2015年鑑賞映画 感想リスト/31-40

ドリームハウス』(2011)……ジム・シェリダン監督。優秀な編集者ウィル・エイテンテンは、長年務めた出版社を辞めて、夢だった小説執筆に取り掛かる。しかし、家族と共に移り住んだ新居はかつて凄惨な一家惨殺事件があった物件だったことが判明し、それを裏付けるように彼のまわりで不可解なことが起きはじめる──ウィル一家に降りかかる恐怖を描く。
なにをいってもネタバレになるタイプというか、レンタルショップのホラー棚に陳列されていたので、いわゆる普通の幽霊屋敷モノかと思いきや、「あ、そっち!?」と驚かされる作品だ。劇中でジャンルが突然シフトするという意味で、『アザーズ』(アレハンドロ・アメナーバル監督、2004)なんかに手触りは近いかしらん。しかも、それが大オチでもなんでもなく、中盤に差し掛かったところでわりと強引に突然ひっくりかえるものだから、いささか驚くのだが、それまでの個々のシーンやショットのディテールがきちんと前フリになっていたことが思い返されて、気持ちのいい騙され方を体感できる。それでいて物語的にも構造的にも美しく感動的に収斂してゆくさらなるツイストも効いていて素晴らしい。たいへん面白く観られた。



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『ポリス・ストーリー/レジェンド』(2013)……ディン・シェン監督、脚本。ベテラン刑事ジョンは、妻の死をきっかけに不仲になった娘からナイトクラブに呼び出されるが、突如として何者かに強襲され、客もろとも人質に取られてしまう──ジャッキー・チェン主演のサスペンス・アクション。
ジャッキーのアクション大作引退宣言からの本作で、かつての宮崎駿ばりの「やめるやめる詐欺」かとも思ったが、なるほどたしかにアクション大作ではなかった。むしろ本編はかつてジャッキー演じるジョン刑事が関わった事件の真相を巡る“藪の中”的やりとりに焦点が置かれたどっしりとしたもので、脚本的にはこれまでのジャッキー主演映画でもっとも見応えがある1本だ。もちろん、過去の回想シーンなど、ジャッキーらがアクションを披露するシーンはけっこうあるものの、廃工場を改装した酒場という、いかにもアスレチックなメイン会場ではむしろアクションを控えた造りが新鮮だ。
タイトルこそ『ポリス・ストーリー』であるもののまったくの新作である本作だが、推測するに作り手たちは、オリジナル4部作*1というよりむしろ『ダイハード』(ジョン・マクティアナン監督、1988)を意識していたのじゃないかしら。限定された空間で展開される人質事件、予想されたものと異なる犯人の真の動機、事件による家族関係の修復といった構造的類似もさることながら、本作のジャッキーは怪我もするしヨレヨレでまったく超人ではないというジョン・マクレーン的な等身大のヒーローだ。これこそ、本作で目指された新たなジャッキー像ではなかったか。



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『エクスターミネーター』(1980)……ジェームズ・グリッケンハウス監督、脚本。ベトナムで共に戦った親友マイケルをリンチで廃人同様にされたジョンは、友を襲ったチンピラを血祭りに上げたのを皮切りに、夜な夜な街に巣食う悪人どもを処刑するようになる──ビジランテ型ヴァイオレンス・アクション。
社会悪に対する憎しみや怨念が画面から溢れんばかりの怪作。とにかくジョンの処刑方法がえげつないのひと言。たとえば彼が最初に手にかけるチンピラは、生きたままドブネズミに食わせるという鬼畜ぶり。それに始まって、「こんな殺され方はイヤだ!」ランキングがあれば必ずや上位に来るであろう処刑方法で悪を次々にくじいていくさまは圧巻。正直、映画の出来としては妙にこじんまりとしていて煮え切らない部分も多いが、しかし観るうちに、デビルマンの台詞じゃないが、いったいどっちが外道なのやらとグラグラしてくる感じは是非とも体験すべき。毒をもって毒を制すよりほかないさもしさが、シクシクと胸を打つ。



