『ゴジラ キンブ・オブ・モンスターズ』感想(一部ネタバレ有り)

ゴジラ キンブ・オブ・モンスターズ』(マイケル・ドハティ監督、2019)……サンフランシスコを舞台に繰り広げられたゴジラとムートーの激戦から5年後、怪獣たちの生態を極秘裏に調査・研究するする未確認生物特務機関 “モナーク” に所属するエマ・ラッセル博士は、怪獣たちとの意思疎通を可能にする音声合成装置 “オルカ” の開発に成功する。しかし、その類稀れな性能に目をつけたアラン・ジョナ率いる環境テロリストの一団によって、“オルカ” ともども彼女は娘のマディソンとともに拉致されてしまう。

事態を重く見たモナークの芹沢猪四郎博士らは、現在は別居中であるエマの夫マークに協力を要請し、彼女たちの行方を追うのだった。そんななかアランは、モナークがこれまで隠し続けてきた究極の怪獣 “モンスター・ゼロ” を解き放とうと、南極へ向けて兵を進めていた……。

現代に蘇った怪獣王ゴジラが、世界各地で復活を遂げたラドンモスラ、そしてキングギドラとの熾烈な闘いを繰り広げるハリウッド・リブート最新作の本作は、第2作目*1にして大胆なシフト・チェンジを果たした、良くも悪くも快/怪作だった。


     ○


前作『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督、2014)が初代『ゴジラ』(本多猪四郎監督、1954)に徹底したオマージュを捧げたダーク──画面の明度も含めて*2──でリアリスティックな作風だったのに対し、本作はむしろ’60年代の「ゴジラ」シリーズ──とくに『三大怪獣 地球最大の決戦』(本多猪四郎監督、1964)から『怪獣総進撃』(本多猪四郎監督、1968)までの諸作──を思わせる明るいエンタメ路線、いうなれば “怪獣プロレス” 路線へと大きく舵を切っているのが特徴だ。

三つ巴、四つ巴の闘いに発展してゆく本作の作劇はもちろんのこと、たとえば、火山の頂上で咆哮を上げるギドラを手前の十字架をナメながら映すショット*3は『三大怪獣 地球最大の決戦』における鳥居越しに猛威を揮うキングギドラの姿を映したショットの再現だろうし、キングギドラのコードネーム「モンスター・ゼロ」は『怪獣大戦争』(本多猪四郎監督、1965)からの引用であり、ゴジラがある種のヒーローとなるキャラクター設定や、追加された咆哮のサウンド・エフェクトのバリエーション──すこし声音が高い──も、この頃のゴジラの鳴き声を思い起こさせる。また冒頭に映るサンフランシスコの被災風景が、昨今の精緻きわまるVFX的テイストではなく、まるでミニチュア特撮風味──いうなれば、初代『ゴジラ』における被災した東京のショットのよう──に見えるのもニクい演出だ。

さらには、南極でゴジラとギドラがはじめて対峙する様を横から捉えたショットには『ゴジラvsキングギドラ』(大森一樹監督、1991)からの引用、クライマックスでは『ゴジラvsメカゴジラ』(大河原孝夫監督、1993)を思い起こさせる展開もあったりと、いわゆる「平成シリーズ」(1984-1995)へのオマージュをまぶしつつ、予告編にもチラリと登場した赤いバーニング・ゴジラのデザインはゲーム版『Godzilla: Unleashed』(アタリ、2007、日本未発売)を彷彿とさせるなど、これまでゴジラ史上において連綿と積み上げられてきた様々な要素を組み込んでの大盤振る舞い。本当にゴジラが好きでたまらない人の手で作られた作品なのだと、ひしひしと感じられる*4 *5


     ○


そんな本作の魅力といえば、なんといっても大幅に増えたゴジラたち怪獣の見せ場に継ぐ見せ場の連続だ。前作がスピルバーグ的演出を随所に用いながら、じっくりと手順を踏んで、小出しに小出しに怪獣を登場させていたのに対し、本作では冒頭から目まぐるしく怪獣絵巻が展開する。

予告編にも登場した、回転飛行をしながら翼で戦闘機を叩き落とすラドンや、ゴジラの熱戦を首だけで避けながら引力光線を撃ち返すキングギドラといった、今日(こんにち)の──かつての操演では不可能だった──CG技術ならではの怪獣アクションの数々はとても新鮮で、まるで宗教絵画のような荘厳な色彩設計の施された画面はため息がもれそうなほど美しい*6

そして、徹底した怪獣たちの巨大感*7と重量感を醸しながらも勢いのあるスピード感を失わず、かつ同時に、まさにいま怪獣の足許に居合わせてしまった主人公たちが演じるドラマや動向とをシームレスかつ矢継ぎ早に、それでいて観客に全体の位置関係や展開をわかりやすく繋いでゆくカメラ・ワークや編集、アクションの構築も見事なものだ。

