2014年鑑賞映画 感想リスト/111-120

地上より永遠に』……フレッド・ジンネマン監督。1941年夏のハワイ、ホノルルのスコフィールド米軍基地に転属してきたラッパ手のプルーイットは、ボクシング部入部を強要する中隊長に逆らったために、分隊長らから手酷いシゴキを受けるが──ジェームズ・ジョーンズの小説の映画化作品。軍隊内部で慣習化していたシゴキやイジメを告発する内容で、上官や同僚からの不条理な責めにひたすら耐え続けるプルーイットの姿や、彼とマジオ──イタリア系ゆえに不当な差別を受ける──との友情、彼らを正当に評価する理解ある上官ウォーデン曹長の姿など、観ているとアツいなにかがこみ上げてくる。一方で、映画のラストにおいて、いざパール・ハーバーとなると何もかも投げ打って一致団結しようとする彼らの姿を見ていると、同性同士の馴れ合いの世界でしか生きられない男の子の性(さが)というのは、まことにどうしようもねぇな、と思わされたのでありました。


仄暗い水の底から』……中田秀夫監督。離婚調停中であり、幼い娘・郁子の親権を夫・邦夫と争っている淑美は生活を立て直すために、郁子と一緒に新しいマンションに引っ越すが、階上からの水漏れが止まらないうえ、郁子の身に不可解な怪現象が起こりはじめていた──鈴木光司の短篇「浮遊する水」を映画化したホラー作品。本作にはもちろん、そのマンションで不幸にも怨霊となった少女の霊による怪異という見せ場が数々用意されているが、むしろそれ以上に恐ろしかったのが、淑美が直面する他人への不信感や対話のきかない人々の存在。会話の一方向性、相互のコミュニケーションが不可能という意味において、生きた人間も死んだ幽霊もほとんど変わりがない。そのひずみのひとつを解決するためにこそ、クライマックスにおける淑美の決断はあるのではないか。


アンダーワールド:ビギンズ』……パトリック・タトプロス監督。ヴァンパイア族がライカン(狼男)族を奴隷としていた遠い昔、ヴァンパイア族長老の娘である女戦士ソーニャは、ライカンのルシアンと許されぬ恋に落ちるが──レン・ワイズマンが創り上げた『アンダーワールド』シリーズ番外編。現代において展開されるヴァンパイアとライカンとの抗争の発端を描いた前日端で、中世を舞台としたファンタジーとしてオーソドックスに面白い。奴隷の叛乱というスパルタカスの物語のような古典的な語り口ながら、ラストで展開される変身したライカンたちのヴァンパイア城への急襲は、なかなかの迫力。惜しむらくは、ちょっと画面が暗過ぎて見づらい点か。ただ、設定説明のいささか多かったシリーズ本家よりも、すっきりまとまった快作。


『ブリッツ』……エリオット・レスター監督。警官ばかりを狙う連続殺人犯「ブリッツ」を追うはみ出し刑事ブラントと新任警部ナッシュの姿を描く、ジェイソン・ステイサム主演のアクション。ステイサムの暴力的だが情に厚い刑事のキャラクターや、少々気の違った連続殺人犯が自ら仇名を名乗ったりするなど、多分に『ダーティ・ハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)を思い起こさせる要素が散見されるが、ここでの連続殺人犯「スコルピオ」とは対照的なブリッツのキャラクターが興味深い。動機は浅はかで、計画はいきあたりばったり、思いがけず撲殺した死体を見てキョドったりと、ひどく小悪人なのがなんともリアルで、被害者にとっては不条理この上ない。ただ、麻薬に手をつけてしまう婦人警官のくだりなど、わき道にそれるエピソードも少なくなく、ちょっと散漫な印象もある。ステイサムのアクションは堪能できる。


『孤島の王』……マリウス・ホルスト監督。1915年、ノルウェー領の孤島バストイにある少年矯正施設に収容されたエーリングとイーヴァイは、絶対的な権力を持つ院長のもとで平然と行われる大人たちの虐待と欺瞞を目にする──当時、実際にあった少年たちによる反乱事件をもとにしたサスペンスドラマ。登場する大人たちが、“大人である”ことを盾に様々な暴力を振るうわ、性的虐待はするわ、予算を着服するわ、それらを隠蔽するわで、ビックリするほどクズばかり。その後、少年たちは施設を制圧する暴動を起こすが、この理由が「自由のため」とかいった安っぽい大義名分ではなく、大人たちへの失望に対する怒り/異議申し立てに尽きる点が泣かせる。また、最後の最後に描かれる、ちょっとした秘密の告白も、妙に泣けるんだよなぁ。


