2019 6月感想(短)まとめ

2019年6月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
ゴジラ キンブ・オブ・モンスターズ』(マイケル・ドハティ監督、2019)……別記事参照


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ジョージ・W・ブッシュ政権下で副大統領を務めたディック・チェイニーの半生を描くバイス(アダム・マッケイ監督、2018)は、大増量の肉体改造を経てチェイニーを演じた上げたクリスチャン・ベールたち俳優陣の熱演合戦も素晴らしい、たいへん面白く、そしてソラ恐ろしい作品だった。

たとえば本作の後半において触れられる「9.11同時多発テロ」発生当時、僕はまだ一介のハナタレ小僧であって、世界の混乱ぶりこそ記憶しているが、ブッシュ政権の水面下において本作で語られるような政略の数々が繰り広げられていたとは──もちろん、それ以前のチェイニーの動向も含めて──露知らず、たいへん勉強になった。劇中すなわち事実、王にも等しい権力を得たチェイニーと側近たち為政者の言葉ひとつによって、唐突に、虚をつくようなタイミングで差し挟まれる名もなき人々に死が訪れる様は、痛ましく、恐ろしい。そして、チェイニーたちがいかにして選挙や政治活動によって地位を得ていったかも。

しかし、本作の面白いところは、いわゆるシリアスなドラマ一辺倒にはせず、どこかコメディ・タッチであるところだ。謎の語り部を配して各所に解説──ときに露悪的に、ときに自虐的に──を入れつつ、ハッとさせられるようなメタフィクション的な過去の再構築(=編集)をしてみせる本作はどこかブラックな笑いに満ち、そして観客が登場人物たちへ感情移入することを阻んで常にスクリーンとの距離を保たせることで、どちらかといえばドキュメンタリー的な効果を醸している。

長時間労働と低賃金化が進んだことによって、たとえ余暇でも人々は政治について面倒で考えなくなる、という本作冒頭のナレーションはまさしく現代日本にも大いに当てはまることであり、なぜ本作がいま作られ、そして我々が観なければならないのかを端的に表しているだろう。本作のエンド・クレジットで流れるあの曲*1、そしてラストもラストに付されたイジワルだが実に適確なオチ*2を観るにつけ、無知と無関心は本当にいかんなと、改めて襟元を正させられる思いだ。必見。


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◆人と関わることが不器用な少女・琉花が、父の働く水族館でジュゴンに育てられたという不思議な兄弟・海と空に出会ったことで世界の秘密に触れてゆく海獣の子供(渡辺歩監督、2019)は、五十嵐大介による同名漫画(全5巻、小学館、2006-2011)を美しい映像で手堅くまとめ上げた1作だった。

原作の荒々しくも精緻な筆致をうまく作画に落とし込んだキャラクター・アニメーションと波打つ海面といったエフェクト・アニメーションの数々、そしてそれらを包む隅々まで描かれた背景美術の実在感が見事で、画面を彩る夏の晴れ渡った青空から星のきらめく夜空、台風のくすんだ雨雲、夏の陽光に照り返す木々の緑、珊瑚が彩る浅瀬から光の届かない深海まで、本作の色彩設定もまた非常に美しい。さらに、それらの素材をCG技術などを駆使して極めて自然に組み合わせて映される、キャラクターの背中を追って画面の奥へ奥へと進む長いカットといった、立体的で奥行き感のあるダイナミックな移動カットは観ていてものすごく快感がある。

また、本作のクライマックスにおいて『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968)の「スターゲイト」シーンもかくやに展開される一連の「誕生祭」シーンは間違いなく本作の白眉のひとつ。なんとも知れぬ極彩色のイメージの奔流が堰を切ったかのように次々と途切れることなく押し寄せるその圧倒的な祝祭感は、幻想的でサイケデリックで繊細で荘厳な、いうなれば曼荼羅の群れをスクリーン越しに浴びているかのような、えもいわれぬ映画体験を観客に与えてくれることだろう。さすがは『マインド・ゲーム』(湯浅政明監督、2004)を作り出した STUDIO4℃ の面目躍如といった圧巻さである。

物語に関しては、原作にあった世界創世神話にまつわる──諸星大二郎の漫画を思わせるような──伝奇的要素をかなりバッサリ切り、物語の辿る筋道を大きくアレンジされているものの、原作のエッセンスがうまく抽出されており、なかなかよかった。琉花視点のストーリーに極力絞り込むことで、パンスペルミア*3をモティーフとしたSF的壮大さのなかで描かれた思春期の少女の成長/性徴という要素をよりよく引き出している。

ただ欲をいえば、琉花のモノローグや、その他キャラクターによる説明台詞をもっと切ったほうが、本作においてはむしろ直感的な──即座に理解し得ないが、しかし圧倒的な、それこそキューブリックいうところの「映画のマジック」を全身に浴びるような──魅力をより得られたのではないだろうか。無論、モノローグがあるのは原作どおりだったり、オミットした要素を補おうとしたところもあるのだろうけれど、本作では蛇足だったり、かえって混乱を来たしている感が否めない。前述のとおり本作の持つ映像の説得力はかなりのもの*4なので、もっとストイックに言葉少なく物語を語る演出も可能だったろうし、「一番大切な約束は言葉では交わさない」という本作の惹句にもなった台詞とも合致したのじゃないかしらん。

