2021 5月感想(短)まとめ

2021年5月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
明治12年、上海マフィアの頭目・雪代縁が、とある因縁から緋村剣心への復讐を断行するシリーズ第4作るろうに剣心 最終章 The Final』(大友啓史監督、2021)は、これまでとは格段にブラッシュアップされた出来栄えとなった1作だった。

不勉強ながら、漫画実写化の邦画史上でも評価の極めて高い実写版『るろうに剣心』シリーズ(同監督、2012-2014)をこれまで観ずじまいだったので、この機会にと思い立って前3作を観たうえで、いそいそと映画館に出かけて参りました(と申しつつ、いよいよ不勉強にも原作漫画やアニメもほぼ知識なし)。

まず、これまでのシリーズについて簡単に思うことを記すなら、キャスティングやプロダクション・デザイン、そしてなにより香港映画界で研鑽を積んだ谷垣健治アクション監督によるチャンバラでもカンフーでも武侠でもない実写版『るろ剣』独自の殺陣の数々は見応え抜群だった。剣心が持つ「不殺の誓い」の象徴である “逆刃刀(さかばとう)” という斬れない刀を活かした打撃の連続や、ワイヤーアクション等を用いたスピーディーでほどよく荒唐無稽なキャラクターたちの身のこなし──とくに、バイクレースのコーナリングもかくやに重心を傾けて疾走して壁すらも足場にする剣心の軽やかさたるや──の面白さなど格別だ。

しかしドラマ・パートにおいては残念な部分が目立っていたのもたしかである。物語の展開のさせ方にも不満点は諸々──たとえば1作目のアバンでいきなり剣心/人斬り抜刀斎の無双を見せちゃダメだろう(舐めてた相手が抜刀斎でした、というカタルシスが生まれない *1)とか、回想シーンが不必要に長すぎではないかとか──あるのだが、それ以上に語り部たるカメラワーク(画面レイアウト)がかなりおざなりで、それを繋ぐ編集も平板でチグハグなものだったことが非常にもったいない。もちろん、少なくとも状況は伝えてくれるのだが、たとえば物語的にも画面的にも上位にあるべき人物がこぢんまりと下部に映されていたりと、そこに情感やスケール感が伴っておらず、余計にドラマ部分がノロノロと退屈に感じられた。

閑話休題。はたして前作から時間を置いて制作・公開された本作『The Final』はどうだったか。

まず、そのアクションと殺陣の素晴らしさはそのままに、さらに規模も完成度もスケールアップされていたのには恐れ入るし、素直に嬉しい。とくに本作では敵味方双方の人員の増加が図られており、まさしく大乱戦といった画を存分に楽しめる。たとえば、正月の東京の夜を大混乱に陥れる雪代縁の一派と警官隊、巻町操や四乃森蒼紫ら隠密御庭番衆、そして剣心との闘いを描いた中盤の見せ場では、青い月夜の情景なか爆炎が紅く映え、瓦礫を撒き散らしながら狭い空間と広い空間を行き来しつつ縦横無尽に駆け巡る登場人物たちの一挙手一投足に瞬きの暇もない。

またクライマックスにて、ついに対峙する剣心と縁の決闘(前半戦)では敢えて劇伴を流さず、画とアクション、そして効果音のみで見せる演出のメリハリが効いている。身のまわりにある家具やら壁やら調度品やらをことごとく破壊しながら闘う様子は、さながら怪獣映画のようですらあった。本作では、これら以外にも多く用意されたアクション・シーンは質も量も申し分なく、間違いなくシリーズ中最高の興奮と満足感を観客に与えてくれるだろう。

そしてドラマ・パートについても本作は格段にブラッシュ・アップが図られていた。ノッペリとしたカメラワークは見直され、画面レイアウトや色調など前3作以上にきちんと練られており、また前述のように本作ではアクションに割いた尺がかなり大きいこともあってか、テンポもそれほど停滞することはなかったのが好印象だ。少なくとも、前3作ほどにはドラマ部分にストレスを感じることなく楽しむことが可能なはずだ。

もちろん粗がないわけではない。ところどころ気が抜けたかのようなトンチキなカメラワーク──あきらかにメインで映すべき対象がフレームアウトしていながら声だけが聞こえる、といった──が紛れ込んできたり、ところどころ編集のテンポが悪かったり、クライマックスの決闘の最中に長々とソレ映すのか *2といった展開が差し挟まれたり、あるいは決着後にメインの登場人物たちの安否が不明なのはいささか不安──ロングで1ショット挟むとか、警官隊と一緒に画面奥からカット尻に現われるとかできたのではないかしらん──であったり、北京語用の字幕が途中なぜかフェード・イン/アウトでの表示形式となって再び通常のそれに戻るのは多分ミスではないかと思うし、劇伴は使いまわしが多いし *3、けっきょく神谷薫のキャラクターがよく判らずじまいだった *4のは残念である。

また、作り手たちがイマイチ観客を信頼していないのか、劇中やたらとフラッシュバックが多いのもノイズだったし、本編半ばでいきなり中途半端に長い回想シーン──これはつまり次作『The Beginning』(同監督、2021 ※公開予定)の予告編も同義である──がはじまったときには大いに閉口した。剣心がかつて手にかけたという妻であり縁の姉でもある巴について、本作の段階ではまだまだミス・リードの余地を観客に残しておいたほうが得策だと思われるが、この回想シーンにおいて──詳細はともかく──次回作の展開のネタをあらすじ同然にけっこう割っているのではないか。本来ここに必要なのは、例の1作目のストック、剣心と巴の同居風景、巴が日記を書いている姿、剣心が巴を斬る遠景、そして巴が剣心の頬に刀傷をつける姿といった、後に本作の展開に最低限必要な内容のショット数種類程度のはずである。もちろん、この回想シーンが映画のテンポを劇的に殺いでいるのは、いうまでもない。

とはいえ、こういった粗が前3作よりも相当数減っていることは、作り手の心意気が反映されてのことだろう(もちろん、より徹底できなかったのかしらん、という気持ちもないではない)。少なくともシリーズ中で最も全篇とおして格段に、そしてきちんと完成度の高まった本作は、大いに楽しめるアクション娯楽大作であることは間違いない。


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【ソフト】
◆お面に黄色いレインコート姿の謎の殺人鬼が恐怖を巻き起こす『アリス・スウィート・アリス』(アルフレッド・ソウル監督、1976)は、二転三転する物語が面白いのはもちろんのこと、1ショット1ショットごとに精緻にこだわり抜かれた画面レイアウトが実に美しいスラッシャー・ホラーだった。ニコラス・ローグアルフレッド・ヒッチコックへのオマージュもそこかしこにあり、また舞台がパターソンなので、もしかジム・ジャームッシュの『パターソン』(2016)と同じロケ地も多く映っているのかもしれない(なんとなく見覚えのある町並みだと思ったんだ)。


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ニューヨーク市の地下鉄がジャックされるサブウェイ・パニック(ジョセフ・サージェント監督、1974)は、緻密さと意外性を兼ね備えたプロットと、あくまで冷静に振舞う役者陣の名演と演出の積み重ねがストンと落ちるあの幕切れまで含めて、見事な作品だ。タハーってな感じ。お大事に。


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◆ケージ・ダイビング中の事故によって恐怖のどん底に落ちる姉妹を描いた海底47mヨハネス・ロバーツ監督、2017)は、昨年に続篇である『~古代マナの死の迷宮』(同監督、2019)を先に劇場で観てからようやっと観たのだけれど、やはり高所にせよ海底にせよ、地に足が着かない感覚や遠近感が不均衡な感覚が自分には恐ろしいのだと再認識させられたし、翻って発表順とは逆に観たことが吉と出るような、終盤のなんとも知れぬツイストに戦慄した。


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*1:むしろ戊辰戦争終結後の惨状→抜刀斎の姿を探すも見つけられない斉藤一→死体の山から「これが抜刀斎の刀か」と突き出る腕──くらいでタイトルに突入すればよいし、警察署の近くで薫を助ける際もジャンプのショットは──アクションは凄いけれど──蛇足であろう。もちろんテーマ曲のリズム・パターンからも類推されるように、本シリーズは実写版バットマンダークナイト』(クリストファー・ノーラン監督、2008)の日本版をやろうとしているフシがあって、それゆえに毎回アバンでその物語中で最強の人物の活躍を描こうとしたのだとは思うけれど、1作目については──『バットマン ビギンズ』(同監督、2005)が基本的に時系列に沿って物語を描いていたことを思い出そう──特にそれが功を奏してない。

*2:決闘のクライマックスもクライマックスにいきなり「家具つきで日当たりも良好だし、素敵な部屋ね。月額いくらかしらん...…あら、あんなところに有村架純肖像画が」なんてなシーンをやるもんだから、仰天したよ。いや、その足許でみんな闘ってるんじゃないの!?

