2014年鑑賞映画 感想リスト/41-50

モンスターズ・ユニバーシティ』……ダン・スキャンロン監督。怖がらせ屋になる夢を叶えるべく名門モンスターズ・ユニバーシティ怖がらせ学部に入学したマイクだったが、「あなたには才能がない」からと学部長から学部を追放されてしまう。彼は怖がらせ学部復帰のため、ある事件を原因で同じく学部を追放されたサリーと共闘することになる──ピクサー製作『モンスターズ・インク』(ピート・ドクター監督、2001)の前日譚。あれだけ面白かった前作の、しかも前日譚ということで、いささかいぶかしんでいたのだけれど、こちらも傑作だった。前作が公開されてからの10年の間に進化したCG技術──とくに質感表現──には目を見張ったし、嫌味な花形学生や、マイクたちダメ学生など、主役から脇役に至るまで、登場するモンスターたちそれぞれのキャラクターの描きこみも楽しい。そして、なによりも夢と現実との間で葛藤するマイクたちを描く細やかな演出が見事だ。しかも「夢が叶いました」という安易な結論ではなく、むしろふたりがきちんと挫折するというのをクライマックスに描いてみせたことが素晴らしいし、それでもなお「そこが終着点じゃないんだよ」と諭すような、ささやかなエピローグ部分と合わせて、これまでのピクサー作品のなかでもかなり誠実なメッセージを示しているのではないだろうか。素敵な作品だった。


『ブルー・アンブレラ』……サシュカ・ウンゼルト監督。『モンスターズ・ユニバーシティ』の前座として同時上映された短篇。実写映像をベースに青い傘と赤い傘の淡い出会いを描く。現実世界のなかにアニメーションとしてのマジックを埋め込んで、その飛翔が生み出す奇跡を描くという展開から、『シュガー・ラッシュ』(リッチ・ムーア監督、2012)の前座だった短篇『紙ひこうき』(ジョン・カース監督、2012)と非常にテーマが類似していることに驚いた。ディズニーにせよ、ピクサーにせよ、それを支えるクリエイターたちはいま、自身が携わっているアニメというメディアについて自覚的に見つめなおしているのだなぁ。しかし、側溝やら看板やらはそれを形作る部品で顔を作っているのに──今敏が『東京ゴッドファーザーズ』(2003)でやったように──傘には顔を描くンかい、という突っ込みは入れざるをえない。


ロボコップ』(2014)……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140322/1395459574


『暗殺の詩/知りすぎた男どもは、抹殺せよ』……ロベール・アンリコ監督。重大な国家機密を知ったために逃亡する男は、山村に住む作家夫婦に助けられるが──保安機関に追われる3人の姿を描くサスペンス。とても恐ろしい映画だった。というのも、本作は途中から誰ひとりとして登場人物を信用できなくなるからだ。本当にコイツは真実を口にしているのだろうか、彼はああ言っているがしかし──といった疑念が終始、画面に植えつけられる。ようやく映画の終幕という光が見えたと思った矢先に明かされる本当の真実には、それを映すスローモーションの無常な映像も相まって、ゾッとする。エンニオ・モリコーネによる楽曲も美しい1作。


アナと雪の女王』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140323/1395576224


『LIFE!』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140405/1396690928


リアル〜完全なる首長竜の日〜』……黒沢清監督。浩一は自殺未遂を起こしてこん睡状態にある恋人・淳美を目覚めさせるため、“センシング”と呼ばれる精神感応装置によって彼女の意識化に入り込むが、次第に彼の日常にありえないものが入り込み始める──乾緑郎による小説『完全なる首長竜の日』を大胆にアレンジしたミステリィ。原作をたまたま読んだ矢先に映画化の予告を観て、黒沢清監督とひっそりクレジットしてあったことがストンと腑に落ちたことが印象に残っているが、劇場で観損ね、ようやっとソフトで鑑賞。前半部における、異物が日常にそっと入り込んでくるギョッとする編集とか、ありえない光源によって影がグゥーッとうねるあの不穏な空気感がもう、恐ろしい。あと、マネキンのようなといおうか、その人物の平均値だけで姿が構成された「フィロソフィカル・ゾンビ」が醸す、不気味の谷にまっさかさまに突き落とされそうな奇妙さも『回路』(2001)に登場した幽霊を思わせて不穏。映画のオリジナル要素がグッと強まる後半部は賛否両論のようだけれど、そこに登場する“三途の川”は好きだし、ちょっと拍子抜け感はあるものの、そこはそれ子ども時代のトラウマなんてって感じで妙にリアルにも感じられたし、面白かった。不思議な映画である。


