『DRAGONBALL: EVOLUTION』

郊外に佇む家で祖父と暮らしている高校生・孫悟空。彼には非凡な武術の才能があったが、祖父の言いつけでそれを他人に見せることができず、学校では不良グループに絡まれる毎日。悟空が18歳の誕生日を迎えたその日、祖父は彼に紅蓮に輝くひとつの宝玉を授ける。それは、7つ全てを手にした者はどんな願いでも叶うというドラゴンボールのひとつだった。その日の学校で、密かに想いを寄せていた同級生・チチから、思いがけずその晩開催されるパーティに招待されることになった悟空。有頂天になった悟空は、祖父を家に残して意気揚々とパーティへと出かけてゆくが、かつて地中に封印されながらも復活を遂げたピッコロ大魔王が、彼の家へとドラゴンボールを求めて迫っていたのだ……

実は、今回映画化されたピッコロ大魔王のくだりを、原作マンガ・アニメでほとんど読んでもいなければ観てもいないので(第1巻と、フリーザとか、魔人ブーのあたりを知っているくらい)、原作の該当箇所との比較というのは難しいのだが、そのほぼまっさらな予備知識をもってしてなのか、或いは、それでなくなのか、結果としては残念なものとなってしまった。

それでも、映画が始まって冒頭30分くらいだと思うのだが、ブルマが登場してくるあたりまでは傑作だと思うのだ。今回、大幅な変更が加えられた悟空のキャラクタや、現代に置き換えられた世界観、そしてその中での彼の立ち位置などが大変丁寧に、アクションを交えながらテンポよく語られているからだ。その語り口は、ジャッキー・チェンの『酔拳』などに近いものがある。その原作クラッシュぶりは、観ていていっそ清々しい。

しかし、ブルマが登場し、いざ亀仙人を、いざドラゴンボールを探しに! となった途端、その描写の密度、あるいは世界観の如何がすこしずつ軋み出してしまうのだ。90分もないその映画の尺がそうさせたのか、あるいは観客の持っている予備知識を予感してそうしたのかはわからないが、とにかくそれ以降この映画は恐ろしく「薄味」になってしまう。突拍子もないアイテムや“冒険マップ”、あるいは人間関係の進展などは、その下地となるものがしっかりしてこそ面白くなるものだと思うが、それが一切されていないのだ。

また、中途半端に原作の<雰囲気>を挟み込もうとしたのも、失敗の原因ではないか。原作にある、どこか判らないけれども、どことなく中国風味な世界を描いたようなシーンが度々挿入されているのだ。今回、悟空たちはおそらく現代ないしは近未来のアメリカにいるような描写がされており、その世界観とほとんどその挟み込まれたものが合致しておらず、映画から浮いてしまっているのだ。

原作ともっともかけ離れた(と小生には思われる)部分の出来がよかったことは先に書いたが(ここにも、件の<原作の雰囲気>カットは挿入されるにせよ)、その前半30分のテンポと内容密度で、それまでくらいに原作を解体・再構築した地に足の着いた演出を、全編に施してくれたならば、この映画は傑作になりえたかもしれない。それとも、この実写版『ドラゴンボール』は三部作構想らしいけれど、今回の脚本で三部作にしていれば、或いは……。


詳細『DRAGONBALL: EVOLUTION』
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=331398