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『ミラーズ』(2008)……アレクサンドル・アジャ監督。勤務中の誤射で停職になった刑事ベンは、復職に向けて夜間警備の仕事に就くが、勤務先はかつて大火災で多数の死者を出したショッピング・センターの廃墟ビルだった。無数の鏡が張り巡らされたビルのなかで、ベンに不可解な現象が襲い掛かる──キーファー・サザーランド主演のホラー。
タイトルから「お前は誰だ」的ゲシュタルト崩壊ホラーかと勝手に思っていた(余計な前置き)が、王道の幽霊屋敷ものだった。なんといってもタイトルどおり、鏡による恐怖演出が面白い。向かい合った鏡(=虚像)の中の出来事が物理現実に反映される薄気味の悪さは、たいへんしっかりしたゴア描写とも相まっていい出来。クレジットによると、本作は韓国映画『Mirror 鏡の中』(キム・ソンホ監督、2003)をもとにしている。不勉強ながらこちらは未見だが、アジャ版のクライマックスを観る限りではだいぶ変えられている様子。画面は派手だし、現象の原因が“アレ”なところ──だから、むしろ『パラダイム』(ジョン・カーペンター監督、1988)なんかに近い感じで、実際に似通ったイメージや展開が登場する──が実にアメリカン。そのせいで映画冒頭と話が摩り替わっているような気がしないでもないが、目を凝らしているほどギョッとさせられるラストの余韻が素晴らしい。



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『ザ・ホスト 美しき侵略者』(2013)……アンドリュー・ニコル監督、脚本。宿主に寄生することでその心身を支配する知的生命体“ソウル”によって人類が支配された近未来、わずかに生き長らえた人類のひとりである少女メラニーは彼らに捕らえられ、“放浪者=ワンダラー”というソウルに寄生されるが、メラニーの心はまだ死に絶えたわけではなかった──『トワイライト』シリーズで知られるステファニー・メイヤーの小説を映画化したSFロマンス。
いわゆるボディ・スナッチャー(盗まれた町)型SFを背景とした、宇宙人の均質な支配体制社会の描き方が、これまでと同様いかにもニコル印。美しく禁欲的な街並み、白を基調とした「人民服」のデザインなど、かつてのSFからの拝借も多いが、ボディをまるで鏡のような銀色でコーティングした車両デザインが印象的だ。さぞ、撮影中は熱かったであろう。ただ本編は、ニコルの得意とする均質な支配体制社会からの価値反転というよりも、ふたりの少女(メラニーとワンダラー)がひとつの身体に押し込まれたことで生じる恋の三角関係がメイン。ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやり方』を思わせるメラニー=ワンダラー──演じるのは、この手のジャンル映画でヒロインをはり続けてくれる稀代のシアーシャ・ローナン!──のやりとりは瑞々しいが、いまいちニコルの興味と喰い合わせが悪い感が否めない。まあ、本作のマーケティングの矛先は、間違っても僕のようなボンクラ男子ではなかろうから、やむなしかしらん。



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『変態小説家』(2012)……クリスピアン・ミルズ監督。絵本作家から犯罪小説家に転向したジャックは、作品のためにビクトリア朝時代のサイコキラーを調査するうちに、自らもサイコキラーに狙われているのではないかという妄想にとりつかれはじめる──サイモン・ペッグ主演のコメディ映画。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花(ススキ)」なんていうけれど、そんなススキが怖くて怖くてたまらなくなった男の右往左往を描く。とくに前半1時間の、ドラマ化権を買いたいというプロデューサーに会いに行くためにジャックがアパートの部屋を出るまでのひとり相撲っぷりがなんともおかしい。もはやサイモン・ペッグの独壇場である。思わぬ方向へ転がり始める後半部も奇妙にスリリング。ペッグか、あるいは森見登美彦的不条理感覚が好きな方はきっと楽しめるだろう。



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ニード・フォー・スピード』(2014)……スコット・ワウ監督。凄腕のメカニックで天才的な運転技術を持つトビーは、親友を死に追いやり、無実の罪で自分を陥れたライバルのディーノに復讐するため、公道を走る非合法レースが開催されるサンフランシスコを仲間とともに目指す──同名のゲーム・シリーズを原作にしたカー・アクション映画。
スーパーカー入り乱れるストリート・レースから、対向車の追突によって宙に舞い上がり、くるくると弧を描いてクラッシュなんていうカー・アクションの数々をほとんどCGなしで撮影したというのだから恐れ入る。同様の趣向でも、CGを積極的かつ効果的に用いるケレン味を爆発させる『ワイルド・スピード』シリーズとは対照的な、往年のカー・スタント映画の面白さがここにある。ただ、ストーリーがちょっとせせこましいというか、小金持ちのヤンキーが公道で暴走して事故って復讐のために公道レースって、なんてハタ迷惑な! 明らかに関係ない一般車両にも死傷者が出てるしさ。その辺がノイズになるのはちょっと残念。とはいえ、実写で魅せまくるカー・アクションは必見の出来。



