2014年鑑賞映画 感想リスト/51-60

オーガストウォーズ』……ジャニック・フェイジエフ監督・脚本。別居中の夫のもとに出かけていた幼い息子チョーマが紛争に巻き込まれたことを知った母クセーニアは、息子を救うために単身戦地へと向かった──2008年8月に起こった南オセチア紛争を舞台にしたアクション。ロボットと怪獣が戦う『パシフィック・リム』(ギレルモ・デル・トロ監督、2013)公開時に“ロシア版”的な紹介をされていたように記憶していたけれど、実際にはかなり趣を異にする作品だ。トランスフォーマーに出てきそうなロボットはたしかに登場するが、これは幼いチョーマが思い描いた空想の産物。日々の暮らしや物語後半での戦場といった“厳しい現実”から心を守るための逃避の産物として描かれており、たとえば敵戦車がチョーマの目にはおぞましいロボットに見えたりする。ロボットを画面に登場させるギミックとして面白いのはもちろんのこと、これを主人公である母クセーニアの物語にきっちりと絡めてくるところが巧い。本作の物語は、その若さゆえにちょっとフワフワしていたクセーニアが、息子を救い出すために単身戦地に向かうという“地獄巡り”を経て成長を果たすというものだが、クセーニアがチョーマの見ている──ロボットが出てくる──世界観を共有できるようになることが、そのひとつのキィになっている。母子が世界観を寄り添わせたとき、ふたりはそろって成長を経るという展開が感動的だ。また、本作の見所のひとつである戦闘シーンの描写は、ロシア軍が完全協力したというだけあってリアリスティックかつ迫力満点で、これまで戦争となんの接点もなかった人間の目に映る超現実的な“異界”描写としても見事なシーンが続出する。不思議だが、とても新鮮な切り口の戦争映画だった。おすすめ。ちなみに本作を観る前に『恋人達の予感』(ロブ・ライナー監督、1989)を観ておくといいかもしれません。


『アップサイドダウン 重力の恋人』……フアン・ソラナス監督。2重引力によって社会が文字どおり上下に別れた世界を舞台に、貧しい下層世界に暮らすアダムと豊かな上層世界に暮らすエデンの恋を描くSF映画。空を見上げると別世界が拡がっているというアイディア──厳密に考えると突っ込みたくなる部分もあるはあるけど──や、そこで展開される純愛物語と、なんとも梶尾真治の書く小説のような味わいがとても魅力的な1本。両世界を繋ぐビルを持つ巨大企業“トランスワールド社”のオフィス“0階(重力の境界にあるオフィス)”の床と天井があべこべになっている画や、そこで交わされるやりとり面白いし、2重引力があるゆえの生活感のディテールも観ていてとても楽しい。主人公のアダムは上層世界にいるエデンに出会うために、後に世界を変革するある発明を研究しているが、物語のラスト近くからは若干その部分が弱くなっているというか、ちょっと他力本願な展開になっているところに少しばかりの物足りなさを感じなくはない。しかし、2重引力世界の画的な面白さを十分に堪能させてくれる、繰り返すが魅力的な作品だ。


クロユリ団地』……中田秀夫監督。家族とクロユリ団地に越してきた明日香は、団地内でひとりで遊ぶ少年・ミノルと出会うが、その夜から彼女のまわりで不可思議な現象が起こり始める──前田敦子成宮寛貴主演のホラー映画。予告などではしっかり“Jホラー”として宣伝されていたが、本編を観てみるとどちらかというと怪奇映画を思わせる雰囲気──とくにクライマックスにおける極彩色な照明効果が顕著な例──で、「振り向いたら幽霊がっ!」という画としての驚かせ、ないし恐怖というシーンはむしろ少ない。しかしながら、展開される物語がじつに凶悪で、かつ思いがけないどんでん返しもあったりして、面白くもジワリジワリと残酷なまでに観る者の心を抉る脚本が見事だ(ちょっと『ぼくのエリ〜200歳の少女〜』っぽく物語が進んでいたから余計にもうあの展開ったら……)。すべての発端がその人物の善意であり、しかもそれゆえに呪いが伝播してしまうという展開がやるせないし、物語としては一応の解決はみるものの、果たしてそれが本当に当人の救いになったのかどうか──と、複雑な心境にさせてくれる。ヒロインを演じた前田敦子の演技も素晴らしく、後半にある狂気すら感じる瞳は強烈な印象を残す。たいへん面白かったです。


ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団〜はばたけ天使たち〜』……寺本幸代監督。家に突如として電送された巨大ロボットを組み立てたのび太ドラえもんは、それをザンダクロスと名付けて喜ぶが、その背後には謎の少女リルルの姿があった──以前にも映画化された『のび太と鉄人兵団』(茂山努監督、1986)のリメイク作品。原作漫画やオリジナル版でも描かれた、侵略SFをベースに人間の負の歴史を辿り、他者への思いやりや想像力を描いてみせるというテーマ。このテーマにより焦点を絞ってよりブラッシュアップされた脚本や演出、今日のアニメーション技術向上による画としての迫力や面白さによって、ハッキリと作り手たちがより良い映画にしようとした意図が垣間見える部分が多く、見事と呻らされる場面が沢山あった。たとえば、しずちゃんが出会う人形のくだりとか、アクションシーンの躍動感とか、ラストシーンに映る空が曇り気味であるとか……。ただ、それだけに日常に忍び込む非日常というサスペンスを削ぐファースト・ショットの蛇足感や、「ジュド」というボールのようなAIに追加された設定*1の台無しさ加減が、勢い目立つ格好になってしまっているのが非常に残念だ。また、原作漫画にはなくオリジナル版で追加されたある台詞を、今回またオミット──あるいは原作に準拠してか──しているのがちょっと物足りないし、今作のサブ・タイトルの効果が半減してやいまいか。けれども、観るべき部分はとても多いリメイク作品だった。


