2022 1月感想(短)まとめ

2022年1月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【ソフト】
◆あることがきっかけで父や周囲と確執のある高校生ゾーイが、高校で勃発した銃乱射事件の犯人たちにたったひとりで立ち向かう『ラン・ハイド・ファイト』(カイル・ランキン監督、2020)は、ハイスクール版 “ダイハード” といった趣──作り手も、あきらかに意識しているだろう──で、ほのかに張られた伏線とみなぎる緊張感で一気に惹き込まれる見事な面白さに満ちている。たぶん『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン監督、2008)のジョーカーにかぶれたんだろうなと思わせる犯人の造型もいろいろと考えさせられるし、ゾーイに附せられた独特のとある設定が作劇のスパイスとして絶妙に機能している点も見逃せない。騙されたと思って、ぜひご覧なさい(でも、全米ライフル協会なんかが「ホレ見たことか」と間違った方向に喜んじゃいそうでもあるんだよな。まあ、ちゃんと観ていれば、ちっとも違うのだけど)。


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◆中国と北朝鮮国境付近に位置する白頭山(ペクトゥサン)の大噴火によって巨大地震が発生、朝鮮半島壊滅が決定的となる第4次大噴火を阻止するため特殊部隊が北朝鮮に潜入する白頭山大噴火』(イ・ヘジュン、キム・ビョンソ監督、2019)は、大迫力のVFXを含めたヴィジュアルと奇想天外な脚本をよくもまあ見事に仕立て上げたディザスター作品だ。また、キアヌ・リーヴス三船敏郎を髣髴とさせるイ・ビョンホンの風体と演技、そして『AKIRA』味を感じさせるタイトル画面が愉快 *1


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◆少女誘拐目的で郊外の一軒家に忍び込んだ謎の集団だが、その家主が最強の盲目老人だとはまだ知らないドント・ブリーズ2』(ロド・サヤゲス監督、2021)は、逆転の発想とはこのことか、というべき思い切りのよい2作目だった。映画──とくにホラーやモンスターもの──がシリーズ化されたとき、本来なら恐怖の対象であるべきキャラクターがマスコット化したり陳腐化したり、あるいは観客にとってはある種のヒーローめいたものに変化したりするのは世の常だが、本作ではそれを逆手にとって、ならさっさとダークヒーローものにジャンル転換してしまおうと作劇し、かつ成功しているのが面白い。

本作は前作ともはや別モノといってもよく、本作から観てもなんら問題ないだろう。作中、そこかしこに『レオン』(リュック・ベッソン監督、1994)へのオマージュがあるのが愉快だし、これは本編とは関係ないけれど、視聴者の心理を先取りするかのようなBlu-Rayディスクの仕様 *2もちょっと新鮮だった。


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◆19世紀末、絶海の孤島に立つ灯台を管理するため、ふたりの灯台守──ベテランの老人と新米の若造──がやってくるライトハウス(ロバート・エガース監督、2019)は、気がふれることとはどういう感じなのかをアトラクション的に描いた無気味な怪奇作品だった。

劣悪な環境と重労働のなか、途切れることない霧笛、四方で轟く波音、吹き荒れる暴風、止むことないカモメの鳴き声、終わることを知らないベテランからの小言が延々と耳に入り続けた結果、新米の精神はすこしずつ疲弊してゆく。やがて波音の狭間にセイレーンの呼び声が聞こえ、カモメに嘲笑されているような気がする……といった具合に、本作は観客の精神を彼同様に揺さぶろうとするだろう。すべての騒音をミックスしたような無気味で不確定な劇伴、極端に狭い画面比率(1:1.19)──いわゆるムービートーンという、トーキー映画黎明期によく使用された、サウンドトラックをフィルムに定着させるために本来画像を定着させる面積をそれに割いた画郭──にグラフィカルに構築されたモノクロ映像が、それにいよいよ拍車をかける。

監督のインタヴューなどを読むと、ふたりの登場人物をそれぞれプロテウスとプロメテウスになぞらえつつ、ポオやラヴクラフトメルヴィルらの書いた無気味なテイストを出そうとしたという。本作について、敢えて別の喩えを出すなら江戸川乱歩の「人間椅子」や「鏡地獄」、「押絵と旅する男」といった読み手の主観をぐらつかせるような作品群の読後感に近いといえよう。ウィレム・デフォーロバート・パティンソンの演技合戦も見もの。


