2022 5月感想(短)まとめ

2022年5月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆日本にばかり出現する敵性大型生物〈禍威獣(カイジュウ)〉への対抗に特化した精鋭部隊〈禍特対(カトクタイ)〉の前に、謎の光の巨人が現れる『シン・ウルトラマン樋口真嗣監督、2022)は、明るく楽しい “空想特撮映画” として見事に結実した1作だった。


「特撮の神様」こと円谷英二が設立した円谷プロが制作・放送して人気を博した特撮テレビドラマ『ウルトラマン』(円谷一ほか監督、1966-1967)を庵野秀明が企画・脚本等を務めて映画としてリブートした本作についていえることは、まず端的に「楽しくて、面白かった!」ということだ。

個人的に『ウルトラマン』をはじめとした「ウルトラヒーロー」たちは、ドラマ含めた本編をすべて観たのはおとなになってからとはいうものの、物心ついたときにはすでにして──その経緯はいっさい覚えていないけれど──好きだったキャラクターであり、それなりに愛着のある存在であることもあったのだろう。

というのも、情操教育の一環として買われていたであろういくつかのディズニーの古典映画のVHSに交じって、どういうわけだか『ウルトラ怪獣大百科』の何本かや、わけもわからずドラマ『私が愛したウルトラセブン』(佐藤幹夫演出、1993)を録画したVHS──たぶん両親がウルトラ狂いの僕のために録画してくれたのだろう──を気が違ったかのように繰り返し観ていたり、いまは懐かしき小冊子付のカセットテープ音源を幾度となく聴いていたりしたことは、僕の最初期の記憶のひとつだからである。後にお気に入りはゴジラガメラといった怪獣に映ってゆくのだけれども、ともかく本作を観ているあいだ、なんだか童心に帰ったような気分になって、すっかり無心で楽しんでしまった。


閑話休題

さて、本作の見どころを挙げるなら、まずはなんといっても特撮映像だろう。山間(やまあい)で樹木をなぎ倒し、街中でビルを木っ端微塵にしながら猛威を振るう怪獣の躍動と、対するウルトラマンとの攻防は迫力満点だ。とくにシネマスコープというワイド画面を活かした抜けの良いロング・ショット──ここまでの引きの画は、オリジナル当時はテレビの画面サイズ4:3の制約から不可能だっただろう──が、映画世界に文字どおり拡がりを持たせていて印象的だ。また、単純に特撮シーンの数とボリュームが多いのも嬉しいし、原作を再現したパートとまったく新しい画面に挑戦したパートとのバランスもよかった。

また本作は、もともとが連続テレビドラマでかつ各話の連続性が薄いレギュラー・ドラマ形式である『ウルトラマン』の物語を1本の劇映画としてまとめあげるにあたっての工夫も利いている。とくに、どうして似たような形状の怪獣が何度も出現するのか──もちろん実際には着ぐるみを部分的に流用していたためだが──を物語的一貫性の軸のひとつに持ってきていたのには舌を巻いた。また庵野秀明脚本らしく、空想特撮的フィクションラインを絶妙に保ちつつも理詰めで構築されるSF的ディテールが物語の実在感を底上げしている。

もちろん先述の原作の形式上、本作のリズム感は映画というよりも、全6話の30分ものドラマシリーズをシームレスに繋いだ総集編的な感じに近い。それでも『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、2016)から引き継いだ、出来る限り無駄を省いた脚本と原作ドラマを思わせるちょっとコミカルなユーモア、そしてグラフィカルな──『シン・ゴジラ』以上に、被写体の手前に配したなにかしらを大胆にナメる実相寺昭雄アングルを重用した──画面 *1とテンポのよい編集でグイグイと観客を引っ張ってくれることだろう。


ところで、本作でもっとも興味深かった点を挙げるなら、本作が意図的に持たせようとしている、ある構造だろう。あるいは立ち位置、スタンスと言い換えるべきかもしれない。というのも本作は、『シン・ゴジラ』が「もし現在はじめてゴジラが出現したら」というシミュレーションを劇中でおこなっていたことを引き継ぎ、今度は「もし『シン・ゴジラ』に端を発して『ウルトラマン』というコンテンツが現在はじめて誕生したら」というメタ・フィクション的なシミュレーションを『シン・ウルトラマン』という枠組みを使って試みているからだ。