ラースと、その彼女』……クレイグ・ガレスピー監督。内気で人付き合いの苦手な青年ラースは、あるとき「ビアンカという恋人ができた」と兄夫妻に伝えるが、その彼女はなんとリアルドールだった──小さな田舎町を舞台に描かれるライアン・ゴスリング主演のハートフル・ドラマ。ラースが恋に落ちたビアンカという存在は、純真すぎる彼が生んだ彼の妄想だが、周囲の人々もまたビアンカをひとりの人間として受け入れてゆく展開が興味深い。ビアンカはラースにとっての一回り遅れてやってきたイマジナリー・フレンドだが、それが単なる彼の退行でなく、彼が成長の1歩を踏み出すために無意識的にせよ“あえて”とった行為であり、またビアンカを触媒としてラースがこれまでいかに周囲に愛されていたかを再確認する展開が、一風変わってはいるが感動的だ。現実にはないかもしれないが、あたたかく美しい世界をみせてもらった。


『オズ』……ウォルター・マーチ監督。オズの国から戻って不眠症となって入院したドロシーは、見知らぬ少女に連れられて再びオズの国へ訪れることになるが、世界はすっかり荒廃していた──1985年に公開された『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督、1939)の続編的作品。前作とは打って変わって荒廃しきったオズの国の風景がみせる不気味な雰囲気が魅力。とくに世界を掌中に収めたモンビ女王の、その日の気分によって首を挿げ替えるという設定と、首のコレクション・ルームの恐ろしさときたら、なんともいえない。また、ウィル・ビントンスタジオのクレイモーション技法によって表現された、岩石の精がみせる表情の豊かさなど必見だ。


アメイジングスパイダーマン2』……マーク・ウェブ監督。オズコープ社で働く電気技師のマックスは、作業中の事故で電気人間“エレクトロ”になってしまい、もともと憧れていたスパイダーマンを憎みはじめる──リブート版スパイダーマン第2作。全体的にはおもしろかった。抱え続けた孤独感をこじらせてしまったエレクトロには心底同情したし、不治の病に犯されたピーター(スパイダーマン)の旧友ハリーを演じたデイン・デハーンの暗い存在感も素晴らしい。ピーターとグウェンの「かわいい目で見つめて“素敵”っていうの禁止」などと睦言をささやきあうけしからんバカップルぶりの多幸感も、さすがはウェブ監督といったところ。テンポと段取りのいいアクション・シーンも迫力と爽快感に満ち満ちている。ただ、いくらなんでも話を盛り込みすぎで、散漫な印象は否めない。本来ならパート2とパート3になりそうな脚本を、無理やり1作に押し込んだ感じで、一見贅沢だがもったいない。それにしても、近頃の一般市民は怪人が現れて暴れまわっても逃げもせずにケータイやスマホで写真やら動画やらを撮るのな(これが風刺表現なら、なかなかだ)。


ラッシュ/プライドと友情』……ロン・ハワード監督。1970年代に活躍した、野生的思考で豪放なジェームズ・ハントと論理的思考で勤勉なニキ・ラウダという正反対のレーサーふたりの闘いを描く。不勉強ながら、F1の“え”の字も知らない門外漢なので、本作に描かれたかつてのマシンのディテールや再現性、歴史的な位置づけはちっとも語れないが、しかし、交互に描かれるハントとラウダの人生観と両者のぶつかり合い、そしてそこから生まれるふたりの強い繋がり、それがやがて生きること/人生についての深い考察に昇華されてゆく本作は、非常に熱い熱い作品だった。F1ファンの方はぜひ観てみて。


『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』……ジム・マクブライド監督。1950年代後半、「火の玉ロック」などで一世を風靡したロック歌手ジェリー・リー・ルイスの半生を描く。ブルースのコードに乗せてピアノを激しく打ち鳴らしながら歌うルイス──デニス・クエイドが演じ、歌は本人が当てた──の姿はホット。劇中何度か登場する、彼のナンバーに合わせた街の人々のリアクションで彼の衰勢を表すちょっとしたミュージカル・シーンも楽しい。本作で興味深いのは、ブラック・ミュージックに影響された力強いルイスの音楽が人々を魅了する姿と、彼の従兄で「ルイスの曲は悪魔の音楽」と批判するキリスト教ペンテコステ派牧師ジミー・スワガート──後にテレビ伝道師として有名になったり色々やらかした人物──の力強い説法が人々を魅了する姿とを対比して見せる点だ。ロックと宗教とが否応なく持ち合わせる類似性と異質性を端的に表す鋭い視点だ。ラスト、ルイスの幼な妻マイラは、そのどちらかの選択を迫られた彼女が選ぶのは──?

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