2015年鑑賞映画 感想リスト/11-20

ガープの世界』(1982)……ジョージ・ロイ・ヒル監督。子どもだけが欲しかった看護師ジェニーが植物状態の兵士と一方的に交わって生まれたガープは、プロレスや性、そして文学に興味を示しながら成長し、大人になるが──ジョン・アーヴィングの同名小説の映画化。
すごくきれいな「物語映画」だ。きれいな、というのは物語内容ばかりを意味しない。むしろ映像で物語を語る緻密な演出そのものが、たいへんきれいに施されている。たとえば、一見幸せそうな光景を映したショット尻にふと不穏さの翳る小道具や物言わぬ役者の表情を入れ込んで、後に続く悲劇を匂わせるような映像的な布石を置くなど、言外の演出が見事で、まるで物語映画のお手本のようだ。故ロビン・ウィリアムズの若さ溢れる演技も素晴らしい。
物語としては、その出生と人生、そしてその幕切れから、ガープはイエス・キリストを象徴すると推察されるが、そうでありながら、彼が最終的に達する「僕に父親は必要なかった」という台詞が感動的。こういう切れ味のある比喩が大好きだ。しかし、それを許さないのが様々な原理主義的価値観の人々だ(もちろん、その方向性は問題ではない)。それゆえに物語は悲劇的結末を迎えるが、彼らとガープ、どちらが果たして幸福だったろうか。答えは明らかだ。



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デュエリスト/決闘者』(1977)……リドリー・スコット監督。1800年フランス軍士官のデュベール中尉は上官の命令に従って、無意味な決闘を繰り返すフェローに謹慎を勧告するが、それに憤ったフェローはすぐさまデュベールに決闘を申し込む──ジョセフ・コンラッドによる同名小説の映画化。
難癖を付けてはデュベールと決闘を繰り返す“困ったちゃん”フェローを演じたハーヴェイ・カイテルの存在感が、やがてそのいがみ合いが、不思議と友情のように変化してゆく物語を彩っている。それにつけても、本作の見所はなんといっても撮影と編集の見事さだ。本作がリドリー・スコットの監督デビューであり、1977年の作品でありながら、その撮影の鋭さ編集のテンポ感──とくに剣戟シーン──は、今日の映画と比べてもまったく遜色がないくらいだ。CMディレクターの寵児だった手腕を改めて見せつけられる。さすが!



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里見八犬伝』(1983)……深作欣二監督。かつて暴虐の限りを尽くし、里見家に打ち滅ぼされた玉梓が100年のときを経て復活、里見家館山城を占拠した。生き残った静姫は、かつて里見家に忠誠を誓った者たちの子孫である八剣士とともに玉梓討伐を目指す──薬師丸ひろ子を主演に据え、南総里見八犬伝を大胆にアレンジした映画化。
いま観ると、もうちょっとタイトに編集して尺を短くすればなぁ、と思わなくもないが、ファンタジー色を強めた作劇のなかで 真田広之千葉真一志穂美悦子JACメンバーによって縦横無尽に勢いよく展開されるアクション・シーンや、大規模なセットで撮影されたスペクタクル・シーンの満点な迫力が楽しい。その分、むしろ薬師丸ひろ子の印象が若干薄まったのはご愛嬌か。



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『本陣殺人事件』(1975)……高林陽一監督。岡山県の旧本陣の末裔・一柳家の屋敷で長男・賢蔵と小作農の出である久保克子の結婚式が執り行われ、しきたりに従って新婚夫婦は離れで床をとるが、ふたりはその密室で何者かに惨殺されてしまう──中尾彬が探偵・金田一耕助を演じた映画版。
本作のいちばんの特徴は、予算等制作上の都合で、もともとは原作どおり昭和12年が舞台となるのを現代(映画製作当時)に置き換えたことによる中尾版金田一の姿だろう。それは“ご存知”の書生姿ではなく、ジージャンにジーパンにバックパックを背負ったヒッピー風(お馴染みの書生姿は翌年公開の市川崑版『犬神家の一族』を待たねばならない)。まるでスコット・マッケンジーの歌う「花のサンフランシスコ」の歌詞に出てきそうな感じだが、これがなかなか良い。金田一シリーズの楽しみは推理ものとしての面白さのほかに、彼の推理によって、旧来の“善きこと”とそれが抑圧し続けた歪みがついに解体されるカタルシスにあると思われるが、本作で舞台が金田一の服装を含めて当世に置き換わったことで、より明確に表れてはいまいか。



