2019 11月感想(短)まとめ

2019年11月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆DIA(米国防情報局)に雇われる凄腕の狙撃手ヘンリーが何者かの陰謀によって、若き日の自分に生き写しの暗殺者に追われるジェミニマン』アン・リー監督、2019)は、画面内に使用された技術は凄いのであろうことは感じられるSFアクションだった。

というのも、本作を鑑賞するにあたっては本来であれば作り手たちが想定した「3D + in HFR(ハイ・フレーム・レート)」という上映形態──今作では通常の映画が24fps(秒24コマ)であるのに対して120fps(秒120コマ)からなる素材を3D映像化するというものだという──に近い環境での望ましいのだろうけれども、いかんせん自分が足を運べる劇場にそんな設備もなく、通常の映画上映形態と同様にダウンコンバートしたヴァージョンしか観ることは叶わなかった。とはいえ、明らかに普段観る作品とは映像の手触りの異質さは、雰囲気としては実感できた。とくに、今策最大の見所であるデジタル技術によって画面に定着された若きウィル・スミスの精緻なリアルさには──明るい昼間のシーンでは、ほんのわずかに違和感が残るものの──驚かさる。

また、アクション・シーンも面白く、とくに映画中盤にあるコロンビアはカルタヘナを舞台にした一連のシーンは、その白眉だろう。ウィル・スミスが若いウィル・スミスとはじめて対峙してから始まる銃撃戦から街中を駆けるバイク・チェイスまでの諸々のアクションは、建物の階上と階下、道路と脇の塀といった高低差を介してウィル・スミス同士が対決するので、文字どおり縦横無尽/立体的な臨場感に溢れているし、1ショット長回し──おそらく擬似的なものとは思うけれど──で彼の乗ったバイクを捉え続ける撮影も見事だった。的確にヘンリーをアシストするヒロインのダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド演)の所作も見応えがある。

しかし正直なところ、およそ予告編で語られること以上には発展しない「クローン」を巡るスパイ映画的な本作の脚本──企画自体、相当古いものらしい──には物足りなさを感じたし、愁嘆場のシーンも妙に長ったらしいのは否めない。ウィル・スミスの老若それぞれが同じ内容の心情の吐露を別のシーンで1回ずつやるというのは、さすがにどうかな。おそらく本作最大のネックは、使用された革新的撮影・上映技術に対して、つまらないとまではいわないまでも、あまりに本編そのものが淡白な点であろう。それが逆に、本作のジャンル映画的軽やかさを削いでいない、ともいえるだろうけれども。


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◆27年前、在りし日の子ども時代に封印したはずのペニーワイズが復活したという報せを受けた “負け犬クラブ” の面々が再び集結するIT/イット THE END “それ”が見えたら終わり。』アンディ・ムスキエティ監督、2019)は、怖さと可笑しさ、そして郷愁が絶妙にミックスされた堂々たる大長編だった。

ペニーワイズを真に封印する儀式には、それぞれ子ども時代の思い出の品が必要だということで、その探索の途上で折々に回想シーンが差し挟まれる──ここでの現在から過去へ/過去から現在への移行を表現するカメラワークが面白い──のだが、誰しもが「あの頃のことをほとんど覚えていない」という設定によって、前作『IT/イット “それ”が見えたら終わり。』(同監督、2017)に登場さえしなかったシーンを次々に盛り込んでくる構成が、妙な新鮮味があって面白い。

そしてもちろん、そのたびにペニーワイズがあの手この手で主人公たちの心を挫こうと仕掛けてくるホラー表現もバラエティに富んでいて楽しい。冒頭のつかみである、橋桁の下に無数に浮かぶ赤い風船の無気味な色合いに始まり、ギーガー的雰囲気を醸すグロテスクな闇鍋と化すおみくじクッキー、会話の間がギクシャクと噛み合わない老婆、イカれたブラウン管に映ったように狂った色彩になる公園、そして古典的な「わっ!」という驚かしまで、上映時間169分という長尺──寡聞にして、こんなに長いホラー映画がこれまであったろうか──を感じさせる暇もない。

