2014年鑑賞映画 感想リスト/21-30

『キャビン』……ドリュー・ゴダード監督。週末を過ごすべく森の奥にある山小屋(=キャビン)にはるばるやって来たデイナたち大学生5人組だったが、そこで謎めいた地下室を発見する──というホラー映画。ネタバレ厳禁映画であるにも関わらず、うっかり予告編を観てしまったので、この作品がちょっとヒネリの入ったホラーだということは知っていたのだけれど、そこから予想していた内容よりも斜め上のクライマックスが用意されていて、たいへん面白かった。その“ヒネリ”に関する理屈付けが秀逸なのと、なんといっても怪獣総進撃ないし妖怪大戦争的な地獄絵図が展開される後半30分の贅沢さたるや! ラストに付される結末も「ハイハイ、最近“それ”を使うの流行ってるなァ」と思わせておいてからの“アレ”の大映しで「いや、そういうことか!」とさらに盛るラストに大満足。なるほど“それ”の大系が派生した経緯もまた、この映画が描こうとするテーマと符合する部分が多いことを思い出すにつけ、ほんと人間の欲望とは際限のないものよと反省することしきり。それにしても、ラストのあのキャスティングは卑怯だよ(褒め言葉)。


『エンダーのゲーム』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140209/1391931003


冒険者たち』……ロベール・アンリコ監督。固い友情で結ばれたマヌーとローランのもとに芸術家志望の少女レティシアが転がり込んでくるが、やがて三者三様に夢破れてしまった彼らは起死回生をかけて富豪の財産が沈むコンゴの海に乗り出す──という青春映画。久々に心から「なんてロマンチックな映画だろう」とため息がもれた。軽やかな自由さを醸す雰囲気や、淡い恋の三すくみ、そこに加わる静かで切ないクライマックスが胸を打つ。物語のテンポや撮影──とくに色彩の選び方──が見事だ。レティシアに扮するジョアンナ・シムカスの美しさはいわずもがな、マヌーとローランに扮するアラン・ドロン(超絶美男)とリノ・ヴァンチュラ(冴えない中年男)というキャスティングが絶妙で、映画を盛り上げてくれる。そんなマヌーとローランが最後に交わすひと言がなんとも素敵じゃないか──「この嘘つきめ」。もちろん“男の子”にとってという但し書きは必要だろうけれど、ロマン溢れる作品だった。彼らみたいな大人になりたかったなぁ。


『RONIN』……ジョン・フランケンハイマー監督。重要な“何か”が入ったトランクケースを奪取するために集められたフリーランスの元スパイたちの姿を描く。いわゆるマクガフィンを巡って展開されるアクションが、さすがのフランケンハイマー節ですごい。とくに車両のエンジン音の細部にまでこだわったというカーチェイス・シーンが白眉。後半に描かれるパリ市街地の幹線道路を逆走しての追走劇は、危なっかしくて非常にハラハラした。それにしても、トランクケースの中身やその価値もが最後までよく判らずじまいの堂々たるマクガフィンぶりをみるにつけ、画面のなかのキャラクターたちの姿がどこかこっけい──キャラクター同士のドラマは盛り上がって、それはそれで熱いのだが──にみえてしまったのは僕だけだろうか。もちろん、それはわれわれ観客の写し絵でもあるのだけれど。



ムーンライズ・キングダム』……ウェス・アンダーソン監督。誰からも疎まれ孤独だったサムとスージーはある日“駆け落ち”を決行、彼らの突然の反乱に右往左往する島の大人たちだったが──ニューイングランド沖に浮かぶ小さな離島で繰り広げられるのどかなコメディ映画。全篇をとおして一貫される平面的な画面構成と、なんらかの役割を演じているようなキャラクター造形や群像劇的に展開される物語のそこはかとない薄さが相まって、なんとも箱庭的というか“ごっこ遊び”を思わせる作品だ。一部シーンではミニチュア合成も用いられていたので余計にそう感じたのかもしれない。そのわりに、サムとスージーの性愛ぎりぎり1歩手前のやりとりや、ときおり挿まれる暴力描写が妙に生々しくて笑った。タイトルへの収斂がもうひと押しあれば、なおよかった。


リミットレス』……ニール・バーガー監督。作家志望の落ちぶれ青年エディは、たまたま再会した前妻の弟から脳を活性化する新薬“NTZ-48”を手に入れ、一気に人生の成功者へとのし上がるのだが──観ていて真っ先に思い出したのが、ドラえもんひみつ道具のひとつ「ノーリツチャッチャカ錠」でした型サスペンス・スリラー。飲んだ瞬間に、さまざまな知識や能力、自分のいる世界がハッキリくっきり鮮やかに見えはじめる“ドラッグ”描写は面白かったし、そのひとつである主観カメラが無限に背景の奥へ奥へと進んでいくスターゲイトのような映像表現もフレッシュだった(スクリーンで観たら、さぞ気持ち悪かっただろう)。しかし、物語の終わり方がちょっと弱い。単に楽観的に過ぎるならまだしも、なぜそうなったのかについてのもう1ロジックがないため、腑に落ちない。あっそういえば、あの問題は解決してないぞ。脚本の粗をクスリのせいにするのはどうかしらん。さらにそういえば、バーガー監督の『幻影師アイゼンハイム』(2006)もそんな感じだったなぁ。