*3:やおら剣心の突入シーンで、前々作の「京都のテーマ」が脈楽なく雰囲気だけで登場したときにはビックリしたよね。

*4:第1作で、警察署に迎えに出向いた剣心の肩の傷になんの反応も示さないのを筆頭に、じつは彼女こそ実写版シリーズのなかで最強のサイコパスではないのかという疑念は拭いきれない。

2021 4月感想(短)まとめ

2021年4月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆警官をも殺した強盗たちを捕らえるべく奔走する敏腕刑事アンドレが、やがて事件の暗部に踏み込んでゆく『21ブリッジ』ブライアン・カーク監督、2019)は、ある種の地味さと苦味が堪らない1作。

本作を予告編や惹句から受ける「これは『ニューヨーク1997』(ジョン・カーペンター監督、1981)か、はたまた『ダークナイト ライジング』(クリストファー・ノーラン監督、2012)か」という派手な印象を思って観ると、あるいは「意外に地味だな」と肩透かしを食らうかもしれない。しかし、本作はこの地味さこそ妙味なのであり、その味わいは ’70年代に撮られた敏腕刑事映画、犯罪映画、暴力映画を髣髴とさせるものだ。

たとえば本作の冒頭で描かれる、殉職警官への弔いと、裁きを下す者としての主人公の神性さは『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)の幕開けを思い起こさせるし、本作の音楽で印象的に鳴るスネア・ドラムのリズムと音色は『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、1976)のテーマ曲(バーナード・ハーマン)のイントロ部が脳裏に甦る。その他、本作を観ていると『セルピコ』(シドニー・ルメット監督、1973)や『狼たちの午後』(同監督、1975)、『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(フィリップ・ダントーニ監督、1973)などといった映画群が思い浮かぶことだろう。また、時代は少々遡るが、本作に登場するとあるキーワードは『暴力脱獄』(スチュアート・ローゼンバーグ監督、1967)の原題を、マイアミへの逃亡を図る強盗ふたりの顛末は『真夜中のカーボーイ』(ジョン・シュレシンジャー監督、1969)をオマージュしたのではないだろうか。

悪い癖であてどなくアレコレ挙げてしまったけれど、近作で似たようなコンセプトの作品といえば、やはり真っ先に『ジョーカー』(トッド・フィリップス監督、2019)が思い浮かぶ。こちらが画面の色調から作劇のテンポ、舞台立てまで全面的に '70年代映画に寄せていたのに対し、本作『21ブリッジ』は殺陣のリアリティやリズム、音響や撮影の組み立て、あるいは物語内のディテールなど、あくまで現代的なアクション映画の水準を保ちつつ、'70年代映画の──そのやるせなく苦みばしったエンディングの後味まで含めて──味わいを醸そうとしたのではないか。

とするなら、本作にルッソ兄弟が関わっていることにも合点が行く。彼らが最初に監督したMCU作品『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)は、アメコミ映画に '70年代ポリティカル・サスペンス映画の味わいを持ち込んだものだ。『~ウィンター・ソルジャー』同様、本作のアクション描写は今日日(きょうび)の作品としての重厚さとリアリティ、一部パスクールなどを使ったケレン味もあって見応え十分だ。同時に現代社会における様々な暗部をそこかしこに感じさせる描写の数々は、終幕後も尾を引き、それらについて考える契機ともなることだろう。

ことほど左様に、現代アクションの水準と '70年代映画の味わいが絶妙にマッチした本作は、そういう映画が好きな人には堪らない1作となってくれるはずだ。


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【ソフト】
◆深夜の救急病院内で奇怪な現象が巻き起こり、外はカルトに包囲される『ザ・ヴォイド 変異世界(スティーブン・コスタンスキ、 ジェレミー・ギレスピ監督、2016)は、『要塞警察』や『ザ・フォッグ』、『遊星からの物体X』といったジョン・カーペンターの映画を煎じたうえに煮詰めたような感じで、ちょっとグロテスクだけど楽しいコズミック・ホラーだった。ラストの画も美しい。


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◆いじめられっ子の高校生シューウェイが、ひょんなことからいじめっ子たちと共に怪物を捕獲して監禁してしまう『怪怪怪怪物!』(ギデンス・コー監督、2017)は、端的にいって傑作であり、観ているあいだ本当に嫌な嫌な嫌な嫌な気持ちにさせてくれる1作。

というのも、本作は決して観客を安全地帯に置かないからだ。いじめっ子たちの行動の醜悪さももちろんのこと、彼らにいじめられている可愛そうな主人公シューウェイもまた、捕らえた怪物への虐待・拷問へと──自身への言い訳を口にしながら──いっしょに加担してゆくという構成は、彼に感情移入していたであろう本作の観客もまた否応なく加害者の側でもあるのだと突きつけてくる。

ここであえて個人的なことを申し上げるなら、幼い頃──軽微ではあるが──ちょっとしたイジメの対象だったこともある身としては、彼らの関係性は他人事と思えない。本作は、単にスクールカーストのホラー的戯画化だけではなく、台湾が経てきた歴史や、ひいては現在もなお続く人種差別や民族浄化といった人類の負の本性にまで切り込むような、とても広く深い射程を持った作品でもある。もちろん我々だって無関係ではない。日本の入管の現状──法改正でさらに劣悪になろうとさえしている──や外国人技能実習生に対する非人道的扱いにも当てはまるような、人間の持つ怪物性をまざまざと炙り出す本作は、ひと言の綺麗事をも許さない強烈な作品だった。

2021 3月感想(短)まとめ

2021年3月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆かつての恋人リリィがアルツハイマーを患っていることを知ったクロードが、自らも病気を偽って彼女の暮らす老人ホームに入居する『43年後のアイ・ラヴ・ユー』マルティン・ロセテ監督、2019)は、ユルい部分もあるが、役者陣の好演が光る可愛らしい雰囲気が楽しめる1作。

本作の魅力は、なんといっても役者陣の好演だろう。主人公クロードを演じたブルース・ダーンの飄々とした振る舞いのなかに現れるリリィへの想いを秘めた瞳の力強さにハッとさせられ、お隣さんのシェーンを演じたブライアン・コックスとの息の合ったやりとりは観客の笑いを誘う。アルツハイマーによって想い出を失ってしまった名女優リリィを演じるカロリーヌ・シロヌが醸す雰囲気は、百合の花の茎のようにたおやかながらもか細く、そんな彼女が物語の進展にしたがってどのような変化を見せるのかも見所だ。そのほかにも、脇を固める役者陣の絶妙機微な仕草と表情がキャラクターに活き活きとした存在感を与えているし、そんな姿を暖かく柔らかな手触りで見事にフィルムに定着させたホセ・マーティン・ロセテによる撮影も美しい。

また、本作のオープニング・クレジットも素晴らしい。若かりし頃のクロードとリリィの想い出を、平面的に洗練されたデザインのイラストとアニメーションで追ってゆくのだが、その場面場面で紅葉が風で木から舞い散るように、ふたりの姿や想い出がふいに消え去ってゆく。その暖色系で統一された色調も、人生の黄昏を思わす秋の色のようでもあり、想い出を喚起させるセピアのようでもあり、本作が目指したあたたかな人情味に溢れた世界観を表すようでもあって、ことほど左様に、これから語られる物語と作品世界のコンセプトに見事に合致したヴィジュアルだ。

たしかに、本作はちょっとユルい部分もある。アルツハイマーのフリをして老人ホームに転がり込んでも3日くらいでバレるんじゃないかとも思う──この点に関して、本作ではきちんと理論武装されているのが律儀──し、ちょっと出るだけ出てきたような登場人物もチラホラあって散漫な印象も受ける。ただ、演出が感傷的過ぎても陳腐になるし、かといってリアル志向に過ぎたりガチガチに凝った物語にし過ぎるのも趣旨から逸脱するであろう。本作はあくまでちょっとした現代のおとぎ話であり、そのリアリティの水準を適度に “ユルく” 保ちながら演出し切ったロセテ監督の手腕を楽しむべきだろう。上映時間89分というコンパクトさも、かくありなんだ。


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◆(…前略…)する碇シンジたちを描く『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』庵野秀明総監督、鶴巻和哉中山勝一前田真宏監督、2021)は、まさしく(…中略…)だった。ことほど左様に(…後略…)。
※詳細はこちら >>『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想と雑考 4.04(ネタバレ) - つらつら津々浦々(blog)


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◆ニューヨークにやってきたトムとジェリーが、ひょんなことから超一流ホテルのイベントマネージャーとなったケイラを巻き込んでの大騒ぎを描くトムとジェリーティム・ストーリー監督、2021)は、虚実が見事に融和した映像が見モノの1作だった。

本作の映像世界の構築は、なかなか面白い。まずトムやジェリーをはじめとした文字どおり “すべて” の動物をカートゥーンのキャラクターとして膨大な作画の2Dアニメで処理し、人間や背景などは実写映像を用いたものであるが、興味深いのがトムやジェリーが身に着ける衣装や、手に持って大立ち回りを演じる各種小道具の類をカートゥーン調ではなく実写ベースのCGによって表現されていることだ。これが、カートゥーンと実写という水と油な世界観をスムースに共存させるための緩衝材として上手く機能しており、手触りとしても面白い。

この映像世界を得て、もちろんトムとジェリーは大暴れ。縦横無尽に、変幻自在に画面内を駆け回る姿は、緩急の効いたテンポのアクションのカートゥーン的奔放さとフルアニメーションによる滑らかさによって瞬きの暇もない。トムとジェリーが元々そうであるように、台詞を一切与えなかったのも正解──かつて、初の長編映画『~の大冒険』(フィル・ロマン監督、1992)にて、ふつうに人語を喋って顰蹙(ひんしゅく)を買った──で、安心して彼らのスラップ・スティックな戦いに身をゆだねることができるだろう。

まあ、トムとジェリーら動物たちのアクションがかなり激しいので、クロエ・グレース・モレッツら人間キャラクターとの絡みが控えめだった──マイケル・ペーニャが文字どおり振り回されるくらい──のが若干物足りないといえば物足りないが、それでもなお役者陣のリアクションの絶妙なバランスは見事なもの。ちょっとした表情の変化や身体の動きで、作品内のリアリティを高めつつ可笑しさを醸している。やたら滅多と役者に変顔を連発させとけば面白いと思っている作り手は、本作の演技/演出を煎じて飲むべきだ。

もちろん、引っかかる部分がないわけではない。壊れたものが翌日には直っている、といったアニメ的約束を何の気なしに描かれていたのには面食らったし、なにより本作に登場する人間キャラクター──とくに脇役──については掘り下げ不足が否めない。他人との距離感が近すぎるベルガールのジョイや、噺が上手いと紹介されるベテラン・ドアマンのギャビンなど、個性的な面々が集まっているホテルの従業員たちの特徴を活かした展開を用意できたなら、より物語的にも手に汗握るクライマックスとなったろうに、いささか惜しい。

とはいうものの、本作はきちんとスラップ・スティック・コメディに徹してくれているので、気軽にオモチロ可笑しく楽しめる1作には間違いない。実写ベースの世界観にカートゥーンのキャラクターたちを違和感なく普通に馴染ませる企画としては、たとえば『ロジャー・ラビット』(ロバート・ゼメキス監督、1988)が思い浮かぶけれど、それから30年余り経っての最新の映像技術的成果と楽しさを、ぜひスクリーンで体感したい。ところで、スタッフロールが始まっても席を立たないで。本作のオチはその最後にあるからね。


