映画雑記-2016-

相も変わらずいろいろ映画を観ながらも、今年はまとまった感想をあまり書けなかったのですが、時折Twitterにて偶発的に、長さもバラバラに呟いていた感想を、一部加筆修正のうえ、備忘録として残します。


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ルパン三世 イタリアン・ゲーム』友永和秀総監督、矢野雄一郎監督、2016*1)は昨年のTV版(未見)の再編集+新規カットという構成の影響もあるのだろうが、それにしてもストーリーとアクションとギャグのパートが分裂しすぎじゃないかしら。それぞれで進展を一時停止しているような愚鈍さが否めない。テレコムだから画作りと動きは安定して楽しいのだけどなあ。


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Blu-rayザ・ビートルズ/イエロー・サブマリン』ジョージ・ダニング、ジャック・ストークス監督、1968)を観る。4Kスキャニングのうえ、1コマごとに手作業でレストアされたという画質の見事な出来栄えに驚嘆した。セルに背景画、写真など映画に使用された素材ごとの質感、ともすればセルの塗りムラさえ再現してみせる微細で精緻な色彩再現はもちろんのこと、DVD版までには見られた、フィルムの状態やデジタル化に起因する、作り手の意図しない画面のノイズやチラつきがごく最小にまで抑えられており、ストレスなく映画の世界にのめり込めるのが嬉しい。「無地」の背景の美しさよ! 見事なレストア版だった。


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◆1カット毎ふんだんにまぶされたユーモアで全編お腹がよじれるほど笑えながら、なおかつ豊潤に物語を展開してくれる『映画 ひつじのショーン〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜』(マーク・バートン、リチャード・スターザック監督、2015)の見事さよ! さすがのアードマン・スタジオ品質。


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◆劇場版名探偵コナン 業火の向日葵』静野孔文監督、2015)は、キッドが中盤の時点で的確に本作の犯人を縛り上げていたりなど、前半までは比較的丁寧なつくりだったのに、後半はかなり雑な展開になったのが残念だなぁと思ってwikipedia等の記事を覗くと、なるほど後半の脚本が尺の都合によってコンテ段階で1時間近く切られていたのか。名探偵コナンのアニメ版作品を観るのは、『ルパン三世VS〜』シリーズを除けば劇場版第10作目の『探偵たちの鎮魂歌』以来であって、さすがに埋めがたいなにかを感じたりもしたのでした。クライマックスの大スペクタクルと謎解きシーンがもっと有機的に絡んでいればよかったのになぁ。あるいは、敷地内に取り残されるのが蘭ではなくあの老婆であったなら、物語的により感情に訴えるものになったろうに。それ以外は、けっこう楽しかったです。


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◆いまさらのようにビデオ版呪怨清水崇監督、2000)、呪怨2清水崇監督、2000)の2作を観た。なんだ怖いじゃないか。件の伽椰子の階段降りは、それまでぶつ切りによって抑えられていた恐怖演出が、いっぺんに直接的にしつこく襲い来るのもあって、虚を突かれて心底怖かった。ただ、とりあえずいちばんの収穫はOV『怨滅のビデオレター』(永井裕監督、2010)のネタ元がひとつ知れた(たぶん)こと……ってなんだそりゃ( ゚д゚)、 ペッ


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◆いまさらのように劇場版呪怨清水崇監督、2003)、呪怨2清水崇監督、2003)の2作を観た。やっぱり怖いじゃないか。とりあえずいちばんの収穫は、3D版の貞子のキャラクター的文脈がつかめたことかしら。それにしても、伽椰子ってけっこう伊藤潤二の漫画『富江』の流れを汲んでるのだなぁ。


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◆やっと米国版“呪怨THE JUON/呪怨清水崇監督、2004)、呪怨 パンデミック清水崇監督、2006)、そして呪怨 ザ・グラッジ3』(トビー・ウィルキンス監督、2009)の3作を観る。んもう恐いじゃないか。『2』まではオリジナルと同じく清水崇監督なので、恐怖の感覚はそのままだが、暗転による断章演出がないなどの要素から、よりふつうに映画的に見えるのが興味深い。『3』は、劇場未公開もやむなしなくらいに“呪怨らしさ”は激減したものの、これまで描いてはいないが「ない」とも言っていない物語の空隙から新設定を作り出して脚本に仕立て上げるというアクロバティックさが、洋物感に溢れていておもしろい。その破天荒さゆえに、クライマックスあたりで空中分解するのがじつに惜しまれる。それにしても、7月4日に宇宙人を撃退した大統領ことビル・プルマンも、伽椰子の呪いには敵わないのね……。