SAFE/セイフ』……ポアズ・イェーキン監督、マフィアに妻を殺され生きる気力を失っていたルークだったが、同じくマフィアに追われる少女メイを助けたことから、生きる気力を取り戻していく──というジェイソン・ステイサム主演のアクション映画。ゴリゴリとけっこうえげつないアクションシーンが続く代わりに、主人公ルークがわりと頭脳派で、追いすがるロシアン・マフィア、チャイニーズ・マフィア、そして悪徳警官チームのそれぞれを言葉巧みにかいくぐりながら、その3者を壊滅寸前にまで陥れていく展開が面白い。ただ、なんにせよ寸前ってところでいろんなことが終わってしまう映画なので、リアルさはあるが、ちょっとカタルシスに欠ける不完全燃焼感もなくはなかったり(とはいえ、悪人は皆きれいさっぱり懲罰となると007映画とかになってしまうので、仕方なし)。ルークが殺された妻を見つけるシーンを死体抜きで描いてみせたりだとか、少女メイが白昼の町中でいきなり強奪されるシーンを彼女目線で描いたりだとかのシーンは、とても見応えあり。


『TRAIL』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140429/1398748784


『波止場』……エリア・カザン監督。港町を牛耳る組合の下で無気力に生きるだったテリーが、とある事件に関わってしまったことで、生きることを見つめ直してゆく姿を描く。社会/世間を支配するルールに無自覚に──あるいは無自覚な振りをして──、それが善いものだろうと悪いものだろうと従うべきという同調圧力に抑圧され続けてきたテリーの姿は、心にグッと重くのしかかってくる。本作における波止場の姿は、まさしく社会そのものを意味しているが、赤狩りの時代に作られた作品でもある(当時、仲間を売ってしまったカザン自身の懺悔のような意味合いもあったのかもしれない)ことから、行き過ぎた自由主義ファシズムという究極の同調圧力に到達してしまうことを赤裸々に、重々しく描き出す。そんななかで、テリーがその同調圧力に気づき、波止場のために、そして彼自身の魂のために闘いを挑んでゆく姿は感動的だ。テリーが人々を引き連れて、暗い工場の建物のなかに消えてゆくラストもまた、とても印象的だ。


『ボルサリーノ』……ジャック・ドレー監督。1930年代のマルセイユを舞台に、義兄弟の契りを結んだフランソワとロッコがギャングとしてのし上がってゆく姿を描く、ジャン=ポール・ベルモンドアラン・ドロン主演のギャング映画。ホンキー・トンクで奏でられるメイン・テーマのようにカラッと軽妙な雰囲気が楽しい。冒頭で描かれるベルモンドとドロンの長い長い殴り合いや、中途で描かれるライバル魚市場の評判ガタ落ち作戦なんてものは、子どものイタズラと見紛うばかり作戦の微笑ましさがいい雰囲気で、「仲良くケンカしろ」ってのは、こういうことなのかしらんと実感した。そして、後半になるにつれて少しずつ暗鬱なトーンになってゆき、悲劇的な結末を迎えるというバランスも好み。ラスト間際で交わされるベルモンドとドロンのやりとりに男泣き!


『ザ・マスター』……ポール・トーマス・アンダーソン監督。第二次世界大戦終結後、国内を放浪していたフレディ・クエルは、カルト的人気を得始めていた宗教家ランカスター・トッドに出会って彼の思想に傾倒するが、組織の巨大化と共にクエルは師の言葉を疑いはじめる。怒りをコントロールできないフレディが、ランカスターと出会い、そして別離する道程を淡々と描く本作は、とても不思議な作品だった。社会に居場所を失ったフレディが、ランカスターを師とする新興宗教団体“ザ・コーズ”を疑似家族としていくような描写や、自分の許を去るフレディにランカスターがラブソングを贈るシーンなど、自分と他者という人間関係の難しさやいたたまれなさが、なんともいえない感慨を残す。


『ブギー・ナイツ』……ポール・トーマス・アンダーソン監督。ディスコの皿洗いだったエディは、その巨根を見抜いたポルノ映画監督のジャック・ホーナーにスカウトされ、俳優としてデビューするが──1970年代後半から1980年代のポルノ映画業界を舞台に描かれる人間ドラマ。冒頭で家族に勘当されてしまう主人公エディが特にそうであるように、社会からさまざまに阻害された人々が監督のジャック・ホーナーを中心として疑似家族を形成している。撮影スタジオからジャグージーまでなんでもござれと揃っているホーナーの家は、さながら『ハウルの動く城』(宮崎駿監督、2004)に登場する城のようだ(製作された順序は前後するが、お話としても映画版『ハウルの〜』を思い出す部分が多かった)。時代の流れを、その年々を彩った音楽で表現するという演出も見事。時の流れに押され、一旦は離散しかけたファミリーが、また回復の兆しを見せていくラスト──ここであえてビーチボーイズの「神のみぞ知る」を流す演出も含めて──がとても感動的だ。翻って『ザ・マスター』も核は同じだったのではないかと、なんとなく腑に落ちた。

60

*1:名前をピッポに当人が望まないのに無理やり改名するくらいなら、最初からピッポとして登場させればよかったのではないか。そうすれば逆に、彼が口汚くグズる様子を見たのび太たちが「名前のわりには可愛くない」といったギャグにもできたろうに。