2020 6月感想(短)まとめ

2020年6月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆いまから約100年前に勃発した第1次大戦を映した記録フィルムを現代に甦らせた『彼らは生きていた』ピーター・ジャクソン監督、2018)は、凄まじい映像と証言の数々が生々しく迫るドキュメンタリー作品だった。

本作が描く1910年代といった映画黎明期から20世紀初頭に撮影された映像をいま我々が観るとき、その動きが奇妙にちょこまかと早回しに見える。これは、当時のフィルムの撮影速度が主に毎秒16コマ──さらに機材が手回しだったり環境によってもまばらだっという──が技術的な限界であったものが、トーキー以降の現在では毎秒24コマの撮影(映写)速度へと変化しているためだ。そこで、本作では最新技術を用いて、帝国戦争博物館に保存されていた当時の記録フィルム──主に戦線の様子を映した素材──を修復、速度補正(=隙間をデジタル技術によって擬似的に補填して24コマ化)、そしてカラー化を施したうえで本編を構成している。これによって、スクリーンに映し出される映像の数々は単なる記録フィルム以上に生々しく、自然な動きとして “いま現在” の我々の眼に迫ってくる。

もちろん元素材にあったのであろうモーション・ブラー(動きによるブレ)の部分には多少の違和感があったり、カラー化もテクニカラーの鮮やかさとまではいかないが、それでも開戦から英国本土で行われた新兵訓練までの記録映像をフィルムの傷や速度をそのまま補正なしに映す本編序盤の映像構成から、ついに彼らが欧州戦線へと出征し、ふいに画面が我々のよく馴染んだ「リアル」な映像に移り変わる瞬間には、えもいわれぬ迫力と感動がある。彼我を隔てる100年という時間差が一気に縮まるのだ。

この映像を使って本作は、戦争状態という非日常的な様相と同時に、それが日常として存在する生活感とを並置してして描き出す。最前線の塹壕無人地帯(ノー・マンズ・ランド)、後方の町でのノホホンとした休暇、負傷した身体、打ち捨てられて朽ちるままの死体の山、前線でのトイレ事情、砲弾や地雷の爆発と着弾、紅茶、そしてなによりも、カメラを見つめる名も無き兵士たちの十人十色の造作や表情が──まるでアウグスト・ザンダーの一連の写真のように──まざまざと眼に焼きつくことだろう。つい先日まで、普通の市民だった男たちが銃を持ち、わけもわからず西部戦線へと赴き、殺し合ったのだという事実が重く胸に突き刺さる。

そして、BBCが所有する退役軍人たちのインタビュー音源素材によって語られる証言の、開戦を聞いた各々の反応や開戦直後に醸成される同調圧力の数々──「パパは戦争のとき、なにをしていたの?」という台詞入りで印刷されたイラストなど、素材として挿入される当時のプロパガンダ的チラシの煽り方たるや──の醜悪さ、そして戦禍が熾烈を極めるごとに様々な閾値がどんどん急降下してゆく様子など凄まじい *1。そして、終戦してようやっと帰国した兵士たちを待ち受けていた現実も非情だ。いまなお世界各地で巻き起こっている戦争においても、本作で語られたようなことが飽くことなく繰り返されている──そして、続いてゆく──のかと思うと、やるせない。

歴史において、風化させるべきではない過去は──記録と記憶、双方において──多くあるだろう。それを喰い止めるひとつの方法がドキュメンタリー映画であるなら、本作はその試みにおいて新たな語り口を見出した見事な意欲作だ。本作が歴史の大きな趨勢よりも、あくまで一兵卒たちの視線にこだわって製作されていることも相まって、観客の記憶へ強烈に残り続けるに違いない。必見。


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◆陰陽の筆を武器に諸国を旅して妖怪を封印してまわる文豪プウ・スンリンの冒険を描く『ナイト・オブ・シャドー 魔法拳』(ヴァッシュ・ヤン監督、2019)は、絢爛なVFXを身にまとったジャッキー・チェンが楽しいファンタジー・アクションだった。

今回ジャッキーが演じる妖怪ハンター兼小説家プウ・スンリンとは蒲松齢(ほ・しょうれい)のことで、本作は彼がいかにして『聊斎志異(りょうさいしい)』を著していたかをファンタジー映画として描いたものだ *2。したがって本作は、ここ10年来、中国でのシネコン館数増大による需要拡大から増えてきた自国──もしくは香港等との合作──製作によるVFX満載のアクションを売りにした中華風ファンタジー作品群の流れを汲んだ1作といえるだろう。

ところで、そういった作品群の題材として古典『西遊記』がちょっとしたブームとなっており、ドニー・イェン孫悟空に据えた『モンキー・マジック 孫悟空誕生』(ソイ・チェン監督、2014)と、演者をアーロン・クオックに交代した『西遊記 孫悟空vs白骨夫人』(同監督、2016)、『~女人国の戦い』(同監督、2018)の「モンキー・キング *3」シリーズに加えて、別に『西遊記~はじまりのはじまり~』(チャウ・シンチーデレク・クォック監督、2013)、『西遊記2~妖怪の逆襲~』(ツイ・ハーク監督、2017)の「西遊 *4」シリーズという異なる2シリーズが同時に製作され、さらに単発作品など *5も数作公開されているほど。