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◆1980年代、農業を成功させることを夢見る韓国系移民のジェイコブ・イと彼の家族を描く『ミナリ』(リー・アイザック・チョン監督、2020)は、いわゆる開拓モノを新鮮かつ重層的な視点から切り取った1作であり、なによりめっぽう面白い作品だった。

まず本作は、めちゃくちゃ巧い。撮影でのフレーミングや画面の色調設計、編集のテンポとショットの選び方、台詞の端々にあるペーソス、そして役者陣の絶妙機微なアンサンブルなど、決して大仰な見せ場も見せ方にも頼ることなく、淡々と、しかし味わい深く物語を映すチョン監督の手腕は見事なものだ。

その証左のひとつとして、本作の前半──とくに韓国から母方の祖母スンジャが一家と同居をはじめてから──のユーモアの卓越さには脱帽した。たとえば、ジェイコブの息子デビッドとスンジャが繰り広げる “とある” 飲み物 *1を巡るやりとりをはじめとして、抱腹絶倒間違いなし。起こっていること自体はささやかながら、そこかしこに込められたギャグが効いていて心温まり、上映時間の半分も過ぎれば、イ一家の行く末に目を離せなくなるような親近感を抱いてしまう。

それゆえに、なかなか上手くゆかない農業経営など、ジェイコブらに降りかかる試練とちょっとした前進に、いっそう一喜一憂させられる。そして、決定的な苦難と、映画前半でのとある出来事を伏線としたほんのささやかな希望が描かれるラストを観るとき、なんとも知れぬ情感が胸を打つだろう。

ところで、ジェイコブらイ一家に降りかかる災難や苦難などは、旧約聖書にて語られたイスラエルの民の受難に重ね合わせられているのだろう。それを思うなら、ジェイコブ(=ヤコブ)やデビッド(=ダビデ)といった登場人物たちの名前、ジェイコブの農場に勤める白人ポール(=パウロ)のふるまいや彼に向けられる人々の視線、ジェイコブが自身の農場をなんと呼び表しているか、彼の家に飾られた羊飼いの絵などなど、そこかしこにモティーフが登場している。

ジェイコブが祖国から渡ったアメリカで土地を買い、農場として開墾してゆくプロセスは、かつての西部開拓時代を思い起こさせるものだ *2アメリカは移民の国である。これを、先述の旧約聖書的モティーフをまぶしつつ、1980年代を舞台として韓国系移民の視点から描いた寓話的に本作は、本来あるべきアメリカ的精神やそれに反するような内情、あるいはもはや忘れ去られようとしている歴史的軋轢などを、いま一度観客に問うているのかもしれない。そして、神の千年王国がいまだ訪れないように、ジェイコブたちもまた道半ばなのだ。


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アメリカ陸軍のナタリー大尉とその部隊が外地での任務中、突如として怪物の跋扈する異世界に弾き飛ばされるモンスターハンターポール・W・S・アンダーソン監督、2020)は、良くも悪くも “いつもどおり“ のアンダーソン監督作品だった。

本作は、皆さんご存知の人気アクションゲームを実写映画化した作品だけれど、僕自身はゲームを一切プレイしたことがなく、したがって原作については、なんとなくこんな感じの世界観で、そんなふうなシステムで、あれこれ大小モンスターが出る……という恐ろしく薄ボンヤリとした知識とイメージしか持ち合わせていない。だから、本作が僕にとってはじめて本格的に触れる『モンスターハンター』だということをご了承いただきたい。実験だよ実験(by 工藤D)。

閑話休題。まずはなんといっても劇中に登場するモンスターたちの質感表現等はなかなか見事。ごつごつした体表や粘膜に覆われている巨大な目など、生命感みなぎるCGはよかったし、四方八方のスピーカーをゴリゴリ振るわせる咆哮や足音、翼のはためきなど音響面も力強く迫力満点だ。また、彼らがきちんと臓物を持った生命として描いている点も好印象で、ナイフで解体して必要な部位を取り出す描写など生々しくも興味深い。

そして、トニー・ジャーの身体さばきは相変わらずの見応えで、あの荒唐無稽とも思える巨大な剣を得物として抱える姿に凄まじい説得力があるし、ロン・パールマンのあのなんとも知れぬ存在感は本当にこういう映画によく似合う。その他、巨大な嵐やモンスターに薙ぎ払われて横転する軍用車を車内から捉えて、搭乗者が文字どおり七転八倒する様子を見せるシーンなども面白い。

ただ残念ながら、映画としてのまとまりはいささか杜撰だ。全篇に渡って『フェイズIV 戦慄! 昆虫パニック』『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』『エイリアン』『ドラゴンスレイヤー』『ランボー』『トロン』『トレマーズ』『第5惑星』など、往年──主に ’70年代~ ’80年代くらいにかけて──のSF映画やモンスター映画、アクション映画を思わせる既視感の連続なのはまだしも、顔と名前を覚える見せ場もなく次々に死んでゆくサブ・キャラクターたちの雑な演出を筆頭に、広大なんだか小ぢんまりとしているのだか微妙な異世界の見せ方、あまりパターンに変化のないモンスター絡みのアクションなど、いろいろもったいない部分が多い。

なにより映画前半でのミラ・ジョヴォヴィッチトニー・ジャーのくだりに時間を割きすぎているのが、如実に後半の展開に響いている。ふたりがタッグを組むまでの展開をもうすこしタイトにまとめて、いちおう本作の主要目的地である天廊(スカイタワー)までの道のりを、もっとしっかり見たかった。劇中それまで、そこにたどり着くまでに距離も難易度もありそうに描写しているのに、いざ出発するとものの数分でたどり着いてしまったのには驚きを隠せない *3

きっと、天廊までの道中での冒険をとおしてパーティの面々の個性を多少なりとも掘り下げ、モンスターとのちょっとしたバトルやアクションがクライマックスへの前座として描かれるのだろう思っていたら全然そんなことはなく、顔見せていどに出てきたパーティのゲスト・キャラは──なにしに来たの? と思うくらい──クライマックス前半の闘いで呆気なく死に失せ、あるいは天廊に至るまでにせっかく断崖絶壁に古代遺跡などといった魅力的なランドマークを登場しているのに具体的に見せることもなしにロングショットの空撮のなかをサッと素どおりしただけで終わってしまう。

そして、その後──製作が途中で終わったのではないかと疑いたくなるような──唐突なクライマックス後半戦を経て、映画自体も閉店ガラガラーッとばかりに幕を下ろしてしまう。あきらかに物語の途上であるにも関わらずである。この後半30分は──その画面で巻き起こる見せ場も含めて──ゲーマーにせよ映画ファンにせよ、たぶん誰も望んでいない展開だったのではないだろうか。

ことほど左様に、アンダーソン監督は『モータル・コンバット』(1995)のころからなんにも変わってないし、そういった意味では妙な安心感もある作品であった。ともあれ、ミラとの夫婦仲が相変わらず円満そうでなによりだ。仲良きことは美しきことかな、なむなむ。


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【ソフト】
◆内気な青年が恋路を走るべく、自身の漫画に登場させたカンフーの達人たち4人を現代に呼び寄せる『カンフーリーグ』(ジェフ・ラウ監督、2018)は、正直お話としては木っ端ミジンコに破綻しているのだけれど、アクションは面白く、キャスティングからなにから諸々小ネタに溢れている。それもあってか、すごく '90~ ’00年代を思い起こさせる内容となっていて、なんとも憎めない作品だ。吹替えの翻訳も、わかってるやつで安心だ。


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*1:字幕では名前をオミットされた炭酸飲料。序盤に文字どおり 「“山の露” だよ」とスンジャに訳して伝えるアンも洒落が効いている。

*2:ジェイコブたちはカルフィルニアからアーカンソーへと東へ移動している。

*3:そりゃそうだ、ミラとトニーが打ち解けるまでに上映時間104分のうち1時間余り経ってるンだもの。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想と雑考 4.04(ネタバレ)

◆父・碇ゲンドウが進める人類補完計画によって崩壊の一途を辿る世界を救うべく立ち上がる碇シンジたちを描く『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』庵野秀明総監督、鶴巻和哉中山勝一前田真宏監督、2021 *1)は、まさしく「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」というべき大団円だった。

圧倒の155分間、映像表現は豊潤で音響も美しく豪快に鳴り、思いがけないフックに継ぐフックで観客をいっさい飽きさせない見事な作品であり、なにより本作は、たとえば『アベンジャーズ/エンドゲーム』(アンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督、2019)もかくやに、なにを書いてもネタバレになってしまうという、紛うことなき──そして驚くべきことに──最終作であるのは間違いない。ひとまずは、これまでエヴァを追ってきた皆様はぜひ劇場でご覧ください、ということをお伝えしたい。


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【以下、ネタバレありなのでご注意ください】


さて、やはり全篇に渡って繰り広げられるアニメーション表現の面白さ、楽しさは格別。マリの乗り込んだエヴァ8号機とネルフが送り込んだエヴァ・シリーズ群とのパリでの攻防を描くアバンの縦横無尽なカメラワークとスペクタクル、日常の何気ない動きやレイが情感を獲得してゆく過程としての農耕アクションなどの芝居が生える第3村でのシーン、セカンドインパクト爆心地にて繰り広げられる戦艦ヴンダー同士の空中戦、クライマックスにおける──テレビ・シリーズから試みられていた──虚実(アニメ・実写)が混ざり合うかのような実験的な表現など、2時間35分の長尺のなかで、観客はありとあらゆるアニメーションの波に呑まれることだろう。

また本作では、通常のアニメ制作の過程である「画コンテ → 作画」ではなく、むしろ昨今の大作実写映画での制作に用いられるような「プレヴィズ(実写映像や簡素なCGなどで作る仮編集 *2) → 画コンテ → 作画(実写では撮影と編集に当たる)」という過程を踏んでいる部分も多くあるためであろう、他のアニメ作品とは違った緩急のカメラワークや編集のリズム感をも味わうことができるのも特徴だ *3 *4


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物語における驚きのフックが様々に用意されていた本作の展開だが、まず驚くのがニア・サードインパクト後の世界に暮らす市井の人々を描写した第3村のパートだろう。これは、前作『:Q』(2012)において完全にオミットされていた部分であり、遡ればテレビ・シリーズにおいても主要登場人物に近しい存在以外はほとんど描かれていなかった部分である。