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◆本来の売りであろう侵略SFとしてのスペクタクル的見せ場のどれもにまったく目新しさがなく、既視感と退屈さし溢れているインデペンデンス・デイ: リサージェンス』(ローランド・エメリッヒ監督、2016)におけるエメリッヒの演出は、もはや破れかぶれな様相さえ呈しているが、一方で彼が本当に描きたかったであろう男同士の色とりどりの友愛シーンについては、地球存亡なぞもう飽きたといわんばかりに、とても誠実かつ丁寧に情熱を持って撮られていて感動的だ。キャストにコンティやボウイ、たけしや教授がいないのが不思議なくらいだ。いっそ舞台もクリスマスにすればよかったのにと思わせるような、風通しのよさは魅力だ。


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◆原作小説の映画化で、地の文をモノローグやナレーションとして映画のあちこちに安易に貼りたくって「原作再現だ」っていうのは、もうやめようよ。選ぶ映画が悪いのか、最近観たこの手の邦画がだいたいそうで、なんとなくゲンナリしている。べつに地の文をモノローグやナレーション処理することが悪いのではなくて、使いどころをもっと考えて選んだうえで使ってほしいだけであって……。

たとえば、小野不由美原作の映画残穢-住んではいけない部屋-』中村義洋監督、2016)も顕著。脚色や恐怖映像は──そりゃ、元祖“ほん呪”のスタッフが関わっているのだもの──全然悪くはなかった本作においてしかし、主人公の作家「私」はのべつまくなしに地の文を読み上げるのは、いかがなものか。このために、原作の構造ゆえのホラー映画的緊張感の欠如──物語の基本構造が怪奇現象の事後取材であるため、その時点において「私」たちは安全圏にあるため、あまり怖くない──がり際立つし、それよりも、そんなこと映像や2言3言の台詞を交えれば事足りるキャラや状況の説明もとにかく「私」のナレーションで処理されるため、単にすこしでも描写に面倒なことは全部そうしているふうにしか見えなくなっている。 

せっかく本作が原作から改変を施したラストにおいて、映画文法として「ぜったいに安心安全なナレーションと劇判」に「ぜったいに安心安全ではない映像と音声」をぶつけるという対位法的な手法で、モキュメンタリーだからこそ読者に与えた原作の不穏な読後感を、フィクションである映画として再現することに成功しているのに、その効果が半減していないだろうか。たとえば、「私」のナレーションは冒頭のつかみに限定し、本筋の怪奇と恐怖の物語が映画としてきちんと緊張感をもって提示すれば、ラストの安心感に不意に差し挟まれる悪意ある作為に観客としてより「ゾッ」とできたのではないかしら(余談として加えれば、前述のラストの改変こそがたしかに本作の見所であるものの、それ以降がいささか盛り過ぎで蛇足な嫌いもある。あるいは登場する順序が悪いのじゃないかしらん)。


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◆長年に渡る続編制作の紆余曲折や女性キャストへの変更、役者に対するヘイト攻撃騒動などで、公開前から作品の外で大いに炎上したリブート版ゴーストバスターズポール・フェイグ監督、2016)はしかし、明るく笑えて、カラフルで、アクション満載で、ピリッと風刺の精神にも満ちたコメディ映画の快作だよ!

