の効いた演出が、返って事件の悲惨さや重大さを醸し出していて、観ながら胸をきつく締め付けられ、主人公たち同様に憔悴させられる重厚な人間ドラマとなっていた。実際の事件が、そして本作が辿る実にやるせない展開は、ジェイソン・ステイサム主演の『ブリッツ』(同監督、2011)で『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)のオマージュを見事にしてみせたレスター監督らしく、イーストウッド映画的な無常観を観る者に刻印するだろう。


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◆とあるきっかけでサマラの呪いのビデオのデジタル・コピーを見てしまったジュリアが、恋人とともにその謎に挑むハリウッド・リメイク版シリーズ久々の第3作ザ・リング/リバース』(F・ハビエル・グティエレス監督、2017)は、日本での公開規模や世評、ソフトに日本語吹替えが入っていないことなどからもお察しの──邪険にするほどつまらなくもないのだが──出来ではある。ヒロインのジュリアは過度に状況に適応しすぎだし、そもそもサマラが画面内に登場しすぎるせいで“会いに行ける怨霊”になっているしで、正直あまり怖くないのだ。

ただ一方で、近年明るみに出つつある聖職者による児童の性的虐待を軸に置いた問題提起など、買うべき部分もある。また第1作はヤコブの梯子、第2作は洗礼、そして本作はヨハネの黙示録と、やはり徹底的にキリスト教圏的なアレンジが加わっており、リメイク版シリーズとオリジナル版シリーズとを並べることで、比較文学のテクストとして有用な作品でもあるだろう。


     ※

*1:実際の発音的には“アポッスル”のほうが近いような気もするけれど、なっちゃん訳だし仕方ないのかしらん。

*2:そして、阿部海太郎の手によるの劇伴はとても素敵だ。時おり、的確にエンニオ・モリコーネジョージ・マーティンらの楽曲をに思わせる味付けもグッとくる。

*3:冒頭に描かれるスコットの軟禁生活a.k.a.ほぼプー太郎生活が超楽しそうでね(しみじみ)。それを見たピム博士が思わず「中2かよ!」と突っ込むシーンとか最高だった。

*4:同様の立ち位置としては、『くまのプーさん』(スティーブン・アンダーソン、ドン・ホール監督、2011)がある。

*5:すなわち、本作はあくまでディズニー・アニメ版の続編であって、作者のミルンや実在のクリストファー・ロビンのその後とはいっさい関係ない

“はてなダイアリー”から移行しました

近く訪れる“はてなダイアリー”のサービス終了*1に伴い、拙ブログ「つらつら津々浦々」をこの“はてなブログ”に移行しました。

これまで前ダイアリー使用時に投稿した記事は、すべてこちらの新ブログにてお読みいただけます。

前ダイアリーの9年間に渡るご愛顧に厚く御礼申し上げるとともに、今後ともお楽しみいただければ幸いです。


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