2021年5月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。
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【劇 場】
◆明治12年、上海マフィアの頭目・雪代縁(ゆきしろ・えにし)が、とある因縁から緋村剣心への復讐を断行するシリーズ第4作『るろうに剣心 最終章 The Final』(大友啓史監督、2021)は、これまでとは格段にブラッシュアップされた出来栄えとなった1作だった。
不勉強ながら、漫画実写化の邦画史上でも評価の極めて高い実写版『るろうに剣心』シリーズ(同監督、2012-2014)をこれまで観ずじまいだったので、この機会にと思い立って前3作を観たうえで、いそいそと映画館に出かけて参りました(と申しつつ、いよいよ不勉強にも原作漫画やアニメもほぼ知識なし)。
まず、これまでのシリーズについて簡単に思うことを記すなら、キャスティングやプロダクション・デザイン、そしてなにより香港映画界で研鑽を積んだ谷垣健治アクション監督によるチャンバラでもカンフーでも武侠でもない実写版『るろ剣』独自の殺陣の数々は見応え抜群だった。剣心が持つ「不殺の誓い」の象徴である “逆刃刀(さかばとう)” という斬れない刀を活かした打撃の連続や、ワイヤーアクション等を用いたスピーディーでほどよく荒唐無稽なキャラクターたちの身のこなし──とくに、バイクレースのコーナリングもかくやに重心を傾けて疾走して壁すらも足場にする剣心の軽やかさたるや──の面白さなど格別だ。
しかしドラマ・パートにおいては残念な部分が目立っていたのもたしかである。物語の展開のさせ方にも不満点は諸々──たとえば1作目のアバンでいきなり剣心/人斬り抜刀斎の無双を見せちゃダメだろう(舐めてた相手が抜刀斎でした、というカタルシスが生まれない *1)とか、回想シーンが不必要に長すぎではないかとか──あるのだが、それ以上に語り部たるカメラワーク(画面レイアウト)がかなりおざなりで、それを繋ぐ編集も平板でチグハグなものだったことが非常にもったいない。もちろん、少なくとも状況は伝えてくれるのだが、たとえば物語的にも画面的にも上位にあるべき人物がこぢんまりと下部に映されていたりと、そこに情感やスケール感が伴っておらず、余計にドラマ部分がノロノロと退屈に感じられた。
閑話休題。はたして前作から時間を置いて制作・公開された本作『The Final』はどうだったか。
まず、そのアクションと殺陣の素晴らしさはそのままに、さらに規模も完成度もスケールアップされていたのには恐れ入るし、素直に嬉しい。とくに本作では敵味方双方の人員の増加が図られており、まさしく大乱戦といった画を存分に楽しめる。たとえば、正月の東京の夜を大混乱に陥れる雪代縁の一派と警官隊、巻町操や四乃森蒼紫ら隠密御庭番衆、そして剣心との闘いを描いた中盤の見せ場では、青い月夜の情景なか爆炎が紅く映え、瓦礫を撒き散らしながら狭い空間と広い空間を行き来しつつ縦横無尽に駆け巡る登場人物たちの一挙手一投足に瞬きの暇もない。
またクライマックスにて、ついに対峙する剣心と縁の決闘(前半戦)では敢えて劇伴を流さず、画とアクション、そして効果音のみで見せる演出のメリハリが効いている。身のまわりにある家具やら壁やら調度品やらをことごとく破壊しながら闘う様子は、さながら怪獣映画のようですらあった。本作では、これら以外にも多く用意されたアクション・シーンは質も量も申し分なく、間違いなくシリーズ中最高の興奮と満足感を観客に与えてくれるだろう。
そしてドラマ・パートについても本作は格段にブラッシュ・アップが図られていた。ノッペリとしたカメラワークは見直され、画面レイアウトや色調など前3作以上にきちんと練られており、また前述のように本作ではアクションに割いた尺がかなり大きいこともあってか、テンポもそれほど停滞することはなかったのが好印象だ。少なくとも、前3作ほどにはドラマ部分にストレスを感じることなく楽しむことが可能なはずだ。
もちろん粗がないわけではない。ところどころ気が抜けたかのようなトンチキなカメラワーク──あきらかにメインで映すべき対象がフレームアウトしていながら声だけが聞こえる、といった──が紛れ込んできたり、ところどころ編集のテンポが悪かったり、クライマックスの決闘の最中に長々とソレ映すのか *2といった展開が差し挟まれたり、あるいは決着後にメインの登場人物たちの安否が不明なのはいささか不安──ロングで1ショット挟むとか、警官隊と一緒に画面奥からカット尻に現われるとかできたのではないかしらん──であったり、北京語用の字幕が途中なぜかフェード・イン/アウトでの表示形式となって再び通常のそれに戻るのは多分ミスではないかと思うし、劇伴は使いまわしが多いし *3、けっきょく神谷薫のキャラクターがよく判らずじまいだった *4のは残念である。
