2014年鑑賞映画 感想リスト/61-70

『グランド・マスター』……ウォン・カーウァイ監督。詠春拳の使い手イップ・マン(葉問)を中心に、時代に翻弄された武道家たちの邂逅と彷徨を描く。カーウァイ監督だけに、普通のカンフー映画にはならないのだろうなと思っていたけれど、良くも悪くもその予感は当たった。アクション・シーン自体は豊富に用意されていて、それこそ予告などではそれが主軸のように扱われていたけれど、むしろ本作の主軸はイップ・マンやルオメイ、カミソリといった武道家たちが交錯する愛憎劇で、広い意味での恋愛映画と見ることもできるだろう。ただ、ちょっとそのキャラクター同士の関連性があまりに希薄で、映画全体が散漫になっているのは否めない。そのぶん余計にアクション・シーンが浮いてしまっていて残念だ。たとえば『恋する惑星』(同監督、1994)ならそれぐらいの按配がむしろ良かったのだけれど、相性が悪かったのかなぁ。


ガーディアンズ 伝説の勇者たち』……ピーター・ラムジー監督。悪夢の精霊ピッチ・ブラックが復活し、子供たちの世界が闇と恐怖で支配しようと復活した悪夢の精霊ピッチを倒すため、ノースやバニーらガーディアンたちが集結したが、そのなかには、子供たちに自身の存在を信じてもらえず孤独に暮らす霜の妖精ジャック・フロストの姿があった──ウィリアム・ジョイスによる“The Guardians of Childhood”をドリームワークスがCGアニメ化した作品。サンタクロースやイースターバニー、砂男に歯の妖精たちが徒党を組んでブギーナイツと闘うという設定が面白いし、孤独を抱えたジャックが自分の居場所を見つける旅としてのストーリーをはじめ、キャラクターたちに現代的な掘り下げが加わっているのも好印象。疾走感あふれるアクションシーンも楽しい。ただ、ちょっと脚本が弱い。とくにジャックの成長葛藤の部分がスイスイ進みすぎていて、ちょっと感動が薄らいでいるのが残念だし、明らかに彼のダークサイドとして登場するピッチとの対比ももっと盛り込めたのではなかろうか。それにしても、現代が舞台だからか、それとも製作総指揮にギレルモ・デル・トロがいるからか、ナイトシーンがファミリー向け映画とは思えない暗さで驚いた。


エルム街の悪夢』……ウェス・クレイブン監督。殺人鬼フレディの悪夢に悩まされるナンシーだったが、やがて彼女の友人たちが謎の死を遂げてゆき、彼女は眠るのを恐れるようになるが──鋭い鉤爪が印象的なフレディ登場第1作。夢が現実を浸食するというフレディのキャラクター造型が素晴らしいし、彼のことを見ざる、言わざる、聞かざる、そして寝ざると抑圧すればするほど強力になってゆく展開も、彼がイドの怪物めいていて興味深い。彼の姿は夢を見ている当人にしか見えないため、その当人が現実世界でむざむざ殺されるシーンはフレディの姿なしに展開され、なおかつ物理法則を無視した──たとえば被害者が宙を舞いながら切り刻まれるとか──トリッキーな演出が施されているのが面白い。まさしく夢の世界。ピキュンパキュンと響くシンセサイザーサウンド全開の劇判もキャッチーで耳に残る。


(…中略…)


エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』……ウェス・クレイブン監督。第1作のヒロイン「ナンシー」を演じたヘザー・ランゲンカンプにクレイブン監督から『エルム街〜』シリーズ新作への出演依頼が来るが、そのころ彼女のまわりでは、まるで「フレディ」を思わせるような怪死事件が続き、しかもそれはクレイブンが書きつつある脚本をなぞっていた──シリーズ7作目にして番外編。TBSラジオライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』内で放送された三宅隆太監督による特集「ぶっちゃけ6も好き、なんなら7も好き」で紹介されていた本作をどうしても観たくなってしまい、自分の不勉強さを棚に上げて「1」から一足飛びに本作を観るという、あるまじき愚行を敢行。というわけで、さっきの「中略」は真っ赤なウソです、スミマセン(いずれ追いかけます)。本作は、ランゲンカンプをはじめ、1作目に関わった多くの人物が本人役で登場し、映画のなかのフィクションのはずのフレディが現実を侵食するというメタ・フィクショナルな構成が興味深い。そのアイディア自体も面白いが、本作はさらに踏み込んで、神話にせよ御伽噺にせよ、そして映画せよ、なぜ人が古来より恐ろしい物語(ホラー)を語り続けてきたのか──というジャンル論にまで展開する。劇中、ランゲンカンプが恐ろしい魔女が姉妹を陥れようとする「ヘンゼルとグレーテル」を繰り返し聞きたがる幼い息子ディランに「なんでこんな怖いお話がいいの?」と問うように、「なんでホラーなんか」と思われる方も多いだろうし、ホラーが苦手な僕もその問いはいつも浮かんでくる。本作はそれに「真に邪悪な恐怖が目覚めさせないために、それを少しずつでも語り続けなければならないからだ」と力強く答えてみせる。“邪悪さ”や“恐怖”そのものの象徴として登場するフレディを、ランゲンカンプはナンシーを自ら演じる──語りなおす──ことで鎮める。この回答は、ホラーというジャンルだけに留まらない示唆に──劇中、クレイブンが脚本に「それはナンシー“人生”のように」と書き表すように──満ちているようで感動的だ。どんなことでも、「抑圧」ばかりでは意味がないのだ。