また、むしろ人間ドラマなんて添え物だぜ、といわんばかりに必要最低限の描写だけに留めてサクサク進む作劇テンポも、いかにも’60年代の「ゴジラ」シリーズといった感じで、たいへんよろしい。こんな具合に、スクリーンのなかで大怪獣たちが所狭しとアスファルトを踏み抜き、ビルを薙ぎ倒し、兵器を爆発四散させながら全世界を更地にしてゆく様は、まるでこの世の天国にいるかのようだった。


     ○


ただいっぽうでハッキリとした不満点もある。もちろん、作劇のテンポのよさと引き換えに、登場人物たちの誰も彼もが「こんな両親なら、俺でも家出するよ」という台詞が端的に表しているような狂人めいた言動ばかり取っていたり*8、人間側の敵対者についての結末が “本編” では明示されない*9のは気持ちが悪かったり、カイル・クーパーの手によるエンド・クレジットにて語られるオチも噴飯もの*10だったり、いくらなんでも「平成ガメラ3部作」(金子修介監督、1995-1999)*11と──知ってか知らずか──設定が被り過ぎではないかという疑念は拭い切れなかったりするのだが、まあよい。

そんなことが些細なことと思えるほどの不満点というのは、渡辺謙演じる芹沢博士のキャラクター設定の変貌ぶりというか、とくにクライマックス手前で描かれる彼の顛末のマズさだ。これには、どうしたって首を傾げざるを得ない。喩えるならば、『続・猿の惑星』(テッド・ポスト監督、1970)に登場するミュータントたちに匹敵するマズさである。


どういうことか。


【以下、核心部のネタバレにつきご注意!】
本編中盤で展開されるギドラとの闘い、そして米軍の試作兵器「オキシジェン・デストロイヤー」──この名称は、もちろん初代『ゴジラ』にて芹沢大助博士が開発し、ゴジラ(と自ら)を屠ることになる水中酸素破壊剤からの引用──による攻撃によって衰弱したゴジラを復活させるため、芹沢猪四郎博士は自らの生命と引き換えにゴジラ(療養中)のそばで核弾頭を爆発させる……。

芹沢が下したこの決断やふるまいを、初代『ゴジラ』における芹沢博士と重ねつつ、彼自身には直接責任のない罪をすべて背負い込むことで人類の贖罪を──自然の生んだ “神” たるゴジラに許しを請うことで──果たしたイエス・キリストの受難として読み解く指摘もあって、なるほど作劇上の仕掛けとしてはたしかにそのとおり*12なのだけれど、しかし本作のように核兵器使ってしまっては本末転倒ではないか。

これでは、本来ゴジラ映画が持ってきた反核の精神ではなく、むしろ核兵器原水爆)賛美として、いびつな機能を果てしてはいまいか。初代『ゴジラ』における芹沢博士は、ゴジラ原水爆以上の脅威になりかねない「オキシジェン・デストロイヤー」──そしてもちろん核兵器──を今後ふたたび人類に使わせないために自らゴジラとともに命運を共にしたのであって、その意図は、まるでカンフル剤のように核兵器を使用した本作とはまったく真逆である。これでは、原爆を神の武器、死の灰を恵みの象徴として崇める『続・猿の惑星』のミュータントたち*13となんら変わりはない*14

むしろ、あの場面で人類が直面すべきは、それがなんであれ核の使用などといった人間のチンケな思惑なんぞ露ほども通じない自然の神性であったろうし、あるいは核をそんな安易に使用しない方法を模索するべきではなかったのか。前作にピーター・ブラッドショーが当時寄せた「日本のゴジラに込められていた反核の風刺が、この映画では滑稽なほど弱まっている」という批判*15は、むしろ本作にこそ当てはまるかもしれない*16


     ○


といいつつ、こういった奇妙な転向もまた、かつて「ゴジラ」シリーズが辿ってきた道のりを正確にオマージュしてみせた、といえなくもないのでむつかしいところだ*17。あるいは、今後『ゴジラ対ヘドラ』(坂野義光*18監督、1971)にあったような暗い揺り返しがあるのやもしれない。

ただ、本作を彩る画と、その見せ方の巧みさは掛け値なしに最高に継ぐ最高の連続*19なので、王の威光を拝みにぜひとも劇場に出かけよう。

Long live the KING!