本作のタイトル画面 *2からプロローグ部分まで──という、開始早々に腰を抜かす展開──を観てもわかるように、本作は『ゴジラ』(本多猪四郎監督、1954)に端を発する怪獣映画/円谷特撮が、紆余曲折あってついに『ウルトラマン』として結実した瞬間を目の当たりにした視聴者の感覚を──非常に変化球なかたちで──観客に追体験させようとしたのではなかっただろうか。そうであればこそ、かつて円谷特撮番組内で東宝特撮映画の役者陣が脇を固めたように、本作に『シン・ゴジラ』から絶妙に重なるような重ならないようなキャスティングで役者が続投しているのだろう。この円谷特撮受容史の疑似的な追体験を観客に与えるという試みが吉と出るのか、それともオッサン(=面倒な老いたオタクたち)の世迷い言(=つまらない想い出話)と捉えられるか、今後の観客のリアクションがどう転ぶのかも興味深い。

ともかく本作によって庵野が『シン・』特撮シリーズで試みようとしていると思しきものの一端が垣間見えたのはたしかであり、先ごろ新たな予告編も公開された『シン・仮面ライダー』(庵野秀明監督、2023 ※公開予定)がどういう切り口となるのか、俄然楽しみになった。


その他、成田亨のオリジナル・デザインをブラッシュアップしたウルトラマンや怪獣各々の造型は質感表現含めて美しかったし、宇宙人が有する理屈や本作のウルトラマン解釈も面白かったし、あの声のキャスティングはズルいと思ったり、田中哲司の部下に早見あかりがいるのはドラマ『デッドストック〜未知への挑戦〜』(権野元、三宅隆太、森達也監督、2017 *3)を思い出したり、さんざん予告編で引っぱっておいた報告書の内容には抱腹絶倒したし、良くも悪くもフェティシズム全開なショットの数々はようやったなァ思ったり、とはいえ長澤まさみ演じる浅見分析官が後半になるにつれて活躍しなくなって応援団長化するのはもうすこしどうにかならなかったのか、あるいは禍特対がそれぞれのシーンでいったいどこに陣取っているのかといった位置関係がいまいち判りづらかったなぁ、などなど細々あるけれど、まさしく “空想特撮映画” として明るく楽しくリブートされた本作は、スクリーンでこそ楽しみたい1作だ。もちろん、ウルトラマン初体験の方にもオススメです。

最後に、本編とは関係なく僕の好きな言葉は「犠牲者(為政者)はいつもこうだ……。文句だけは美しいけれど…… *4 *5」です。


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【ソフト】
◆しがない中年の父親で金型工場勤務のハッチ・マンセルが、とあるきっかけから凄惨な闘いへと飲み込まれてゆく『Mr.ノーバディ』イリヤ・ナイシュラー監督、2021)は、いわゆる “ナメてたアイツが殺人マシンでした” 系映画として、じつにじんわりと「ああ、いい映画を観たな」と感慨に浸れる絶妙な湯加減の作品だった。展開やアクションの定石を踏まえつつも、ひかえめながらもそこかしこに斬新さを盛り込んだ演出が効いていたり、クリストファー・ロイドが元気そうでなによりだったり、オープニングとラストで流れる『悲しき願い』の味わいがたまらない。


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*1:普通の映画撮影用カメラと、おそらくはスマートホン内臓のカメラなどをあれこれ使用したために、『シン・ゴジラ』以上にショットごとの画面の解像度や色味、感触がバラけているのがいささか気になるけれど、これはこれで昭和特撮の合成の有無で変容した画面の手触りが、本編にやって来たと考えるべきなのだろうかしらん。

*2:本家『ウルトラマン』のタイトル・ロールを忠実に再現した、と申し上げれば判っていただけるだろう。

*3:このドラマも、ホラーに特化した『ウルトラQ』(円谷一ほか監督、1966)的な味わいのあるシリーズだ。

*4:本作において、こちらの善悪の基準を明確に揺るがすようなエピソードや、あるいは怪獣のほうにこそシンパシーを寄せてしまううようなエピソードがないことには若干の不満を覚える──もちろん、ここまでやると収拾がつかなくなるのは明々白々だし、原作ドラがレギュラー・ドラマ形式でかつ多く話数があったからこその拡がりであったことは重々承知である──けれど、だからこそ、あえて彼にあんなイイ声であんな内容の言動──その元ネタは当時のいくつかの雑誌や書籍が誤情報を元にプロフィールを掲載した、ということがあったからである──をとらせたのだろうな、と思うし、また神永が単身逃げ遅れた子どもを助けるために駆け出したのも、このエピソードからの引用だったのかもしれない。いずれにしても、「故郷は地球」だと胸を張って言える世界になってほしいものです。

*5:脚本では「為政者」であったというが、ちなみに、公式の北米版Blu-Ray ボックスの英語字幕では「犠牲者」を採用しての翻訳であった。いずれにしても、含蓄のある台詞なのには変わりない。