とはいえ、映像の美しさと力強さは折り紙つきなので、ご興味があればぜひ劇場で体験したい。


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◆新人エージェントのMが、初任務としてMIBロンドン支局の伝説的エージェントであるHと組んで地球存亡の危機に挑むメン・イン・ブラック: インターナショナル』F・ゲイリー・グレイ監督、2019)は、面白かったのだけど、コレといった印象が薄い作品だった。

本作の魅力は、これまでの世界観をそのままに、新たに主人公となったテッサ・トンプソン演じるエージェントMと、クリム・ヘムズワーズ演じるエージェントHとが奏でる掛け合いのアンサンブルだ。『マイティ・ソー バトル・ロイヤル』(タイカ・ワイティティ監督、2017)などマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)作品に続く共演作となった本作でもまた、ふたりの息の合った絶妙なコンビネーションを堪能できる。また、本作冒頭においてリーアム・ニーソンが開口一番に言う台詞*5にも大いに笑った。

ただ、本作の大きな難点は物語が有機的に繋がっていないことだ。事件やアクション、ツイストは次々に起こるものの、それぞれがその場その場でアッサリと流れていってしまう。そもそも本作の敵が、その目的達成のためになぜそんな回りくどい方法を取ろうとするのかがめっぽう呑み込みづらく、たしかに冒頭とクライマックスで対になるようなミラー・イメージのショットを入れ込んだりしているものの、どうもサスペンスのためのサスペンスにしかなっていないように感じられてならない。

本作の制作段階において、監督と製作側が揉めていたという報道もあり、そのあたりが影響したのだろうか。脚本もかなり変わったらしい。最終的には監督監修と製作側監修の2種類の編集版あったという本作で、実際に採用されたのは後者だということなので、監督監修版もいずれはなんらかの形で観てみたいものだ。


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◆ボスから1年間の不殺生を命ぜられた “ファブル” の異名を持つ殺し屋が大阪に移住して普通の生活を送ろうとするもトラブルに巻き込まれる同名漫画(南勝久講談社、2014-)を映画化したザ・ファブル江口カン監督、2019)は、岡田准一演じる主人公ファブルこと佐藤明(仮名)のアクションや体技の見事さと、彼が一般常識を欠いていることで生まれるカルチャーギャップ・コメディ要素が融合した、なかなか愉快な作品だった。

プロの殺し屋としてのファブルの活躍を描く冒頭のシークェンスで見せる無駄のない動きのキレは素晴らしかったし、ゴミ処理場という空間を活かしたクライマックスの攻防での立体的なアクション構築も楽しく、敵に致命傷を与えらない縛りがあるために倒しても倒しても敵が起き上がってくる様は、まるでゾンビ映画の様相で返って新鮮だ。『シャーロック・ホームズ』(ガイ・リッチー監督、2009)を思わせるファブルの主観──テロップ芸は蛇足*6ではあるが──も面白い。

惜しむらくは、本作の音楽にちっとも一貫性がないこと──山下毅雄チャーリー・コーセイへのオマージュ曲には悪い意味で笑ったけれど──と、上映時間が123分と若干長いことだ。とくにドラマ部分に関して1ショットの長さや編集がチンタラと間延びしている感が否めない──山本美月のヘン顔にそんな尺要らないだろう、とか──し、クライマックスのアクションにしても少々ファブル以外に焦点を当てすぎな嫌いがある。あと20分ほど上映時間をタイトに刈り込んだなら、こういったアクション・コメディ映画として、よりいっそうの完成度を保てなのではないかしらん。


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【ソフト】
◆不勉強ながら観ていなかった、活動家としてのジョン・レノンに焦点を当てたドキュメンタリー映画『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン(デヴィッド・リーフ、ジョン・シャインフェルド監督、2006)は、学ぶべき歴史として面白かったし、なにより今日(こんにち)を生きる身として、とても勉強になった。Give Peace a Chance!


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*1:ウエスト・サイド物語』(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ監督、1961)の劇中歌のひとつ「アメリカ」。

*2:劇中、幾たびか登場した民間人を呼んでのフォーラムで巻き起こる「なにやら空気がおかしいと思ったら、この映画リベラルに媚売ってるんじゃないか?」という台詞に端を発する喧嘩と、そんななか政治無関心デース ヘ(゚∀゚*)ノ 代表みたいな人物が最後に隣の席の人物に言い放つ「次の『ワイルド・スピード』楽しみ」という台詞。

*3:スヴァンテ・アレニウスらが提唱した生命の起源に関する仮説のひとつで、地球生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の萌芽が隕石などによって到来した──喩えるなら、島から島へと種子を鳥が運ぶように──とするもの。これをモティーフにした他の作品では、たとえば『ガメラ2 レギオン襲来』(金子修介監督、1996)や『プロメテウス』(リドリー・スコット監督、2012)が挙げられる。本作では、この宇宙規模の “渡り” とそれによる新たな生命(=生態系/宇宙)の誕生がある一定のサイクルで連綿と行われており、現代人はこれを忘れてしまっている──かつて古代人は知っていたが、いまは伝承と遺物にその名残を残すばかり──がクジラたち海洋哺乳類と魚類は覚えている、という世界観に立脚している。

*4:また、寄せては返す波を思い起こさせるような、ミニマルな──スティーヴ・ライヒのパルス的──技法を用いた久石譲のスコアもよかった。

*5:「まったくパリは嫌いだ」という台詞は、明らかにニーソン主演作『96時間』(ピエール・モレル監督、2008)をなぞらえてのものだろう。

*6:後半一切出てこないし、そうであるならば、なぜタイトル・デザインにまでこれを使用したのか。