2022 12月感想(短)まとめ+11-12月 ひとこと超短評集

2022年12月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)と、11月以降に劇場で観たにもかかわらず、とくにこれといった理由もなく書きそびれていた作品群の、ひとこと超短評集です。


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【劇 場】
◆前作から10年後、ふたたび人類による略奪が開始された惑星パンドラで、原住民 ”ナヴィ” に帰化して森の民を導いてきたジェイクだったが、人類の狙いが自分だと悟った彼は、家族とともに遠く離れた海の民のもとに身を寄せる第2作アバター: ウェイ・オブ・ウォーター』ジェームズ・キャメロン監督、2022)は、3時間を越す長尺を見せきる映像は驚異的ないっぽう……といった1作だった(2D字幕通常上映版 *1を鑑賞)。


なにを置いても本作の見どころは、その映像だろう。これは映像の美しさや迫力も然ることながら、特筆すべきは前作から10余年の発展を経たVFXだからこそ描出できたであろう驚異的な “自然さ” だ。

パンドラに暮らすナヴィたちの肌や髪、着込んだ衣服に用いる生活用品や武具、また本作の主な舞台である海の民たちが共生する大小さまざまな海棲生物たちの実在感はもちろんのこと、それらが全篇に渡って戯れる豊潤で精緻で隙のない ”水” の自然さには舌を巻く。間違いなく実写ではない映像であることは理解しているにも関わらず、しかしあきらかに実写映像にしか見えない驚異的な自然さは、ほとんど海洋ドキュメンタリー映像を観ているような感覚に陥るに違いない。

本作のVFXは、ILM とWETA が中心となって作り上げたようだが、いったいどれだけの技術的、時間的、金的、人的リソースをさけばこんな映像が完成するのだろうと驚嘆することしきりである。数ある「特撮」的な映像のなかでも、本作は現時点での最高峰──そして最長──のひとつと言っても過言ではあるまい。ほんとに脳がバグる。


ただ、それが映画としての面白さに100パーセント直結しているかといえば、そうでもないのが本作のもったいないところだ。脚本の構築不足なのか、それとも編集の時点でそうなったのかはともかく、本作には些末というにはあまりに雑な展開がそこかしこにあるからだ。

たとえば、ジェイクとネイティリの子供たち──長男ネテヤム、次男ロアク、長女トゥクと養女キリ──が海の民の子供たちと触れ合うシーンにおいて展開の繋ぎ方が情緒的にバラバラだったり(あと、ちょっとはキリを探してあげて)、とあるキャラクターに発露しつつある “設定” の布石が絶妙に曖昧だったり、クライマックスにおいてみんな文字どおり急にどこかへ行ったり、見せ場のためだけに同じ展開が2度繰り返されたり──これにはさすがにセルフツッコミが入る始末──と、本作の作劇は決してスマートとは言い難い。この点はキャメロン作品史上でも、いちばんの雑さかもしれない。

もちろん、もしかするとこれらのことは来たるべきパート3 や、あるいは本作のディレクターズ・カット長尺版の存在──たぶん出るのじゃないかしらん──への布石かもしれないが、時間的余裕はじゅうぶん以上にある本作において、もっとやりようはなかったのか、という疑念は拭い切れない。およそのことは、もうちょっと編集を整理すればなんとでもなったはずだ。


ことほど左様に本作は、その長所と短所がスクリーンに映される映像と同様にクッキリハッキリと──ある意味では──明瞭だ。これらのことから、本作から受けた印象をあえて惹句に沿ってまとめるなら「目は奪われるが、心までは……」といったところだろうか。少なくとも、本作が全篇に渡って映し出す、圧倒的に自然な映像を隅々まで楽しむために映画館へ出かけてみるのも、きっと年末年始の一興となるはずだ。あと余談ながら、いちばんビックリしたのは、とあるキャラクターのキャスティングです *2


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【なんとなく書きそびれていた劇場鑑賞作品の超短評(11-12月)】
◆第1次大戦中に戦地で出会ったバートとハロルド、そしてヴァレリーがやがて数奇な運命に呑まれてゆくアムステルダムデヴィッド・O・ラッセル監督、2022)は、とある史実をもとにした古典的なフィルム・ノワール的な物語が展開されるが、決して単なるノスタルジィだけに留まらないところが素晴らしい。展開のそこかしこ、あるいは描写のそこかしこに非常に現代的な視点や演出が持ち込まれており、これによって多くの観客が第1印象に持つだろう古めかしさを払拭し、かつフレッシュな味わいと今日性を持たせている。まさしく “いま” 作られ観られるべき作品だ。名優たちのアンサンブルも見事にきまっている。惜しむらくは、ラストの種明かしからエピローグまでが説明過多なこと。もっとサッとテンポよく畳めば、なお印象的な作品となっただろう。