思うに本作の好ましさとは、多く語られるような思想的/政治的な鋭さもさることながら、もっとシンプルで普遍的なことを全体として語っているからではないかしら、ということだ。描かれる幽霊騒動の発端や、主人公たちに降りかかるトラブルや障害の原因は、大なり小なりどれも「お前は○○だからダメなんだ」とか「○○なことを言うアイツは絶対認めない」といって、他人に対して拒絶や抑圧をしたいという欲求──唯我独尊ともいえるかもしれない──だ。そうすることで自分の優位性を保って愉悦に浸ろうとする人々は多い。

エリンたちが乗り越えるべき葛藤は、他に対する/自身が受けるその欲求であり、やがて彼女たちは「そうではなく、お互いに他人をある程度は認め合おうよ」と、他者への寛容を謳うのだ。だからこそ、アビーの「ケヴィンは底抜けのバカだけど、それがケヴィンで私たちの仲間なんだ」という台詞や、ラストでのホルツマンのスピーチが単なる文意以上に感動的に響くのではないだろうか。

あたりまえのようでいて、そのように振舞うのが難しい「みんなちがって、みんないい」というスタンスが、彼女たちの活躍によってほんの少し物語世界に広まったとき、それがスクリーンを越えて染み渡ってくれたら、どんなにいいだろうか。


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Blu-rayズートピア(リッチ・ムーア、バイロン・ハワード監督、ジャレド・ブッシュ共同監督、2016)収録の特典映像で1番驚いたのは、劇中のスコアで聞こえるユニークな打楽器音の正体。てっきりシンセサイザーによる合成音の打ち込みだとばかり思っていたら、じつは生音であり、その奏法がとある既成楽器を合体させて鳴らすというのには意表をつかれた。

また、Blu-rayにて本編の字幕版をはじめて見聴きしたけれど、本作に多く登場する駄洒落をはじめ、原文をほとんど損なわずに翻訳しきった吹替え版のキレを確認した。たしかに吹替え版では劇中で提起される問題の論点を敢えてズラしているものの、殊に著作権にうるさいディズニーが“正確”な翻訳よりもローカライゼーションを優先して“超意訳”を──他社の映画にも増して──率先して用いる昨今の戦略が興味深い(『シュガー・ラッシュ』など、キャラクター設定をすら大幅に変えるような、台詞の改定が行なわれていたほどだし)。


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TVシリーズウルトラセブン円谷一ほか監督、1967-1968)を遅まきながら全話鑑賞した(ただし、現在欠番の第12話を除く)。いわゆる本編と特撮のショットの編集/繋ぎ方が実にシームレスで驚いたし、着ぎるみアクションも舞台の高低差やキャラクターの大きさの差を活かした縦の動きも取り入れられていて面白い。また、 金城哲夫らによる脚本も、正統派侵略モノからどこか苦みばしったオチのもの、果ては番組内の正義をあえて揺さぶりにかけるようなものまで1話ごとバリエーションに富んでいて、観ていて飽きるところを知らない。とくに好きだったエピソードを3篇挙げるなら、第8話「狙われた街」(実相寺昭雄監督、大木淳特殊技術、金城哲夫脚本)、第37話「盗まれたウルトラ・アイ」(鈴木俊継監督、高野宏一特殊技術、市川森一脚本)、第42話「ノンマルトの使者」(満田かずほ監督、高野宏一特殊技術、金城哲夫脚本)かしら。人気も名作の誉れも高い本作だが、その質の高さをしっかり確認できた。


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◆とある家に囚われた呪縛霊の視点から描かれる除霊という新鮮な観点の『私はゴースト』(H・P・メンドーサ監督、2012)は、無気味で静謐で、物語のために精緻に組まれたセットを映すカメラと編集が美しく、すごく’70年代風なオカルティシズムに溢れていて──こういう映画が観たかったんだ! 全篇に流れる主観と客観の不一致──という、至極あたりまえのこと──によって生じる恐怖感が素晴らしい。


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功夫の極意を修得して武芸の達人を次々と襲う猟奇殺人者をドニー・イェンが追う『カンフー・ジャングル』(テディ・チャン監督、2014)は、全編功夫&武侠アクション山盛りな『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督、1997)的サイコ・サスペンスでかつ、ドニー兄貴への功夫映画継承事業も大団円を迎えた感があって、最高か、となる。


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マイケル・ベイ製作の実写版第2弾『ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影〈シャドウズ〉』デイヴ・グリーン監督、2016)は、クライマックスのカタルシスに若干欠けるものの、適度に馬鹿馬鹿しく、適度にグロテスクで、アクションも面白い。前作よりもピザとコーラがすすむ感じが良い按配。中盤の見せ場である激流下りのシーンでの、ビーバップたちが逃げるタートルズ戦車砲で撃ち、さらにそれをアクロバティックにかわす亀を超スローモーションで正面から捉えた1ショットが本作の極点。