ゼロ・ダーク・サーティ』……キャスリン・ビグロウ監督。9.11から2年後、オサマ・ビン・ラディン捜索のためにパキスタンへと派遣された若きCIA局員マヤが、10年以上にわたる捜査の果てにビン・ラディン暗殺計画を実行するまでを描く。本作は、主人公マヤをはじめとするCIA局員の名前などを除いてほぼ報道された事実に基づいて、賛美するでもなく批判するでもなく、淡々とビン・ラディン暗殺という新しい史実を忠実に描こうとする。そのある種ドキュメンタリー的な作劇によって、ピンと張り詰められた非常な緊張感が素晴らしい。とくに、ビン・ラディン暗殺計画実行をリアル・タイムにみせてゆく後半30分は圧巻だ。意外なところから求める情報が得られるという展開をみても、事実は小説よりも奇なりとはよくいったものだ。もちろん、それだけなら、よく出来たサスペンス映画となんら変わりはない。それ以上に本作では、9.11以降10余年を経たアメリカや世界のいまについての問いかけが、主人公の姿をとおしてわれわれに投げかけられる。その問いは、鋭く重い。拷問のむごさに目を伏せていたかつてのマヤは、ビン・ラディン発見のために手段を選ばないマシンのように少しずつ変化してゆく。やがてビン・ラディンを仕留めた映画のラストで、ある問いを投げかけられた彼女の姿に、なにを思うだろうか。


TVM『ルパン三世 princess of breeze〜隠された空中都市〜』……金崎貴臣監督。長年鎖国されていた高地の王国「シャハルタ」の秘宝をめぐり、ルパン一味とシャハルタの実権を握ったグローバル企業との争奪戦が展開される、TVスペシャル第24作。背景美術がクリアで美しい。また、自動車や飛行船をすべてCGで描き、それをチェイス・シーンに使用するというシリーズ初の試みは面白いし、車体をトゥーンシェイド(セル画)調ではなく、リアル目の塗装にしたのもむしろ功を奏している。でも、相変わらず“カリ城”症候群が蔓延している──キャスト一新後の3作のなかでも、主題歌をみても判るようにずば抜けている──し、それ以上にゲスト・キャラクターを登場させすぎだろう。彼らの説明をしている間にどんどん謎解きといったサスペンスの部分が後出しジャンケンになっているせいで、いまいちお話に乗れないのが残念だ。五ェ門の出番は減るし、いま頃になって『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟監督、1999)の愚直すぎるパロディを目にしたのにもちょっと驚いた。


『スコア』……フランク・オズ監督。クラブを経営するかたわらで金庫破りを裏家業とするニックは、長年の付き合いである盗品ブローカーのマックスから最後の仕事を引き受けるが──ロバート・デ・ニーロ主演のクライム・サスペンス。デ・ニーロ、マーロン・ブランド、そしてエドワード・ノートンらの演技合戦が最大の見所。とくに、ノートンが標的の下調べのために“演じている”ある役柄の表現力や、感情の緩急の大きい若者演技が素晴らしい。余談だが、デ・ニーロの吹替えが野沢那智というのは、なんだか新鮮な取り合わせだった。


クォ・ヴァディス』……マーヴィン・ルロイ監督。ローマ帝国を皇帝ネロが支配した時代、3年の遠征から舞い戻ったヴィニシウス将軍は、新興宗教だったキリスト教に帰依したリジアに心惹かれるが、時を同じくしてネロは新世界の創造を目指して首都ローマに火を放とうとしていた──ヘンリク・シェンキェヴィチの同名小説を原作とした歴史大作。いやぁ、人間ってほんとバカモンですね、水野晴郎風(もちろん本人の談ではない)の声が聞こえてくるほどにバカ人間大集合絵巻で逆に驚いた。他者への想像力を徹底的に欠いた暴君ネロを筆頭に、帝国主義と父権主義を足したような主人公ヴィニシウス将軍といい、彼になぜか惚れちゃうリジア──1951年製作という時代的側面があるといえ、登場する女性キャラクターの描写の質は恐ろしく酷い──といい、もうなにがなにやら。圧政を強いるローマ帝国へのカウンターとして、磔刑に処されたキリストの教えがペテロやパウロによって徐々に浸透してゆく様子が描かれるが、こちらも美談としてまじめに描写されるほどに──製作者の意図はどうあれ──人間という生物の愚かしさが浮き彫りになるようで、むしろすがすがしい。しかし、前述のネロに扮したピーター・ユティノフの怪演、ローマ大炎上のスペクタクル・シーンの迫力は素晴らしい。劇中、神に投げかけられる「クォ・ヴァディス(いずこへと向かうのか)」という問いは、むしろわれわれ人間に対してするべきかもしれない。

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