『リンカーン』感想

スティーヴン・スピルバーグ監督。1865年アメリカ、再選から2年を経たリンカーン大統領は、かねてからの念願である奴隷制度廃止を果たすため、「アメリカ合衆国憲法修正第13条」の上院・下院で可決を目指していた。しかし、南北戦争停戦を巡る南部の動きや共和党内での分裂など、状況は芳しくなかった。憲法を修正するために必要な全議員の3分の2の賛成票を得るべく、リンカーンは政治的闘いに挑む……

第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とする時を除く。

第2節 議会はこの修正条項を適切な法律によって実行させる権限を有する。


上に引用したのが、公式に奴隷制を廃止した「アメリカ合衆国憲法修正第13条」である。いかにこれを成立させるか。本作はそれに至るまでの過程を描く。つまるところ議員の政治的抱き込みや懐柔、説得である。当時、奴隷制の保持を掲げていた民主党員はもちろん、超リベラル派で完全なる人種平等を謳ったS・スティーヴンス*1といった共和党員も含め、リンカーン憲法修正第13条成立のために様々な政治的策謀を巡らせてゆく。ここで首を傾げる方もおられるだろう。映画で描かれるリンカーンの行動は、正直者エイブと呼ばれた彼のイメージとは異なるからだ。映画は、そういった彼の知られざる側面にスポットを当ててゆく。



いくつかあるスピルバーグの歴史モノは、実は今日の情勢に対する彼の政治的スタンスを含有している。例えば、ミュンヘン・オリンピックでの虐殺事件に対するイスラエル側の報復活動を描いた『ミュンヘン』(2005)をみてみよう。スピルバーグ本人も、また映画本編においても声高には明言されないが、明らかに9.11後における「テロとの戦い」の先に待ち受ける未来を憂うものだった。この映画のラストショットの遠景に静かに佇む世界貿易センタービルが暗示するのは報復が生む報復という負の連鎖である。

本作においてスピルバーグは、リンカーンの姿にオバマ大統領の姿を重ねているように思われる。知ってのとおり、オバマ大統領は2010年に医療保険制度改革──いわゆるオバマケア──を成立させたが、この成立過程も、当初の公約からみれば政治的駆け引きの果てにある程度の妥協を許したものだった。それに対する批判も多い。しかし、当初の考えを頑なに保持して議論が平行線に留まり、何も進展しないことよりも、とにかく1歩を踏み出すことをオバマ大統領は選び、それに成功したのではなかったか。それは映画本編のなかでリンカーンが、目先の利益ではなく未来を見据えればこそ、理想と現実との間で折り合いをつけながら何としても修正第13条を通そうとした姿そのものではないだろうか。本作は単にリンカーンの伝記的映画に留まらず、本当のリーダーのあるべき姿とはどんなものかを模索し、スピルバーグなりに提示した作品といえるだろう。



もちろん、これが過度にプロパガンダ的にならないように、本作はスピルバーグ映画のなかでも特に抑制された演出が全編に施されている。映画自体は非常に淡々と進み、普段では高らかに鳴り響くジョン・ウィリアムスの楽曲も、本作では必要最低限に影を潜めている。本編に「奴隷解放宣言」や、人民の人民による人民のための政治を謳った「ゲティスバーグ演説」といった、リンカーン的見せ場がほとんど登場しないのも、リンカーンを必要以上に神格化させまいとする意図によるものだろう*2。とはいえ、2時間を悠に越える長尺でありかつ、そういった抑制された静かな映画ながら、グイグイと観客を物語世界に巻き込むスピルバーグの演出手腕は見事なものだし、リンカーンの大統領としての苦悩、夫として、父としての苦悩を淡々と静かに描き出すからこそ、時折、グッと闇に沈んだヤヌス・カミンスキー撮影の画面のなかで、リンカーンの姿がかすかに超越的に浮かび上がった瞬間*3、そして1度だけ激昂して側近たちに「なぜ修正第13条を成立させねばならないか」を語る瞬間は、とても感動的だ。

リンカーンが灯した小さいながらも重要な火──その政治的精神──を受け継ぐべく、いま必要とされる、そしてあるべきリーダー像とは何か──スピルバーグはそういった政治的メッセージを、本作にそっと含みこませている。これはアメリカだけでなく、決められない政治と呼ばれて久しい日本においても無関係な話ではない*4。そういった意味において、いままさに観ておくべき作品のひとつだろう。



なお、日本公開に当たって、スピルバーグ本人によるイントロダクションが、本編開始前に追加されている。

*1:堅物で始終カツラをかぶった彼(トミー・リー・ジョーンズアカデミー賞助演男優賞を受賞した)が、そのカツラをいつ取るのかに注目。

*2:本編は「ゲティスバーグ演説」が終わったあと──から始まる。また、スピルバーグ的なスペクタクルはいっさい画面に登場しない。冒頭、北軍と南軍の兵士らが土砂降りのなか、泥まみれになりながら互いを蹴り殴り、銃剣で突き刺すという、名誉も華やかさの欠片もない戦闘シーンがあるのみである。

*3:イエス・キリストを思わせる。

*4:とくに憲法修正の必要議席数を3分の2から過半数に引き下げようという、ちゃんちゃらおかしい議題が持ち上がっている今日においてはなおのことだ。