時間をかけて丹念にじっくりと描かれる第3村は、ニア・サードインパクトという巨大災害後の復興の過程を描くものだ。「L結界濃度」が高くなりすぎたために赤く染まった大地のなかを「インフィニティ」が無気味に跋扈する汚染区域との境界や、生き残った人々がその地域の除染を試みているという日常描写からも、ここに東日本大震災後の被災地を思い起こさずにはおれない。同時にこのシーンは、庵野秀明が『シン・ゴジラ』(2016)*5を経たからこそ、その “次” の段階である復興の象徴たる第3村のパートを描けたのはなかっただろうか。

また、このパートにおけるレイ──アヤナミレイ(仮称)──の変化にも注目したい。シンジの母である碇ユイをベースに形成されたクローンであるという出生や、命令されることにその行動の核がある性格、ネルフの技術なしでは生きられないという設定など、レイはどこまでも人工的で自然とは程遠い存在であり、むしろ機械にすら近い。そんな彼女が、農業や子育てといった、自然の生命を育む過程を経験することで、その内面に人間性を獲得してゆく姿は感動的だ。トウジとヒカリの夫妻を両親、そして彼らの娘ツバメを姉妹(=似姿)という擬似的な家族──おそらくシリーズ中はじめて登場した理想的な──としてレイが成長したからこそ、失意のシンジ *6にシンプルだが決定的な救済の言葉を投げかけられたのだろう。そして、きちんと死を得る。


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もちろん同時に、村という共同体のなかでの労働や生活、コミュニケーションによってシンジやレイが人間性を回復するという展開は、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(高畑勲監督、1968)を思い起こさせる。このように本作では “サンプリング作家” としての庵野秀明テイストが、例によって遺憾なく発揮されているのもまた特徴だ。

第3村パートに続く、異形の地と化した南極でのヴンダーによる空中戦や、それに連なるエヴァの戦闘ではあきらかに『宇宙戦艦ヤマト』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』、そして『銀河鉄道999』といった松本零士の宇宙SF作品群 *7を参照──さらにここでは、日本でのSFブームや松本零士関連のアニメに端を発する第1次アニメブームのさなかに製作された東宝特撮映画『惑星大戦争』(福田純監督、1977)の劇伴(津島利章作曲)がアレンジされて登場 *8 *9──している。

また、まるで──というか実際に──様々なセットやスタジオのなかを渡り歩くかのように描写されるシンジと父ゲンドウによる初号機と13号機の闘いは、遡ればボルヘス的なイメージとも思えるし、直接的には押井守による実写映画『紅い眼鏡/The Red Spectacles』(1987)で千葉繫の演じる主人公・都々目紅一が辿ったクライマックスでの顛末を髣髴とさせる。

そして、いわゆる旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Airまごころを、君に』(1997)のクライマックスを現状最大値にまで発展させた虚実(アニメ・実写)の交錯する実験的描写が溢れ出るラストまでの怒涛の映像表現は、まさにこれぞ “エヴァ的” 表現の集大成であり、楽しくも狂気に満ち、そしてもの悲しくも感動的だ。本作でも登場した “巨大綾波レイ” の、観客を不気味の谷へ真っ向から叩き落そうするかのような造型には息を呑んだし、テレビ版最終話でも用いられた、完成したアニメーション映像が動画のチェック映像に、果ては原画にまで還元するくだりなども、本作ではかなり意味合いが変化していたこともあり、虚を突かれるように感動してしまった。


     ○


本作の予告編でも印象的に流れたシンジの「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」という台詞や、本作のタイトルのカナ表記がこれまで新劇場版シリーズとは異なって旧字体 “ヱ” “ヲ” から通常の “エ” “オ” に戻されていることからもわかるように、本作『シン・』とは、庵野秀明が作り上げてきたテレビ・シリーズ~旧劇場版、そして新劇場版シリーズすべて含めた「エヴァンゲリオン」を終了させるための物語である。

そもそも「エヴァンゲリオン」の物語とは──その複雑で難解なSF的設定や用語はともかくとして──庵野秀明の非常に個人的な、さらにいえば自己セラピー的な側面を多分に含むものだ。かつてのインタビューで庵野がいうように、主人公・碇シンジをはじめとして登場する全キャラクターは、彼自身の投影だ。庵野が持っている様々な心の側面を分析/分断して各々のキャラクターを創造し、ぶつけ合わせることで物語を展開させ、彼自身の内面的な問いを投げかけている。本作『シン・』のクライマックスにおいて、シンジとゲンドウが本来のキャラクター設定ではなく、あきらかに庵野秀明自身に似せて描かれたカットがあるのも、じつに象徴的だろう。

では、庵野はそこでなにを問いかけ、語り、得ようとしていたか。


     ○


まず碇シンジの物語としての「エヴァンゲリオン」を非常にざっくりとした捉え方をすれば、それは──テレビ版最終話での「僕はここにいてもいいんだ」という台詞が象徴するような──アイデンティティの確立であったろう。これを人類が古来から語り継いできた “神殺し” の物語、あるいは子どもが個として確立する第1歩としての “エディプス・コンプレックス” (フロイト)的な物語に、シンジとゲンドウの親子関係を仮託して語ろうとしていたのがテレビ・シリーズ~旧劇場版 *10であり、新劇場版シリーズの前々作『:破』(2009)であると捉えることができるだろう。ひとまずは、それが成功したように思えたからこそ「おめでとう」というわけだ。

しかし旧劇場版のラストや、『:破』から『:Q』へのあいだに世界──庵野の心的な世界──が崩壊していることからもわかるように、その試みが彼にとってじつは失敗だったのではないかという問いが浮上する。前述したように「エヴァンゲリオン」の全キャラクターが庵野の分身なのだとすれば、その物語とは延々と彼が彼自身を相手に自己問答を繰り返していることとなり、かえって自己愛と自己否定が円環する出口のない迷宮に自家中毒的に潜り込んでしまう *11。そんな自己完結した世界から抜け出すためには、かりそめのアイデンティティを確立するだけでは不十分であり、『:Q』そして本作『シン・』では、その先の物語を希求することになる。

真にアイデンティティを確立すること……それを端的に言い換えるならなら、成長して大人になる──本作の台詞にしたがうなら「落とし前をつける」──ことだ。そして、それに必要な要素として、これまでスッポリと抜け落ちていたものがあったのだ。それは「他者」である。そして、その他者こそ真希波・マリ・イラストリアスだったのである。だからこそ、最後にシンジの手をとるのは彼女でなければならかったのだ。



じつは、『:破』から唐突に「エヴァンゲリオン」の世界に参入したマリ *12は、その他のキャラクターのように庵野秀明の分身ではない。彼女は、庵野の希望によって自身の手を離れて創造されたキャラクターであり、その設定や要素などの多くは、シリーズの監督のひとりでもある鶴巻和哉をはじめスタッフが考え出した存在だという。ゆえに『:破』での登場時から異質な存在感を放ち、ことあるごとに「エヴァンゲリオン」というシンジ=庵野の心的世界に茶々を入れるように介入できたのだろう *13

人(子/個)が世界に参入するためには他者が必要不可欠だ。父を殺し、母を娶りたいと願った幼子(男児)から母子一体の楽園を剥奪するのが他者(父)なら、幼子がエディプス・コンプレックスを脱したあとに求めるのも──失われた母に似た──他者(対象a)である *14。だから、いくらゲンドウにシンジを拒絶させようと、アスカに「気持ち悪い」と言わせようと、彼/彼女らが庵野の分身である以上は真の他者たり得ず、それだけでは世界は破綻するほかない。他者の存在を受け入れ、それによって他者からの承認を得ないかぎり、真の成長は訪れない *15



もともとはテレビ・シリーズの総集編的リメイクを目指していた新劇場版シリーズであるが、周知のとおり『:破』からその内容を独自の方向へとシフトした。いま思い返すなら、このシフト・チェンジは、庵野が彼のインナースペースにほかならなかった「エヴァンゲリオン」の作品世界に「他者」であるマリを積極的に受け入れたからの変化であり、それゆえに本作『シン・』は、きちんとシンジの成長を描くことができたのではなかったか *16

本作後半以降のシンジは、自らの鏡像と対峙して鬱屈することも、理解し合えない父ゲンドウに絶望することもない。これまで「なにを望むの?」と問いかけられるばかりだったシンジはもういない。むしろ、自ら進んでゲンドウと対等に対話 *17 *18してその問いを投げかけ、父をその妄執から解き放ちさえするのだ。それどころか、シンジはアスカやカヲル、レイたちとも丁寧に向き合って対話し、彼女たちのトラウマを除いて「エヴァの呪縛」から解放してみせる *19。彼女たちはもはや「エヴァンゲリオン」のパイロットやヒロインといった役割に拘束されることはなく、それぞれがそれぞれの望む自分を手に入れることになるだろう。こうしてシンジは見事に落とし前をつけ、作品世界の救済を遂げるのだ。



そんなシンジの成熟──子ども時代の消失(死)と再生──を見届け、原画にまで還元されて消え去るばかりとなった──文字どおり──世界の果てまで彼を追ってきて救い出したのがマリであり、これによってシンジもまた「エヴァの呪縛」から解放される。

ラスト・シーンにおけるシンジの姿を思い出そう。ここでのシンジは、アニメ・キャラクターのアイデンティティの核である外見(デザイン)にも、声にももはや束縛されない。その姿は、これまで凍結された時間を取り戻すかのように成人したものとなり、その声も永年シンジを演じ続けてきた緒方恵美から神木隆之介に変更されている。

これらのことからもわかるとおり、碇シンジはこれまでの「碇シンジ」であり続けることから解放されたのだ。そして、そこに現われたマリはシンジの成長を──彼の匂いがLCL溶液(羊水)のそれから変化していることによって──承認し、その証として「DSSチョーカー」を外す。首輪と、マリがシンジを「ワンコ君」とあだ名していたことから連想されるのは、保護の必要な飼い犬(≒赤ん坊)である。これをマリがすすんでシンジの首から外すことは、彼女が彼を対等な人間として認めたことにほかならない。

