2022 7月感想(短)まとめ

2022年7月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆自身の失敗で、とある惑星に移民団ごと逗留することになったバズ・ライトイヤーが、人々をなんとか脱出させようと奮闘するバズ・ライトイヤー(アンガス・マクレーン監督、2022)は、懐かしさと新しさが同居した、奥深い味わいのある作品だ。


本作は、『トイ・ストーリー』(ジョン・ラセター監督、1995)に登場する少年アンディが1995年ごろに観て夢中になった映画──おそらくは実写──という体(てい)の作品ということもあり、もちろん実際の本編は最新のCGアニメーションによる映像とはいえ、本作の映像の手触りはどこか懐かしさを感じるものだ。

本作の予告編を観てもわかるとおり、宇宙船や基地、衣装や背景といったプロダクション・デザインの数々は『スター・ウォーズ』シリーズや『エイリアン』シリーズといった1970年代後半から1990年代初頭までに制作されたSFX大作をあきらかにオマージュしているし、本作のそこかしこに設けられた “特撮” の見せ場における光学合成感や、カメラワークや編集のテンポ感もまた当時のタッチを思い出させるものだ(ラストのラストにいっぺんに直近のVFX的見せ方になる飛躍もまた楽しい)。きっと裏設定では、本作のSFXはILM *1の手によるものに違いない。


本作の物語は、主人公バズ・ライトイヤーがいかにして真のスペースレンジャーとなってゆくかを描く成長譚となっている。任務中、必要もないのに音声日誌をのべつまくなしに語り散らかしたり、なんでも「自分ひとりでできる」と豪語する自信家だったバズが、とある失敗の繰り返しを経て、なにが本当に必要だったのかに気づくまでの物語だ。そういった意味で、やがてバズが対決することとなる宿敵ザーグの正体を『トイ・ストーリー2』(ジョン・ラセター監督、1999)にて語られたものから絶妙なひねりを加えた設定にアップデートしていたことには、なるほどと膝を打った。

また、本作で僕自身がもっともグッと来たところを挙げるなら、前半部に描かれるバズの失敗の連続を映すシークェンスだ。自身のミスによって謎の惑星に逗留せざるを得なくなったことから、何度も何度も脱出のための実験に挑戦しては失敗し、盟友アリーシャに迎えられて自室に戻るという一連の繰り返しの見せ方や編集などは、ともすればユーモラスなものとして演出されているようにも見える。しかしそれゆえに、アリーシャをはじめとした周囲の人々や環境だけが着実に変化してゆくなか、バズ自身だけがなにも変われずに置いてけぼりを──文字どおり──ひとり食っている彼の焦りや孤独感がより切実に浮かび上がってくる *2。本作の脚本を担当したピート・ドクターのタッチが発揮された見事なアプローチだ。


ところで本作が描く別の側面をみるなら、それは本作が「アメリカ」についての物語であることに気づくだろう。本作の登場人物はみな移民団であり、彼らが建造するコロニーの姿は建国から今日(こんにち)までのアメリカの似姿だ。そして、それは様々な変化の歴史でもある。だからこそ、たとえば『イン・ザ・ハイツ』(ジョン・M・チュウ監督、2021)の主人公たちが内に秘める「ホーム(故郷)」という言葉の意味合いの変化と同様のものが本作でも重要なファクターとなっているのだろうし、クライマックスでバズが自ら下した決断──なんならサンドイッチの概念ですらそうだ──のように、ものごとの価値判断基準は常に刷新してゆかねばならないと高らかに謳い上げることが重要なのだろう。

だからこそ、本作で描かれるとある同性カップルが作った家族の描写のあることを理由に、いくつかの国家やアメリカ本国でも保守派層が拒絶反応を起こしていることがやるせない。なんならディズニーですら、問題の描写をカットしようとしていたのだ。本作において、この描写が大々的に描かれるわけではない。あくまで、さりげなく “ふつう” のこととして描かれるに過ぎない。それは本作における未来の人類社会が、そこまで成長しているからだ。その成長に憧れこそすれ、否認するような動きは、なんとも無念でしかたがない。LGBT差別や夫婦別姓否定といった様々な差別的/人権軽視発言を議会や街頭演説で悪びれもせず繰り返す議員が跋扈し、また政権を握っている現在日本も無関係ではない。