こういった潮流のなかで、孫悟空=ドニー/アーロンの「モンキー・キング」シリーズを製作したアガン(キーファー・リュウ)が新たな題材として、『西遊記』同様に中国の古典文学である『聊斎志異』に再びスポットを当てて──シリーズ化も視野に *6──本作『ナイト・オブ・シャドー 魔法拳』をプロデュースして映画化したということだろう *7。それもあってか、大から小まで様々に妖怪たちが登場する世界観、まるで山水画のようにニョキニョキと生えた山々──本作の舞台はすべて、この雲をも貫く山頂に作られた、まるで仙人たち御用達のベッド・タウンがごとき町々なのが面白い──やクライマックスに登場する冥界の様子など、類似する画面もそこかしこにある(まあ、最近の中華ファンタジーで全体的に流行っている画面のテイストともいえる)。

とはいえ、ジャッキーのカンフー・アクションはさすがに控え目なものの得意のコメディ演技は見ていて笑いを誘うし、本作ほど “判りやすい” VFXを多用したファンタジー映画のなかにジャッキーがいるという画自体がかなり新鮮だ *8。緑と赤の映える色彩設計が美しい衣装や美術設定、まるでポケモンよろしく封印の小瓶からその都度ジャッキーに召喚される妖怪たちの着ぐるみを思わせるCGの質感──エンドロールに映されるメイキング・シーン集を見ると、実際に現場では着ぐるみでも撮影が行われたようだ──も可愛らしい。

そして、おそらく本国では3D映画として公開されたと思しき立体感を強調した画面レイアウトにて展開される武侠アクションや、護符の束から瓦礫まで舞い踊るスペクタクル・シーンでの追走アクションなど臨場感満点。また、公式ホームページ等によると、VFXによってジャッキー・チェンの顔を若々しくレタッチしたシーン──おそらくプロローグかな?──があるそうだが、たしかに肌艶はよいものの、現在と若い頃では骨格がかなり変化していることもあって、イマイチ効果不足な感があるのはご愛嬌か。

まあ、たしかに突っ込みどころは多いし、ギャグはコテコテではあるしと、いろいろと全体的にユルい味わいの作品であるが、本作は前述のように画面を観ていて楽しい作品なのには違いない。しかし、惜しむらくは演出が──とくに後半にいたって──明らかに息切れしている点だ。ジャッキーがその危機をいかにして脱したかの描写がスッポリと抜け落ちていたり、泣かせとしては陳腐な展開かつ演出が頻出したり、物語中盤で振られた件はどうなったとか、ラストはちょっと淡白すぎなのじゃないかしらんとか、詰めの甘さがそこかしこに露見している。それでも、もう60台半ばとなったジャッキー・チェンの飽くなき映画への挑戦を見ることができるのは、たいへん嬉しいことだ。石丸博也らによる息の合った吹き替えも絶品だ *9


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◆動物と会話のできる獣医ドリトル先生がとある出来事によって心を閉ざして幾星霜、彼の館にやってきた心優しき少年トミーとともに新たな冒険へと繰り出す『ドクター・ドリトル』スティーヴン・ギャガン監督、2020)は、キャラクターは可愛いけれど、アクションシーンの見せ場がいまいち魅力に乏しい1作だった。

なんといっても本作の見所のひとつは、CGにて再現された種々の動物たちだろう。人真似転じて本当に人語を喋られるようになったオウムのポリーや怖がりゴリラのチーチー、寒がりの白熊ヨシなどといった動物たちの、リアリスティックな造型とアクションながら人間のようにデフォルメされた表情やポーズを見せる独特の按配が可愛らしい。エディ・マーフィ主演のシリーズのころとは違って、もはや全CGなのが時代の流れを感じさせる。光陰矢のごとし。

そんな彼らと冒険を繰り広げるドリトル先生を演じたロバート・ダウニー・Jr. のほぼ独演会ともいえる姿も、本作の見所だ。もはや彼の芸風のひとつである奇人変人演技がこれでもかと大盤振る舞いであり、本作において心を閉ざして引きこもりになってしまったドリトルの奇行や、彼の家に住まう動物たちと “それぞれの” 言葉で会話する一挙手一投足、猫の目 *10のように変わる表情は観ていて楽しい。中盤の見せ場のなかで──作り手の意図はどうあれ──どうしたってアイアンマン・スーツをまとったようにしかみえないショットがあったのにも笑った。

しかしながら本作は意外と退屈。その最大の理由は、大小さまざまあるアクションシーンの構築がかなりお粗末だからだ。その舞台となる空間配置と見せ方があまり練られていないために、アクションに臨場感がほとんど伴っていない。たとえば前半の見せ場である、トミー少年がキリンに掴まっての町からの脱出~建設中の橋からドリトル先生の船に乗り移るシーンのなんとも知れぬ飲み込みづらさは如何ともしがたい。せっかく多くのCGキャラクターを使用するのだから、もっとダイナミックなカメラワークやパズルのように展開するアクションを構築することもできたろうに、たいへん惜しい。また、妙に寄りのショットが多いために動物たちが不自然に見切れてしまったりするなど、画面の狭苦しさもそれに拍車をかける。実際、冒頭に附されるプロローグのアニメーション・パートは、その辺も素晴らしいのだけど……。

