『アナと雪の女王』(2D日本語吹替え版)感想

クリス・バックジェニファー・リー監督。アンデルセンの『雪の女王』をモチーフに描くディズニー製作CGアニメーション。アレンデール王国の王女エルサとアナは仲良し姉妹で、姉エルサには触れたもの何でも凍らせる魔法の力があった。あるときエルサは魔法で誤ってアナを命の危険にさらしてしまい、それからというもの、その魔法を隠すべく、部屋に閉じこもってしまう。時が流れ、国王夫妻が不慮の事故でこの世を去ると、エルサに王位継承の日がやってきた。美しく成長した彼女は、新女王として戴冠式に臨むが、力を制御できずに真夏の王国を冬に変えてしまう。エルサは城から逃亡し、雪山に氷の城を築いて“雪の女王”となり、氷の世界でそれまで抑え込んでいた本来の自分を解放していく。アナは、エルサに魔法を解いてもらうべく、氷の売買で生計を立てる青年クリストフとトナカイのスヴェンの助けを借りて氷の城へ向かうが……。


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とにかく映像がすごい!──と、ここのところCGアニメーション映画を観るたびに思わされるのだけれど、本作もすごかった。なにがすごかったといえば、原題“Frozen”がまさに象徴するように、氷と雪の質感表現だ。

本作は、湖を厚く覆った氷を鋸で切り出すというシーンから始まるが、ここで描かれる水濡れた氷の表面であるとか、太陽の光を透かして見える氷越しの映像とか、本当に冷たそうな実在感のある表現に、冒頭からして度肝を抜かれる。また、エルザが魔法によって作り出すいわば人工的な氷細工としての映像表現も素晴らしく、彼女がアカデミー歌曲賞を受賞した「レット・イット・ゴー」を歌いながら氷の城を作り上げてゆくシーンは、その氷の城に彼女の高揚感と物悲しさが同時に表されていて見事というほかない。



雪の質感表現にしても見事で、何より驚いたのが、衣服に着いた雪の表現。あのちょっとやそっとじゃ取れなさそうに見える雪の加減が本当にリアルだった。もちろんこのリアルな質感も、あくまでちゃんとアニメーションとしてのリアリティ・ラインに寄り添っているところがミソで、そのバランス感覚もまた素晴らしい。

クライマックスで描かれる、エルザの魔法の暴走によって町から港から海面から帆船から何もかもが吹雪に覆われながら凍りついてゆくというヴィジュアルの迫力も凄かった。かつて『スチーム・ボーイ』(大友克洋監督、2004)にあったロンドンの街やテームズ川が凍りつくシーンにも驚いたけれど、その10年越しのアップデート版を観られた気がしてとても大満足だ。


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雪といえば、中盤から登場する雪ダルマのオラフが超可愛いんだ。「あのねー、ぼくねー」と幼児語的な台詞をオッサン声*1でしゃべりながら、本作のコミックリリーフ的役割を一身に担って大活躍するという、くまのプーさんと『スター・ウォーズ』プリクエルに登場するジャー・ジャー・ビンクスを足して2で割った(微妙に伝わりづらい喩え)ような彼のキャラクターが、もうオイシイし可愛い。

ただ、オラフも単に客寄せパンダとして映画に登場しているのではなく、きちんと物語上の意味があるところがまた素晴らしい。彼は単にお馬鹿キャラではなく、本作中でもっとも重要視されるテーマ「真に利他的な行動ができるものこそ尊い=愛」を体現しているキャラクターでもある。絶えずアナたちを励ましたり、凍えるアナを自らが解けそうになるのも構わずに暖炉の側に連れて行ったりと、彼がとる行動のひとつひとつはどこまでも純真で利他的だ。



それは、オラフがエルザの良心の分身だからにほかならない(そして、エルザの魔法は、もちろん彼女の心の象徴だ)*2。オラフが幼児的な口調なのは、冒頭に描かれるように、オラフはかつてエルザが幼い頃にを魔法で何度も作って(このときには、ただの雪ダルマ)はアナと遊んだから──強いていえばイマジナリー・フレンド──だし、オラフがどこまでも利他的な振る舞いができるのは、そもそもエルザが魔法をひた隠しにしていた理由こそ「自分の魔法で誰かを傷つけたくない」という利他的なものだからだ*3

