『プロメテウス』感想

2089年、世界各地の古代遺跡からある共通するサインが発見される。科学者のエリザベス・ショウはそれを分析し、地球外知的生命体からの“招待状”と確信する。そして巨大企業ウェイランド社が出資した宇宙船プロメテウス号に乗り、人類の起源を探るべく“招待状”が指し示すはるか彼方の惑星を目指す。2093年、長い人工冬眠から目覚めたエリザベスの前についに目的の惑星に到着する。その巨大な山脈のふもとには長い滑走路と、巨大なピラミッドがあった……。


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《※以下ネタバレ多少あり》

リドリー・スコット監督。彼自身がかつて監督した『エイリアン』(1979)へ直接続く、前日譚的作品。さすがにリドリー・スコットだけあって、映像美が凄まじい。とくに、超微細な粒子で描かれる〈彼ら〉の惑星座標図や“再現映像”は、映画館の大画面で観てこその表現。ほかにも、プロメテウス号が向かう惑星の風景や、ピラミッドの内部、そして後に展開される様々なショッキング描写(とくに「妊娠」「堕胎」シーンの恐ろしさときたら……)に、3Dで観たらばさぞ臨場感がありそうであるなと、想像するだに身震いした。

物語の骨子は、ラヴクラフトの書いたクトゥルフのひとつ『狂気の山脈にて』だったけれど、それ以上に観ていて思い出したのは、スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』(1968)である。おそらくは、この映画をかなり意識して『プロメテウス』は撮られたと推測されるのだ。

そもそも、人類の誕生・進化は自然発生ではなく、何かしらの上位種=“エンジニア”によって成された──という根本的な物語のネタはまさに『2001年宇宙の旅』と同様であるし*1、世界各地の遺物から導き出された座標に従ってはるか宇宙を目指すというプロットも然りである*2


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また、『プロメテウス』で重要なキャラクターとなるアンドロイドの名前は(字幕表記に従えば)デヴィッドである。これは『2001年〜』において、モノリスの導きに従って木星へと派遣された宇宙船ディスカバリー号の船長、デイビッド・ボーマンと同名であるし、デヴィッド=デイビッドが実質的な主人公であることも同様だ。また、デヴィッドが、間接的にロボット三原則の禁を犯して人間を殺そうとすることを考えれば、彼は同時に、ディスカバリー号に据え付けられたコンピュータHAL-9000との相の子ということになるだろう*3。また、登場するウェイランド社長は、老人となったボーマン船長そっくり。映像や演出的にも類似点は多い。たとえばオープニングでは、誕生したばかりの地球(と思われる)の山々や川といった地表(テクスチャ)の数々を、移動カメラで延々と映してゆくが、これなどは、『2001年〜』においてボーマン船長が、スターゲイトを抜けた果てに見る「地球の進化」の映像と撮影手法など含めて非常に近い。


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また、キューブリックが多用した“左右対称”の画面レイアウトが特に前半部に頻出するし、乗組員がコールドスリープから覚める前にデヴィッドが自転車で円を描くように走ってひとり遊びをするこの円移動は、『2001年〜』において、円を描くディスカバリー号の通路を延々マラソンするというシーンを思い起こさずにはおれない。『プロメテウス』本編では一切使われないに赤いレトロな宇宙服がなぜか廊下にあるのも、ディスカバリー号内部を思わせる(そもそも、プロメテウス号のインテリアは白を基調としている場所が多い)。

そして劇中とエンド・クレジットにおいてクラシック音楽が使用されるのも同様である。『2001年〜』ではエンド・クレジットにヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」が流れるように、『プロメテウス』では、ショパンの「雨だれの前奏曲」が使用されている。

思えば、映画評論家の町山智浩氏が『プロメテウス』を観るのは巨大で超高解像度な映像を映写可能なI-MAXシアターが最適であると指摘するように(フィルムも超でかい)、『2001年〜』も当時の巨大シアターであるシネラマ方式であったし、撮影も70mmフィルムという高解像度のもので行われていた。


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ことほど左様に、『プロメテウス』は、リドリー・スコット版『2001年宇宙の旅』と呼ぶべき映画と言えはしないだろうか。

ただ、後半において同時に幾つもの事件が起こるので、ゴタゴタしていたり、説明や伏線の回収がうまく行っていない部分もけっこうあって、その辺りは気になった。けれど、それは1作目『エイリアン』にあったこと。もうすでにして上映からしばらく経ってしまったけれど、まだのかたは是非とも劇場で、この映像美をご覧いただきたい。前述の微粒子映像は、テレビ画面ではもったいない、ゼッタイ。

*1:宇宙人(オーヴァーロード)によって残されたモノリスに触れた類人猿は道具を使うこと=“知”を与えられヒトとなった。

*2:月面で発見されたモノリスから木星へ向けて発信された電波を辿ってディスカバリー号は旅をする

*3:人間に命乞いをするところもそうだし、HALは後のシリーズでボーマンと和解を果たしていることも、深読みすれば同じである。 ところでデヴィッドは、彼と(またしても)同じ名を持つ監督が撮った映画『アラビアのロレンス』(1962)を愛し、ロレンスを自身の鏡像としているが、本編ではデヴィッドにそれほどアイデンティティ・クライシスは訪れない。これは、脚本上のミスというか粗。これも回収されれば面白かったのになぁ。