本作でバズの声を演じたクリス・エヴァンズがこの問題について「本当のところ、あの人たちは大バカ者なんだ。気弱で、無知で、昔の価値観にしがみつこうとする人たちは、いつだって存在するものです。でも、そういう人たちは、恐竜のように滅びていく。私たちが目指すのは、彼らを意に介さず、前進し、人間らしく成長することを受け入れることだと思います *3」と語るように、そしてもちろん本作でバズが下した決断のように、僕らはまだまだ理想の世界に向けて成長しなければならないはずだ。


ことほど左様に、じつは予告編を観た段階では「大丈夫かな?」と思っていた本作だったけれど、笑って泣いてハラハラする普遍的なエンタメ性と目には懐かしい楽しさがいっぱいであり、それによってむしろより新しい息吹を世界に芽生えさせようとする奥深い1作だった。


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◆キング・オブ・ロックンロールと称されるエルヴィス・プレスリー波乱の人生を、彼を見出したトム・パーカー大佐との関係を軸に描く『エルヴィス』バズ・ラーマン監督、2022)は、なるほどこういう描き方で来たかと膝を打った1作だ。


本作は、伝記映画としての面白さとエンタメとしての楽しさのバランス感覚がとても巧みだ。プレスリーについてあまり詳しくはない僕のような門外漢も「へぇ、こんなことがあったのか」と知的好奇心をくすぐられるし、同時にラーマン監督の衰え知らずな煌びやかでハイテンションな演出や編集がグイグイと観客をスクリーンに引き込んでくれることだろう。そして、まるで本人が乗り移ったかのようなオースティン・バトラーの演技も相まって、なんとなく知っていたあの曲この曲がどういった経緯で作られ、また歌われたのかを要所要所でつまびらかにしてゆく展開は、じつにエモーショナルに力強く胸を打つ。本作も、そのほかの優れた音楽映画同様、なるべく良い音響環境のなかでご鑑賞いただきたい。


さて、本作の主人公はもちろんタイトルのとおりエルヴィス・プレスリーであることに相違ないのだけれど、いっぽうで作り手たちは、もうひとり裏の主人公を物語に据えている。それはもちろん、エルヴィスを一大スターに仕立て上げたマネージャー、トム・ハンクス演じるトム・パーカー大佐だ。そうであればこそ、本作は彼のモノローグで幕を開け、そして幕を下ろすのである。では彼は物語において、アンチ・ヒーローとしてなにに象徴されているのか。それは悪魔である。

パーカー大佐がエルヴィスにはじめて声をかけたときのことを思い出そう。彼は煙とともにふいにエルヴィスのそばに──しかも虚像として──立ち、言葉巧みにエルヴィスを自身の領域へと誘い込む。煙を伴ってポンと登場するのは、悪魔のクリシェである。そしてパーカー大佐は自身の欲望を満たすため、ことあるごとに──まるでファウストを貶めようとするメフィストフェレスのように──エルヴィスの思考を、行動を、そして魂を思いのままに篭絡しようとするだろう。


いっぽう、幼いエルヴィス少年が貧困黒人街のなかで出会ったブルース、そしてゴスペルに音楽の薫陶を受けたという描写がなされるように、本作の物語においてエルヴィスは神の子としての性格が付与されている。エルヴィスは神から与えられた音楽という魔法で、当時あった黒人と白人との分厚く巨大な壁を打ち崩してゆく。しかし、それを──金儲けとしては──よく思わないパーカー大佐が手を変え品を変えて骨抜きにしようとする……といった具合に、本作には “悪魔” 対 “神” という神話的構造が巧みに取り入れられており、この度重なる対決こそが、映画を支える大きな軸のひとつなのだ。

