2014年鑑賞映画 感想リスト/11-20

合衆国最後の日』……ロバート・アルドリッチ監督。核ミサイル発射基地を占拠した3人の元アメリカ兵たちは、政府がひた隠しにしてきたベトナム戦争に関する極秘資料の公開を迫るが──というサスペンス。犯人たちが、あるいは特殊制圧部隊たちが基地内に進入できるか否か、といったジャンル特有のやりとりの面白さはもちろんだが、やはり特筆すべきは「情報公開」にまつわるテーマだ。大統領でさえ知らなかった秘密情報を巡って巻き起こる“小さな”悲劇の数々が、いまなお──もちろん今日の日本においても──色褪せていないどころか、まさに今日とさえいえるのが、非常にゲンナリするところ。ラストの大統領と国防大臣のやりとりが重く観客にのしかかってくる。


『水の中のナイフ』……ロマン・ポランスキー監督。ヨット遊びに出かけた若い夫婦は、偶然拾ったヒッチハイカーの少年も船に誘うが──というポランスキー監督の処女作。お話としては「3人でヨット遊びする」だけなのだが、その何気ないシーンたちの至るところにピンと張り詰めた緊張感がものすごい。広角レンズで極度に強調されたキャラクターたちの遠近感(=映り方の大小)からして拭えない距離感をヒシヒシと感じさせるし、同じところに3人が並んだと思えば、今度は行動や会話が微妙にズレて成り立たない。ヒッチハイカーの少年という他者の介入によって、仲睦まじい夫婦のあいだにあったはずの互いの他者性が亀裂として生じ始める。開いた溝は埋められるのか──その選択の岐路に、観客もラストに立たされるだろう。普段、僕らが忘れがちな何かをイヤというほど思い出させてくれる作品だった。


世界にひとつのプレイブック』……デヴィッド・O・ラッセル監督。それぞれに最愛の人を失って心のバランスを崩したパットとティファニーが、互いの目的のために協力し合う中で次第に希望を見出す姿を描くラブ・コメディ。あらすじから、そんな設定でラブ・コメディとして成立するのかしらんと、はじめはいぶかしんで観ていたのだけど、それは杞憂に終わった。精神疾患のために他者への想像力ゼロのパットと、反対に他者への想像力がありすぎるために精神を病んでいるティファニーとが互いに押し合いへし合いしながらも、その関係性を変化させてゆく姿からは、勇気をもらえるようだ。それにこの映画が好ましいのは、劇中で病んでいるのがふたりだけではないことだ。彼らの両親や家族、友達たちも皆どこかバランスを欠いている。そんな彼らが、右往左往しながらも暮らしている光景こそが、じつは本作でいちばん感動的ではないだろうか。


『高地戦』……チャン・フン監督。韓国防諜隊ウンピョ中尉は、人民軍の内通者有りとの疑惑があがった前線部隊“鰐中隊”の調査に送られ、そこでかつての戦友スヒョクと再会するが──停戦協議の難航により泥沼化する朝鮮戦争末期を舞台に、境界線の高地“エロック”で繰り広げられる戦いを描いた戦争映画。急傾斜地を舞台に描かれる戦闘シーンの新鮮さ、敵味方混戦するなか落とされる爆撃の無慈悲さ、数多に迫り来る中共軍の恐怖、そしてラストに訪れる悲劇的な戦闘など、とにかく歴史の悲惨さを痛烈に描き出してくる。そのなかで登場するキャラクターたちの描写それぞれが非常に魅力的──たとえば、かつては敬虔なクリスチャンでメガネ男子だったスヒョクからメガネが取れるところに注目してほしいし、銃声が後から聞こえてくるから“2秒”とあだ名された人民軍の凄腕スナイパーなどなど挙げ出したらキリがない──で、ドラマをグッと盛り上げてくれる。そういう意味では、奪われ奪い返すを繰り返す“エロック”で交わされる韓国軍と人民軍との交信の微笑ましさが、すべて非情な──ときにロマンチックなまでの──無惨な結末に終焉してゆく脚本のえもいわれなさときたら……。どこか『JSA』(パク・ヌチャク監督、2000)ぽいなぁと思っていたら、脚本がパク・サンヨンで、そりゃそうかと思った次第でもあります。ともあれ、僕がいうまでもなく、観ておくべき戦争映画の1本。


『バンビ』……デイヴィッド・ハント監督。原作は、初のエコロジー文学のひとつとしても知られるフェーリクス・ザルテンによる同名童話。森の王の息子として生まれた小鹿のバンビが、様々な体験や困難に立ち向かいながら、王位を継承するまでを描くディズニー・アニメ。不勉強ながら未見だった。とにもかくにもタイラス・ウォンらが手がけた背景美術が素晴らしく美しい。水濡れた朝の空気、色鮮やかな春の季節、燃え盛る火災など、舞台となる森の様々な姿や空気感を印象派を思わせる筆致で表現された背景美術を1カットごとに観られることが、ある種の感動を呼ぶ。例によって──というか、これが最初の「例」なのだけれど──絶妙に擬人化された動物たちの作画もまた、生命感と独特の色香に溢れている。語り継がれる傑作として納得。


『スクリーマーズ』……クリスチャン・デュゲイ監督。エネルギー資源を巡って戦争状態にある惑星シリウス6Bで、敵側から和平交渉の伝令を受けた連合軍司令官ヘンドリクスンは敵基地へ向かうが──フィリップ・K・ディック『変種第二号』を原作としたSF映画ダン・オバノンが手がけたテンポよく進むストーリーが小気味いいし、'96年の映画にしては'80年代SFチックに過ぎる気がしないでもないが、ロケとセットで描かれた荒廃した未来世界のヴィジュアルは実在感があって楽しい。ラストの大オチまで含めて安心して楽しめるエンタテインメント作品だ。


