2023 3月感想(短)まとめ -Part1-

2023年3月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆2010年、へんぴな田舎に暮らすチャイ売りの少年サマイが町ではじめて観た映画に魅力にのめり込み、やがて映写技師の男ファザルと出会う『エンドロールのつづき』(パン・ナリン監督、2021)は、思いがけず射程の深い「映画」についての作品だった。


本作の舞台となるのは、インド北西部に位置するグジャラート州の片田舎。ガンディーの出身地として知られるこの地方独自の公用語グジャラート語」を用いた映画が日本で公開されるのは本作がはじめてという。そういうこともあってか、スクリーンに映される風景や風土──大地を覆いつくす畑や牧草地の緑、季節の移り変わりで大幅に水かさの変化する河、少年たちの学校への通い方などなど──は、いままでつまみ観してきたインド映画群とはまた違った味わいだ。同地方でオーディションを行い、3,000人のなかから選ばれたサマイ役バヴィン・ラバリをはじめ、彼の友達たちを演じた少年たちの存在感も素晴らしい。

本作の題材とあらすじをみるなら、多くの観客が『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、1988)を思い起こすだろう。もちろん本作の主軸のひとつである、映画好きの少年が映写技師のオジサンの導きによって映写室の小窓から映画を覗き観るという構造は似通っている。また、本作で語られるエピソードの多くがナリン監督自身の少年期の出来事だということで『大人は判ってくれない』(1959)といったフランソワ・トリュフォー監督作なども思い起こされることだろう。そのほか、冒頭で謝辞の捧げられた各監督の映画作品へのオマージュもそこかしこにあって、ナリン監督は劇中のサマイ少年と同じく映画をほんとうに愛しているのだろうと思わされることしきりだ。


本作でとくに興味深いのは、サマイが映画の物語や役者といった内容はもちろんのこと、映画はどのような仕組みでスクリーンに映写されているるのかという点に強く魅かれている点だ。

劇中で彼が友だちとおこなう「映画づくり」がいわゆる──そしてよくある──映画撮影ではなく、映画の上映/映写の再現であったことを思い出そう。フィルムの切れ端を壁に投射することからはじまり、ガラクタをかき集めて自前の映写機をこしらえ、そして……というサマイの映画づくりは、そのまま人類が光とレンズによって投射を行い、写真を発明し、そしてそれを繋げて動画から映画へと進化させ、さらに無声映画からトーキー、モノクロからカラーへ等々といった映画メディア技術の進化/発展の再発見にほかならない。同時にわれわれ観客は、サマイをとおして100年余の映画史と、映画を観ることの原初的な楽しさの核心を追体験させられることだろう。まさしくそれは、劇中にあるとおり、光との戯れによって浮かび上がるのだ。


であればこそ、本作の物語の舞台が2010年という、映画史において大きな変化のあった端境(はざかい)期に設定されていたに違いない。本作のクライマックスでは、この時期に前後して世界各地で見られたであろう光景が、ある種の無常観すらもって映し出される。クライマックスにおいてサマイが彷徨い見る一連の光景の切り取られ方は、どこか神々しく超現実的でもあり、そして同時に──ドキュメンタリー映画作家でもあるナリン監督のテイストもあるのだろう──非常にまざまざとシステマティックに達観した不思議な感触で、そこがまさしくサマイと映画にとっての常世──もっといえば地獄──であったことを痛感させられる見事なシーンだ。

しかし、本作が真に素晴らしいのは、ここで終わらないことだ。もちろん物語的には、少年期の出逢いと喪失を映画史のある種のピリオドと重ね合わせることでノスタルジックな味わいを醸して結末とすることも可能であっただろう。だが、映画メディアがいまも変化と進化をし続けているように、サマイや物語もまた前を向くことを選ぶ。ひとつの時代が終わることが、けっしてすべての終わりではないことを本作はささやかに、しかし力強く謳い上げる。ラスト・シーンに映された、かつてのものから姿を変えた色とりどりの品々を観たとき、素敵な感慨がこみ上げてくる。ありとあらゆるものがどんなに姿かたちを変えようと、これからも「映画」は、きっとまだまだ続くのだ。


その他、サマイら少年たちの絶妙な逞しさは微笑ましかったり、彼やその父が丘の向こうになにを眺めているのかの展開のさせ方も巧みだったり、冒頭と終盤の飛行機の使い方──監督によれば、空を飛ぶ飛行機を見ることが子ども時代に外の世界と繋がる唯一のものだったという──はさりげなく見事 *1だったり、お母さんのつくる料理がとにかく美味しそうで美味しそうでお腹が空いたりもした本作だが、とにもかくにも、あらすじや予告からは予想もしないほど深い射程を持った「映画」についての、そして映画愛に溢れた1作だった。全国順次公開作なので上映館も限られてはいるものの、お近くで上映の際は、ぜひとも本作がスクリーンに映す光を浴びに劇場へお出かけください。


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◆スコットの娘キャシーが開発した量子世界探索装置の謎の暴走により、未知の量子世界へと吸い込まれるアントマン&ワスプ: クアントマニア』(ペイトン・リード監督、2023)は、どうにも面白くなり切らない1作だった。


たしかに本作はMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)フェイズ5の幕開けに相応しく、フェイズ4までではいささか不明確だった最強ヴィランたる征服者カーンも登場し、いよいよシリーズにおける物語の本筋が立ち上がった感はある。また、冒頭と終盤に付されたスコット・ラング/アントマンの日常描写も微笑ましい。

