2013年鑑賞映画作品/101-110 感想リスト

風立ちぬ』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130817/1376715940

パシフィック・リム』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130818/1376790018

ローン・レンジャー』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130901/1378033849

『オカルト』……白石晃士監督。数年前に起こった通り魔殺人事件の真相を追うディレクター白石は、被害者のひとりで唯一の生存者・江野と出会うが、江野は事件直後から身の回りに超常現象が顕れていると語った──というフェイク・ドキュメンタリー方式のサスペンス。事件の証言が徐々に揃ってゆく過程の積み重ね方や、江野の密着取材という体(てい)で描かれる現代日本非正規雇用者の生活実態を描いてみせる──江野のキャラクター造詣がリアルで秀逸だ──社会的側面など、いわゆるドキュメンタリー手法で見せられる前半も面白かったが、白石が江野との出会いによってドキュメンタリー作家という観察者の立ち位置から事件(=物語内部)にいやおうなく巻き込まれてキャラクターのひとりになってしまうという後半部の展開や見せ方が非常によかった(公開順は前後するが『第9地区』(ニール・ブロムカンプ監督、2009)にみられた構造の面白さに近い)。映画のラストに付された「ある映像」の狂気は一生忘れられないだろう。

『エコール』……ルシール・アザリロヴィック監督。原作はフランク・ヴェデキントの小説『ミネハハ』。外の世界から断絶された森の中にある“学校(エコール)”に暮らす5〜12歳の少女たちの姿と成長/性徴を寓話的に描く。設定それ自体はかなり強引なために一見ファンタジーのようにも思えるが、劇中「外の世界(=現実社会)」が明確に描かれているため、必ずしもそうではないのだろう。この学校で少女たちが習うのは、生物学とバレエだけであること、そして年少の女の子が“棺おけ”に入れられて「入学」し、年長者は地下鉄に乗って「卒業」するという構図は非常に象徴的だ。劇中で描かれる少女たちの成長過程とはすなわち、「子ども(赤子/幼児)時代の終わり(象徴的な死=棺おけ)」から始まる少女時代のなかで、いかに「見られる性」としての女性──実際、映画に登場する少女たちは(そして教師たちも)みな美しい──へとなってゆくかではなかったか(ここでの「卒業」とは産道の象徴であるトンネルを通って少女から“女”への生まれ直すことだ)。年長の少女たちが夜な夜な姿の見えない観客(=男性客)に向けてバレエを演じて見せていたことや、映画のラストでカメラがある登場人物の視線に成り代わり、そして少女もまたその視線に捉えられて離れないことを思い出そう。画面を彩る少女たちの無垢な笑顔とは対照的に、映画の描くものは非情なまでに現実世界そのもののように思われる。

走れメロス』……おおすみ正秋監督。太宰治による同名短篇を長編アニメ化した作品。もとの物語やキャラクターを膨らませてアレンジした脚本がなかなか面白く、また沖浦啓之らスゴ腕アニメーターによる作画の数々も見事だった。サスペンス効果を無効化するオープニングでの時系列シャッフルや、途中、物語の語り手があっちやこっちやに行ったりと微妙な部分もあるが概ね楽しめた。

『暴力脱獄』……スチュアート・ローゼンバーグ監督、ポール・ニューマン主演。路上駐車の料金メーターを破損した罪で刑務所に入ったルークと、次第に彼の生き様に引かれてゆく囚人たちの姿を描く。かつてのトラウマ記憶によって「人間」や「人生」に絶望しながらも、なお「生きよう」とすることで、次第にルーク自身が彼の見捨てた神=イエス・キリストの姿に重なってゆく構成が見事だ。神が人生の意味を教えてくれないのならば、自らが自身の人生の救済者になって懸命に生きねばならないし、そうすることで周囲にも影響は現れ始めるのかもしれない。ラストで十字架に架けられるイエスのように「社会」から殺されるルークの思い出を、囚人頭のドラグラインが思い出しながら語る場面は感動的だ。「どんなことがあっても、やつは笑っていたっけ。だからいつだって負けなかったんだ」

裸のランチ』……デヴィッド・クローネンバーグ監督、ウィリアム・バロウズ原作。クローネンバーグ印とでもいうべきヌメヌメと気色の悪い「異形のもの」たちもさることながら、主人公が見ている世界とは別の階層の世界があることをふと思い出させる、ちょっとした1ショットが何よりも恐ろしかった。そこは無限地獄には違いないが、彼はそこで何度でも愛する妻に出合えるだろう。主人公にとって、彼の存する世界に留まる/捉えられることと、もうひとつの世界に回帰することと、どちらが幸せだろうか。

『バニシング IN TURBO』……ロン・ハワード監督・主演。天下のロジャー・コーマン制作下で作られながら、ちゃんと面白い(!)ロン・ハワードの監督デビュー作。政略結婚を嫌ったヒロインは恋人と車で駆け落ちするが、2人に懸賞金が掛かったことで、あたりは追いつ追われつの一大カー・チェイス祭になるというアクション・コメディ。車走る、車ぶつかる、車壊れる──がこの映画の9割を占めるという、書いているほうも「バカなんじゃないの」と思わずにはおれない内容だが、様々な人間の思惑を交差させながら、それぞれに見せ場──つまりクラッシュ──を用意してみせるという群像劇としてのまとめ方が実に巧い。事故後にちょっとした古典的ギャグをいちいち盛り込んでくるところも心憎い。スカッとさわやかコカ・コーラのような映画だった。

天使の涙』……ウォン・カーウァイ監督。登場人物それぞれが、頭のネジが1本抜けたかのようにどこか狂っていて、そのキャラクター造形とゆらゆらとたゆとうカメラ・ワークが妙にマッチしている。その撮影を担当したクリストファー・ドイルによる手持ちのズームカメラ撮影は、いわゆる手ブレとは異なる独特の酩酊感があって(好みではないが)面白い。金城武が口の利けない青年を演じているが、彼のサイレント/パントマイム演技がなかなかよくて、やはり画になるなぁと嘆息した。ただ、そのキャラクターを『恋する惑星』(1994)で金城が演じた別人と無理に重ねなくてもよかったのではないかな(もともと本作は『恋する惑星』と同企画だったとはいえ)。

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