『モールス』

※ネタバレ少々あり

スウェーデン産ヴァンパイア映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のハリウッドリメイク。監督・脚本は『クローバーフィールド/HAKAISHA』でも監督・脚本を手がけたマット・リーヴス。内気ないじめられっ子の少年・オーウェン(オリジナル版ではオスカー)と、彼の隣に“父親”と共に越してきたヴァンパイアの“少女”アビー(オリジナル版でのエリ)の出会いとはかなく哀しい運命の行方を描く。


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以前にオリジナル版──『ぼくのエリ』を観て深く感動したので、「原作に忠実だ」という前評判やスティーヴン・キングの絶賛コメントから、期待半分不安半分にこのリメイク版を楽しみにしていた。というわけで、オリジナル版との比較を中心にした見方になってしまったが、実際に観てみると、基本的に忠実だが、変更するところはガラリと変更されており、いろいろな意味で見るところは沢山あった。

まず、全体的にテンションが高い──ハリウッド映画的にいろんなものが派手になっていて、少々面食らってしまった(オリジナルはかなり静謐な雰囲気に統一された作風だった)。オープニングクレジットで女性コーラスによる不協和音で始まり、夜の遠景を映すロング・ショットに被せて「ズーン、ズーン……!」という巨大な重低音がずうっと響いてゆく。

おそらく音楽の一部なのだろうけど、正直ゴジラでも出てくるのかと思ってしまった(笑)。また、吸血シーンの俊敏さやゴアさ加減もプラスされていた。覆面をした“父親”と、彼が標的とした少年と車中で運悪く目が合ってしまったところなど声を上げて笑ってしまったし、それに続く“自動車事故”シーンも楽しかった。まぁ、こういった変更は土地柄もあるから良いんじゃないかと思う。ヴィジュアルエフェクトは確かに面白かった。


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また、主人公を演じたコディ・スミット=マクフィーくんのどことはなしに繊細な、なよっとした──美少女時代のウィノナ・ライダーの少年版というか、碇シンジのような──存在感が非常に作品とマッチしていてよかった。『ザ・ロード』のときもよかったが、今回さらに磨きがかかっている。というわけで、いまエヴァをハリウッド実写化するなら、彼主演がオススメです。

そして、ピクサー作品や、J・J・エイブラムス映画などでも活躍するマイケル・ジアッキーノの楽曲も良い。『2001年宇宙の旅』を思わせるような不気味なコーラスワークや、ストリングスによる楽曲がすばらしい。和音構成を今回かなりこだわって作ったのではないだろうか。


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ただ、一方でやはりオリジナルにあった要素をうまく消化し切れてないなぁという部分もチラホラというか、けっこうある。それはとくに、キャラクターの相関関係の描き方、また距離感の描き方がそうだ。

たとえば前半、オーウェンとアビーがアパートの中庭にあるジャングルジムで邂逅するシーンが何度かあるが、いまいちふたりの距離感の推移してゆく描写──互いに持っていた警戒心を解いて親密になってゆく感──が若干アマい。とくにその2回目──オーウェンルービックキューブをアビーに渡すシーンではそれが顕著だった。というのもカメラワークが問題で、ふたりがけっこうすぐにすんなりと同じ画面内に、しかも同じような大きさで並んで収まってしまっているのだ。そのため、どうもふたりの距離感が早くから近づきすぎな印象を受けてしまったのである。

オリジナル版では、まだこの時点ではなかなかふたりが同じ画面に並ぶことはなく、そうだとしても片方の後ろから撮るなどし、かつ広角気味の前後の距離感が強調されるようなカメラワークであった。


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残念でならなかったのは、アビー(エリ)の“父親”が、彼女に視線を投げかけるショットがほぼオミットされてしまったことだ。

