2021 11月感想(短)まとめ

2021年11月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆人類の歴史を7,000年前から見守ってきた不死の宇宙種族たちが、地球滅亡の危機を前に再集結する『エターナルズ』(クロエ・ジャオ監督、2021)は、シリーズとしては新鮮な味わいを醸す諸々の要素が楽しい1作だった。

まずは、なんといっても撮影──ジャオ監督らしく、とくに自然を映すショット群──の美しさは、MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)史上でも格別。もちろんアクションシーンなど、VFXによる要素の追加等が施されている部分も多分にあるものの、ロケ現場の自然光を活かした撮影によるあくまでナチュラルな淡いを保った色彩設計が印象的だ(そのぶん、夜間のシーンはいささか見づらいという難点もあるのだけれど)。


本作のヒーロー「エターナルズ」の面々は、人類の歴史の曙(あけぼの)のころ、はるか彼方の宇宙に存在する上位存在「セレスティアルズ」から地球へと派遣され、人類の発展を見守りつつ、その発展を阻害しようとする「ディヴィアンツ」を討伐する存在として登場する。このような設定には、やはり『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968)が思い起こされるし、エターナルズたちが、見る角度によっては巨大な黒い直方体(モノリス)のようでもある巨大な宇宙船に乗ってやってくることもまた、無関係ではあるまい。実際、原作者ジャック・カービーは『2001年~』のコミカライズを描いている。

また『2001年~』では一気にカットした、人類発展の歴史を時代を変え、場所を変え、主にその愚行に焦点を当ててカットバックする物語は『イントレランス』(D・W・グリフィス監督、1916)を思い起こさせる。この、人類史につかず離れず寄り添ってきたエターナルズの面々をみれば、人種、性別、年齢、能力、セクシュアリティ、そして性格と、様々な個性を持ったキャラクターで構成されており、彼/彼女たちもまた、ひとりひとりが異なる人間のメタファーでもあるのだろう。


そして、世界各地に存在する様々な神話や物語のタネ元がエターナルズの活躍だったり、やがて彼/彼女たちがより巨大な運命の歯車に巻き込まれてゆくという展開をみせる本作は、『暗黒神話』や『孔子暗黒伝』といった諸星大二郎の漫画作品を思わず髣髴とさせる伝奇的な味わいだ。MCU前作『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(デスティン・ダニエル・クレットン監督、2021)でもその傾向はみられたが、とくに本作ではこの風味が色濃い。したがってエターナルズのヒーロー性は、その巨大な運命にいかに立ち向かってゆくかの葛藤に寄っており、まさしく英雄譚的なものとして本作を捉えたほうが、よりグッと呑み込みやすくなるだろう。

こういった、MCUとしては新鮮なイメージの蓄積の果てに描かれるクライマックスの攻防の画はじつに美しく、迫力に満ちている。とくに──ネタバレになるのでなにがとは書かないけれど── “アレ” の巨大感演出が素晴らしい。下手に撮ったなら、相当陳腐になりかねないシチュエーション設定にもかかわらず、これはデカイと有無を言わさず納得させる見事なものだ。

役者陣の演技アンサンブルもじつに見応え抜群だが、本作の白眉はなんといってもギルガメッシュを演じたマ・ドンソク(本作ではドン・リー名義)だろう。あの豪腕を振りかざして鉄拳と張り手で敵を殴りつけるドンソク、アンジェリーナ・ジョリーをそっとエスコートするドンソク、エプロン姿で料理しつつ「ワハハ」と豪快にはにかむドンソク、仲間のいたずらで遊ばれるドンソク、そして役どころとしては1番おいしいところをかっさらてゆくドンソクと、こちらの期待を裏切らないマブリーな魅力が満載だ。


はてさて、これからのMCUはいったいどういった展開を経るのだろうか。本作で時系列がかなり過去まで遡った──地球上でだけでも7,000年前──ために、奇しくも劇中の台詞にある「どうしてこれまでの闘いにエターナルズが参加しなかったのか」という問いへの返答は一瞬納得しかけながらも「やはりサノスの目的が目的だっただけに沈黙を保ったのは矛盾してないかしらん」と思わなくもないし、あるいはここ数作で仄めかされてきた世界観を、本作で具体的に構築しはじめたのかしらんという期待感もある。