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◆互いのコミュニティでつまはじきにされている少女ソフィーと巨人BFGのふれあいと冒険を描いたロアルド・ダールの児童書『オ・ヤサシ巨人BGF』を実写化した『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』スティーヴン・スピルバーグ監督、2016)は、監督作としては久々にライド感満載の映像が楽しめるのと、なにより、これもスピルバーグ印のひとつである“光と影”演出が全篇に満ちていて、まるで祭典のようだ。色鮮やかにスクリーンを跳ねては染め上げる極彩色の光と、反対にグッと深く沈みこんだ影/闇とが織り成すコントラストの素敵な美しさは、ぜひとも劇場で体験したい。まるで童話を読み聞かされているような映画のテンポも心地よい。巨人の巨大さ表現も見事で、ロンドンの闇夜に紛れるBFGの佇まいや、クライマックスで4種類の大きさの人物たちが一同に入り乱れる長回しアクションの見せ方は流石のひと言だ。そのクライマックスの見せ場も、昨今のダラダラと長引きがちなVFX満載映画としては珍しいくらいにストンと──しかし高密度に──落ちるのが良い。そろそろ肌寒くなってくる季節に、ほっこりと心あたたまる作品だった。


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◆なかよし洞窟探検映画『ディセント』ニール・マーシャル監督、2005)は、照明の使い分けのうまさ、ジョン・ハリスによる編集の巧みさ、そして見事に閉じられるラスト・ショットが美しさも相まって、あんまりにも面白かったので、ひとり悔しがっている。それに続く『ディセント2』(ジョン・ハリス監督、2009)は、脚本にあまりに無理のあるアレな続編だったけど、前作から引き続いて編集(と本作では監督)を担当したジョン・ハリスの繋ぎの緩急は見事。前作からの天丼ネタで、同じように「ぎゃッ!」と驚かされて、ひとり悔しがっている。


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◆ピラミッドをはじめとする世界中の巨石遺跡の謎を暴こうとするドキュメンタリー(?)映画『ピラミッド 5000年の嘘』(パトリス・プーヤール監督、2012)は、明らかに問題提起とそれへの解答とのあいだに論旨のすり替えがあったり、比較検討するデータの総量や内容などに意図的な無視や歪曲がみられたりして、ドキュメンタリーとしての出来は問題が多分にある。いっぽう、それはそれとして本編で開示される様々なデータ群は、なるほど知的好奇心をくすぐる面白さがあることも確かであって、むしろダン・ブラウン諸星大二郎的な意味合いでの歴史/伝奇浪漫としてみるなら、ほがらかに楽しめるのじゃないかしらん。


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◆“午前十時の映画祭7”のラインナップのなかで、こればっかりはぜひとも劇場で観たいと思っていた続・夕陽のガンマン/地獄の決斗セルジオ・レオーネ監督、1966)に出かけてきた。4Kレストアによる高画質と大画面によって、遠景はよりダイナミックに、役者の顔面のどアップはより濃くなって、それらを並立する編集での対比がより際立つし、「黄金のエクスタシー」が流れ出すシーンの興奮も深まろうというものだ。それにしても、イーライ・ウォーラックは本当にいい顔/表情をしている。その機微が如実にみられただけでも、劇場に出かけた甲斐があった。


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◆ヘタレ役のユン・ピョウが主演したツーフィンガー鷹』ユエン・ウーピン監督、1979)は、構成もハチャメチャだし、シーンごとにジャンルそのものがコロコロ変わるけど、そのそれぞれがツボをきちんと突いてきて、とっても楽しい映画だった。もちろんアクション・シーンはどれも素晴らしい。


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◆もう何年も前に観た、底抜けのバカたちがバカを貫き通してバカバカしく活躍する『ズーランダー』ベン・スティラー監督、2001)とかジム・キャリーはMr.ダマー』ファレリー兄弟監督、1994)のことを思い出していれば多少幸せになれるので、なんとも安普請な頭をしているなァと思う。