また、作り手たちがイマイチ観客を信頼していないのか、劇中やたらとフラッシュバックが多いのもノイズだったし、本編半ばでいきなり中途半端に長い回想シーン──これはつまり次作『The Beginning』(同監督、2021 ※公開予定)の予告編も同義である──がはじまったときには大いに閉口した。剣心がかつて手にかけたという妻であり縁の姉でもある巴について、本作の段階ではまだまだミス・リードの余地を観客に残しておいたほうが得策だと思われるが、この回想シーンにおいて──詳細はともかく──次回作の展開のネタをあらすじ同然にけっこう割っているのではないか。本来ここに必要なのは、例の1作目のストック、剣心と巴の同居風景、巴が日記を書いている姿、剣心が巴を斬る遠景、そして巴が剣心の頬に刀傷をつける姿といった、後に本作の展開に最低限必要な内容のショット数種類程度のはずである。もちろん、この回想シーンが映画のテンポを劇的に殺いでいるのは、いうまでもない。
とはいえ、こういった粗が前3作よりも相当数減っていることは、作り手の心意気が反映されてのことだろう(もちろん、より徹底できなかったのかしらん、という気持ちもないではない)。少なくともシリーズ中で最も全篇とおして格段に、そしてきちんと完成度の高まった本作は、大いに楽しめるアクション娯楽大作であることは間違いない。
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【ソフト】
◆お面に黄色いレインコート姿の謎の殺人鬼が恐怖を巻き起こす『アリス・スウィート・アリス』(アルフレッド・ソウル監督、1976)は、二転三転する物語が面白いのはもちろんのこと、1ショット1ショットごとに精緻にこだわり抜かれた画面レイアウトが実に美しいスラッシャー・ホラーだった。ニコラス・ローグやアルフレッド・ヒッチコックへのオマージュもそこかしこにあり、また舞台がパターソンなので、もしかジム・ジャームッシュの『パターソン』(2016)と同じロケ地も多く映っているのかもしれない(なんとなく見覚えのある町並みだと思ったんだ)。
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◆ニューヨーク市の地下鉄がジャックされる『サブウェイ・パニック』(ジョセフ・サージェント監督、1974)は、緻密さと意外性を兼ね備えたプロットと、あくまで冷静に振舞う役者陣の名演と演出の積み重ねがストンと落ちるあの幕切れまで含めて、見事な作品だ。タハーってな感じ。お大事に。
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◆ケージ・ダイビング中の事故によって恐怖のどん底に落ちる姉妹を描いた『海底47m』(ヨハネス・ロバーツ監督、2017)は、昨年に続篇である『~古代マナの死の迷宮』(同監督、2019)を先に劇場で観てからようやっと観たのだけれど、やはり高所にせよ海底にせよ、地に足が着かない感覚や遠近感が不均衡な感覚が自分には恐ろしいのだと再認識させられたし、翻って発表順とは逆に観たことが吉と出るような、終盤のなんとも知れぬツイストに戦慄した。
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*1:むしろ戊辰戦争終結後の惨状→抜刀斎の姿を探すも見つけられない斉藤一→死体の山から「これが抜刀斎の刀か」と突き出る腕──くらいでタイトルに突入すればよいし、警察署の近くで薫を助ける際もジャンプのショットは──アクションは凄いけれど──蛇足であろう。もちろんテーマ曲のリズム・パターンからも類推されるように、本シリーズは実写版バットマン『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン監督、2008)の日本版をやろうとしているフシがあって、それゆえに毎回アバンでその物語中で最強の人物の活躍を描こうとしたのだとは思うけれど、1作目については──『バットマン ビギンズ』(同監督、2005)が基本的に時系列に沿って物語を描いていたことを思い出そう──特にそれが功を奏してない。
*2:決闘のクライマックスもクライマックスにいきなり「家具つきで日当たりも良好だし、素敵な部屋ね。月額いくらかしらん...…あら、あんなところに有村架純の肖像画が」なんてなシーンをやるもんだから、仰天したよ。いや、その足許でみんな闘ってるんじゃないの!?
*3:やおら剣心の突入シーンで、前々作の「京都のテーマ」が脈楽なく雰囲気だけで登場したときにはビックリしたよね。
*4:第1作で、警察署に迎えに出向いた剣心の肩の傷になんの反応も示さないのを筆頭に、じつは彼女こそ実写版シリーズのなかで最強のサイコパスではないのかという疑念は拭いきれない。