この熾烈な闘いはどのような決着をみるのか、そしてラストにおいて、悪魔の化身としてのトム・パーカー大佐がいったい誰を最後に篭絡しようとするのか──これらはぜひご自身でたしかめていただきたい。パーカー大佐の最後のパンチラインに、僕はひどくシビれたものである。


そのほか、当時の人種差別的な世相の描写にはもろもろ考えさせられたし、そんななかでのエルヴィスの振る舞いはまさしくロックンロールだったのだなと改めて思い出ださされたし、もちろんパーカー大佐との関係を主軸にしたことで──またラーマン映画の性格として──オミットされたりした要素もあるのだろうな(そこは今後自分で補足してゆきます)……などなどあるけれど、本作が大画面と大音量のなかで鑑賞されるべき作品のひとつなのは間違いないので、ぜひ劇場でご覧ください。


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【ソフト】
◆愛車のパンクで田舎町に立ち往生した男が、「修理費の代わりにひと晩清掃作業を」と斡旋された廃遊園地で怪異に出会う『ウィリーズ・ワンダーランド』(ケヴィン・ルイス監督、2021)は、始終「オイラはなにを観させられているのだろう」と狼狽しながら、それでいて妙にクセになるテイストの1作。

ニコラス・ケイジが演じるイーストウッドターミネーターを足して割ったような無口でべらぼうに強く労働基準法に厳しい男も味わい深いし、なんともしれぬキャッチ―さに耳を奪われる劇中歌の数々、適度にアッパレなゴア描写、エドガー・ライト監督作を彷彿とさせるグイグイ喰い気味な編集、そして ’80年代香港映画もかくやに広角レンズ撮影の左右が歪んだ画などなどマジでなんなのかしらん、と思いつつも夢中で観てしまった。

なにより「ッパ休憩って大事よね (o^-')b」と切に思わされる。吹き替え版も凝ったつくりなのでオススメです。


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◆とある即身仏の伝承にまつわる殺人が巻き起こる湯殿山麓呪い村』池田敏春監督、1984)は、物語はもちろん、登場人物のどいつもこいつもすべてにおいて「最悪を絵に描いて額に入れたみてェだぜ……」と、ゼェゼェとたいへんな思いをさせられた1作だった。まいっちんぐ


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【配 信】
◆謎の原因によって月が地球に急接近し、世界崩壊の危機が訪れる『ムーンフォール』ローランド・エメリッヒ監督、2022)は、とんでもなくヘンテコなSFディザスター作品だった。脚本の行き当たりばったり感はもちろんのこと、果ては同シーンないし同ショット内においておや作中のルールがバラバラだったり直前の説明と矛盾があったりと、本作のガバガバさはいっそ清々しいほどだ。

それもこれも作り手が本作を「あなたがた、こーいう画が観たいんでしょう?」という見せ場至上主義で撮ったからではないかと思われるが、悔しいかな、本作のディザスター・シーンで映される画はけっこう面白い。なんといっても水平線の向こうから超巨大な月がヌッと顔を出し、無数の隕石を地表に叩き落としながら、同時に重力の相殺でいろんなものがフワフワ浮かび上がってゆくシーンを精緻なVFX で描くバカバカしくも壮大な阿鼻叫喚シーンの数々は、なかなか新鮮な見応えだ。また、エメリッヒ映画らしい人間関係の演出や、彼が毎回作品内に潜ませている『スター・ウォーズデス・スター戦におけるいわゆる「トレンチ突入」シーンも──本作では割と愚直に──盛り込まれており、なるほど彼の監督作として現状の集大成映画としても楽しめるだろう。

もちろんマジメな超大作を期待して本作を観ると間違いなく肩透かしを喰らうので、ゆったりとした気持ちでの鑑賞をおすすめします *4


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*1:もちろんピクサーは、かつてILMの一部門だった。

*2:原題が “Lightyear" なのも利いている。

*3:Web『HuffPost』内「同性キスシーンを批判する人は「大バカ者」。バズ・ライトイヤー主演俳優がピシャリと反論 | HuffPost(2022年6月17日)」を参照。2022年7月5日閲覧。)

*4:余談だけれど、秋の月見シーズンに公開したほうがよかった気がしないでもないなあ。