2023 1-2月感想(短)まとめ

2023年1月から2月にかけて、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【ソフト】
◆山岳雑誌のカメラマン深町誠が、かつて神童と謳われたものの現在消息不明の登山家・羽生丈二と出逢う夢枕獏による小説を、谷口ジローが作画した同名漫画をアニメ化した神々の山嶺(パトリック・アンベール監督、2021)は、画面に映る日本の風景やリミテッド・アニメーションによる作画がいかにも日本アニメのようでありつつも、いっぽう現状の日本アニメではおそらくあり得ない写実的に日本人のキャラクター・デザインや背景美術の質感の組み合わせが観たことのない手触りで面白いし、これを大塚明夫堀内賢雄らが演じる日本語吹替版で観ていると、いよいよアニメなのか実写洋画なのかと不思議な感覚に陥る。

それはともかくとしても、強大なエベレストの断崖絶壁など様々な山岳登頂アクションの迫力と恐怖、観ているこちらまで強烈な頭痛のしそうな高山病描写は強烈だったし、前半のミステリ的展開と後半の登頂冒険譚的展開を繋ぎ合わせる構成は『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1975)を思い出されて興味深い。これは余談だけれど、それなりに劇中の時代考証がしっかりしている本作において、映画冒頭の1カットだけ映る深町の本棚にある書籍の数々が「そんなもんクソくらえ、オイラたちの好きなンはコレじゃい!」という作り手の熱い思いのタイトルで彩られているのが微笑ましかった。


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◆川辺の小さな村を恐怖に陥れる怪物 ”水猿” に、かつて父を喰い殺された青年スイショウが闘いを挑む『水怪 ウォーター・モンスター』(シアン・チウリアン、シアン・ホーション監督、2019)は、倒すべき怪物 ”水猿” を着ぐるみと特殊メイクで造形していたり、衣装やセットといった諸々のプロダクション・デザイン、アクションの殺陣──とくに、水猿がゴリゴリのカンフー武侠アクションで襲ってくるのが面白い──に適度なゴア描写など、頑張るところは頑張っていて見どころがある。

しかし、それなりに人数のいるキャラクターたちの関係性にはじまり、途中登場する大仕掛けはいつ準備したのか、そもそも作中の舞台はどういう地理関係なのかなどなど、本作は描くべき様々な過程という過程のほとんどを見事にすっぽかしていて、それゆえにたとえ主人公が大演説をかまそうが、人死にが出ようが、戦いに勝利しようが、なんともノリづらい。挙句、水猿との決着が──そのフラッシュバックをインサートしておいて──それかい! という、なんとも歯切れの悪いもので意気消沈した。そりゃ80分以下になっちゃうよなぁ。


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◆偶然にもビデオ日記撮影中にUFOに誘拐された青年アイザックが辿る数奇な冒険を描く『ディメンション』(エリック・デミューシー監督、2020)は、どこへ向かうか分からない脚本の方向性と、そこかしこに現れる作り手たちの「あれとかこれとかそれが好きなんだ」という妙な熱意が可愛らしい1作だった。

こういう接近遭遇ものにしては即座に主人公アイザックが誘拐される冒頭のツイストは驚いたし、そうかと思えば部分的記憶喪失なままに生還した彼が撮影していた映像フッテージをネットに上げることで巻き起こる騒動によって、本作のテイストが昨今のバズり至上主義の戯画化とも思えるような青春ものに移行したり、また陰謀ものに揺り返したり、観光映画にすっ飛んだりと、とにかく捻れるものは捻り倒そうという一貫した意図は非常に面白い。本作の提示する異星人の目的などは、その最たるものだろう。

そして、『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1982)のエリオットと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス監督、1985)のマーティが着る衣装を足したような欲張りコーディネートのアイザックや、『THX-1138』(ジョージ・ルーカス監督、1971)を思わせる謎の追手、どういうわけだか全部ブラウン管仕様の秘密基地などなど、この作り手たちとは気が合うか殴り合いの喧嘩になるかの二者択一な趣味感溢れるプロダクション・デザインの方向性は好きだったし、なによりアイザックを演じたライアン・マソンの風貌が──本作の題材が題材だけに──『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968)でボーマン船長を演じたキア・デュリアの雰囲気にソックリだったのは印象深い。