ところで本作の特徴は、じつはめっぽう笑えるシーンが多いことだ。日常や回想シーンのみならず、ペニーワイズが跋扈するホラー演出シーンにおいてもコメディ演出やギャグが──前作を観ていれば爆笑必至の天丼ネタや、ほかのスティーヴン・キング作品のパロディも含めて──ふんだんに使用されている。これが本作の興を削いでいないのは、本作が大人になった主人公たちの主観から描かれるからだろう。本シリーズのペニーワイズ=イット(それ)とは、各々が子ども時代に恐怖したものの代理表象だ *1。それと同様に僕ら観客にもまた子ども時代に恐怖した大なり小なりのイットがあったわけで、それをいま思い返したとき存外に陳腐だったり滑稽だったりすることは、ままあるだろう。本作が採用したホラーとコメディの融合は、そんなノスタルジックな味わいを──無論、ペニーワイズによって容赦なく死人は出るけれど──喚起させる。そしてだからこそ、前作と本作におけるペニーワイズ打倒の方法が、対になるように設定されているのではないだろうか *2

なんにせよ、本作を観終わるころには「みんな大きくなったなあ」と感慨深くため息がもれること請け合いだ。


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◆メキシコに暮らす少女ダニーの生命を狙う新型ターミネーター「REV-9」と、それを追って同じく未来から送り込まれてきた強化人間グレースらの死闘を描くターミネーター: ニュー・フェイト』ティム・ミラー監督、2019)は、スピーディな展開とアクション、そして強く気高くたくましい女性たちが見所の1作だ。

『2』(ジェームズ・キャメロン監督、1991)よりこちら、幾度もキャメロン抜きでパラレルに続篇が作られてきた「ターミネーター」シリーズ *3だが、再びのし切り直しとなった本作では、今回久々にキャメロンが製作として、なおかつ初期2作でサラ・コナーを演じたリンダ・ハミルトンが同役に復帰したということで、いやがおうにも期待値は高まっていた。まず結論から言えば、本作はその期待に充分に応えてくれる1作となった。

展開的にも映像的にも驚かされる冒頭10分を皮切りに、ダニーと、彼女を護衛するグレース、そしてひょんなことから彼女たちに合流するサラ・コナー、アーノルド・シュワルツェネッガー演じる「T-800」──彼がいまどうしているのかは、ぜひともご自身の目で確認されたい *4──を執拗に追うガブリエル・ルナ演じるREV-9 *5との攻防戦に目が釘付けになる。役者やスタントマンらによる生身の殺陣とデジタル・スタントとを適宜うまく入れ替え組み合わせながら展開されるアクションの数々は、殊に肉弾戦においてシリーズのなかでも、じつにスピーディで立体的なものだったし、主に登場する車両のそれぞれがかつての画面で見覚えのある外見をしているなどといった目配せも楽しい。

そして、前述のとおり復帰したリンダ・ハミルトンの燻し銀の効いた『2』にも勝る格好良さ、REV-9とサシで渡り合う改造人間グレースを演じたマッケンジー・デイヴィスの鍛え抜かれた所作の美しさ、そして──『1』(ジェームズ・キャメロン監督、1984)におけるサラがそうであったように──庇護されるばかりの存在から自ら闘いへと挑む人物に成長する少女ダニーを演じたナタリア・レイエスの凛々しさを伴った表情が、展開によりいっそうの力強さと色鮮やかさを与えるだろう。なにより彼女たちの活躍をとおして、シリーズが無意識に継承してきた “「母」としての女性が大切なのだ” という価値観を、そうではなく 、“「あなた」自身が大切なのだ” と言い切った点も素晴らしい進化だ *6

もちろん食い足りない部分がないわけではない。これはここ10年くらいの潮流であるので本作だけに限った話ではないのだが、やはりナイト・シーンでの画面の “リアル” な暗さがどうしても目につく……というか見づらいのは否めない。現実的には嘘でもいいので、かつてのようにもうすこし照明を当ててくれたなら、本作の激しいアクションに没入できただろう。また、展開の速さを重視するばかりに情緒面が若干弱いのも気になった点だ。そういったものはたいてい短い台詞のやりとりのみに限られている──ダニーとグレースの歩み寄りには、後の展開を描くためにも、もうちょっと尺を割いたなら、よりエモーショナルになったのではないかしら──し、とくに冒頭での掴みの部分でREV-9が遂行したはずの殺戮シーンをきちんと見せないのはもったいない。それがあったからこそ、T-800を演じたシュワルツェネッガーや、『2』において宿敵である液体金属型ターミネーター「T-1000」を演じたロバート・パトリックが映画史のなかで永遠に記憶される悪役になったのではなかったか。