     ※


【おまけ: 備忘録】
GODZILLA ゴジラギャレス・エドワーズ監督、2014)について……『GODZILLA ゴジラ』(2D字幕版)感想 - つらつら津々浦々(blog)

シン・ゴジラ庵野秀明総監督、2016)について……『シン・ゴジラ』感想 - つらつら津々浦々(blog)

キングコング: 髑髏島の巨神』ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督、2017)について……2017年鑑賞映画 感想リスト/11-20 - つらつら津々浦々(blog)

GODZILLA 星を喰う者静野孔文瀬下寛之監督、2018)とシリーズについて……2018 10-12月感想(短)まとめ - つらつら津々浦々(blog)


     ※

*1:「モンスターバース」としては『キングコング: 髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督、2017)についで第3作目となる。

*2:かなり暗いため、おそらくではあるが日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で地上波放映された際には、画面が明るく調整されさえしていた覚えがある。

*3:本作において、ゴジラが生粋の「神」なら、ギドラは「偽りの王」と呼ばれている。そんなギドラを十字架と併置させているのは興味深い。

*4:web『クランクイン!』内「監督抜てきは『ゴジラへの愛の深さが決め手』 夢中になった少年時代、夢が現実に」(https://www.crank-in.net/interview/65358/1)を参照、2019年6月6日閲覧。

*5:また、まるで『AKIRA』(大友克洋監督、1988)のサントラ(山城祥二作曲、芸能山城組演)もかくやに般若心経やらソイヤ! ソイヤ! と合の手の入るベアー・マクレアリーの音楽と、既存曲アレンジも最高だった。

*6:監督によれば、レンブラントの絵画や宗教絵画などにおける光の描き方を参考に、古代の神々が闘っているようにシーンを形成したという。Web『THE RIVER』内、稲垣貴俊「『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』マイケル・ドハティの怪獣観 ─ 宗教画や聖書、自然現象をモチーフに製作」(https://theriver.jp/godzilla2-photo)を参照。2019年6月5日閲覧。

*7:本作は、前述のギドラのショットをはじめとしたナメのショット──たとえば、いちばん手前に人間、その向こうに折れた鉄塔などの瓦礫や建造物、そのさらに奥にスクリーンからはみ出しそうな怪獣が立つ、といった──の使い方がベラボウに巧い。

*8:にも関わらず恐ろしく説得力を付随させる役者陣の演技──とくにそれぞれがそれぞれの思いを胸に怪獣を見上げる表情の機微──は、みな素晴らしい。それだけでもグッとくるものがある。

*9:ラストのクリフハンガーに繋げるためとはいえ、急にいなくなるのはどうだろう。

*10:風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督、1984)の腐海王蟲かと思った。

*11:稀代の傑作、観よう。また、余談も余談だが、アランが片手で顔を拭うよう険しい表情を一瞬隠した後に見える表情が柔和になる──それに対してマディは中指で目尻を掻いていた──けれど、これってまさか大魔神オマージュなのかしらん(細野晴臣がよくやってますね)。

*12:ドハティ監督が意図を語るインタビューも興味深い。Web『THE RIVER』内、稲垣貴俊「【ネタバレ】『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』 芹沢博士の◯◯の意味、ラストシーン解説 ─ マイケル・ドハティ監督インタビュー」(https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/)を参照。2019年6月5日閲覧。

*13:余談だが、この作品でミュータントたちが崇める原爆の製造ナンバーは「ΑΩ(アルファ・オメガ)」であり、これは新約聖書ヨハネの黙示録」(1章8節、21章6節、22章13節) に登場する主の言葉「私はアルファであり、オメガである」──つまり、神ゆえにすべてを司る、というような意味──に由来する。彼らがその「神」を崇めて礼拝堂で歌う賛美歌は、ソラ恐ろしい歌詞の連なりをパイプオルガンとコーラスによる荘厳なアレンジでまとめ上げた、無気味な名曲だ。

*14:それに、あの様子だと明らかにゴジラの寝床ないし祭壇──深海の地底空洞内に残された、作中明言はないがアトランティス(いや、まさかシートピアか?)と思しき古代文明都市の遺跡にあるパワー・スポット──を破壊しているのであって、かえってゴジラの逆鱗に触れるのじゃないかしらん。

*15:web『NewSphere』内「『ゴジラ』好スタートも、欧米メディアは酷評“日本版の風刺が滑稽なほど弱まっている”」(http://newsphere.jp/entertainment/20140519-2/)、および web『The Guardian』内「Godzilla review – big, scary monsters but no bite in satire-stripped remake」(http://www.theguardian.com/film/2014/may/15/godzilla-review-scary-monsters-boring-humans)を参照。ともに2019年6月5日閲覧。

*16:前作『GODZILLA ゴジラ』では、核兵器を使用した作戦が滑稽なほど一事が万事うまく運ばないという展開を辿ることで、ある一線は越えずに踏みとどまっていたと考えるものだ。

*17:ゴジラvsキングギドラ』(大森一樹監督、1991)にも似たような展開がある。

*18:彼と、ゴジラの初代スーツアクターである中島春雄に捧げられた献辞に涙。

*19:今夏、リメイク版が公開される『ライオン・キング』(ロジャー・アレーズ、ロブ・ミンコフ監督、1994)もかくやの、相当ブッ飛んだシーンもあるけれどね。