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悪魔が来たりて笛を吹く』(1979)……斎藤光正監督。昭和22年、世間を賑わした天銀堂事件の容疑者で失踪中だった椿英輔・元子爵の遺体が青木ケ原で発見されるが、その死に疑念を抱いた英輔の娘・美禰子(みねこ)は金田一に調査を依頼する──西田敏行が探偵・金田一耕助を演じた映画版。
金田一耕助にしては体躯が良すぎる気が多少するものの、西田敏行が大きく“陽”を強調して演じた金田一像がたいへん魅力的だ。人懐こい笑顔と口調、ちょっとオーバーアクト気味で関係者と会話を運びながら、いざ核心に近づくとフッとそのトーンを落とし、また戻してみせるといった彼の表現力はさすが。暗い影の落ちる全体の色合いに良いコントラストを与えている。あと、戦後直後を再現した美術──ヤミ市場や金田一の下宿など──の完成度も素晴らしい。



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『The FEAST/ザ・フィースト』(2006)……ジョン・ギャラガー監督。テキサスの荒野にぽつねんと佇む酒場にある夜、突如として血まみれの男がやって来ていわく、「怪物がやってくるぞ」──マット・デイモンベン・アフレックウェス・クレイヴンら製作の異色モンスター・ホラー。
定石とは踏み外すためにある、といわんばかりに虚を突く展開が目白押し。というか、基本それだけで1本押し通した怪作だ。そのおかげで、次の犠牲者は予想がつかず、上手くいきかけた作戦はしょーもないミスで失敗し、滑稽というにはあんまりにもあんまりなラストの脱出まで、ほとんどひとつもジャンル映画的にしっくりこない! でも逆にそれが奇妙な──実際に僕らがこういった災厄にあった場合に起こりそうな──リアリティを醸していて面白い。惜しむらくは、アクション・シーンのカメラワークがやたらと揺れるうえにチャカチャカ編集なこと。もうちょっとモンスターがきちんと見られる落ち着いたものなら、よりこの奇妙さが際立ったのではないか。とはいえ、なんだかんだで愉快な作品だった。ただし、スプラッタ描写などかなりエグエグなので注意して!



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『フィースト2/怪物復活』(2008)……ジョン・ギャラガー監督。手下のギャルズを引き連れて双子の姉を殺した犯人を捜す“バイカー・クイーン”だったが、訪れた町は謎の怪物たちによって食い荒らされていた──前作から直結する異色モンスター・ホラーの続編。
定石どころか倫理とかタブーとかいろんなものを踏み外し出した感すらある怒涛のスカしっぷりに唖然と爆笑。このテのジャンルに必要不可欠と思われる、いわゆる英雄的キャラクターがいっさい登場しないまま──前作ですら途中からそうなるヤツもいたというのに──転がる挑戦的な脚本は、もはや堂に入った出来。画面内で右往左往する彼らは、僕らの写し絵にほかならない。そんな、いやにリアルな登場人物たちに説得力を与えるキャスティングもいちいち的確で、メインキャストの面構えたるや素晴らしいのひと言だ。前作では暗くて全容が掴みづらかった怪物も本作ではしっかり激写。外から内までがっつりと、見たくねェつっても見せつける大盤振る舞いの心意気やよしだったりなんかして、めっぽう露悪的で愉快な作品だった。ただし、スプラッタ描写その他すごくゲロゲロなので注意して!