本作の置いた布石が今後どのように展開されるのか、目が離せない。


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◆夫が不可解な方法で殺害されたのをきっかけに、いまだ逮捕されない謎の殺人者の悪夢に悩まされるマディソンにその魔の手が迫る『マリグナント 狂暴な悪夢』ジェームズ・ワン監督、2021)は、ワン監督のありったけが詰まった、すこぶる楽しい超弩級のごった煮ホラー映画だった。


ワン監督は、本作についてインタビューで「自分流のジャッロ映画を作りたかった」と語っている *1。ジャッロ映画とは『サスペリア』(1977)などに代表される、主にイタリアのダリオ・アルジェントやマリオ・バーヴァといった監督たちが ’70年代あたりから撮っていた、謎の殺人鬼が猟奇的な方法で人々(主に美女)を殺害する様を極彩色な色合いで映したようなジャンルを指す。彼は少年時代、こういった作品群をVHSで好んで観ていたという。

しかし本作には、それらを超えて、多種多様なホラー映画のテイストが凝縮されている。ご存知のように映画とホラーの関わりは深く、そして長い。映画産業黎明期にはすでに短篇『フランシュタイン』(1910)が制作され、サイレント時代にはサイコホラーの原典ともいわれる『カリガリ博士』(1919)が公開され、世界を恐怖に陥れた。つまるところ、本作はまるで映画史にあまねく様々に存在するホラー映画作品群のエッセンスをすべてぶち込んだような作品なのである。

吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)や『魔人ドラキュラ』(1931)といった古典的な古城怪奇もの、『回転』(1962)や『たたり』(1963)に代表される心霊もの、『狼男』(1941)や『大アマゾンの半魚人』(1954)から『エイリアン』(1979)、『プレデター』(1987)などに連なるモンスターもの、『エクソシスト』(1973)や『悪魔の棲む家』(1974)に端を発するオカルトもの、『13日の金曜日』(1980)に『エルム街の悪夢』(1984)といったスプラッター/スラッシャーもの、『ターミネーター』(1984)といったある種のダークヒーローもの、数多制作されたスティーヴン・キング原作もの、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987)といった中華武侠系ホラー、それこそワン監督による『ソウ』(2004)を連想させる監禁もの、日本から逆輸入された『リング』(1998)や『呪怨』(1999)などのJホラーもの、そして『グレイヴ・エンカウンターズ』(2011)に『コンジアム』(2018)など近頃流行りの廃墟探索ものまで、ありとあらゆるホラー演出要素が入っている。

その撮影手法もバラエティに富んでいる。画面のレイアウトをほんのすこし傾けることで不安を煽ったり、部屋の奥や窓の外の暗がりにぼんやりと影が佇ませることで “なにか” の存在を匂わせたりといった古典的手法から、特殊メイクや特殊造型といった技術をふんだんに取り入れた見せ場、CGによる超現実的な景色を画面に焼きつけるVFX、そしてもちろん立体音響によって形成されたサウンド・エフェクトも効果的に観客の恐怖心をつつくだろう。これに加えて、かなり贅沢に作られたと思しき各舞台セットの出来栄えの見事さやデ・パルマ流の凝りまくったカメラワーク、おそらくワン監督が『アクアマン』(2018)を撮影したときに味をしめたであろう、殺陣とカメラワークの超絶技巧的融合によるワンカット風アクションまで盛り込んでいる。変態的なまでの詰め込みだ。


このように本作はほぼ闇鍋状態であり、これだけ要素をメガ盛りし大丈夫なのかという疑念が生じるかもわからないが、果たして本作はすこぶる面白い。それは物語についても同様だ。そして本作の展開の面白さとは──ここまで一切の劇中のディテールの記述を避けて、外郭の説明ばかりしていることからもわかるように──なにを言ってもネタバレになりかねないタイプの作劇と展開を用いた作品であるからだ。

すこしずつ布石を置いてゆく序盤から、ホラー展開と謎解きとが観客のミスリードを巧みに呼びながら重なる中盤、そして文字どおり急転直下のツイストを経て怒涛の伏線回収とクライマックスへと雪崩れ込むという、ハイテンションを維持しつつも観客をしっかりと引っ張る脚本の整理力は見事なものである。だから、本作についての情報を可能なかぎりインプットしない状態で観ていただけたなら、きっと楽しんでいただけると思う。なにせ、ここまでトンがった映画はなかなかない。

もちろん、ここまで書いてきたように様々なホラー映画作品のエッセンスや演出/撮影の技法を一挙に詰め込んだ本作は、いっぽうで一貫性のない散漫な印象を受ける観客もおられることだろう。ハッキリ言って、思い返せば「ならアレって矛盾じゃないかしらん」といった部分もある。しかし、強引にそれを押してでも、本作『マリグナント』にてワン監督がホラー映画を総括しようとした試みは、まさしく昨今の彼のフィルモグラフィーとも通じるだろう。