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◆ティ・チャラの急逝によってワカンダ王国全土が哀しみに暮れるなか、海底のタロカン帝国による侵攻が迫るブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』ライアン・クーグラー監督、2022)は、新生ブラックパンサーの佇まいをはじめ、登場するワカンダ王国やタロカン帝国の各種文化を彩るプロダクション・デザインの数々は相変わらず素晴らしいし、惜しくも急逝したチャドウィック・ボーズマン=ティ・チャラ/ブラックパンサーからレティーシャ・ライト演じる妹シュリへの継承を描く物語も感動的だ。なのだけども、MCU(マーヴェル・シネマティック・ユニバース)長期化計画のあきらかな弊害として、本作でもこなすべき物語的ノルマが多すぎるのは気になった。コイツも出してソイツもメインでアイツも呼んで……と枝葉ばかりが充実したぶん、本作のメインプロットの印象が胡散霧消してはいまいか。そういうのはエンドクレジット後のオマケにちょろっとやるくらいがちょうどいいって。


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◆海外勢力による圧政に苦しむ現代カーンダックに復活した英雄ブラックアダムを巡って闘いが巻き起こる『ブラックアダム』(ジャウム・コレット=セラ監督、2022)は、ブラックアダムを演じたザ・ロックことドウェイン・ジョンソン念願の企画ということもあって──ゆえに本作で打ち切られるのはとても残念──非常に力こぶの入った作品だった。ジョンソンゆえの画の説得力と無双の快感はもちろんのこと、ゲストで登場するJSAヒーローズの個性豊かな魅せ方も面白いし、本作でブラックアダムが最終的に着地する物語的結論は今日のスーパーヒーロー映画として大納得のものだ。また、なぜそうしたのかは皆目見当もつかないのだけど、迂遠極まりない『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズへのオマージュ *3にも笑った。ただ──これは単に僕の好みもあろうけれど──アクションの見せ場がジョンソンの筋肉もかくやに盛り盛りなので、もうちょっと数を減らしてもよかったのではないかしらん(終盤息切れしちゃった。僕も歳を取ったということなのかしらん。ゼェハァ……)。


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◆クリスマスの日、牧場で目にしたサンタを追いかけていなくなったティミーを探してショーンたちが町に繰り出すひつじのショーン スペシャル クリスマスがやってきた!』スティーブ・コックス監督、2021)は、さすがアードマン・スタジオの高品質なクレイ・アニメーションが短い上映時間のなかにギュッと圧縮されている。本作は、まずTV版第2シリーズ(2009)から冬エピソードを3話抜粋し、続けて新作中編を上映するという構成だが、10年間の技術的進化を一足飛びに体験でき、これもまた目を見張る驚きに満ちている。ショーンやティミーたちの一挙手一投足に笑い、アクション・シーンの見事な構築と迫力とジョークにこれまた笑って、物語のちょっとした大団円にニッコリする。年忘れにぴったりの作品だった。


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【TVアニメ】
藤本タツキによる同名漫画をアニメ化したチェンソーマン』(中山竜監督、2022)は、精緻な作画──印象的なのは動きに伴う衣服の皺の凝りよう──と、なにより漫画的な大仰さではなくグッと抑制の効かせた演出──未来の悪魔との邂逅シーンなど顕著──を全篇に徹底していて、とてもよかった *4。ぜひとも続けてほしい。


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*1:画面比率について備忘録的に記録しておくと、3D通常上映版とI-MAX(3Dハイフレーム・レート)上映版はそれぞれ同様に 1: 1.85(珍しいこともあるもんだ)、2D通常上映版は上下をトリミングした 1: 2.39 ということらしい(https://www.imdb.com/title/tt1630029/technical?ref_=tt_spec_sm 参照)。

*2:キリ役が、シガーニー・ウィーバーだったこと。ほぼ前情報なしで観たので、クレジットが出たとき本当に驚いた。パフォーマンス・キャプチャならではのキャスティングだろう。

*3:見知らぬ人の車に掴まってスケボー移動したり、家のテレビにイーストウッドの西部劇──本作では『続・夕陽のガンマン』──が映っている。

*4:またOP映像で、皆が劇場で見ている体(てい)で挟まれる映画パロディ・カットで、シネマスコープはもちろん、『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』『女優霊』の箇所を単にワイド(1: 1.78)でなくアメリカン・ビスタ(1: 1.85)を採用──だから画面の上下に微妙にレターボックスが見える──しているのに感動した。