2019 10月感想(短)まとめ

2019年10月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆1970年代後半、スタンダップ・コメディアンとして成功することを夢見ながらピエロの出張役者として貧しい暮らしを送る青年アーサーが、やがて狂気と暴力に呑まれてゆく姿を描く、DCコミックスバットマン』に登場する最強の悪役の誕生譚『ジョーカー』トッド・フィリップス監督、2019)は、観た者に重々しく痕を残す、ひとりの人間の物語だった。

本作の時代設定がそうであることや、ホアキン・フェニックス演じるアーサーが憧れるトークショーの司会者マレー役にロバート・デ・ニーロが登板していることからもわかるように、彼が主演した『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、1976)や『キング・オブ・コメディ』(同監督、1983)をはじめとして、本作には1970年代ごろに製作された様々な映画群──『フレンチ・コネクション』(ウィリアム・フリードキン監督、1971)や『狼よさらば』(マイケル・ウィナー監督、1974)に『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン監督、1975)、『狼たちの午後』(シドニー・ルメット監督、1975)などなど──へのオマージュに溢れている。それは単に画調やアクションといった表面上のものに留まらない。本作は、こういった作品群が思索してきた人間と狂気、そして暴力がいかにして発動するのか、そもそも暴力とはなにかを観客に問いかけるような本質を見事に継承している。

本作の「ジョーカー」らしくないアーサーを思い出そう。彼は、急に笑い出してしまう病に苦しみながら、病弱の年老いた母を懸命に介護し、道化役として子どもたちに笑顔を与え、同僚や他のコメディアンが発する差別ネタには決して笑わない心優しい──過ぎるくらいに──男だ。それゆえに方々から馬鹿にされ、いじめられ、抑圧され、希望が打ち砕かれながらも、アーサーは笑顔を浮かべてグッと堪え続ける。しかし、前述の映画群の主人公たちがそうであるように、ついに限界に達して耐えることが難しくなってくる。この過程は、観ていて本当に胸を抉られるような思いに駆られた。そして、ついに狂気に呑まれたアーサーが、自宅近くの長い長い階段を軽やかにステップを踏みながら、まるで嬉々として地獄の底に飛び込んでゆくように駆け下りる姿には、哀しいけれども清々しくもある爽快感に満ちている。

「俺の人生は悲劇だと思っていたが、傍から見れば喜劇だ」というアーサーの台詞は、喜劇王チャールズ・チャップリンの「人生はクロースアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇だ」という言葉から来ている。本作では、同じくチャップリンの名作『モダン・タイムス』(チャールズ・チャップリン監督、1936)*1から映像が引用され、主題曲「スマイル *2」が流れ、“心が痛んで哀しいときこそ笑ってごらん” と歌いかける。しかし、それすらも不可能になったとき、どうすればよいのか? どうなってしまうのか? ──と本作は問いかけているように思えてならない。ピエロのように、笑いのメイクに涙を描き込むほかないのではないのか。そして、それは劇中のアーサーの狂気がそうであったように、スクリーンの前に座る僕らにも伝染するのである。

たとえ、すべてがジョーク *3だったとしても。


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◆殺し屋たちが集う「コンチネンタル・ホテル」内での殺人という禁を犯したために、世界中の殺し屋たちに追われることとなったジョン・ウィックの闘争を描くシリーズ第3作ジョン・ウィック: パラベラム』チャド・スタエルスキ監督、2019)は、冒頭から終盤まで思いつく限りのアクションを斬新さをもって詰め込んだ大盤振る舞いな1作だった。

図書館所蔵の本を使ったり、追い迫るバイク集団を馬でやり過ごしたり、犬をけしかけたり、おなじみの “ガンフー” からシラット、日本刀でのチャンバラなど、よくもまあここまで多様なアクションを思いつき、そして実践してみせるものだと、圧巻。これらをこなしてしまうキアヌ・リーヴスジョン・ウィックの鮮やかさはもちろんのこと、敵もさるもの、その誰しもが伝説の殺し屋であるジョンのファンであるために「憧れの先輩と闘えて光栄の至りッス!」と言わんばかりに嬉々として襲い掛かってくるのが微笑ましい。本作でマーク・ダカスコスが演じた宿敵ゼロの、ジョンを目の前にして笑みが押し止められない感じなど最高だった。

また、防弾着の発達ゆえに銃弾が基本的に無効化されたクライマックス手前での銃撃戦などは、ステージをクリアするごとに敵の防御力の上がるテレビ・ゲームもかくやのちょっと見たことのない領域の画面が展開される*4。闇夜に浮かぶネオン・ライトのような照明効果を活用した、しっとりと鮮やかに画面を彩る美しい撮影も、本作にある数多のアクション・シーンを盛り上げてくれる。そして、たとえば『続・夕陽のガンマン』(セルジオ・レオーネ監督、1966)でイーライ・ウォラックがみせた動作や、『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟監督、1999)でキアヌ自身が発した台詞の再現など、そこかしこに往年のアクション映画へのオマージュが忍ばせてあるのも憎らしい。