こうして他者からの成長の承認という「福音」を得たシンジは、「エヴァに乗る世界」という線路(レール)からようやっと降り、新たな道を歩むことが可能になったのだ *20


     ○


そして、「エヴァンゲリオン」とは庵野秀明自身の物語でもある。

しばしば指摘されるように、シンジが「エヴァに乗ること」とは、庵野が「エヴァを作ること」そのものの象徴だ。したがって新劇場版シリーズが目指していたのは、レイの「碇君が、エヴァに乗らなくてもいいようにする」という台詞が象徴するように、庵野エヴァを作ることから解放されるための物語と結末だったということになる。そして、それは見事に果たされた。前述のように、その内面世界だけで作り上げられたがために崩壊するしかなかったであろうテレビ・シリーズ~旧劇場版から打って変わって──いやむしろそれすらも包括して──彼は「エヴァの呪縛」に落とし前をつけたのだ。

ここに至るまでに、ガイナックスからの独立、株式会社カラーやスタジオカラーの設立、安野モヨコとの結婚や権利関係の問題に端を発するかつての仲間との決裂といった、庵野自身の人生での出来事が大小さまざまに影響しているのであろうことは──もちろん類推の域を出ないが──想像に難くない。



うがった見方をするなら、本作『シン・』前半に登場した第3村とは株式会社/スタジオカラーのことであろうし *21、L結界密度が高まりすぎて赤く染まった世界とは「社会現象」ともてはやされ、いたるところにエヴァの商品が溢れる1995年以降の現実世界そのものとも捉えられようし、そんな世界になった元凶たるゲンドウは──前述のように──庵野秀明の鏡像であり、最終的にシンジを救い出すマリとは安野モヨコの似姿だったかもしれない。そして、創作至上主義を掲げて経営にあまり関わらなかったというガイナックス時代(テレビ・シリーズ~旧劇場版)と変わり、自身の意思を経営に反映して責任が取れる場所が必要であるとの思いを持ってカラーを設立・運営しているという彼を取り巻く状況と決断の変化が、シンジの辿る顛末の差に関係してもいるだろう。

ラストに映る現実(=実写)の背景は、庵野秀明の生まれ故郷である山口県宇部市にある宇部新川駅のものだ。現実に帰れ、とは作品内やインタビューにおいて庵野秀明エヴァに囚われ続ける自身のファンに向けて再三放ったきたメッセージのひとつであるが、それは同時に彼自身や作り手たちもまたそうならざるを得なかったことの裏返しでもあったろう。そして、庵野が「エヴァを作ること」の線路を降りる場所に自身の故郷を選んだことは、かつての自分に対する「降りたぞ」というメッセージのようにも捉えられるし *22 、現実(=実写)の映像にアニメーションで描かれたキャラクターを乗せるという手法を採用したことは、エヴァ固執するファンへの「君たちも一緒に降りよう」というまごころではなかったか *23

いずれにせよ、タイトル末尾に「:||」とあるように、繰り返される「エヴァンゲリオン」への葛藤と制作の果てに、庵野秀明はそこからようやく降りることができたのだろう。


     ○


本作は、虚構と現実のどちらからも多くのことを読み取れる重層的な作品だったし、なんとなれば本作によって過去作の作品的価値の底上げすら果たしたといっても過言ではあるまい。同時に、相変わらず聖書から引っ張ってきたであろう諸々の固有名詞やら言い回しで観客を煙にまこうとする感じもまた、きちんと「エヴァンゲリオン」らしい要素を損なってもいない1作だった。

ことほど左様に、本作は「エヴァンゲリオン」を文字どおり総括し、その先をも見据えてさえもみせた見事な大団円だ *24。あるいは本作について、ここまで費やしてきた言葉すら無用かもしれない。ただ万感の思いを込めて言おう──さようなら、全てのエヴァンゲリオン


     ※

*1:英題は “EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME”。

*2:本作では、モーション・キャプチャーによるライブ・アクションも使用されたという。

*3:反対に『シン・ゴジラ』では「徹底したプレヴィズ → 撮影・編集」という、実写映画というよりもアニメのような制作体制が採られている。

*4:手持ちカメラを思わせる荒々しい画面の揺れのなかで、アスカがシンジにレーションを無理やり食べさせようと覆い被さるシーンでの精緻なキャラクターの動きは、凄まじい作画だった。

*5:あるいは、その前後に制作された『君の名は。』(新海誠監督、2016)などといった作品群を含めてもよいだろう。

*6:塞ぎこんだシンジが失語症になっている描写は、彼が象徴的に赤ん坊に戻ったことを表すだろう。そして、アスカとケンスケのカップルは、いっときシンジの擬似的な両親として機能するだろう。

*7:「ヤマト作戦」や「裏コード999」といった直球な引用や、なんとなればミサトの最期もまた同様だろう。

*8:さらに言えば、ヴンダーから吊るされた状態で縦横無尽にアクションを繰り広げるエヴァの姿は、特撮における操演を思わせるもの演出がなされているのも興味深い。また、糸といえば、庵野が日本語版監督として関わった長編人形劇アニメ『ストリングス〜愛と絆の旅路〜』(アンダース・ラノウ・クラーランド監督、2007)も思い起こさせる。

*9:宇宙空間での船外活動(EVE)を捉えたロング・ショットに映る要素要素が妙に静止画っぽいなァと思ったけれど、もしか『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968)の映像感か、思ったりもする。

*10:すべての人々の魂が持つ境界(ATフィールド)を消し、ひとつに融合する「人類補完計画」は、各所で指摘されるようにアーサー・C・クラークSF小説幼年期の終り』(1952)がタネ元のひとつである(クラークがイメージしていたのは、おそらくキリスト教における「携挙」の考え方だろう)。

*11:もちろん、自己愛と自己否定は表裏一体である。そして、この自己完結的さゆえに『新世紀エヴァンゲリオン』は当時(あるいはそれ以降)の時代の空気に合致して観る者の心を掴み、のちの「セカイ系」的作品の礎となった部分はあるだろう。

*12:無論、より正確にいえば『:序』(2007)に附された次回予告から。

*13:事実、これまでの作品のなかでマリは必ず何らかの壁──シェルターの壁やエヴァの装甲、そして世界そのもの──を突き破って、シンジに手を差し伸べていることを思い出そう。これらの壁とは、シンジ=庵野の心的世界と、作品世界を囲う壁にほかならない。

*14:鶴巻は『シン・』の劇場用パンフレットに収録されたインタビューにて「もともと僕は『マリは庵野さんが好きになるようなキャラクターでないとダメだ』と思っていた(後略)」と語っているが、それを翻って思い起こすなら、碇シンジがある種の恋愛感情を抱く象徴的母(あるいはアニマ=ユング精神分析における、自身の持つ女性性)としての女性キャラクター──葛城ミサト、式波/惣流・アスカ・ラングレー、そして綾波レイたち──に分裂していた様々な要素の集合をさせたキャラクター造型のようにも見える(もちろん、だからといって、マリと彼女たちとは似て非なるものである)。

*15:エヴァのキャラクター・デザインを担当した貞本義行が、独自の解釈を多分に含みこんで描いた漫画版(1995 - 2014)が綺麗に物語を終了できたのは、とりもなおさず貞本自身が庵野ではない「他者」だったからだろう。

*16:ふたりが中学校の屋上で初めて出会うシーンで、シンジの持っている S-DAT プレーヤーのトラックが “26” ──テレビ版最終話の話数──までしかなかったものが、“27” に移行している。

*17:この対話シーンの前段階であるエヴァ同士の対決の描写において、シンジが槍を持って初号機に乗り込んでいるという構図は興味深い。しばしば指摘されるように、シンジが母であるユイを素体としたエヴァ初号機に乗り込むことは母胎回帰の象徴であり、その母たる初号機がファリック(男根的な象徴)たる槍を持つことは、エディプス期の幼児が夢想するという万能の存在たるファリック・マザー(ペニスを持った母)を思い起こさせる。もちろん、これは幼児が抱く幻想でしかないので、映画での展開が示すとおり、父に対してなんの効果も持ち得ない。

*18:ところで、本作を含む新劇場版シリーズには「槍」が3種類登場する。神が用意した絶望の「ロンギヌスの槍」と希望の「カシウスの槍」、そして人類が創ったヴィレの「ガイウスの槍」である。これらのネーミングは、すべて歴史上の人物の名前から取られている。 ▼神が用意した2種類の槍の由来は、キリストの磔刑時に彼のわき腹を突き、後に聖人として数えられるようになった “カシウス・ロンギヌス” である。そして、ガイウスとは、おそらくブルートゥスとともにカエサルを暗殺した “ガイウス・カシウス・ロンギヌス” から取られている(3単語すべて揃った名であるが、当時それほど一般的な名前だったといわれる)。前者は──神に近しい──聖人の名を、後者はヒトの名を与えることで、作劇上の差別化をはかっているのだろう。 ▼また、ガイウスの槍については、その名がローマの結婚式の際に新婦が口にする言葉「あなたがガイウスであるところ、私はガイア (Ubi tu Gaius, ego Gaia)」に登場することも重要だ。ガイウスの槍は2色のパーツが組み合わさった形状をしており、さらにクライマックスにおいて形状を変化させる際にはヘビの交尾のようにとぐろを巻いている。さらにマリが「ヴィレの槍」と言い表すが、ヴンダーが本来は種の保存を目的とした方舟であるなら、あの保管室には各種生命の “つがい” が収められていると考えられる。ことほど左様に、“結婚(=生命を紡ぐ行為)” をニュアンスとして含みこんだ呼称ではなかったか。 ▼それを思うなら、シンジの変わりにガイウスの槍で自らを突いた初号機=ユリと13号機=ゲンドウとは、ふたりの結婚式のやり直しの象徴──『鉄道員』(ピエトロ・ジェルミ監督、1956)のラストのような──だと考えられる。また、その際インサートされるユリとゲンドウを映したカットが妙に生々しく、それをシンジが見ているという構図は、フロイトのいう「原光景」も思い起こさせるものだ。

*19:一連のクライマックスは、もちろんテレビ版最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」の構造の反転である。