ただいっぽうで、本作では絶妙に語り足りずに判然としない要素がそこかしこにあると同時に、その割には妙に間延びしたシーン──とくに存外にロケ地が多そうな本作ゆえか、移動や彷徨のシーンが若干長い(撮影、楽しかったんだろうなァ)──も多々あって、いささか垢ぬけていないのが惜しいところだ。これらの取捨選択と補完にもうすこし気を配って、約120分ある尺をあと15分くらい刈り込めば、より見応えがあったのではないかしらん。


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◆不良兄弟を追う刑事が、彼らと共にどういうわけだか延々とループするビルの非常階段に閉じ込められるソリッド・シチュエーション・スリラー『パラドクス』(イサーク・エズバン監督、2014)は、そこかしこに──文字どおり──積み重ねられるディテールによって構築される世界観が面白い作品だった。

いわゆる “ループもの” としては生命力/生活力に長けた登場人物たちというのも意外だったし、端々に垣間見えるディテールが、やがて詳らかにされる世界の仕組み──それが明かされるシーンの編集も素晴らしい──にきちんと説得力を持たせているのが面白い。とくに吸入器のくだりの見せ方、これは素晴らしい。

ところで余談であるし、本作とは公開時期が大きく前後するけれど、本作を観てテレビアニメ『Sonny Boy』(夏目真悟監督、2021)の顛末がなんとなく思い出されました。


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◆未曽有の大雨のなか、バスステーションに取り残された人々を謎の奇病が襲う『ダークレイン』(イサーク・エズバン監督2015)は、ほぼモノトーンに調整された色彩──しかし、一部分だけカラーになるのも含めて──、劇伴のアレンジ、端々に多用されるズームドリー撮影、冒頭と結末に付されたナレーション、妙に書体のデカいオープニング・クレジットのデザインに至るまで、ひとつのコンセプトに沿って撮られているのが興味深い1作だった。

それは、もしもヒッチコックがTVドラマ『トワイライト・ゾーン』(1959-1960)でソリッド・シチュエーション・スリラーを作ったら……という、思考実験的なコンセプトだ。そうであればこそ、どう観たって『サイコ』(1960)としか思えないシーンが登場したり、そもそも本作の舞台が '60年代だったのかの証左にもなることだろう。

惜しむらくは、そのコンセプトが空回り過ぎていささか冗長だったり、先述した同監督の『パラドクス』(2014)と世界観を共有したりもしているそうなのだが絶妙にピンと来なかったりする点だったりするのだけれども、なかなか奇想の効いた──そして、どこか懐かしい──後半のヴィジュアルは見応えがある。


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◆大学生アレックスが、幼いころ亡くした母と再会しようと幽体離脱を試みる『デーモンズ・ゲート 冥界への扉』(クリス・マル監督、2018)は、そこかしこに描写不足な要素が多々あって物語をいささか飲み込みづらい点こそ否めない。しかし、ジャンプ・スケアをほぼ使用せず、静謐だが不穏なカメラワークのなかの暗がりに染みのように影が映り込むホラー演出は抑制が効いていて味わい深い(そのため、ボリューム不足と感じる向きもあることだろう)。

本作でみられる恐怖表現は、本作と同じくイギリス映画である『回転』(ジャック・クレイトン監督、1961)を起点として発展した1980年代から2000年ごろにかけてのいわゆる ”Jホラー” 的表現を経て、それが本国へと舞い戻ったような趣を感じさせるものだ。本作の全体的な設定や雰囲気も、どこか『回路』(黒沢清監督、2001)を思い起こさせる。ところで話題は変わるけれど、本作の日本語吹替え版の翻訳がとても自然でよかったことも、ひとこと添えておきたい。僕は、好きな1作だった。


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