とはいいつつ、前作『チャプター2』(同監督、2017)からその気(け)はあったのだけれど、ちょっとアクション・シーンのそれぞれが若干冗長なのが難点といえば難点だ。とくに中盤にあるモロッコでの銃撃戦シーンは不必要に長い。もうちょっと上映時間をタイトに切り上げれば、それぞれの見せ場が一層印象的になったのではないかしらん。


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◆緊張すると気絶してしまう持病ゆえにひとつも売れない俳優・和人が、ひょんなことから演じることで顧客の依頼をなんでも解決する俳優事務所に所属し、やがてカルト詐欺団体の撲滅に挑むスペシャルアクターズ』上田慎一郎監督、2019)は、役者たちのアンサンブルが可笑しくて心地のよい良質なコメディだった。

主人公・和人を演じた大澤数人──情けないにも程がある挙動が最高!──をはじめとして、登場する俳優たちそれぞれのアクションや表情づけ、当人の持つ雰囲気などによって醸される実在感が素晴らしい。とくに長回しのショットで写される彼/彼女らのやりとりの絶妙な呼吸が、なんともしれぬ魅力をたたえている。なんとか自分を「ボス」と呼ばせたい事務所所長や、詐欺団体「ムスビル」の怪しさ溢れる欺瞞感や、旅館の番頭の濃い顔もよかった。前作『カメラを止めるな!』(同監督、2017)同様、役者の魅せ方は抜群だ。

これまた例によって、なにを言ってもネタバレになる脚本ゆえに詳細は控えるけれども、あれよあれよとコトが大きくなってゆく展開のワクワク感や、和人が少年期から心の拠り所として何度も繰り返し観ているVHSに録画された安い──たぶん「日曜洋画劇場」なんかの捨て駒週に放送されたのかしらん、と思わせるような──洋画『レスキューマン』(もちろん本作のための劇中映画)を活用した、なんとも心許ない感じが余計にグッと来るクライマックスなども見所だ。

もちろん粗がないではない。いささか構成の仕方が垢抜けてなかったり*5、編集が若干モタついていたり*6三谷幸喜作品的な本作の大オチ──監督のサービス精神なのか周囲からの期待ないし要請なのかはわからないけれど──も返って興を削いでいる感は否めない*7。それでもなお本作のような、若い才能が作り上げた良質なコメディが全国津々浦々のシネコンで上映されて観ることができるのはたいへん嬉しい。ぜひとも劇場へ駆けつけたい。

ムッスー。


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【ソフト】
◆ある日の午後2時37分、学校で自殺したひとりの生徒とは誰だったのかを、それぞれに問題を抱える生徒たちのその1日を追って描く『明日、君がいない』(ムラーリ・K・タルリ監督、2006)は、身体的、精神的、性的、そして環境的に様々な問題に悩む6人の生徒への──まるでドキュメンタリーのような──インタビュー動画によるモノローグを時折挿入する構成や、視点を幾たびも変えて同時刻を描く絶妙なカメラワークと編集──校舎の階段を昇り降りするだけの動作を、かくも象徴的に、ドラマチックに捉えられるものか、とも驚嘆──といった語り口が非常に秀逸。これらによって集約される、ことの真相は、その歯がゆさとやるせなさが胸に迫る、生涯忘れえぬ体験となった。真摯で、かつ見事な作品だ。


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*1:製作年からして、まだまだ世界恐慌の余波があったころの作品であろうし、本作のオープニングにエイゼンシュテインロシア・アヴァンギャルド作品に見られるようなの弁証法モンタージュがあるのは偶然ではないのだろう。それにしても、今回久しぶりに観返したのだけれど、なんと物悲しい可笑しさに満ちた作品なのだろう。

*2:チャールズ・チャップリン作曲。もとは劇伴だが、後に1954年にジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞とタイトルを加え、ナット・キング・コールによって歌われスタンダード・ナンバーとなった。今回本編で使用されたのはジミー・デュランテによるバージョン。

*3:本作を観ればわかるとおり、アーサーは決して信頼の置ける語り手ではない。前述の引用は、あるいはアーサーが劇場で観た映画だったのかもしれないじゃないか。

*4:このシーンでは安全地帯であるセーブ・ポイントめいた部屋まで登場し、ある意味で正しくアクション・ゲームの実写化的側面もあるといえるかもしれない。

*5:たとえば、ポスター等にも使用されていたイラストを使ったオープニング・クレジットは、むしろエンド・ロールの前に配置してドーンと観客を盛り上がらせたほうが効果的なのではないかしらん。

*6:役者陣の好演を切れなかったのかしらん。

*7:あるいはデヴィッド・フィンチャー監督の “あの” 作品を思い出した(仲間由紀恵のやつぢゃないよ)。