最後に日本語吹替え版について。本作が遺作となった藤原啓治によるダウニー・Jr. の吹替えは、さすが『アイアンマン』(ジョン・ファヴロー監督、2008)以降、多くの作品で彼を演じてきただけあって、見事なシンクロぶりだ。その他、大御所からベテランまで──一部いわゆるタレント吹替え枠はあるものの気にならない程度──を配した全盛期の洋画劇場吹替え版もかくやの出来栄えで、そういう意味では、テレビを付けたら放送していた映画にたまたま出くわした昔の感覚を思い起こさせるようだ。

ことほど左様に、もっと面白くなりそうな要素はたくさんあるだけに、ちょっともったいない作品だ。


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◆小説家を目指す次女ジョーら4姉妹を活き活きと描いたルイーザ・メイ・オルコットの小説『若草物語』(1886)を映画化した『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語グレタ・ガーウィグ監督、2019)は、原作の魅力を削ぐことなく、しかし新たな解釈で現代的に生まれ変わらせた傑作だ。

なんといっても本作における脚本のアレンジが素晴らしい。本作では、これまでの映像化がそうであったように原作どおりの時間軸をなぞるのではなく、それぞれ大人になって別々の道をゆこうとする “現在” と、かつて姉妹揃って暮らしていた “7年前” とを交互に描いてゆく。この構成が非常に巧みで、成人期と少女時代とで起こる類似する出来事を反復するように置くことで、現在と過去におけるそれぞれの結果や意味合いの差がより際立ち、いっそうエモーショナルに物語を盛り上げることに成功している。

また、それを映す画面の色彩設計も見事。厳しい現実に直面する現在の時系列では冷ややかな寒色系、そして幸福だった過去の時系列では鮮やかな暖色系によってそれぞれ統一された画面は、先述の時系列シャッフルを美しくも無理なく展開させる大きな要素となっているし、スティーヴン・スピルバーグの助言によってデジタルではなくフィルム撮影が敢行されたという本作の色彩の豊かさはいうに及ばない。

そして『若草物語』という物語を相対化し、まるでジョーとオルコットが同一化してゆくかのような本作独自のラスト・シーンも効いている。冒頭、ジョーが編集長から「女が主人公なら、その結末は結婚するか、死ぬかだ」と言われたこと──そして、実際に原作小説でもそうであるわけだけれど──を受けて、しかしオルコット自身の本当の思いとはどのようなものだったのかを浮かび上がらせてみせるかのような展開は特筆に値する。

とにもかくにも、今日(こんにち)改めて『若草物語』を映画化する刷新性と意義、そしてもちろん面白さを兼ね備えた見事な作品だ。


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*1:本作では、射撃音や爆発、そしてガヤなどをサウンド・エフェクトとして追加録音しているが、これらの生の記録のうえにあっては「こんなものじゃないのだろうな」と思うこと必至。しかし、おそらく画面内のシチュエーションからの類推や、読唇術で兵士たちの「台詞」を決めたのだろうけど、まるで同録素材かと思えるほどに自然なのには驚いた。

*2:似た構造の作品として、たとえば『ブラザーズ・グリム』(テリー・ギリアム監督、2005)などが思い出される。

*3:英題から便宜的に。

*4:原題から便宜的に。

*5:悟空伝』(デレク・クォック監督、2015)や『西遊記 孫悟空vs7人の蜘蛛女』(スコット・マ監督、2018)、さらにかつてチャウ・シンチー孫悟空を演じた『チャイニーズ・オデッセイ』2部作(ジェフ・ラウ監督、1995)の続篇『3』(同監督、2016)も公開(ただし日本未公開&未発売)されている。また、長編CGアニメーション西遊記 ヒーロー・イズ・バック』(ティアン・シャオパン監督、2015)が製作されており、この作品の英語吹替え版では、ジャッキー・チェン孫悟空を演じている。余談だが、ジャッキー映画で『西遊記』を扱ったものといえば、ジェット・リーとの初競演が話題となった『ドラゴン・キングダム』(ロブ・ミンコフ監督、2008)も忘れがたい。

*6:「モンキー・キング」同様にキャストを変えてシリーズを続ける可能性はある。

*7:聊斎志異』を原作とする映画として、最近ではドニー・イェンが出演した『画皮 あやかしの恋』(ゴードン・チャン監督、2008)などがあったし、本作と同様に「聶小倩(じょうしょうせん)」を題材にした作品で有名なのは、やはりツイ・ハーク印の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(チン・シウトン監督、1987)だろうか。

*8:なんでDVDしか発売されてないの (つ_・、) クスン.? HDは配信のみ。

*9:なぜか本作の吹き替えでは『名探偵コナン』ネタがいくつか登場する。おもしろかったけれど、なぜなのかさっぱり見当がつかぬ。なぜ?

*10:本作に猫は登場しない。