ル・コルビュジエの家』……マリアノ・コーンガストン・ドゥプラット監督。クルチェット邸に家族と暮らす世界的デザイナー・レオナルドだったが、あるとき隣人ビクトルが窓の向かいの壁に勝手に窓を作り始めてしまう──という不条理コメディ。画面内で起こっていることは非常に地味なもので、レオナルドとビクトルが「窓作りたいんだけど」「ダメ」「大きさを小さくするからさ」「なら俺はいいと思うけど」「じゃそうする」「ごめん、カミさんがダメだって聞かない」なんていう会話を、あるときは窓越しに、あるときはドア越しに、あるときは直接会って延々やるだけの映画なのだけど、これがなんと面白い。最初こそ、主人公であるレオナルド一家に同情的に映画は始まるが、時間が経つにつれて、彼らの言い分だけが本当に正しいのだろうか、という疑問を観客に投げかけ始める。単に隣人トラブルを描いた話に見えて、その実、人間やコミュニケーションについての普遍的なテーマにさえ到達してしまっている。すごい。それにしても、本当に忘れていた、というか伏線とは思ってもみなかった伏線を鮮やかに回収してみせるクライマックスには舌を巻いた。


『レジェンド・オブ・トレジャー/大武当 失われた七つの秘宝』……パトリック・レオン監督。1910年代、500年に1度の武術大会に参加しながら、山に隠されている七つの秘宝を見つけ出すために武当山を訪れた考古学者・唐雲龍と娘の唐寧だったが、秘宝を探しているのは彼だけではなかった──世界遺産として知られる武当山を舞台にした冒険活劇。壁やら柱やらをドカン! バカン!──と景気よく壊しながら展開されるカンフー・アクションは愉快だったし、全篇に散りばめられた数多のアクション・シーンに必ずひとつはオッと思わされる殺陣があって、見応えあり。ただ悲しいかな、お話のほうがちょっと雑。全体がいなたいコメディ&メロドラマ調なのはまだしも、後出しされ続ける設定には「なんか前振りないの?」と突っ込みたくなるし、宝もいとも簡単に手に入るので登場人物から「あっさり手に入って、なんだかおかしくネ?」といわれる始末。だから、あんまりアクションが感情的なカタルシスに繋がらないのが惜しい。とはいえ、本作最大の見所のひとつは、主人公の娘を演じたシュー・チャオ。誰かと思えば『ミラクル7号』(チャウ・シンチー監督、2008)でシンチーの息子──『ミラクル7号』では、子どもの登場人物はみな、役と演者の性があべこべにキャスティングされている──を演じた女の子で、本作ではすっかり美少女に成長していてビックリ!


セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋』……ウェイ・ダーション監督。1930年、日本統治下の台湾で起こった先住民セデック族による抗日暴動「霧社事件」を描く。素晴らしく面白く、そして凄まじくショッキングな映画を観た。暴動の裏にあったであろうセデック族と日本人の被征服者と征服者という確執、そしてそれ以上に、両者の決して相容れない文化的衝突──とくに、その死生観の差──をまざまざと見せつけられる。全篇をとおして徹底される凄惨な暴力描写がそれを力強く描ききっていて圧巻だ。また、本作が見事なのは、作り手の視点が歴史に対してフラットであることだ。ハリウッド映画において何の説明もなしにナチスソ連を「敵」にできるように、アジア圏においては旧日本軍を「敵」とするジャンルが定着しているのは周知のとおりだが、本作においても、日本側を徹底的な悪としてだけ描くことはできたはずだ。にも関わらず、本作はそれをしていない。セデック族には彼らの道理があるし、日本側もそうである。セデック族にも日本に倣って文明化すべきだと考える者もあれば、セデック族に理解を示そうとする日本人も登場する。征服者・日本に対するカウンターである霧社事件そのものも、決してファンファーレの鳴り響く華やかなものとは演出されていない。どちら側にも振り切らないよう、ギリギリのバランスをなんとか保とうとしていることが、本作を単なるエンタテインメントとして歴史に埋もれない傑作としているのは間違いない。台湾人俳優、日本人俳優ともに素晴らしい演技を見せてくれる。「第一部」「第二部」を合わせて約270分の長尺だが、それも必然の大作だ。僕がいうまでもなく必見。

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