『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』

銀河系では邪悪な分離主義勢力と共和国との戦い“クローン戦争”が続いていた。ジェダイ騎士、オビ=ワンとヨーダはその先頭に立ち、クローン軍を率いて激しい戦いを繰り広げていた。一方、若きジェダイ騎士、アナキンは、弟子となった血気盛んな少女、アソーカ・タノの指導に手を焼く日々。そんなある日アナキンは、オビ=ワンからある重要な任務を託され、アソーカを伴い危険な旅に出るのだが…。

『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の間にあった、クローン戦争でのエピソードを、ルーカス製作総指揮の下、フル3Dアニメーション化したもの。

スター・ウォーズ>という神話の帰結は、陰と陽、善と悪といったもののそれぞれどちらかが「絶対」として完全に世界を覆うのが理想ではなく、それらがない交ぜになった中庸の世界こそが調和(バランス)のとれた世界である、という点にある。だからこそ、絶対悪の枢軸であった<帝国>は滅び、そしてまた、その前哨となった<銀河共和国>も(これも、絶対の正義の象徴だった)同じように滅びている。そして、アナキン・スカイウォーカーが善と悪、その両頂点に立ち、そして自らの意志で自らの立ち位置を決めたことで、宇宙に調和をもたらしたわけだ。

『エピソード1』から『エピソード3』までの物語は、絶対の正義すなわち<銀河共和国>が崩壊するものだ。善一色だった世界が一転、悪一色に染まってしまうその物語はすなわち、『1』から『3』までで描かれていた<善>にある種の「過ち」を内包されていることを示す。おそらく、ルーカスがもともとのシリーズで<クローン戦争>を主軸に映画を撮らなかったのは(『2』では戦争勃発までを、『3』では戦争終結を描いているが、<クローン戦争>自体が主軸には据えられていない)、ジェダイの騎士(とりわけオビ=ワンやアナキン)が正義のヒーローだと、観客が安易に解釈することを防ぐためではないだろうか。結果的に見ればジェダイ騎士団の正義は完全に正しくはなかった。銀河の正義の象徴である共和国のために尽力したはずが、その共和国を苗床にしてパルパティーンが帝国を築き上げてしまう、というアイロニックな展開からも明らかだ。

さて、この『クローン・ウォーズ』だが、その歴史的結果を知っている身としては、実にアイロニックな内容であった。もちろん映画の中でジェダイは正義のヒーロー/戦争の英雄として華々しく描かれ、またその戦争描写も実に<カッコいい戦争>を映し出している。音楽にしても(今作ではジョン・ウィリアムズは不参加、作曲はケヴィン・カイナーが行っている)、めちゃくちゃ軍隊モノ風味のアレンジで「スター・ウォーズのテーマ」が物々しくかき鳴らされ、戦闘シーンにおいては、低音ビートとエレキ・ギターが効いた実に戦闘的なものだ。まさに、『スター・ウォーズスターシップ・トゥルーパーズ』といったところか。木彫りの人形を思わせるキャラクタの造形も、歴史に翻弄される(まさしく)人形と見れば、実に趣深いものがある。

世界は<過ち>に満ちている。そういった観点から観れば、この映画はきっと傑作なのだろう。


詳細『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=330553