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白色テロ時代の只中にある1960年代の台湾、とある因縁を持つふたりの高校生が深夜の校舎で出会う『返校 言葉が消えた日』(ジョン・スー 監督、2019)は、発表時から高い評価を得たホラー・ミステリ・ゲーム『返校 -Detention-』(赤燭遊戲、2017)の実写化映画作品であり、これまであった数多のゲームの映画化として、変化球だが新たな傑作となった1作だ。

本作が見事なのは──ゲーム内にあった悪夢的なヴィジュアルを見事 “違和感” こみで再現したVFXだったり、2D横スクロール風のプレイ画面をそこかしこに再現した撮影の素晴らしさはもちろんのこと、それ以上に──いわゆるゲーム・プレイそのものの再現や追体験性に注力するのではなく、ゲームをクリアすることで浮かび上がるキャラクターそれぞれの内面や、真に伝えたかった物語を丁寧に語ることにこそ焦点を当てている点だ。これによって、ホラーとして消費される以上に歴史ドラマ映画として見応えのある作品となっている。

もちろんそれゆえに、ゲームの映画化としては物足りなく感じる部分がないといえば嘘になる。ハッキリ言えば、ゲームであった謎解き要素は本編序盤でだいたい分かってしまう。けれど、本作を観ることで『返校』という物語、そして人間が経てきた──あるいは繰り返そうとしている *3──歴史への理解がいっそう深まることは間違いない。必見だ。


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旧ソ連の秘密衛星の破片がニューヨークに落下したために未知の巨大グモが発生する『スパイダー VS マン』(ティボー・タカクス監督、2013)は、設定だとか脚本だとかアクションだとか特撮だとかについて、本作の予算としては踏むべき定石をきちんと踏んでいるから苦もなく観られるし、CGも悪くなく、やることはきちんとやっている。

だがしかし、いかんせんカメラワークが下手というか、ふつうのドラマ映画でも「そうは撮らんだろ」という画面レイアウトばかりが頻出する極度の平板さが──ぜんぶアイラインなのだもの──肝心の特撮シーンにおいておやスケール感を伴っていないのために、ことごとく世界観をみみっちいものになっており、もったいないことこのうえない。本作の見どころは、クモの造型と、『エイリアン2』(ジェームズ・キャメロン監督、1986)にて、ダメな軍人だけれど最後の最期には観客の涙をかっさらうゴーマン中尉を演じたウィリアム・ホープが、救いようもなくダメな軍人役として登板しているところです *4


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◆父の設計したマッハ号を駆る凄腕レーサーのスピードが巨大企業間の陰謀に巻き込まれるスピード・レーサーウォシャウスキー兄弟 ※現・姉妹 監督、2008)は、不勉強ながらいままでスッポカしていたけれど、とっても楽しい作品だった。いわずとしれたタツノコプロ制作『マッハGoGoGo』(笹川ひろし総監督、1967-1968)の実写化である本作は、とにかく総天然色なヴィジュアルが素晴らしい。とくに本命であるレーシング・シーンが、スピード感は実写ベースながら、いわゆるリミッテッド・アニメーション的な表現をそのままVFXに落とし込んだような表現はいまみても──もちろん技術の時代的制約でCGっぽさ全開ではあるけれど──新鮮。別個のパースを用いた背景の切り抜きをスライドさせることで立体感を出すBOOK処理を思わす背景の処理を再現した遠近感表現など、とくに面白い。劇伴の作曲がマイケル・ジアッキノで、こちらも納得の登板だ。


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*1:余談だが、吹替版それ自体は悪くないものの──当方のプレイヤーの所為かもわからないが──オリジナル音声と比べて劇判のミックスが不自然なのはどうしたことなのか(ひどくモノラル寄りというかさ)。

*2:エンドクレジットに突入した途端に特典メニューへ誘導するポップアップが表示される。正直ビックリするからやめてほしい。

*3:どこでかって? まあいろいろあるけど、僕らだって他人事じゃないよ。

*4:あと、タイトルの出オチ感も、最高でした。