2012年鑑賞映画作品/121-130 感想リスト(一部TVM)

ドラゴン・タトゥーの女』……デヴィッド・フィンチャー監督。スウェーデン映画『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』のハリウッドリメイク。とある女性の失踪とトラウマ記憶を巡るミステリ。数多くの写真を時間通り並べ替えたり、別のアングルのものを探したりという、写真による過去の再現“編集”によって事件の謎を解明してゆくあたり、アントニオーニの『欲望』を思い出した(ディスクのメニュー画面も何枚かの写真によって構成されているので、こちらも要チェック。本編を観終えてもう一度見直すと、かなり面白い)。フィンチャーらしいグッと闇に沈んだ撮影も美しい。が、ちょっとエピローグが長過ぎる嫌いがあった(ラストの幕切れが素晴らしいだけに、もう少しバランスがよくてもな、と)。

月の輝く夜に』……ノーマン・ジュイソン監督。シェール演じるイタリア系アメリカ人ロレッタの再婚と、その家族を巡る人情喜劇。ストーリー展開や、ご近所に兄弟家族がいたりというキャラクター配置など、はっきりいって『男はつらいよ』もかくやの世界観だった。とくに「御前様」的立ち位置の祖父の見事な“間”の取り方には爆笑必至だ。後に『恋する人魚たち』にてシェールの娘役として共演したウィノナ・ライダーがその後の別の映画でもって今作のヒロインとほぼ同様の役回りを演じていたのを思い出した。

『さよならをもう一度』……アナトール・リトヴァク監督。女癖の悪い現在の恋人ロジェと、自分をはばかりなく愛してくれる若者フィリップとの間で心揺れる中年女性ポーラ(イングリッド・バーグマン)の心の機微を描く。なんとか現状を打破したいのはヤマヤマなポーラにどことなく漂う居心地の悪い雰囲気を醸す演出やフィリップを演じたアンソニー・パーキンスの独特の存在感が素晴らしい。映画の冒頭と終幕を対にするというミラーイメージ演出をじつにうまく用いているので、こちらにも注目だ。

ダブルチーム』……ツイ・ハーク監督。ヴァン・ダムvs.ミッキー・ロークの大味アクション映画だが、90分ほどの尺のなかであれよあれよと怒涛の展開を見せるプロットが凄い! 話早ェよ、みたいな(なんかの続篇かと冒頭ほんとに疑った)。紛うことなき木曜洋画劇場枠的ケッサク。コカコーラ最強伝説フォーッ!

『バンド・ワゴン』……ヴィンセント・ミネリ監督。フレッド・アステア主演のミュージカル。主人公が手を組むことになる演出家コルドバの妄執が暴走してゆくくだりなどは抱腹絶倒で、また、クライマックスに描かれる演劇の一幕では、演劇という体(てい)でありながら、しかし映画の文法でないと不可能な画作りと編集で、なんとも不思議な気分となった。冒頭と末尾に歌われる「By Myself」の使われ方が素晴らしい。

『666号室』……ヴィム・ヴェンダース監督。ホラー映画ではない。1982年、映画は死にゆくメディアかを問うた、ゴダールやアントニオーニ、スピルバーグといった監督へのインタビュー集。テレビやビデオがほぼ定着した時代を映しているのか、インタビュー部屋を映す画面の中央にはブラウン管が設置されている。

『ベルリンのリュミエール』……ヴィム・ヴェンダース監督。リュミエール兄弟の数週間前に公式に上映イヴェントが行われた「ビオスコープ」という発明にまつわった家族のドキュメンタリー。不勉強ながらこの「ビオスコープ」なる発明は初耳であったが、手作り感に溢れる動く写真(動画)には、なにかしらの感動が確かにある。途中途中にさしはさまれる寸劇に使われる何気ない編集にも、過去現在をつなげるような、不思議な感動を覚えた。

『王手飛車取り』……ジャック・リヴェット監督。後にヌーヴェルヴァーグを引っ張ってゆくことになる面々が作り上げた短篇映画。タイトルへと収斂してゆくタイトな脚本やどこか極度に乾いた人間描写がなるほどなァという感じで興味深く鑑賞した。

『美しきセルジュ』……クロード・シャブロル監督。ヌーヴェルヴァーグ初の長編作品。養生のため生まれ故郷の村に帰ったフランソワが見たのは、寂れた寒村の息苦しい閉塞感と、そこで鬱屈する親友セルジュの姿であった。聖書(イエスの復活)のメタファーを随所に使いつつ、ムラ社会の閉塞感を鬱々と描く静かな演出が素晴らしい。フランソワをしきりに誘う少女マリーを演じたベルナデット・ラフォンの独特の色香が艶かしい。

ルパン三世/東方見聞録アナザーページ』……亀垣一監督。いつになくプロットがひどいなぁ。シーンとシーンが繋がっていないし、宝の設定だのキャラクターの配置だの後出しジャンケンばかりで失笑した。演技陣の素が垣間見える一面があった部分は、あくまでメタ的に笑えはした。脇役多過ぎも問題。

130