2013年鑑賞映画作品/71-80 感想リスト

ライジング・ドラゴン』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130525/1369481922

『DATSUGOKU─脱獄─』……ルパート・ワイアット監督。脱獄の計画段階と実施段階とを交互に同時進行でみせ、なぜ男たちが脱獄を決意したのか、どういった難関に立ち向かうのかを少しずつ小出しにしてゆくというプロットが新鮮だった。ちょっと奇をてらったようにもみえる構成だが、しかしこの構成を用いたことによる場面場面が示す意味のニュアンスや奥行きに変化を出し、そしてそれ故に可能になった円環構造(オチ)へと繋げる手腕が見事だった。この作品でワイアット監督がみせた脱獄演出、そしてストーリー・テリングの巧みさは、『猿の惑星:創世記〈ジェネシス〉』へと引き継がれてるのだなぁ。

『恐怖ノ黒電話』……マシュー・パークヒル監督。ジャック・フィニイの短篇「愛の手紙」のホラー版とでもいおうか。すなわち、もしも自分の暮らすアパートの電話に過去の住人──しかも狂女──から電話がかかってきたら、というSF的ホラー。時間移動モノが大好物の僕がいうと説得力に欠けるかもしれないけれど、胃にキリキリ来るような傑作ホラーだった。現在のヒロインが瀕している状況と過去の住人が瀕している状況の類似──いわゆるマチズモ/父権社会からの極度の被抑圧状態──をキィにした脚本がよく出来ている(とはいえ、身元不明の不審者にそんな簡単に個人情報を晒すなよ! というヒロインに対するツッコミはあり)。洋画(イギリス映画)ながら派手なショック演出というよりも、舞台が仄暗いアパートだったり、途中に心霊写真的な演出を挟み込んだりと、むしろJホラー的な色合いが強いのも興味深い(抽象的な側面からいえば、過去の怨念の現在への侵食と伝播、という『リング』(中田秀夫監督、1999)などによくみられる構造だ)。やはり、Jホラー映画の原典ともいうべき『回転』(ジャック・クレイトン監督、1961)を生み出したお国柄の成せる技か。面白かったのでおススメです。

『パーマネント野ばら』……吉田大八監督。離婚して故郷である海辺の田舎町に戻ってきたなおこの友情と秘められた恋を描く。悲喜こもごもある出来事のスケッチを淡々としたタッチで、しかし丁寧に重ねてゆくタッチがシニカルな笑いとほろ苦さを醸しだしている。登場人物たちに入り込むでもなく、しかし突き放すでもない演出の距離感が絶妙だ。しかし、やはり本作も単なる人情恋愛劇ではなく、暗示されるのは人間が持つフィクションへの抗いようのない渇望だ。本作の登場人物たちは皆、かつての思い出というフィクションにとり憑かれている。映画終盤にひとつの事実が明かされることになるが、ここで先述した演出の距離感がグッと効いてくる。どうしようもない人間の性(さが)は当人にとってときに残酷だ。しかし同時にそれは希望でもある。その両者を包み込む海辺の風景と潮騒は、ソラリスの海のように美しかった。

オブリビオン』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130601/1370101921

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』……吉田大八監督。とある農村を舞台に、両親の死を機に再び集ったワケ有りな3兄妹と長男坊の嫁の4人の姿を描く吉田監督の長編デビュー作。『桐島、部活やめるってよ』とはまた違う形で、こちらの胸をガンガンえぐってくる作品だった。本作における主人公たちは皆「家族」という枷に当人たちも気付かないうちに囚われている。それぞれがそれぞれに持つ「家族なのだから」という価値観──その是非はともかくとして──が、それがもっとも身近なコミュニティゆえに容易に自他への抑圧に結びついてしまう様子を、映画は赤裸々に映し出す。その同調圧力をやんわりと包み込む田舎の雰囲気も含めて、もちろん戯画化されているとはいえ、その身に覚えのある感覚に画面を直視できないような場面も多々あった。映画を観ていて吐き気すら覚えたほどだ。ゆえに本作にあるひとつのクライマックスには思わず喝采の声を上げた。本作でも──というか、本作から──キィとなるのはフィクションだ。劇中の抑圧が臨界点に達したその瞬間、堰を切ったように溢れ出すフィクション──その勝利には本当に救われる思いがした。しかし本作はフィクションの飛翔という安易なカタルシスでは終わらない。鑑賞後に残ったのは、彼らがそれぞれに信じようとしたそれぞれの「家族」自体もまたフィクションではなかったか、という感慨だ。「家族」にせよ、フィクションにせよ、そんなものは存在しない。しかしそれらはそれゆえに存在し、我々を捕らえ続け、どちらも死に至る病となり得る。そして我々はそれに真摯に向き合わねばならない。心に深く傷を残した本作は終生、僕の記憶に留まるだろう。見事な作品だった。

『夜の訪問者』……テレンス・ヤング監督。チャールズ・ブロンソンが発する男の色気が凄い。オープニングでちょっと一瞥しただけの少女が「きゃッ」と頬を染めるのだけで100点満点だよ。原作がリチャード・マシスンということもあってか、90分程度の尺のなかでも二転三転するストーリーも面白い。とくに'70年代アクションお決まりのカー・チェイスをどういう風に盛り込むか、という部分のアイディアが秀逸だった。

『眠れる森の美女』……クライド・ジェロニモ監督。チャイコフスキーの楽曲を大々的に使用したディズニー版。ディズニーの童話は、ナレーターが本を開いて始まるのが常だが、横長のシネマスコープ・サイズによってより画作りの立体感よりもむしろ、絵本の挿絵的な平面性が強調されているのが興味深い。もともとの話がそうだという問題もあろうが、ヒロインとヒーローは魔女たちの抗争に巻き込まれているという構造のため、物語を引っ張る吸引力が弱くなってしまったのが難点か。

『白い恐怖』……アルフレッド・ヒッチコック監督。冒頭のイントロダクションにもあるとおり、フロイト精神分析を直接サスペンスに持ち込んだ作品(ご存知のとおりヒッチコック映画は精神分析に多大な影響を受けている)。グレゴリー・ペック演じる記憶喪失者が見た夢の美術をサルバドール・ダリが担当していることや、イングリッド・バーグマンがやたら記憶喪失の原因に幼児期のトラウマを挙げるあたりもまさしくフロイト派。モノクロ作品だが、クライマックスのとあるショットに数コマだけカラー部分を入れ込んでいるところなど、見世物的な画面も追求したヒッチコックらしい。

エンド・オブ・ホワイトハウス』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130615/1371311747

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