『人生の特等席』感想

ロバート・ロレンツ監督。彼は、イーストウッド映画で長年プロデューサーを勤めてきた弟子筋の人物らしく、その監督デビュー作とあってか、もう俳優は演らないと公言していたクリント・イーストウッドが、まさかのカムバックで主演した。

何人もの名メジャーリーガーを輩出してきた伝説的なスカウトマン、ガス・ロベル。時代は移ろい、まわりがコンピュータ・ベースのデータベース主義になっても、その昔気質は変わらず、彼は自分の眼と耳と勘に絶対の自信を持っていたが、もはや契約解消は目前──しかも、その眼が失明の危機に陥ってしまう。医者の勧めも無視してスカウトに旅立ったガスを心配した親友ピートは、ガスの娘ミッキーに、彼に付き添って欲しいと申し出る。しかし彼女は彼女で、勤める法律事務所での出世のかかった大事な時期にあり、なおかつ、過去にあった父との軋轢を引きずって、父娘関係はギクシャクしていた……。


     ○


イーストウッド演じる人物としては、監督作でもある『グラン・トリノ』でのウォルト・コワルスキー以来となるが、それと比べても、そのキャラクターがだいぶ円くなった感じ。視力が緑内障によって一挙に減退しているせいもあって、フラフラしながら段差に躓いてズッコケたり、夜明けにしなびた“自分”を励ましたりと、本作では始終どこか弱弱しい。

イーストウッドが演じた昔気質のガスをはじめ、娘のミッキー(エイミー・アダムス)や、旅先で出会う新米スカウトマンのジョニー(ジャスティン・ティンバーレイグ)など、キャラクターはそれぞれ魅力的に描かれており、クライマックスに描かれるある顛末──原題である“カーヴに足をすくわれる(Trouble with the Curve)”展開──によって彼らがおのおのにもう一度立ち直る展開は、抑制の効いた演出もあって、さわやかな感動を観客に与えてくれる。こういったあたりは、イーストウッド流の演出をうまく吸収したロレンツ監督の勝利だろう。

一応の悪役として設定されているパソコン画面しか見ない中堅スカウトマンや、有力候補とされている高校生バッターなども、その嫌味ったらしさときたら最悪(つまり最高)で、しかし彼らも、あくまで野球とスカウトという範疇によってのみ打ち負かされるという、安易な断罪にすぐに走らない展開に好感が持てた。


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全体としてはウェル・メイドな出来の本作だが、多少難点がないでもない。1番ひっかかるのは、ちょっとプロットがバラバラし過ぎではないか、という点だ。本作ではガスとミッキーの父娘、加えてジョニーという、おおまかに3人の主人公がおり、彼ら3人がそれぞれの成長葛藤を経るという物語構造のせいもあろうが、ちょっと話のつながりというか、扱うトピックの持続という面が弱いのである。とくに大きな尺をとって描かれる父娘の過去にあった軋轢と和解に関しては、ことごとくが台詞による説明と、後から後から情報が突発的に間を置いて足される構成で、ちょっと巧くない。ガスの失明の件はどーなったんだ、とかね

とはいえ、映画のそれぞれの場面ごとに見れば、先にも書いたように抑制の効いた演出でうまく撮られており、また先に上げた主人公3人問題も、観客にその選択の余地を与えようとしたと考えられるのはたしかだろう。誰を主人公に捉えるかで、だいぶこの映画の印象も変わってくるかもしれない*1。また、今度こそ最後になるやもしれないイーストウッドをスクリーンで見る機会を失わないという意味でも、手堅くおススメできる1作だろう。

*1:原題はガスの台詞から、邦題にある「人生の特等席」は、ミッキーの台詞から、それぞれとられている。