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『フィースト3/最終決戦』(2009)……ジョン・ギャラガー監督。町を占拠する怪物をなんとかやり過ごしながら脱出の糸口を探す生存者たちの前に、カウボーイ・ハットを被った勇ましい男がジープとともに現れ、闘って生き残ろうと皆を鼓舞するが──前作からさらに直結する異色モンスター・ホラーの完結編。というか『2』『3』はセットで1篇と捉えたほうがいいかもしれない。
定石その他を踏み外しすぎて、もはやスカッと爽やかですらある。それにしてもこのシリーズは、一見するとゴアでゲロゲロな悪趣味と度の過ぎた外し展開だけが目立ちがちだが、3作をとおしておよそ貫かれる展開もあった。それは、非道を働いた者には報いが下る、という極めてまっとうな教訓ではなかろうか。この、シリーズに通底する倫理観には、たいへん好感がもてる──なんて思っていると「こんな映画観てわかった気になってんじゃねえよ、バーカッ!」と煙にまく幕切れも天晴れ。ただ残念なのは、本作の舞台がだいたい狭苦しく暗い場所が多かったために、見せ場でなにが起こっているのかサッパリなこと。これはちょっと痛い。なんにせよ、シリーズとおして愉快な作品だった。ただし、スプラッタ描写とかいろいろグログロなので注意して!



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『ニューヨーク 冬物語』(2014)……アキヴァ・ゴールズマン監督、脚本。20世紀初頭のニューヨーク、シティ・ギャングの一員だったピーターは党首パーリーに逆らって追われる身となるが、その道中で出会った薄幸の令嬢べバリーと恋に落ちる──マーク・ヘルプリンの長編『ウィンターズ・テイル』の映画化にして、ジョエル・シューマッカーやロン・ハワード作品の脚本を書いていたゴールズマンの初監督作品。
大長編である原作のボリュームを──日本語版で1000頁──大幅に縮小したためかどうか、陳腐! という単語がしっくりくるトンデモ映画だった。アメリカ移住を持病のために拒否された両親が、帰りの船にあった模型の帆船にまだ生まれたばかりの主人公ピーターを隠し、それがニューヨークに流れ着いたという、明らかにモーセな主人公の出生を描く冒頭から“そういう”記号のオンパレード。それどころか、開幕早々から直球で映像に表現するわ台詞にするわで「なんじゃそりゃ」状態。ゴールズマンの脚本家としての性(さが)なのか、ひどく説明的であるか、ペーソスを利かせすぎて逆に寒い応酬の続く台詞もそれに拍車をかける。
そりゃ「愛」が「奇跡」を呼ぶ展開はおおいに結構だが、たとえば序盤から中盤では“そういう”のは暗示に留めておいて、終盤でいっきに種明かしをするなど方法はなかったのか。そうすれば、「なるほど“そういう”ことか!」と愛も奇跡もさぞかし盛り上がったろうになぁ。20世紀初頭のニューヨークを再現したセットやCG、キャレブ・デシャネルによる撮影など、なまじ映像面がよかっただけに、いよいよ陳腐さばかりが目立つ結果となった。反面教師としておススメのハリウッド大作だ。



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ビッグ・ヒット』(1998)……カーク・ウォン監督。金策に困った凄腕の殺し屋メルは、仕事仲間のシスコに誘われて少女ケイコを身代金目的で誘拐するが、彼女の父はメルたちの元締めと交友関係のある実業家ジロー・ニシだった──凄腕の殺し屋にも関わらず、人に嫌われたくない一心で、ゲスい女友達や仕事仲間に金を巻き上げられても文句も言えずに気を遣いまくり、そのせいで胃薬をがぶ飲みしないと正気が保てないお人好し過ぎる主人公メルをマーク・ウォールバーグが好演。しかも挙句に組織を裏切った罪まで擦り付けられてしまう顛末は不憫で仕方がない。
キングコング2』とかレンタルするようなボンクラでいいヤツを手玉に取るなんて許せーんっ! と憤慨しながら観ていると、とうとう追い詰められたメルが、これまでの軋轢を自身のスキルをもってしてきっちり清算していくクライマックス20分は非常に爽快。アクションのキレやアイディアの楽しさも申し分ない。とくにラストのレンタルビデオ店での格闘は、徒手空拳から得物まで使い切り、なおかつ店内の高低差を活かした縦のアクションまで盛り込んで見応えバッチリだ。しかも全編愉快な笑いに満ちているのだから儲けものだ。