『スカイ・ハイ』など

  • スカイ・ハイ…ディズニー製作のスーパーヒーロー養成学校を舞台にしたコメディ。主演は『ドラゴン・キングダム』のマイケル・アンガラノ。スーパーヒーローになるには養成学校<スカイ・ハイ>を卒業せねばならないし、入学したとしても、自分の持っている<能力>如何で、ヒーロー組になるかサポート組になるかを選別される──という設定が面白い。その設定を軸に、主人公たちの友情や信頼、その動向、恋愛や若さゆえのリビドーや反抗などを描いていて、実にオーソドックスな青春映画として楽しめる。こまかに設定された登場キャラクタたちの<能力>を遺憾なく物語に取り込み、最後には「みんなみんなヒーローなんだぜ」というメッセージも、ディズニーらしい清々しさだ。傑作。
  • 『ライジング・サン』…ショーン・コネリー扮する親日派の“センパイ”刑事が、ウェズリー・スナイプス演じる“コーハイ”刑事とともに、ロスにある日系企業のビル内で起きた殺人事件と陰謀を追ってゆくミステリ・サスペンス。原作はマイクル・クライトン。ジャンル的には、凡庸──まぁそれなり楽しめるくらいの出来だが、製作当時のアメリカの日本に対するイメージ/見方の描写は興味深い。もちろん、日本人から見れば妙にズレている部分もあるが、日本の古典的な人間の上下関係構造はけっこうよく描けているんじゃないかしら。監視カメラの映像改ざんによる殺人事件の隠滅トリックはテクニカル的に面白い。
  • ハッピーフライト…『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督作品。国際航空の舞台裏を題材に描く群像コメディ。製作に当たって、かなりのリサーチを敢行したいう矢口監督のその情報量と、ANAの全面協力下で撮られたというその説得力は半端なものではない。“その人”自体は知らなくても、飛行機を安全確実に飛ばすために様々な職種の数多くの人々が綿密に絡み合いドラマが構築されてゆくストーリィ展開が見事。飛行機の飛行描写も楽しい。忘れた頃に何の脈絡もなく登場する竹中直人にはびっくりした。
  • ドーン・オブ・ザ・デッド…『300<スリー・ハンドレッド>』『ウォッチメン』のザック・スナイダー初監督作品。ロメロの『ゾンビ』を現代的なサバイバル・アクションとして再構築した作品。ストーリィ展開のテンポや、挿入曲の選曲のセンスが良い。特にオープニングでの<日常>から<異常な非日常>への移行する(まさに)異常なスピード感と、映画開始後10分でいきなり映画をバシンと切ってタイトル・クレジットにもってゆくのにはやられた。主人公たちが立てこもるモールの警備員のひとりCJ(演/マイケル・ケリー)のカッコ良さはとんでもないぜ。それにしても、スナイダーは巨大な刃物による身体解体が本当に好きなんだなァ……。
  • 庭から昇ったロケット雲…テキサスで農場を経営しつつ、個人ロケットで有人宇宙飛行を目指すひとりの男/チャーリー・ファーマーの奮闘を描いたヒューマン・ドラマ。きわめて陳腐で荒唐無稽ともいえる設定を、その夢を家族で一丸となって目指す様子を絡めて描くことによってハートフルにまとめ上げている演出手腕は見事。ただ、ファーマーがなぜそこまで<ロケット作り>に打ち込むのか、という動機の描写がちょっと弱いのが難点か。ファーマーのロケット打ち上げを阻止すべくやってくるFBI捜査官の2人組みがいい味を出している。──ソフト版タイトルは『アストロノーツ・ファーマー/庭から昇ったロケット雲
  • 着信アリ…携帯電話に自分の<死の予告>が受信してしまう恐怖を描いたホラー。噂が噂を呼び、徐々に自身のまわりに恐怖がまとわりはじめ、様々に登場する多くのキャラクタを介しつつ、ついにはそれが自身の現実となってしまう過程の描写/その拡散具合や、落とされたと思ったらさらに2段階くらい落とされてしまう結末も気持ちがいい。
  • 『ワン・ミス・コール』…上記の『着信アリ』のハリウッド・リメイク版。一見すると“間違い電話”のように見えるタイトルだが、実際には“ワン・ミスト・コール(One Missed Call)”すなわち“とりそこなった電話”である。日本版とは異なる恐怖の具現化──<着信>があった者が、世界に<バグ(文字通り)>や<異形>の幻影を見出すなど──の描写が興味深い。このリメイク版では、キャラクタの役割を物語進行を優先した配置に置きなおし、その数も減らし、上映時間も日本版より20分短縮するなど、オリジナルの脚本をかなり解体・整理・再構築したようで、かなりスッキリとタイトな出来になっている。ただ、これ──殊に人物相関の複雑さや猥雑さによって生まれていた<日常世界>の雰囲気が薄れたことによって、映画の中の世界がかなり小ぢんまりとしたものとなってしまっており、日本版にあったような都市伝説的恐怖の連鎖という味わいが少なくなっている感は否めない。また、もともとの脚本が構造的に複雑な形を取っているのだが、あまりにテンポよく映画が進行してしまうので、観客がストーリィ整理を行う暇(いわゆるダレ場)がなく、物語の構造的な恐怖をいまいち味わえないのが残念だ。クライマックスにかけて多少の改訂も行われているが、功を奏しているとはちょっと言いにくい。全体として、ポスターのインパクトを超えることはできなかった。