*20:映画後半において、マリは冬月から「イスカリオテのマリア」とあだ名されるが、これはイエス・キリストにつき従った12使徒のなかで彼を磔刑へと陥れたユダ──の通称──と、イエス処女懐胎した聖母マリアないし彼の死と復活を見届け──一説には彼の妻であったとされる──マグダラのマリアを掛け合わせたものだと思われる。 ▼冬月にとって、かつて彼の研究室に所属しながら後に袂を分かったマリは裏切り者であると同時に、彼が最終的に「あとは良しなにしたまえ」とマリに餞別を用意しているように、彼女が別の救済の道を切り開く可能性を感じていたのかもしれず、そういった両義的な思惑を込めたあだ名だったのだろう。 ▼さらに物語の階層の観点から考えるなら、ユダの裏切りは、むしろイエスを神にするための必要悪であったとする考えもあるように、マリのこれまでの行動がシンジを最終的に救世主に仕立て上げたことと、劇中アスカがシンジに必要なのは「母親」だと評するようにマリは象徴的にシンジの母親の位置を占め、同時にシンジにとってマグダラのマリアのように「他者」の位置をも占めることを含み合わせたネーミングだったのだろう。

*21:ここでレイが蕪(かぶ)を洗うシーンがあるが、株式会社カラー設立10周年の折に、カラーを蕪に喩えた漫画「よい子のれきしえほん おおきなカブ㈱」を安野モヨコが描いている(後にアニメ化もされた)。

*22:本作の英題にある “THRICE UPON A TIME” とは、過去へ文字を通信する技術が登場するジェイムズ・P・ホーガン『未来からのホットライン』(1980)の原題だ。

*23:あるいは、そこに ”いずれは” と付け足すべきかもしれない。単体で用いた場合、曲の冒頭に戻っての繰り返しを意味する反復記号「:||」をタイトルの末尾につけたことは、エヴァのファンに対する呪詛がかつてよりは和らいだのではないかとも捉えられる。少なくとも、もういちど観ること(再見)までは禁じられていない。「さようならは、また会うためのおまじない」というわけだ。 ▼実際問題として、1回だけ観て終わるには──たとえば画面の情報量や豊潤さに限っても──魅力がありすぎるのが、矛盾というか相互補正というか……。

*24:いま唐突に去来する言葉といえば、感慨にも似た「みんな、大きくなったなぁ」というペニー・ワイズの台詞──『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』(アンディ・ムスキエティ監督、2019)──の一節だ。

2021 1-2月感想(短)まとめ

2021年1月から2月にかけて、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


     ※


【劇 場】
◆鳴と響の姉妹が、自殺の名所としても知られる青木ケ原に存在するという謎の村と箱の呪いに襲われる『樹海村』清水崇監督、2021)は、まァ「村」というわけでは決してないが、バランスよく楽しいホラー作品だった。

前作『犬鳴村』(同監督、2020 *1)に続く「実録! 恐怖の村シリーズ」第2弾と謳われる本作だが、「村」自体が都市伝説だった前作と異なり、本作では「村」ではなく、有名なネット怪談のひとつに登場する「コトリバコ」を主軸に据えた作品となっている。コトリバコとは、出雲の国(島根県*2が発祥の、女子供を殺して一族を根絶やしにするために作られたという箱状の強力な呪具。本作はこのネット怪談を参照しつつ独自の設定を立て、やはり本作が独自に設定した「樹海村」という村に収斂させている。

それでも敢えて独自の設定を創作して “村モノ” と銘打っているのは、ひとつにはフランチャイズ化の思惑があったのだろうし、他方では──やはり森を探索する──『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(ダニエル・マイリック、エドゥアルド・サンチェス監督、1999)の日本版を撮ろうという作り手の意図もあったのだろう。樹海村の境界にある謎のオブジェや、本作のオープニング直後に展開される YouTuber のアキナ──前作でも同様の役柄だった大谷凜香 *3が演じているので、第3弾にもぜひ登場してほしい──による樹海探索の動画生配信のシークェンスは、とくに『ブレア~』の影響が色濃く見受けられる。

同時に、呪いと森に引き寄せられる姉妹の物語が、Jホラー──というかゾンビ風の幽霊が暗闇に跋扈する清水節──的な味わいから、どこか美しさすらあるダーク・ファンタジー的なクライマックスへと移り変わる展開は、『MAMA』(アンディ・ムスキエティ監督、2013)を髣髴とさせる。もちろん、前作『犬鳴村』でもJホラーとダーク・ファンタジーの融合は試みられていたが、劇中のリアリティ・ラインの水準がシーンごとにアベコベだった前作と比べて本作では一定のラインがきちんと保たれているため、違和感なく物語世界に没入することができるだろう。特殊メイクとVFXを大胆に用い、ある種のメタモルフォーゼが妖しげな美しさを醸す本作のクライマックスの画も、日本映画ではあまり見かけないタイプのもので、見応えがある *4

また、本作では昼間の明るいシーンが頻出するもの特徴的だ。とくに中盤、登場人物たちが次々にコトリバコの呪いに見舞われてゆく一連のシーンでは、明るい画面──しかも、とくに被害者を映そうという感じのない素っ気ない画面レイアウト──のなかで、死が突然あっけなく彼/彼女らを襲うので、まるでたまたま事故現場に出くわしてしまったかのような居心地の悪さがスクリーンから滲み出てくるようだ。本作の恐怖表現としては、ここが白眉かもしれない。

もちろん粗がないわけではない。まず、展開を重視するあまりシーンごとの繋がりが少々強引な点だ。登場人物たちがやたらと富士樹海──しかも山道から外れた奥──に往復しすぎではないかと思われたし、“オフ会” のシーンもほとんど意味を持たなかったし、クライマックスでいよいよ登場する樹海村も、その発見手順にもうひとロジックほしかったところだ。そしてなにより、本作の主人公である鳴と響の姉妹に生活感がまったくないことだ。彼女たちの友人や、ほかのサブ・キャラクターたちですら、彼/彼女たちの日常が伺えるのだが、鳴と響だけは普段なにをして生活しているのか皆目描写されないので、物語世界からも妙に浮いた印象ばかりが目立ってしまっている。“見えて” しまうがために引きこもりがちな妹・響と、対照的に明るく活発的な姉・鳴の関係性を思わせる、同一画面での会話シーンにも関わらずピントが鳴と響を交互に行き来するショットなど興味深い演出も多かったぶん、そこが惜しまれる。

とはいえ、適度なスケール感と展開に従って変化する恐怖感を、バランスよくまとめ上げた本作は、観て損はない1作だ。第3弾もぜひ作ってほしい。


     ※


【ソフト】
◆誘拐された少女の監禁場所を追う巡査と配信系リポーターを描く『ライブリポート』(スティーヴン・C・ミラー監督、2019)は、いわゆるリアルタイム・サスペンスとしてタイトで適確な尺に見せ場をきちんと盛り込んだ1作で、チャーリー・シーンの『ザ・チェイス』(アダム・リフキン監督、1994)同様、題材としても民放の洋画劇場で観たらば、よりいっそう楽しかろう1作だ。


     ○


ソ連時代、KGBの訓練によって暗殺者となった女の戦いを描く『ANNA/アナ』リュック・ベッソン監督、2019)は、時系列シャッフルをふんだんに用いた話運びやアクションの見せ場など楽しく、ふつうに面白いのだけど、1990年が舞台のはずなのに登場するコンピュータや携帯電話があきらかに2000年代半ばのラップトップだったりガラケーだったりするので奇妙なノイズになっているのが残念。リュック君さあ、オイラより1990年のこと詳しいでしょ!?


     ○


◆とある理由から真人間に改心して政界に打って出ようとする元ヤクザのチェシルの奮闘を描く『英雄都市』カン・ユンソン監督、2019)は、なるほどこういう『ロッキー』(ジョン・G・アヴィルドセン監督、1976)の翻案があるかと唸させる脚本と演出とオマージュの効いた楽しく可愛らしい1作。挙句『メリーに首ったけ』(ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー監督、1998)のラストで締めくくるのだから憎めない。チョイ役でマ・ドンソクと、どういうわけだか “ラーメン三銃士” も出てくるゾ!


     ※

*1:公開当時の感想>>拙ブログ「2020 2月感想(短)まとめ」内。

*2:前作でも「鷹の爪団」がコラボレートしていたが、この点において本作ではいっそう必然性があった。

*3:西田明菜役。また、ほかにも『犬鳴村』ネタがちょっぴり登場する。

*4:前作は動きのないファッション・ショーもかくやの、いささか残念な出来だったぶん、よけいにそう思われた。

2020年劇場鑑賞映画ベスト10

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あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろあり、まだ収束も見込めておりませんが、
本年が皆様にとって善い年であるよう、心よりお祈り申し上げます。


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【2020年劇場鑑賞映画ベスト10】

1.『TENET テネット』クリストファー・ノーラン監督、2020)


2.『透明人間』リー・ワネル監督、2020)

3.『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督、2019)


4.『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』(MTJJ監督、2019)

5.『ミッドサマー』アリ・アスター監督、2019)


6.『82年生まれ、キム・ジヨン(キム・ドヨン監督、2019)

7.『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督、2019)

8.『フォードvsフェラーリジェームズ・マンゴールド監督、2019)

9.『彼らは生きていた』ピーター・ジャクソン監督、2018)

10.『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語グレタ・ガーウィグ監督、2019)

10.『2分の1の魔法』(ダン・スキャンロン監督、2019)


     ※


【2020年劇場鑑賞映画リスト】

『永遠の門 ゴッホの見た未来』ジュリアン・シュナーベル監督、2018)
『リチャード・ジュエル』クリント・イーストウッド監督、2019)
『フォードvsフェラーリジェームズ・マンゴールド監督、2019)
ヒックとドラゴン 聖地への冒険』(ディーン・デュボア監督、2019)
『キャッツ』トム・フーパー監督、2019)

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督、2019)
バッドボーイズ フォー・ライフ』(アディル・エル・アルビ、ビラル・ファラー監督、2020)
『犬鳴村』清水崇監督、2020)
T-34 レジェンド・オブ・ウォー ダイナミック完全版』(アレクセイ・シドロフ監督、2019)
『シライサン』安達寛高監督、2020)