ブルジョワジーの秘かな愉しみ』……ルイス・ブニュエル監督。一般市民の価値観とはどこかかけ離れたブルジョワ階級の姿を皮肉めいた視点で描く。「これが他者か」と思わずつぶやかずにはおれないブルジョワ階級の男女6人の姿が可笑しい。優雅さとは名ばかりの大仰でちっちゃな欲望にまみれた彼らの姿をみれば、揃って食事しようにも思うようにメンツが揃わないのも、彼らにとっての“不幸”が降りかかったとしても当然至極だと思うのだが、そうであってもなおシレッとしている姿をみるにつけ、腹立たしいやら物悲しいやら。彼らにとってのスタンダードがどんどんエスカレートするにつれて映画の構成自体も破綻していくのが、また笑いを誘う。田園にしかれた長い長い1本道をわけもなくそぞろ歩く彼らの姿を映したロングショットが、これでもかとピンボケ状態にされたうえでエンドロールが流れ出したときには、強烈な皮肉を感じると同時に、ある種の胸のすくような爽快感がある。不思議な映画だった。


パーフェクト・センス』……デヴィッド・マッケンジー監督。人々から突如として嗅覚が消える原因不明の感染症が世界的に蔓延、やがて味覚も人々から消えうせてゆくなか、シェフのマイケルと感染症学者のスーザンが出会い惹かれあうが──というパンデミックSF。嗅覚や味覚といった感覚の消失する前兆が、感情の──たとえば、唐突に悲しみに囚われたり、怒りに囚われたりといった──過剰な発露だというアイディアが面白い。世界の終わりを思わせるように霞んだイギリスの、そして徐々に荒んでいく風景を切り取ったグラフィカルな撮影も美しい(ただ、自転車に搭載したカメラによる撮影ショットは、揺れすぎていて失敗だろう)。ただ、全篇をとおしてヒロイン(の声)による状況を説明するモノローグが挿入されるが、これが物語とキャラクターとに地続きであればなおよかった。たとえば、ヒロインが日記を付けているというのは──いささかベタではあるが──どうだろう。こうすれば、後半におとずれる“ある感覚”の消失時に適応される演出の変化にも、画として対応できたのではないだろうか。


サイレントヒル:リベレーション』……マイケル・J・バセット監督。「サイレントヒル」と呼ばれる町の悪夢に悩むへザーが18歳の誕生日を迎えたその夜、彼女の養父が何者かに誘拐され、家の壁には“サイレントヒルへ来い”という不気味な言葉が書き殴られていた──人気ホラーゲーム『サイレントヒル』シリーズを原作とした実写映画化第2段。映画版第1作『サイレントヒル』(クリストフ・ガンズ監督、2006)は、僕自身が熱心なゲーマーではないし、原作ゲームに関して何の知識もなく観たのだけれど、それにも関わらず一挙に心惹かれた作品だった。もともとのゲームが持っているダークでグロテスクな異界やカルト宗教、異形の神といった世界観とその映像的再現度の高さが素晴らしいし、どちらかといえば日本人に馴染み深い──諸星大二郎の漫画のような──世界設定を、キリスト教的な暗喩を散りばめることで欧米向け映画として巧みにローカライズしつつもオリジナルのゲームの雰囲気を崩さず、なおかつゲーム版にはなかった怒涛のクライマックスを展開するなど、そのバランス感覚には舌を巻いた。ゲーム版の大ファンだというガンズ監督の思い入れの深さゆえに成立した、単にゲームの映画化作品と呼ぶにはもったいない稀有な傑作だ。閑話休題、ここまでが前作の話。それを受けての第2作『〜リベレーション』だが、基本的にはゲーム版『サイレントヒル3』をなぞった展開なのはいいのだが、あまりに表層的というか、それすらもなぞれていないのが非常に残念。上映時間が前作より短いので“お化け屋敷”映画になるのはまだしも、それにつけても脚本が弱すぎだ。およそほとんどの事柄が右から左へ流れていくばかりで、しかも「あの件どうなった?」とほったらかしにされたままの伏線や事件もあってなんともむず痒い。それもあって、前作の大きな魅力のひとつだった“実際にゲームをしているような感覚”も皆無に等しいのが残念だ。しかし、ナースはエロい。劇場公開時のタイトルは『サイレントヒル:リベレーション3D』


猿の惑星・征服〈完全版〉』……J・リー・トンプソン監督。『猿の惑星』(フランクリン・J・シャフナー監督、1968)から始まるシリーズの第4作目。公開当時、その過激な暴力描写ゆえにカットされた部分を再録したヴァージョン(Blu-ray版に収録)。たしかに、これまで観慣れてきた「劇場公開版」とは印象がかなり異なる。とくにラスト30分で描かれる猿の革命はまさに血みどろの闘いで、「劇場公開版」がいかにコマ単位でカットし、巧妙に画面をトリミングしつつ完成したかが如実にみてとれて、とても興味深い。しかし、やはり驚くべきはエンディングだ。内容それ自体はかねてから書面で知ってはいたが、それをまざまざと見せ付けられるとやはりショッキングだ。本作の前半や前作(第3作)『新・猿の惑星』(ドン・テイラー監督、1971)で描かれる人類の極悪非道ぶりをみていると、このエンディングは確かに溜飲が下がる思いがするし、暴力の連鎖という無限地獄への警鐘が鋭く胸を突く。しかし、それでもなお人道主義への道を選ぶ「劇場公開版」のほうが僕は好きだといえば、理想主義に過ぎるだろうか。

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