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エウロパ』(2012)……セバスチャン・コルデロ監督。木星の第2衛星であるエウロパ、その氷に覆われた地表の下に海の存在が観測されたことを受けて派遣された調査団を襲う数々の危機を描くSFスリラー。
船内の監視カメラ、宇宙服のヘルメット内部に設置された豆カムなど、あらゆる映像データを編集したとされる、いわゆるファウンド・フッテージもの。アーサー・C・クラークの書いた『2010年宇宙の旅』のうち、映画化時にかなり簡略化された、中国調査団のエウロパ調査シーンの映像化を見るようで楽しい。もちろん、きっちりと組まれたセットとVFXや、シャールト・コプリーダニエル・ウーなど、ワールドワイドな役者陣の演技とが相まって、臨場感も素晴らしい。ただ、語り口にちょっと奇をてらいすぎた感があるのが難点。いわゆる時系列シャッフルを用いてストーリーとプロットをあべこべにしているが、本作の場合「アレとソレが繋がるのか!」という驚きよりも「思わせぶりだったコレとアレは関係ないのか!」という奇妙な困惑のほうが目立ってしまい、であるならば、ストレートな1本道にしてしまったほうが、より“実録モノ”としての面白さが際立ったのじゃないかしら。惜しい!



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『トライアングル』(2009)……クリストファー・スミス監督。ジェスたち男女グループはヨットセーリング中に遭遇した嵐によって遭難。近くを航海中だった豪華客船に乗り移るも、人の気配がない。不思議に思いながらも船内を探索するジェスたちだったが、そこに覆面を被った謎の殺人鬼が現れ、彼らをひとりずつ手にかけてゆく──彼らの巻き込まれた不条理な運命の渦を描くスリラー。
映画の第1幕ですでに明かされるのでネタバレにはならない、と信じつつ書くと、本作はいわゆるループものの構造を持ったスリラーだ。で、本作の面白さの肝は、その“ループ”感というか“メビウスの輪”感の表現にあって、なかでも本作におけるループが単に同じことを延々繰り返すような1回帰性のものではない点だ。同じ時間軸において、微妙に異なったシチュエーションが同時並列に進行する本作の奇妙なスリリングさは、やがて迎える苦々しい結末とも相まって味わい深い。



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『貞子3D2〈2Dバージョン〉』(2013)……英勉監督。前作の主人公、鮎川茜と安藤孝則のあいだに女の子・凪(なぎ)が生まれるものの、茜は死亡してしまう。5年後、孝則はイラストレーターを辞めて警備員として働き、凪の世話を妹の楓子にまかせきりになっていた。楓子はなんとか凪と打ち解けようと献身的に接するが、凪は鬱々と黙りこくるばかり。そんな折、“呪いの動画”が原因と思われる謎の変死事件が多発。楓子のまわりにも犠牲者が出始める──かつて一世を風靡した『リング』シリーズ(1998〜2000)を大胆にリブートした新シリーズの2作目。
長年いたいけにも「Jホラーなんて怖くてとても無理無理、きゃっ///」とはいいつつも、勉強のためにJホラーに手を出し始めた数年前、はじめて鑑賞した『リング』シリーズにすっかり虜になった僕でありますが、その熱も冷めやらぬうちに──とはいえ、まだまだ劇場でJホラーを観るほど耐性がないのでソフトではあるが──鑑賞した前作『貞子3D』(同監督、2012)には思わず絶句。ホラーからモンスター映画へのジャンル・シフトや、そもそも『リング』あるいは貞子っぽくないというのをグッと堪えて100万歩譲ったとしても、まず映画としての出来がとんでもなく低レベルだったことに愕然としたというね……(遠い目 (゚⊿゚) ヘー)。
だから、ほんとはこの『2』を積極的に観る気はサラサラなくて、“スマ4D”という見世物テイスト溢れる公開方式に興味はありつつ──といいつつ、僕は現役“ガラ携”ユーザーなので意味なし!──も劇場公開は華麗にスルーしたし、ソフト発売も気が付いたらされていたくらい。なんなら存在すら忘れていたのだけど、先日近所のレンタル・ショップに行った際、ついにパッケージと目が合ってしまった。なんやかやと理由を付けて逃げ回ってはみたけれど、「やはり貞子の呪いからは逃れられないのね」と腹をくくり、いまさらのようにDVDをプレイヤーにぶち込んだのでした(以上、半分くらい不要な前置き)。
先に総評を書くと、どこから突っ込んでいいかわからないほど、どうかしてる作品だったよ!!

