『ロボコップ』(2014)感想

ジョセフ・パヂーリャ監督。巨大企業オムニ社のロボット・テクノロジーに支配された近未来のアメリカを舞台に、勤務中に瀕死の重傷を負い、オムニ社の最新技術によってサイボーグ警官“ロボコップ”として再生した男の活躍と愛する家族との過酷な運命を描く。

ポール・ヴァーホーヴェン監督による1987年の大ヒットSFアクションをリブートしたアクション大作。主演はスウェーデン出身の若手ジョエル・キナマン、共演にゲイリー・オールドマンマイケル・キートンアビー・コーニッシュ


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シリーズ再始動──いわゆるリブートものが大流行の昨今だが、よもやロボコップまでもがその対象になろうとは、企画の噂を聞いた時点でも信じられなかった。オリジナルの作品そのものはとても面白くて完成度も高いのはご存知のとおりだけれど、リブートに当たって「どっしりと構えた重量感のあるゆるやかなロボコップの動きを今日向けにどのように味付けするのか」「忠実なリメイクにするのか、それとも大幅に改変するのか」などなど、期待半分不安半分で劇場に出かけた。

蓋を開けてみると、一定以上の水準に達した面白いエンタテインメントとなっていてひと安心。アクション・シーンは今日日のアクションゲームを思わせるスピーディな迫力に満ちたものになっていたし、ロボコップや巨大警官ロボットED-209のデザインやロケーションの雰囲気など、オリジナル版の持つヴィジュアルをきちんと現代風にアレンジされており、まったく見劣りしない。そして興味深いのが、本作が「ロボコップ」というキャラクターをほぼ逆のアプローチで描くことを試みている点だ。


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オリジナル版では、受難の果てに磔刑に処せられたキリストが復活したように、殉職してロボコップになってしまったマーフィが自身のアイデンティティを取り戻していく、という物語が語られる*1

一方、今回のリメイク版では、瀕死の重態を負ったマーフィがいかにロボコップになっていくかに重点を置いた物語が語られる。リメイク版ではマーフィは死なず、あくまでロボット部分は彼の義体という扱いだ。だからむしろ、オリジナル版ではほぼ完全にオミットされていた、ロボコップをどのようにして作るのか、あの装甲の中はどうなっているのか、といったわれわれが知りたかった設定面を重点的に語り、そして、そんな身体になってしまったマーフィというひとりの人間の成長譚として、物語が構成されている。

オリジナル版と本作とのキャラクター配置でもっとも異なるのが、劇中でロボコップを製作するデネットノートン博士*2ゲイリー・オールドマン)の存在だろう。彼はいわば、死体を繋ぎ合わせて人造人間を創り上げたフランケンシュタイン博士であり、彼に機械の部品を繋ぎ合わせて創られたマーフィ=ロボコップは「怪物」である。劇中、ノートン博士がマーフィの全身を覆う装甲を取り払って彼の寸断された身体を鏡でまざまざと見せ付けるシーンは、怪物が水面に映ったつぎはぎだらけの身体を見つめるシーンを思い出さずにはいられない。オリジナル版においてキリストの化身でもあるロボコップ=マーフィが、あくまで彼(とその世界)を取り巻くオーダー(命令/秩序 order)のなかで最大の敵を倒したとの反対に、本作におけるマーフィ=ロボコップが、オーダーから逸脱するかたち(彼の怪物的なまでに強靭な精神力)で最大の敵を打倒しえたのは、このあたりの差が絡んでいるのかもしれない。


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本作とオリジナル版でもうひとつ手触りの大きく異なる部分がある。それはブラックな笑いの扱い方だ。

まずは暴力描写。

オリジナル版では、銃撃で腕がはじけ飛んだり、産業廃棄物を浴びてドロドロの怪物になった悪漢を車で弾き飛ばすといった過剰な暴力描写がある種のギャグとして用いられているし、さらに巨大警官ロボットED-209が「グルルル」とライオンのようにうなったり、その巨体ゆえに階段で足を踏み外して転んだ挙句に「起きられない、ヤダヤダ」と身をよじらせるといったドジっ子描写も完全にスラップスティック・コメディとして演出されている。

一方、本作では、先述のようなTVゲームを思わせる演出もあってか、かなりクリーンな印象だ。本作のロボコップの銃は、実弾と電気ショックを使い分けることができるものなのだが、画面では果たして実弾を使って人を殺しているのか、それとも電気ショックを与えて気絶させているのかの区別がつきにくくなっているのも、その印象を強めている一因だろう。また、ED-209もやはりよく出来たマシンであり、動きもスピーディで団体戦を組んだりするなど、非常にかっこよくはあるが、笑いは観客に与えてくれない。



もちろん本作にもブラックな笑いの要素はある。では、それがどこに現れているかといえば、オリジナル版にもあったニュース映像だ。

オリジナル版では、本編の合間合間に当時のレーガン政権をおちょくったニュース映像やコマーシャル*3が差し挟まれる。同じく本作にも、現在のアメリカで放送されているタカ派ニュースの筆頭「FOXニュース」を思わせるワイドショーが挿入される。その人気キャスターを演じるのが天下の“マザーファ○カー”演説人サミュエル・L・ジャクソン。彼がほぼひとり芝居を見せる“都合のいいこと”しか伝えない偏向メディアの実態をおちょくる部分が、本作のブラックな笑いを一点に担っているため、若干のバランスの悪さを感じなくはない。


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しかし、その分マーフィ側のドラマ部分が増え、過去から現在に至るまでの医療問題に関するメタファーとして描かれるなど、観客の感情移入を誘いやすいキャラクターとして設定されている分、ドラマへの没入度は本作のほうが高いといえるだろう。なんにせよ、質の高いリブートものが続く現在、新たな傑作シリーズを予感させる本作。ぜひ劇場でご覧ください。

*1:町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本 80年代アメリカ映画 カルト・ムービー篇 ブレード・ランナーの未来世紀』洋泉社、2006年、203-220頁を参照。

*2:おそらく彼の名前は、ロボットにおけるフレーム問題などの議論で知られる哲学者ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942-)からとられている。

*3:核戦争ゲームのCMが最高だ。