2014年鑑賞映画 感想リスト/81-90

ワールド・ウォーZ』……マーク・フォースター監督。元国連職員ジェリーは家族と車で移動中にいつもとは様子の違う交通渋滞に巻き込まれるが、突如として街のそこかしこで人間が凶暴化し人々を襲い始める──ゾンビだけどグロくない、画面外でちょっとグロいゾンビ映画。さすがに大作だけあってか、画のすごさが印象的。やはり、とくにイエルサレムの巨大な防壁を数多のゾンビたちが人海戦術でよじ登り、洪水のように街中に雪崩れ込む中盤の見せ場は新鮮な迫力に満ちている。後半のWHO研究施設での見せ場は製作の紆余曲折から急遽取り直されたらしく、一気にスケールは小さくなって古典的な見つかる/見つからないのスニーキング・サスペンスになるので賛否両論あるだろうけれど、むしろ映画のなかでのマンネリ化が抑えられていて、逆によかったのじゃないかしら。ブラット・ピット演じる主人公がイケイケのスーパー・ヒーロー然としたキャラクターではなく、むしろ彼の辿る旅路がさまざまな登場人物たちの善意によってこそ支えられているという展開が、殺伐とした世界感のなかにあって潤いを与えていていい感じだ。ゾンビ映画といえばのグロ描写が直接的に映されない──物量ゾンビのインパクトを優先したのではないか──ので、見慣れない人も楽しめるだろう。日本語吹替え版も往年の洋画劇場もかくやの出来で素晴らしい。


『タイタス』……ジュリー・テイモア監督。ゴート族との戦に勝利した老戦士タイタスはローマに凱旋するが、やがて彼と家族は都で巻き起こる政治的策謀へと呑まれてゆく──シェイクスピアの戯曲『タイタス・アンドロニカス』の映画化。シェイクスピアのなかでもとくにえげつない暗鬱な作品として知られているが、画面内で展開される物語の陰惨はもちろんのこと、本作における語り口も相当“変”。もちろん物語は、古代ローマという体(てい)で語られるが、電気は付くし、自動車にも乗るし、革ジャンパーを着込むし、ジャズも演奏されるなどなどで、映画全体がモダニズム的な意匠で彩られる画面は奇妙でパワフルだ。惜しむらくは、ラストでこの仕掛けがもっと意味をもってくれば、なおよかったのだけれど。


トランセンデンス』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140704/1404444830


『鉄男』……塚本晋也監督。肉体改造にいそしむ“やつ”と鉄に身体を蝕まれてゆく平凡な“男”は、やがて導かれるように対峙することになるが──カルト的人気を誇るSF映画カフカ的恐怖を醸す映画を彩る主人公“男”を演じた田口トモロヲの日本人然とした顔の造作、モノクロでも錆の赤茶けた色が見えそうな質感、狭苦しいアパートやその辺の町中で展開される物語など、全篇を覆う薄気味悪い実在感が素敵。コマ撮りアニメで撮られた鉄男たちのスピーディな滑走と戦闘描写や、産毛が逆立つようにキシキシと蠢く鉄線描写もケレンが効いていて面白い。ラストに登場する戦車と、そこで交わされるやりとりをみて、すでに指摘があるように諸星大二郎の漫画「生物都市」を思い出した。


『鉄男Ⅱ BODY HUMMER』……塚本晋也監督。妻と幼い息子を持つ平凡な男・谷口の前に謎の集団が現れたとき、彼の身体に異変が生じ始める──前作から3年を経て製作された姉妹編。前作ではあまり語られなかった「鉄男」のSF的設定が物語の中核を成すが、その論理性をかき消すくらいの暴力描写、鉄描写のアングラなスケールアップが凄まじい1作だった。とくに前半、谷口の鉄男化が始まる直接の原因となる出来事があるのだが、その残虐さときたら、僕の寡聞な経験のなかでもベスト級のもので、思わず観ながら「うわ! 最悪」と口に出てしまった(もちろん褒め言葉)。寂寥感に満ちたラストも良かった。