それは本作の試みが、『死霊館』(2013)からワン監督が創始した「死霊館ユニバース」シリーズの試みとその方向性を同じくするからだ。“悪魔祓い” を基本のクライマックスに、作品ごとに異なるテイストの舞台や設定、ホラー演出をフィルムに焼きつける「死霊館ユニバース」は、永年積み上げられてきたホラー映画の刷新を企てる作品群だ。したがって本作は「死霊館ユニバース」を続けるなかで誕生した、ワン監督によるホラー映画史の──まるで教科書のような──総決算とも捉えられはしまいか。そのように考えるなら、後進のアニメーターを育成するために、それまで自身が東映アニメで培ってきた手法を総ざらいで詰め込んだ宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』(1978)的な作品と本作を言い表すこともできるだろう。


ことほど左様に、本作はじつに濃密で豪華で味わい深く、それゆえに新鮮な面白さに満ちた作品であった。もちろん日本公開においてR18+指定を喰らった作品だけに、グロテスクな描写もそこかしこにあるので、苦手な方はご注意くださいね。


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【ソフト】
◆植民地辺境の町を平和的に治める民政官のもとに、「蛮族が攻め込んでくる」ことを恐れる大佐が中央から派遣される、J・M・クッツェーの小説『夷狄を待ちながら』(1980)を映画化した『ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏』(シーロ・ゲーラ監督、2019)は、面白半分に「狼が来るぞ」と村人にまくし立てた結果、誰からも信じられなくなる「狼少年」というイソップ物語があるが、もしもこの少年が権力を持った体制側の勢力だったとしたらどうなるかを本作は描き出す。ただ声のデカイ奴がもてはやされる今日日(きょうび)の我々の社会とも通じる作中の寓話的描写に、とても身につまされ、考えさせられる作品だった。


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◆ピンチクリフ村にある山のてっぺんで暮らす自転車修理工で発明家の老人が、ひょんなことからスーパーカーを開発してレースに挑むことになるノルウェー産のストップモーション長編アニメーションピンチクリフ・グランプリ(イヴォ・カプリノ監督、1975)は、どこか牧歌的な雰囲気のある作劇や美術と、クライマックスにて展開される大迫力のレーシング・シーンが見事な1作。

もとはノルウェーの新聞に掲載されている漫画が原作ということで、その飄々としたペンタッチを見事に立体化した人形造型とアニメーションが活き活きとして可愛らしく、また歯車やギアをとおして駆動するメカニックのレトロでアナログな描写とデザインも見ていてじつに楽しい。そして第3幕にて展開されるレーシング・シーンたるや凄まじく、ストップモーション撮影だけでなく、小型模型のラジコン操作での通常撮影、スクリーンプロセスなど様々な技術を駆使して表現される臨場感は思わず身を乗り出すほどだ。

なかでもとくに、高低差あり、曲がりくねったS字カーブありと変化の激しいコースを爆走する車体の後ろからカメラが追いかけるショットのスピード感の大・大・大迫力。それにくわえ、車の設定ごとに異なった軌道を描く走りっぷりなどのディテールも細やかで目が離せない。これは単に憶測だけれど、きっとジョージ・ルーカスも本作を観たに違いない。というのも『THX-1138』(1971)で後年CGで追加されたカー・チェイス・シーンの画、また『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999)でのポッド・レースのくだりは、画作りだけでなく展開まで本作にそっくりだからだ *2

ともあれ、現在もなおノルウェー興行史上歴代1位を保持しているというのも納得の作品だ。とっても面白かった *3 *4


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*1:web『BLOODYDISGUSTHING』内「“My Version of Giallo”: James Wan Lets Us Know What to Expect from His New Horror Movie ‘Malignant’ [Interview]」(https://bloody-disgusting.com/interviews/3680994/james-wans-malignant-take-giallo-made-horror-fan-interview-post-9-1-11am-ct/)を参照。2021年11月18日閲覧。

*2:実際、そういった指摘をした英字サイトや比較動画もある。

*3:また、DVDに収録された日本初公開当時の吹替え版も──音質的には若干難はあるけれど──いまとなっては伝説級の声優陣総動員の素晴らしいものだった。

*4:10年ほど前に本国では次回作が制作されたようなのだけど、誰か輸入してソフト発売してくれませんか?