そして、魔法を隠すために部屋に閉じこもるしかできなかったエルザは、雪ダルマゆえに冬にしか生きられず、しかし夏に憬れるオラフの姿に重なるだろう。ことほど左様にオラフはエルザの善の部分であり、大団円を迎えたあと──冬が終わり夏が舞い戻ったあと──にもオラフがある方法で生き続けられるという展開は、エルザの心に平穏が戻ったことを表している。


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アナ王女と聞けば、かつてオードリー・ヘップバーンが『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー監督、1953)で演じた同名キャラクターを思い起こさずにはいられないが、なるほど本作のアナもまた、城の外に出たことがないゆえに外の世界と自由に憬れる奔放なキャラクターとして登場する。おてんばで世間知らずで、パッと出会ったイケメン王子にコロッと惚れちゃって「わたし、この人と結婚する!」と唐突に言い出して姉エルザイラつかせて、彼女が必死に隠し続けた魔法を解放してしまうという、ディズニー・ヒロインでも類を見ない奔放さ*4が可笑しい。


◆以下、クライマックスに関するネタバレが若干あります◆


ヘタをすると、ものすごくイヤなキャラクターになりそうなところを、物語をグイグイ引っ張ってゆく行動力と過剰すぎないコメディエンヌ演出で魅力的にみせてしまうところはさすが。本作は、アナがこの幼児的な純真さゆえに持ち合わせてしまっていた「利己的なふるまい」に気づき、そこから成長する物語でもある。だからこそ物語を締めるのが、王子様とのキスで証明されるようなディズニー的な愛ではなく、姉に振り下ろされる刃の前にその身を盾として差し出すという利他的なふるまいなのだ。


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ただ、現状のクライマックスでも十分に感動的なのだが、もう1ロジック欲しかったなァというのが正直なところだ。ちょっと性急な印象はいなめない。やはりクライマックスに至るどこかで、アナには忘れていた過去の記憶を思い出して欲しかった。

冒頭の子ども時代のシーンで、アナにせがまれて魔法で雪を降らせて遊んでいたエルザは、誤って──というか、高所から落ちそうなアナを助けるためにやむを得ず──妹に魔法の氷を当ててしまい、アナは瀕死の状態になる。アナは、トロールたちの応急処置によって一命を取り留めるが、そのためにエルザが氷の魔法を使えることの記憶をすべて失ってしまう。成長したアナのエルザに対するどんかんさは、エルザが魔法を使えることを忘れ、そしてエルザがその魔法から国や人々、誰よりもアナを守るために外との接触を避けるようになったことを知らないからである。



エルザに魔法を解いてもらうべく、彼女の閉じこもる氷の城に向かうというのが、アナの辿る中盤の冒険だが、ここでの彼女の行動原理というか成功への確信が「お姉ちゃんなんだからわかってくれる」というものだし、エルザが怒ったのも「自分が急に結婚するとか言い出したから」くらいにしか思っていないのだ。だから中盤、氷の城の中でアナがエルザの説得に失敗するわけだが、その後もアナの認識はそんなに変わらない。

そうではなく、姉エルザのことについて自分はなにもわかっておらず、それゆえにエルザを苦しめていたことに気づけば*5、よりラストのアナの行動に説得力が増すと思うのだけれど、どうだろうこのアイディア。


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とはいえ、そんなところはそのじつ細かい部分。ほかにも書き切れない多くの面白さと楽しさに満ちた映画体験ができるはず。ミュージカル演出も、ここのところでは1番の出来だし、最近のディズニーの巻き返しはすごい! ということで、ぜひ劇場でご覧ください。

*1:吹き替えはピエール瀧! えっ!?

*2:反対に、エルザが作り出す巨大な雪の怪物“マシュマロウ”は、彼女のダークサイドの象徴だ。

*3:その抑圧ゆえに魔法はどんどん暴走してしまうわけでもあるが。

*4:寝癖で髪の毛ボッサボサで、よだれまで垂らしている衝撃の初登場シーンには驚いた。

*5:『ももへの手紙』(沖浦啓之監督、2012)における、ももの「わたし、お母さんのこと全然わかってなかった」的な気づき。