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とりあえず、お話の骨格は『リング』じゃなく『オーメン』シリーズがネタだとか、貞子が都合2〜3カットしか登場しないとか、“呪いの動画”と明言しつつ全然動画じゃない──PCやスマートフォン画面が突然ラグりはじめる──とかは、あらかじめ譲っておこう(譲り合いの精神、だいじ)。感じたことはすべて口に出さなきゃ気がすまない“わかりやすい”台詞の応酬や、「これ『ポルターガイスト』っぽいでしょー」とか「これ『エヴァ』の旧劇場版っぽいでしょー」というひとっつもイケてない遊び心も、まだまだ微笑ましいほう。一応、脚本というものがありながら、シーンとシーンが繋がってないのも、前作から知ってたから、さほど……ね。
しかし驚くなかれ。本作は1シーンの出来事ですら、整合性がまったく考えられてない繋ぎが頻出するのだ。たとえば、“呪いの動画”によって何故かモンスター化したキャラクターがヒロイン楓子を襲うシーンが幾度か登場するのを思い出そう。ここではモンスターが楓子にワッとつかみかかって彼女(と観客)を驚かすものの、楓子は「きゃっ」という間に逃げおおせ、その後モンスターがどうなったのかまったく描写されない(!)。あるいは、必然性もなく現実なのか妄想なのかをゴタ混ぜにしたまま、その伏線をほったらかしにしたりするのはまだ可愛いほうで、いよいよ昼間のショットが次の瞬間には何の説明もなく夜になる“エド・ウッド流”編集テクニックも頻出。物理空間を完全に無視した人間同士の切り返しが出るに至っては、もはやなにがなにやら。

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ただ、よろしい、ここまでのこともあえて譲ろう。本作でいちばんよろしくないのは、作り手たちが「とりあえず画面を暗くしとけば、観客は怖がるだろ」と完全にナメきっているところだ。ヒロインの暮らすマンションの室内や、地下鉄の車内、病院や大学の研究室から廊下に至るまで、昼夜の設定をを問わずやたら青い照明を当てて画面を暗くしているのだ。なんなら屋外のデイ・シーンでも「テキトーにやっときゃよくネ?」といわんばかりにフィルターがかけられる。青い照明を当てたり、フィルター処理をするのはけっこうだが、こういう操作は怪奇現象発生時など「ここぞ」というときに用いないと、ただただ不自然なばかりで、ひとつも恐怖感につながらない。本作のようにただただのべつまくなしにというのは、演出の怠惰以外のなにものでもない。なんなら地下鉄のシーンなんて、『ガメラ2〜レギオン襲来〜』のほうがよっぽど怖いよ!
そんな本作でいちばん割りを喰ったのは、観客よりも役者たちではなかったか。とくにヒロイン楓子役の瀧本美織が抜きん出ていて、ふつうのシーンで見せる自然な演技から、恐怖にゆがむ表情までじつに豊かに表現している。しかし、彼女が真剣に演じれば演じるだけ、素敵なスクリーミング・クイーンの様相を呈すればするだけ、本作のあきれるほどグダグダな造りに邪魔されるというジレンマは、はたして如何ともしがたいのだろうか。否、断じてそんなわけあるか! モンスター映画ならモンスター映画でけっこう、バカ映画ならバカ映画でけっこうだが、もうちょっと真面目に作ってほしい。ほんのちょっと──とりあえずストーリーがきちんと判別できる程度でいいから。前作のオチもさっぱり理解できなかったが、本作もまた「頭がスポンジ(byゆうきまさみ)」状態。誰かにほんと解説して欲しい。
ただ……地獄の沙汰も金次第、という文句をよくよく理解できる作品でありました。

*1:『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(ジャッキー・チェン監督、1985)〜『ファイナル・プロジェクト』(スタンリー・トン監督、1996)──あるいはリブート版──『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(ベニー・チャン監督、2004)