ディクテーター 身元不明でニューヨーク』……ラリー・チャールズ監督。北アフリカのワディヤ共和国を統治する独裁者アラジーン将軍は、核開発について弁明するべくニューヨークに赴くが、何者かに拉致され、身元不明者としてニューヨークを彷徨うことになる──サシャ・バロン・コーエン主演の社会派コメディ。独裁者で人種差別主義者、性差別者、そのうえ底抜けのバカというポリティカリー・コレクト的にまったくひとつもこれっぽっちも正しくないアラジーン将軍の姿はあまりの不快さゆえに愉快だが、彼の姿は一方で身につまされるものがある。だって、思い返せば僕も少なからずそういう負の感情は持ち合わせているから。そんな将軍が、彼に唯一やさしくしてくれた博愛主義者ゾーイとの出会いによって少しずつ変わり、彼女を民主主義になぞらえた演説をかますクライマックスは感動的だ。タイトルからもわかるとおり、物語の大筋はかつてチャップリンが撮った『独裁者』(1940)をもとにしているが、それに勝るとも劣らない名演説だ。


自転車泥棒』……ヴィットリオ・デ・シーカ監督。戦後直後のイタリアを舞台に、親子が仕事にどうしても必要なのに盗まれてしまった自転車を探す姿を描く、ネオレアリズモ(新写実主義)の名作と評される作品。どん底の景気のなか、ようやく手にした職を、一瞬にして無に帰されてしまうという不条理。それがどんなに大切な自転車であったとしても、他人にはその重要さをなんら共有してもらえないことへの無常感。野外撮影を多用したドキュメンタリー的な演出──主役の親子は、オーディションで選ばれた素人だそうだ──が、それをよりまざまざと切り出している。ラスト、人ごみの中に消えてゆく親子の後姿にグッと胸を締め付けられる。


モンティ・パイソン ある嘘つきの物語グレアム・チャップマン自伝〜』……ビル・ジョーンズ、ジェフ・シンプソン、ベン・ティムレット監督。1989年に没したモンティ・パイソンのメンバーのひとりであるチャップマンの人生を、彼自身の手による自伝をもとにウソ全開で描くアニメーション映画。章ごとにコロコロと画風・作風を変えて展開されるアニメーションの画面が楽しいし、差し挟まれる小ネタも充実。死の前に収録されたグレアムの肉声と、エリック・アイドルを除くパイソンのメンバーが自身を含めた何役をもひとりで演じ分けての掛け合いも、かつてのコントを思い起こさせるにくい仕掛けだ。しかし、画面が彩り豊かになればなるほど、アルコール依存症やゲイであったチャップマンが抱えていたであろう孤独がにじみ出てくる。まさか収録されるとは思ってもみなかった日本語吹替え版もいい出来なので、僕がいうまでもなくファンは必見の1作だ。


『オルカ』……マイケル・アンダーソン監督。妻とまだ見ぬ子どもを漁師ノーランに殺された雄シャチ“オルカ”は彼への復讐を開始、かつて同じように妻子を失ったノーランは苦悩しつつもオルカとの闘いを決意する──ディノ・デ・ラウレンティス製作の動物パニック映画。本作が面白いのは、単なる自然の本能への恐怖ではなく、高い知能を持ったオルカの復讐譚であることだ(それもあってか、エンニオ・モリコーネの楽曲も、彼が作曲したマカロニ・ウエスタンものばりに、物悲しげにギターがかき鳴らされる)。家族を殺されたオルカのノーランへの怒りは凄まじく、彼の仲間は皆殺しにするわ、港町を襲って関係ない船は沈めるわで、どんどんノーランを追い詰めてゆく。その鬼気迫る復讐劇に加え、オルカがノーラン自身の分身=鏡像へと成り代わってゆく展開もすごい。ノーランが、オルカという彼自身のダークサイドに闘いを挑み、そして究極の救済を得るクライマックスは、もはや神話的ですらある(スピルバーグの『ジョーズ』(1975)もそういう話ではあるが、本作はさらにそれを強調している)。エモーショナルでひと味違ったオススメの動物パニックだった。


落下の王国』……ターセム・シン監督。1915年、オレンジを収穫中に腕を骨折した少女アレクサンドリアは、同じ病院に入院していた青年ロイと出会い、ロイの話して聞かせる即興の御伽噺に夢中になるが──映像、とくにロイが話して聞かせる空想の世界として登場する風景の映像がとにかく凄まじい。しかも、その風景がCGではなく、13の世界遺産、世界24ヶ国をロケして回って撮影した実景だというのだから驚きだ。空想版“80日間世界一周旅行”とでもいおうか。そして、その御伽噺が少しずつアレクサンドリアとロイを覆う現実とリンクしていき、やがてその物語自体によって彼らが救われるクライマックスも感動的だ。『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(アン・リー監督、2012)と対を成すような先駆的な映画だった。


王様の剣』……ウォルフガング・ライザーマン監督。ヘクター卿の城で働く少年ワートはある日、ヘクター卿の息子ケイと狩りに出かけ矢をなくしてしまい、探しに一人で森の中に入り、そこで魔法使いマーリンと出会う──アーサー王の少年時代を描く小説『永遠の王』(T・H・ホワイト)の第1部「石に刺さった剣」を原作としたディズニーアニメ。不勉強ながら予備知識なしで観たため、本作がアーサー王が剣を引き抜くまでの物語であることに少々面食らったが、さらに本作が描こうとするのが「どんな天賦の才も知識と教養と経験がないと意味を成さない」というある種の教育論だったことにも驚いた。「勉強なんて」とぐずるワートにその重要性と面白さを説いてゆくマーリンの姿をコミカルにわかりやすく描いていく本作は、少年時代の自分にぜひとも観せてやりたくなった。本作のマーリンが未来の果てまで見てきたという設定からか、「電気も水道もない中世なんて嫌になる」とか「君(=アーサー)のことはやがて映画になるぞ」などとメタい発言を繰り返すのも楽しい。

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