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◆ラングドン教授が持ち前の宗教象徴学知識で、意味もなく持ってまわった証拠を残して悦にいる犯人を追うミステリ・シリーズ第3作インフェルノロン・ハワード監督、2016)は、諸星大二郎的な四方山話として相変わらず楽しい。まあ、それだけ重層的に犯罪計画をしておいて、その鍵となるマクガフィンを隠すのがそんな人目につきそうなところに工夫もなくぶら下げているだけかい、というツッコミは免れまいが、ラングドンが冒頭からしばしば垣間見るボッティチェリの《地獄の見取り図》の幻覚は、その悪夢的ビジュアルが素晴らしい(これをもっと観たかった気もする)。


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マイケル・ボンドの『くまのパディントン』を実写映画化したパディントンポール・キング監督、2014)は、絶妙なテンポで繰り出される軽妙なギャグとちょっとスリリングな冒険譚が交わった明るく楽しい90分であり、ファミリー映画として申し分ない完成度だった。自らも原作ファンというニコール・キッドマンがノリノリで悪役を演じている姿がそれだけで幸せそうだし、パディントンの声を演じたベン・ウィショーのなんとも知れぬナヨッとしたイケメン・ボイスぶりがよく似合っている。パディントンの毛並み表現も見事なり。


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パトリシア・ハイスミス原作の『キャロル』トッド・ヘインズ監督、2015)は、撮影から制御された色調設定、脚本、編集から演出まで、完璧な映画だった。単にLGBT映画という文脈だけに留まらない、人が恋に落ちて誰かを愛してゆく過程をこれ以上ないほど上質さで描き切った、普遍的な1本だ。


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◆トム・クルーズ主演のアクション・シリーズ第2作ジャック・リーチャー NEVER GO BACKエドワード・ズウィック監督、2016)は、おもしろくて満足したけれど、前作『アウトロー』(クリストファー・マッカリー監督、2012)にあった'70年代風味が抜けて、良くも悪くもイマ風な作品だった。良くも悪くも、ね。


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この世界の片隅に片渕須直監督、2016)を観た。あまりに強烈な映画体験であって、いまは言葉を失っている。絶句。ただ、本作がいま、きちんと全国で観られることは、素敵なことだと思う。


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◆平凡で奥手な男に、もし突然宇宙人によって万能の力が備わったら──というコメディ『ミラクル・ニール!』テリー・ジョーンズ監督、2015)は、モンティ・パイソン勢ぞろいなうえにサイモン・ペッグが主演で、さらに故ロビン・ウィリアムズまでもが出演し、それぞれが絶妙なパフォーマンスを魅せてくれるし、皮肉と風刺が効いた物語とスケッチ(ギャグ)はしかし、どこか藤子・F・不二雄の漫画を思わせる優しげなSF(すこし不思議)的展開をみせるのであって、僕にとってはまるで大好きなものでいっぱいの宝箱を開けたような作品だった。


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◆俺ちゃん a.k.a.デッドプールティム・ミラー監督、2016)の吹替え翻訳キレッキレでマジ最高なヤツやん!


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◆久しぶりにカウボーイビバップ 天国の扉』渡辺信一郎監督、2001)を見返した。面白い。しかし、すっかりヴィランのヴィンセントに感情移入するようになってしまったなぁ……。聖者のような悪魔……いい悪役だ。


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ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』クリストファー・マッカリー監督、2015)の日本語吹替え版は、悪役ソロモン・レーンを演じた中尾隆聖のゆるやかで、かつ低くドスのきいた演技がたまらなくシビれるぞ。


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施川ユウキによる漫画をテレビアニメ化したバーナード嬢曰く。(ひらさわひさよし監督、2016、全12話)は、大胆にキャラクター・デザインをアレンジしたことの面白さや、“読書”という題材が題材なだけに見え隠れする版権の壁が興味深かったのだが、いかんせん3分アニメという形態が難点ではなかったか。この極端に短い尺のために始終キャラクターたちが早口で台詞捲くし立てるばかりで、その台詞のおかしみやペーソスよりも騒がしさが目立つ。脚色はよかったので、同じ脚本で尺をせめて1話につき10分は費やして、もっと緩やかな間を持たせたほうが、より原作の持ち味を活かせたのじゃないかしら。


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*1:2016年1月8日、日本テレビ系列『金曜ロードSHOW!』放送。