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チャーリーズ・エンジェルエリザベス・バンクス監督、2019)
『スキャンダル』(ジェイ・ローチ監督、2019)
『野性の呼び声』(クリス・サンダース監督、2020)
『母との約束、250通の手紙』(エリック・バルビエ監督、2017)
『ジュディ 虹の彼方に』(ルパート・グールド監督、2019)

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(キャシー・ヤン監督、2019)
『ミッドサマー』アリ・アスター監督、2019)
『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督、2019)
『サーホー』(スジート監督、2019)
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』片渕須直監督、2019)


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『バジュランギおじさんと、小さな迷子』カビール・カーン監督、2015)
『彼らは生きていた』ピーター・ジャクソン監督、2018)
21世紀の資本(トマ・ピケティ、ジャスティン・ペンバートン監督、2019)
『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』グザヴィエ・ドラン監督、2018)
『ナイト・オブ・シャドー 魔法拳』(ヴァッシュ・ヤン監督、2019)

『ドクター・ドリトル』スティーヴン・ギャガン監督、2020)
『ひまわり 50周年HDレストア版』ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1970)
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語グレタ・ガーウィグ監督、2019)
ランボー ラスト・ブラッド(エイドリアン・グランバーグ監督、2019)
『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』ウディ・アレン監督、2018)


30


海底47m 古代マヤの死の迷宮』ヨハネス・ロバーツ監督、2019)
WAVES/ウェイブス』(トレイ・エドワード・シュルツ監督、2019)
エジソンズ・ゲーム』(アルフォンソ・ゴメス=レホン監督、2017)
『ブラック アンド ブルー』(デオン・テイラー監督、2019)
『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』(ツバ・ノボトニー監督、2019)

『2分の1の魔法』(ダン・スキャンロン監督、2019)
『事故物件 恐い間取り』中田秀夫監督、2020)
『カセットテープ・ダイアリーズ』グリンダ・チャーダ監督、2019)
『TENET テネット』クリストファー・ノーラン監督、2020)
『透明人間』リー・ワネル監督、2020)


40


トロールズ ミュージック★パワー』(ウォルト・ドーン、デヴィッド・P・スミス監督、2020)
『82年生まれ、キム・ジヨン(キム・ドヨン監督、2019)
『mid90s ミッドナインティーズ』ジョナ・ヒル監督、2018)
『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』(MTJJ監督、2019)
『スパイの妻〈劇場版 〉』黒沢清監督、2020)

ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』(クリス・バトラー監督、2019)
『フェアウェル』(ルル・ワン監督、2019)
『IMAGINE イマジン』ジョン・レノンオノ・ヨーコ監督、1972)
『魔女がいっぱい』ロバート・ゼメキス監督、2020)
ワンダーウーマン 1984パティ・ジェンキンス監督、2020)


50

【備忘録】2020年 鑑賞作品リスト

2020年に観た映画等の備忘録リストです。今年初見は226作品(短篇、TVMなど含む)とTVアニメ1シリーズでした。
末尾に “◎” のあるものは劇場で観たものです。

気まぐれに短い感想を書いた作品もありますので、よろしければ過去投稿記事をご参照いただければ幸いです。

それでは皆様、よいお年を。



密偵キム・ジウン監督、2016)
トニー滝谷市川準監督、2005)
パトリオット・デイピーター・バーグ監督、2016)
『ザ・フォーリナー/復讐者』マーティン・キャンベル監督、2017)
マイル22ピーター・バーグ監督、2018)

『永遠の門 ゴッホの見た未来』ジュリアン・シュナーベル監督、2018)◎
『魂のゆくえ』ポール・シュレイダー監督、2017)
『ネメシス』アルバート・ピュン監督、1992)
『ザ・バニシング -消失-』(ジョルジュ・シュルイツァー監督、1988)
『リチャード・ジュエル』クリント・イーストウッド監督、2019)◎


10


『スノー・ロワイヤル』(ハンス・ペテル・モランド監督、2019)
『フォードvsフェラーリジェームズ・マンゴールド監督、2019)◎
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』カビール・カーン監督、2015)◎
ヒックとドラゴン 聖地への冒険』(ディーン・デュボア監督、2019)◎
『キャッツ』トム・フーパー監督、2019)◎

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督、2019)◎
パラノーマン ブライス・ホローの謎(サム・フェル、クリス・バトラー監督、2012)
『LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘(前・後編)』小池健監督、2019)
『龍の忍者』(ユン・ケイ監督、1982)
アヴリルと奇妙な世界』(クリスチャン・デスマール、フランク・エキンジ監督、2015)


20


バッドボーイズ フォー・ライフ』(アディル・エル・アルビ、ビラル・ファラー監督、2020)◎
『犬鳴村』清水崇監督、2020)◎
『ハロウィン』デヴィッド・ゴードン・グリーン監督、2018)
T-34 レジェンド・オブ・ウォー ダイナミック完全版』(アレクセイ・シドロフ監督、2019)◎
『シライサン』安達寛高監督、2020)◎

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』ロブ・ライナー監督、2017)
わらの犬サム・ペキンパー監督、1971)
チャーリーズ・エンジェルエリザベス・バンクス監督、2019)◎
ルパン三世 プリズン・オブ・ザ・パスト』(辻初樹監督、2019) ※TVM
『スキャンダル』(ジェイ・ローチ監督、2019)◎


30


『野性の呼び声』(クリス・サンダース監督、2020)◎
バーバラと心の巨人アンダース・ウォルター監督、2017)
『ブラック・クランズマン』スパイク・リー監督、2018)
『Fear Filter(原題)』(トレイシー・クリーマン監督、2019) ※短篇
『神と共に 第一章: 罪と罰キム・ヨンファ監督、2017)

『神と共に 第二章: 因と縁』キム・ヨンファ監督、2018)
『Stereoscope(原題)』アレキサンダー・ババフ監督、2017) ※短篇
『母との約束、250通の手紙』(エリック・バルビエ監督、2017)◎
『ジュディ 虹の彼方に』(ルパート・グールド監督、2019)◎
『ゾンビコップ』マーク・ゴールドブラット監督、1988)


40


要心無用(フレッド・C・ニューメイヤー、サム・テイラー監督、1923)
史上最大の作戦ケン・アナキン、ベルンハルト・ヴィッキ、アンドリュー・マートン監督、1962)
『ラヴァーズ&ドラゴン』(ウィルソン・イップ監督、2004)
『死の標的』(ドワイト・H・リトル監督、1990)
火の鳥2772 愛のコスモゾーン』手塚治虫総監督、杉山卓監督、1980)

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(キャシー・ヤン監督、2019)◎
『脱出』ジョン・ブアマン監督、1972)
Virginia/ヴァージニアフランシス・フォード・コッポラ監督、2011)
『サッドヒルを掘り返せ』(ギレルモ・デ・オリベイラ監督、2017)
『ミッドサマー』アリ・アスター監督、2019)◎


50


『THE GUILTY/ギルティ』(グスタフ・モーラー監督、2018)
『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督、2019)◎
『劇場版 ドーラといっしょに大冒険』(ジェームズ・ボビン監督、2019)
切腹小林正樹監督、1962)
『安市城 グレート・バトル』(キム・グァンシク監督、2018)

オーバードライヴリック・ローマン・ウォー監督、2013)
『サーホー』(スジート監督、2019)◎
『弾痕』森谷司郎監督、1969)
『痩せ虎とデブゴン』(ラウ・カーウィン監督、1990)
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』片渕須直監督、2019)◎


60


大殺陣工藤栄一監督、1964)
『シックス・ストリング・サムライ』(ランス・マンギア監督、1998)
『たたり』ロバート・ワイズ監督、1963)
シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』(フィリップ・ラショー監督、2019)
『トリプル・スレット』ジェシー・V・ジョンソン監督、2018)

『ドント・イット THE END』(タタル・シェルハミ監督、2018)
『聖女/Mad Sister』(イム・ギョンテク監督、2019)
『拳精』(ロー・ウェイ監督、1978)
悪魔の棲む家(アンドリュー・ダグラス監督、2005)
帝都大戦』(藍乃才総監督、一瀬隆重監督、1989)


70


『トランス・ワールド』(ジャック・ヘラー監督、2011)
『ノー・エスケイプ』マーティン・キャンベル監督、1994)
イースター・パレード』チャールズ・ウォルターズ監督、1948)
エンドレス 繰り返される悪夢チョ・ソンホ監督、2017)
『人工夜景─欲望果てしなき者ども』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1979) ※短篇


ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1984) ※短篇
ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、フナー・ラウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1985) ※短篇
『ストリート・オブ・クロコダイル』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1984) ※短篇
『失われた解剖模型のリハーサル』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1986) ※短篇
『スティル・ナハト─寸劇』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1988) ※短篇


80


『スティル・ナハト2─私たちはまだ結婚しているのか?』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1991) ※短篇
『スティル・ナハト3─ウィーンの森の物語』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1993) ※短篇
『スティル・ナハト4─お前がいなければ間違えようがない』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1994) ※短篇
『櫛(眠りの博物館から)』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1990) ※短篇
『人為的な透視図法、またはアナモルフォーシス(歪像)』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、1991) ※短篇

『不在』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、2000) ※短篇
『ファントム・ミュージアム ―― ヘンリー・ウェルカム卿の医学コレクション保管庫への気儘な侵入』(スティーヴン・クエイ、ティモシー・クエイ監督、2003) ※短篇
『25日・最初の日』ユーリー・ノルシュテイン監督、1968) ※短篇
『ケルジェネツの戦い』ユーリー・ノルシュテイン監督、1971) ※短篇
『キツネとウサギ』ユーリー・ノルシュテイン監督、1973) ※短篇


90


アオサギとツル』ユーリー・ノルシュテイン監督、1974) ※短篇
『話の話』ユーリー・ノルシュテイン監督、1979) ※短篇
『アニー・イン・ザ・ターミナル』(ヴォーン・スタイン監督、2018)
『ホテル・アルテミス ─犯罪者専門闇病院─』(ドリュー・ピアース監督、2018)
『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(デヴィッド・ロウリー監督、2017)