『鉄男 THE BULLET MAN』……塚本晋也監督。妻と幼い息子を持つ平凡な男・アンソニーの前に謎の集団が現れたとき、彼の身体に異変が生じ始める──第1作から20年を経て製作された英語版姉妹編。前2作の長所を踏まえて展開されるのがひしひしと感じられるが、アクション・シーンでのカメラがどうにも揺れ過ぎで、なにがなにやらなのが残念。ただ、塚本監督自身が演じ続けた“やつ”の厭世観の迫力は前2作に増して強烈だし、これまで直接的には映像化されていなかった世界滅亡の瞬間を(一応)垣間見られるのも嬉しい。また、シリーズをとおしてみたとき、それぞれの鉄男が辿る結末が徐々に内省的になっているのが興味深い。


ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』……ジェームズ・ワトキンス監督。妻を亡くした若き弁護士アーサーは、遺産整理の仕事で片田舎の古い館を訪れるが──スーザン・ヒルの小説『黒衣の女』(1983)をダニエル・ラドクリフ主演で映画化したゴシック・ホラー。幽霊屋敷を徘徊する幽霊の着る黒衣とは喪服にほかならないが、その色味のようにずっしりとくすんだ色合いの画面が雰囲気満点。しかも黒衣ゆえに、景色のちょっとした暗がりに“染み”としてふと現れたりと心霊写真を眺める──Jホラー的表現の逆輸入、あるいは『回転』(ジャック・クレイトン監督、1962)的とでもいおうか──ような恐怖を味わえる。ただ、その現れる瞬間の音の演出──「デン!」とか「ズズン!」とか「ぎょえええ!」とかいう──がまだうるさい。画の恐怖よりも、音の驚愕のほうがまだ勝ってしまっているのが残念だ。いっそ、そういうSEを消し去ったほうがもっと怖いと思うのだけど、いかが。


大統領の陰謀』……アラン・J・パクラ監督。ニクソン大統領が失墜する原因となったウォーターゲート事件を調査したワシントン・ポストのジャーナリストふたりの手記を元にしたサスペンス。画面で展開されることは基本的に取材調査と新聞の編集会議がほとんどで、画だけみるととても地味なのだけれど、全篇ピンと張り詰めた緊張感がものすごい。照明や編集の緩急、交わされる台詞回しのリアリティ、そしてとにかく地道に地道に取材を続ける記者ふたりの姿によって支えられた緊張感が、映画と観客をグイグイ引っ張ってくれる。観終わったあと、心地よい疲労感に見舞われた。ラスト・シーンの抑えたテンションも素敵だ。


『フェイズIV/戦慄! 昆虫パニック』……ソウル・バス監督。太陽の異常気象によって急速な進化を遂げた蟻たちの脅威に気づいた科学者ふたりは、人類の存亡を賭けた孤独な闘いに挑むが──ヒッチコック映画などのタイトル・デザインで知られるバスが唯一手がけた長編SF映画。目に見えないところで繰り広げられる侵略者=蟻たちがジワジワと迫り来る恐怖と焦燥感が見事で、それを支える超ズームアップ撮影によって捉えられた蟻たちの映像が凄まじい。その撮影を手がけたのは、本作にも大きく影響を与えたとされる『大自然の闘争/驚異の昆虫世界』(ウォロン・グリーン監督、1971)でも昆虫撮影を担当したケン・ミドルハム。彼のカメラによって捉える蟻たちの様々な姿──行軍、カマキリとの戦い、蟻塚崩壊の内部、そして戦死者のための葬列(!)など──は、下手なスペクタクル映画よりも何倍も迫力がある。人類と蟻の存亡戦の果てに立ち上る太陽が指し示す結末の余韻もひとしおだ。


ランボー/最後の戦場』……シルヴェスター・スタローン監督、脚本、主演。ミャンマーの被差別集落に向かい陸軍に捉えられたアメリカ人NGO団体を救出するためにランボーが立ち上がる──人気戦争アクションシリーズ第4作。なぜかすっかり観た気になっていたのだけれど、観てませんでした(スミマセン)。軍事政権化(製作の2008年当時)で繰り広げられる残虐行為も凄惨なら、それを打ち負かすランボーの活躍もまた鬼神のごときで、とにかく本作で描かれるアクション=暴力はとにかくリアル志向。マシンガンで、スナイパーライフルで、重機関銃で撃ちぬかれたら、あるいは地雷や手榴弾の爆発に呑まれたら人体はどうなるかをこれでもかと描く。ミャンマー軍人を次々と肉の塊にしてゆくランボーの姿には、もはやヒーロー性すら剥ぎ取られた諦観が浮いてみえる。画面の派手さ以上に、内省的な作品だった。

90