しかし、どうしたものか、ここまでピンとこないMCU作品も久々というか、本作はどうにも煮え切らない。本作で新たに登場するこれまでとは “別の“ 量子世界設定の後付け感が凄いとか、その画やシーンの見せ方もこじんまりしていたりとか、なんだか全体的に画面が薄暗くて見づらかったりとか、各所にまぶされたギャグも滑りどおし──やはり設定面白早口解説おじさんルイス(マイケル・ペーニャ)の不在は寂しい──とか、いろいろ思うところはある。


ただ、本作でもっとも欠如している──あるいは、本作に期待していた──のは、これまでの『アントマン』シリーズにあった独自の魅力ではなかったか。それは、小さくなったり大きくなったりというヒーローの特性を活かした画作りと、捕り物合戦の面白さだ。残念ながら本作では、アントマンたちの縮小/拡大の使い方に──新鮮味がないのは仕方ないかもしれないが──画的な面白さや戦略的ロジックが希薄で単調に思えたし、いわゆるマクガフィンを巡って敵味方入り乱れての追走劇がほとんど見られないのがとても残念だ。

ところで、本作における敵兵たちのデザインや、そもそも物語それ自体が、びっくりするほど『トロン』(スティーブン・リズバーガー監督、1982)にソックリで大丈夫なのかしらんと心配になるほどだった──いや、どっちもディズニーだからいいのか──のだけど、その既視感の強さも本作の面白さを阻害する要因だったのかもしれない。


MCUのなかでも『アントマン』シリーズはけっこうお気に入りだっただけに、本作に自分がノリ切れなかったのが悔やまれるが、はてさて、あまりに邦題が不評だったために慌てて「Volume 3」にしたためにいよいよ整合性がおかしくなったMCU次作はどうなりますことやら。


     〇


◆ランドリーの経営もうまくゆかず、夫婦仲は冷め切り母娘関係も亀裂が生じている中国系移民のエヴリンが、ひょんなことからあまねくマルチバースを救う闘いに駆り出される『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ダニエル・クワンダニエル・シャイナート監督、2022)は、いままでにないユニークさと普遍的な感動を持ち合わせた不思議だが力強い1作だった。


本作は、一見とにかくハチャメチャだ。カンフー映画マルチバースSF、ホームドラマにメロドラマ、親子関係に夫婦関係、移民やLGBTQに世代間ギャップ、世界線ごとに目まぐるしく変わる画面サイズ、くだらないにもほどがあるギャグの連発に多種多様なパロディとオマージュ、そして石ころ……と、書き出すだけでも点でバラバラな要素は、まさしく「なにもかもがいっぺんに」というタイトルどおりである。そして、これがそのじつ見事に混然一体となって──まさしく劇中に登場する「ベーグル」のように──観客を惹きつけてやまないだろう。

キャリアの集大成ともいえる演技とアクションを余すところなく披露するミシェール・ヨーや、役者としては久々の登板となったキー・ホイ・クァンら俳優陣の好演、殺陣やフィルムスピードから撮影方法まで香港映画そのままのカンフー・アクション(スタント集団「MartialClub *2」の面々が関わっているのも嬉しい)、幾重にも拡がる複雑怪奇なマルチバース世界線の数々を1本に繋いでみせたポール・ロジャーズの編集、本作のヴィラン “ジョブ・トゥパキ” を彩るシャーリー・クラタの鮮やかな衣装デザインなどが、グッと映画の存在感を引き立ている。


また、ダニエルズ監督らのインタビュー *3を読むと、本作の物語を駆動させる様々なトピックが、どれも彼らの出自や経験、トラウマが元になっているという。このことには、やはりマーティン・スコセッシの「最も個人的なことこそ最もクリエイティブなこと」という言葉を思い起こしてしまうけれど、だからこそ本作が多くの観客の胸に大なり小なりの共感を呼び起こすのに違いない。

そして、本作のクライマックスに通底する精神にも大いに感動した。それは「人に優しく(Be Kind)」あろう、という精神だ。これは作家カート・ヴォネガットの「愛は負けても、親切は勝つ」からの引用ともいわれるが、もしも人も神も信じられないような絶望的な状況下にあったとき、それでもなお目の前の人に優しくあろうというヴォネガットの教えが本作に変奏され、それを僕ら観客に思い起こさせてくれることは、このご時世とくに意義深いことだろう。形やその大小はどうあれ、国内外でいまだ多くの人が苦しんでいる心無い暴力よりもちょっとばかしの親切を選ぼう、ということのほうが──また事実、それによって本作の物語がきちんと決着するように──よほど有用な教えだ。


なにはともあれ、この複雑怪奇すぎるがゆえに説明が恐ろしく難しい本作について、その魅力を思うように書き出せなかったことは口惜しいけれど、ハチャメチャに奇天烈で、猛烈にオモチロ可笑しく、カンフーアクションに手に汗握り、そして広く奥深い射程をもきっちり備えた本作は、米アカデミー賞7冠達成も納得の1作だ。


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*1:題材的にはだいぶ違うけれど『リメンバー・ミー』(アレン・コールター監督、2010)のそれをちょっと思い出した。

*2:MartialClub - YouTube。このチャンネルで、本作の撮影風景も公開されている。

*3:A24史上No.1ヒット作『エブエブ』はアジアでどう受け入れられるのか。監督ダニエルズに訊く | ブルータス| BRUTUS.jp。2023年3月16日参照。