『KESARI/ケサリ 21人の勇者たち』(アヌラーグ・シン監督、2019)
シシリアン・ゴースト・ストーリー』(アントニオ・ピアッツァ、ファビオ・グラッサドニア監督、2017)
『彼らは生きていた』ピーター・ジャクソン監督、2018)◎
『エヴォリューション』(ルシール・アザリロヴィック監督、2015)
21世紀の資本(トマ・ピケティ、ジャスティン・ペンバートン監督、2019)◎


100


『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』グザヴィエ・ドラン監督、2018)◎
フェア・ゲーム(アンドリュー・サイプス監督、1995)
『ナイト・オブ・シャドー 魔法拳』(ヴァッシュ・ヤン監督、2019)◎
『ドラゴン特攻隊』(チュー・イェンピン監督、1982)
『みじかくも美しく燃え』(ボー・ヴィーデルベリ監督、1967)

『凍える牙』(ユ・ハ監督、2012)
『クロール─凶暴領域─』アレクサンドル・アジャ監督、2019)
キョンシーvs五福星』チェン・チューファン監督、1987)
『ひまわり 50周年HDレストア版』ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1970)◎
『アス』ジョーダン・ピール監督、2019)


110


『SKIN 短編』(ガイ・ナティーヴ監督、2018) ※短篇
『守護教師』(イム・ジンスン監督、2018)
ヘルボーイニール・マーシャル監督、2019)
『ドクター・ドリトル』スティーヴン・ギャガン監督、2020)◎
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明』ツイ・ハーク監督、1991)

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語グレタ・ガーウィグ監督、2019)◎
『ポラロイド』(ラース・クレヴバーグ監督、2019)
アメリカン・サイコ(メアリー・ハロン監督、2000)

(ここまでが上半期)

ランボー ラスト・ブラッド(エイドリアン・グランバーグ監督、2019)◎
『さらば愛しきアウトロー(デヴィッド・ロウリー監督、2018)


120


『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』ウディ・アレン監督、2018)◎
『工作 黒金星と呼ばれた男』(ユン・ジョンビン監督、2018)
『エンド・オブ・ステイツ』リック・ローマン・ウォー監督、2019)
チャップリンの移民』チャールズ・チャップリン監督、1917) ※短篇
チャップリンの勇敢』チャールズ・チャップリン監督、1917) ※短篇

チャップリンの替玉』チャールズ・チャップリン監督、1916) ※短篇
チャップリンの女装』チャールズ・チャップリン監督、1915) ※短篇
チャップリンの午前一時』チャールズ・チャップリン監督、1916) ※短篇
『フィッシュマンの涙』(クォン・オグァン監督、2015)
『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』ナタウット・プーンピリヤ監督、2017)


130


『アップグレード』リー・ワネル監督、2018)
アメリカン・アニマルズ』(バート・レイトン監督、2018)
エスケープ -ナチスからの逃亡-』(ロス・クラーク監督、2019)
『マザー!』ダーレン・アロノフスキー監督、2017)
海底47m 古代マヤの死の迷宮』ヨハネス・ロバーツ監督、2019)◎

潜水艦イ-57降伏せず松林宗恵監督、1959)
『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』松林宗恵監督、1960)
『太平洋の翼』松林宗恵監督、1963)
WAVES/ウェイブス』(トレイ・エドワード・シュルツ監督、2019)◎
『ブレッドウィナー(※別題[Netflix版]: 『生きのびるために』)(ノラ・トゥーミー監督、2017) 


140


エジソンズ・ゲーム』(アルフォンソ・ゴメス=レホン監督、2017)◎ ※ディレクターズ・カット版
『The Dolls with Attitude』(山口直哉監督、2017) ※短篇
『神の一手』(チョ・ボムグ監督、2014)
『ブラック アンド ブルー』(デオン・テイラー監督、2019)◎
『シンドバッド七回目の航海』(ネイサン・ジュラン監督、1958)

『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』(ツバ・ノボトニー監督、2019)◎
『Her Last Photo(原題)』(デヴィッド・アサンバッゼ監督、2020) ※短篇
『Curve(原題)』(ティム・イーガン監督、2017) ※短篇
『バンド・ワゴン』ヴィンセント・ミネリ監督、1953)
『EXIT イグジット』(イ・サングン監督、2018)


150


『野獣処刑人 ザ・ブロンソン(レネ・ペレズ監督、2018)
『無双の鉄拳』(キム・ミンホ監督、2018)
『ボーダー 二つの世界』(アリ・アッバシ監督、2018)
ジョーズ3』(ジョー・アルブス監督、1983)
『2分の1の魔法』(ダン・スキャンロン監督、2019)◎

アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲』ティモ・ヴオレンソラ監督、2019)
『アントラム 史上最も呪われた映画』(マイケル・ライシーニ、デヴィッド・アミト監督、2018)
『ペット・セメタリー』(ケヴィン・コルシュ、デニス・ウィドマイヤー監督、2019)
『スーパーティーチャー 熱血格闘』(カム・カーワイ監督、2018)
『事故物件 恐い間取り』中田秀夫監督、2020)◎


160


『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』ジョナサン・レヴィン監督、2019)
『ロボット2.0』(シャンカール監督、2018)
『ザ・ホール』ジョー・ダンテ監督、2009)
フォロウィングクリストファー・ノーラン監督、1998)
『Behind The Frame(原題)』(ディラン・クラーク監督、2020) ※短篇

Polaroid (原題)』(ジョーイ・グリーン監督、2017) ※短篇
『Catcalls(原題)』(ケイト・ドーラン監督、2017) ※短篇
『인형(原題)』(ドヨン・ノウ監督、2014) ※短篇、英題: Human Form
『ラムの大通り』(ロベール・アンリコ監督、1971)
『トレジャー・オブ・ムージン 天空城の秘宝』(フェイ・シン監督、2018)


170


『カセットテープ・ダイアリーズ』グリンダ・チャーダ監督、2019)◎
ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男』(ロバート・D・クロサイコウスキー監督、2018)
『TENET テネット』クリストファー・ノーラン監督、2020)◎◎◎
『スケアリーストーリーズ 怖い本』アンドレ・ウーヴレダル監督、2019)
『透明人間』リー・ワネル監督、2020)◎

霊幻道士X 最強妖怪キョンシー現る』(グオ・ヤーポ監督、2019)
『邪願霊(別題: サイキックビジョン 邪願霊~狙われた美人キャスター~)(石井てるよし監督、1988) ※OV
『ジョン・デロリアン(ニック・ハム監督、2019)
『ドリヴン』レニー・ハーリン監督、2001)
ジャッキー・チェンの醒拳』(チェン・チュアン監督、1983)


180


『脱走特急』(フェドール・ポポフ監督、2019)
『脱走特急』マーク・ロブソン監督、1965)
『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』(レジス・ロワンサル監督、2019)
トロールズ ミュージック★パワー』(ウォルト・ドーン、デヴィッド・P・スミス監督、2020)◎
『マイ・スパイ』ピーター・シーガル監督、2020)


『デッドフォール』アンドレイ・コンチャロフスキー監督、1989)
西遊記(藪下泰司、手塚治虫、白川大作監督、1960)
『PMC: ザ・バンカー』(キム・ビョンウ監督、2018)
『82年生まれ、キム・ジヨン(キム・ドヨン監督、2019)◎
『サルート・オブ・ザ・ジャガー(デヴィッド・ピープルズ監督、1989)


190


『アンシンカブル -襲来-』(ビクター・ダネル監督、2018)
『インカ王国の秘宝』(ジェリー・ホッパー監督、1954)
『エクストリーム・ジョブ』イ・ビョンホン監督、2019)
『ディリリとパリの時間旅行』ミッシェル・オスロ監督、2018)
エクスカリバージョン・ブアマン監督、1981)

『mid90s ミッドナインティーズ』ジョナ・ヒル監督、2018)◎
ジャングル・ブック(ウォルフガング・ライザーマン監督、1967)
『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』ライアン・ジョンソン監督、2019)
『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』(MTJJ監督、2019)◎◎
『プライマー』(シェーン・カルース監督、2004)


200


『スピリッツ・オブ・ジ・エア』アレックス・プロヤス監督、1988)
ゾンビランド: ダブルタップ』ルーベン・フライシャー監督、2019)
『ムルゲ 王朝の怪物』(ホ・ジョンホ監督、2018)
黄金の七人マルコ・ヴィカリオ監督、1965)
『続・黄金の七人 レインボー作戦』マルコ・ヴィカリオ監督、1966)

『スパイの妻〈劇場版 〉』黒沢清監督、2020)◎
『映画愛の現在 第Ⅲ部 星を蒐める』(佐々木友輔監督、2020)
『囚われた国家』ルパート・ワイアット監督、2019)
ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』(クリス・バトラー監督、2019)◎
『フェアウェル』(ルル・ワン監督、2019)◎


210


『ラストムービー』デニス・ホッパー監督、1971)
『ソルジャー』ポール・W・S・アンダーソン監督、1998)
『IMAGINE イマジン』ジョン・レノンオノ・ヨーコ監督、1972)◎
『大アマゾンの半魚人』(ジャック・アーノルド監督、1954)
スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー(ケリー・コンラン監督、2004)

『The World of Tomorrow(原題)』(ケリー・コンラン監督、2003) ※短篇
『魔女がいっぱい』ロバート・ゼメキス監督、2020)◎
『ハード・ナイト』レニー・ハーリン、2019)
『恐竜が教えてくれたこと』(ステフェン・ワウテルロウト監督、2019)
ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門』ジョン・ウー監督、1975)


220


『ハッピー・デス・デイ』(クリストファー・B・ランドン監督、2017)
『ハッピー・デス・デイ 2U』(クリストファー・B・ランドン監督、2019)
『黒い司法 0%からの奇跡』(デスティン・ダニエル・クレットン監督、2019)
『オフィーリア 奪われた王国』(クレア・マッカーシー監督、2018)
ワンダーウーマン 1984パティ・ジェンキンス監督、2020)◎

『プライズ~秘密と嘘がくれたもの~』(パウラ・マルコビッチ監督、2011)
『マーウェン』ロバート・ゼメキス監督、2018)


以上、計227作品。


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【TVアニメ】
ルパン三世 PART5矢野雄一郎監督、2019)


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