とくにオリジナル版での冒頭すぐ、オスカーの暮らす町にやってくる車中のなかで、鼻歌を歌うエリに彼がやさしげな視線を投げかけるショットと、オスカーがエリにモールス信号の表を写し取ったメモ用紙を渡すシーンで、そのふたりの様子を部屋の窓から淋しげに/恨めしげに眺めるショット。これらふたつのショットは、時間にして数秒にも満たない短いショットだが、これがあるとないとでは、“父親”の辿ってきた人生とやがてオスカー(つまりリメイク版でのオーウェン)が辿るであろう運命のこの対関係から生じる切なさや悲哀さが段違いに変わってきてしまうのである。


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また今回、登場キャラクターの数や設定は、主人公たち3人を除いてほぼ変更されており、オリジナル版にあったオスカーと同じアパートに住む中年男性・ラッケとその友人たちというような関係のキャラクターは一切登場せず、そこに相当するのはオーウェンと同じアパートに住む隣人たちに差し替えられている。

この変更によって、いささか劇中の世界観が矮小化してしまった感は否めない──ほとんどの被害者はチョー近所っていうか住所同じじゃねェか、という(この現象は、『着信アリ』のリメイクでも起こっていた)。また、この変更によってオリジナル版で描かれていたヴァンパイアになってしまう悲劇性も薄れてしまったように思う(ホラー的な見せ場も1個減ったし)。

あとこれは物理的な距離感ということになるのだけど、中盤、オーウェンたちが近くの湖にスケートに行って、オーウェンがいじめっ子に報復し、同時に湖の別の場所で“ナニ”が見つかる場面があるが、ここは明らかに2箇所に見えない……。近くだが別の2箇所で同時に事件が起こるというのがサスペンスになっていたのに、これではちょっと。


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あと、これでは台無しじゃないか! と思った変更点もある。冒頭、オーウェンが“トラヴィスごっこ”をしながら“『裏窓』ごっこ(これはリメイク版で足された要素)”をしているシーンがあるが、ここで彼は半透明にケロイド状の不気味な仮面をかぶって「なに見てんだよ!?」とやっているのだが、これだとそこに含みこまれるものが真逆になってやしないか?

もちろんこの仮面は、アビーの“父親”がある狂気ゆえに辿る〈ある〉展開と、オーウェンの将来とを文字通り等式で結び付けているわけだけど、しかし、彼らが抱え込んでしまう狂気は見せ掛けの仮面ではなくて、彼ら自身の純真さ故のものである。そして、彼らがやがて不気味なものへと成り果ててゆくことに、われわれは悲哀を感じてしまうのではないか。

だから、オーウェンがその仮面をかぶってしまったら、オーウェンの狂気が見せかけのものってことにならないかしらん──むしろそれを内包しているんだから。中途半端な小道具に頼るより、役者の表情とかカメラワークなどで表現してほしかった。最初以外いっさい出てこないし、その仮面。


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また、オリジナル版が日本公開されたときに問題になった“例の箇所”だが……あー、やっぱりなー、逃げ打っちゃったかーみたいな。まぁ、アメリカ映画でメジャー配給でってことになると、むつかしいんだろうな、やっぱり。こちらにこそ邦題で『200歳の少女』と付けるべきだったかもしれない。

あとはまぁオーウェンの両親の描写とか、クライマックスの見せ場はカット割っちゃ駄目だろうとか、なんで水から上がったオーウェンしか映さねぇのとか、細々とした不満点はあるが、これだけは書きたい。モールス信号をもうちょっとちゃんと映してくれ。たしかに『モールス』というタイトルは邦題なので(原題は“Let Me In”)、現地スタッフに責任はないんだろうけれど、しかしラスト・シーンを際立たせるためには、もうちょっと丁寧にオーウェンとアビーのモールスチャットを描くべきだったと思われる。

振り返ってみると、ほぼ同じ上映時間で、オリジナル版はかなりの情報量を──しかも、さりげなしに──組み込んでいたのだなと実感させられた作品だった。結果として今回のリメイク版は、なんか薄口になったのでは? という印象。なので、本作を観てからオリジナル版『ぼくのエリ』を観るのが、ある意味で幸せな道筋かもしれない。