ともあれ、もしあなたが『2』から一足飛びに本作を観るなら、時間経過による映像技術や価値観といった様々な刷新ぶりに、それこそタイム・トラベルをしたかのような感触をもたらすことだろう。面白かった。


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◆行きつけの喫茶店の地下にあった飛び出す絵本の世界に吸い込まれた「すみっコ」たちが、そこでひとりっぼっちの「ひよこ?」と出会い、様々なおとぎ話の世界を旅する『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』(まんきゅう監督、2019)は、「たれぱんだ」や「リラックマ」などを生み出したサンエックスに所属する横溝友里がデザインし、書籍やゲームなど各種メディアにグッズ展開されて人気を博しているキャラクター群「すみっコぐらし」について、ほんのひとかけらの予備知識もなしに観たけれど、たいへん可愛らしい作品だった。

部屋の隅が好きな動物や植物、果ては埃や食べかけの料理*7まで、さまざまなものをキャラクタライズしたデザインが秀逸で、シンプルで太い描線と温かみのあるカラーリングに彩られた丸っこい「すみっコ」たちが、3Dモデリングを用いたアニメーションによって画面内を行き来する姿はコロコロと可愛らしいし、彼らが冒険することになる様々なおとぎ話の世界観ごとに設定された美術も変化があっておもしろい。すこしばかり『ザ・ビートルズ/イエロー・サブマリン』(ジョージ・ダニングほか監督、1968)を思い起こさせるような「ひよこ?」をめぐる顛末には──その物語を表現する映像技法も含めて──思わず感動した *8

惜しむらくは──たとえ本作がファミリー向けであったとしても──いささかナレーションが多すぎること。たとえば『くまのプーさん』(スティーブン・アンダーソン、ドン・ホール監督、2011)などと比べても、かなり多いほうかと思われる。とくに気になったのは、異なったページ(=別々のおとぎ話の世界)へと散り散りになった「すみっコ」たちの姿をカットバックしながら追う際に、シーンが切り替わるごとにいちいちおとぎ話のタイトルをナレーションとして被せている点で、これは──背景美術などでの世界観の描き分けもあるのだから──さすがにやりすぎではあるまいか。それでも、本作のクライマックスにおいてはナレーションをほぼ排し、画とアクションで魅せてくれたことは嬉しい。

ともあれ、思わぬ拾いモノだった。あと、「ざっそう」可愛い。


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◆海辺の王国アレンデールの女王エルサが、夜な夜な自身を呼ぶ不思議な声に誘われて、かつての戦争で親交が断絶したノーサルドラの民たちの住む閉ざされた精霊の森へと赴くアナと雪の女王2』クリス・バックジェニファー・リー監督、2019)は、社会的情勢の暗喩に富んだ重層的なエンタテインメント作品だった。

とにかく目を惹くのが、例によってコンピュータ・グラフィックスによる精緻で微細ながらも大胆な自然現象の映像表現。本作ではとくに、様々に流れの表情を変える川や海といった “水” の表現──中盤にある荒波や終盤にある濁流の細やかさたるや!──と木々や大地を覆う数多の──それこそ何万枚あるのだろう──木の葉の表現が見所だ。どちらもじつにリアリスティックでありながら、アニメーションとしての躍動感も損なわず多彩な方法で描かれていて舌を巻いた。そして全篇にわたって画面のどこかに青紫系の色をさり気なく入れ込んだ色彩設計もまた、劇中の季節である秋の終わりから本格的な冬の訪れを感じさせる空気のキンと張り詰めた冷たさを醸していて凄まじい。本作の画面を観ているだけで体感気温がいくらか下がったかのように感じられること請け合いだ。

さて、前作(同監督、2013 *9)において主人公であるエルサとアナの姉妹が “自分自身” としての──フェミニズム的観点からも刷新されたものだったろう *10──アイデンティティを確立するという物語は十全に語り切っていたので、その続きとしてどのようにふたりの物語を展開させるのかと思っていたのだけれど、本作ではふたりが社会的存在として──つまり王族としての義務を果たすことで──成長する物語に仕上がっていて、なるほどなと得心した *11

本作の物語の基盤はハッキリ言って政治劇であり、ノーサルドラの民たちのキャラクター・デザインがどこかヒスパニック系やモンゴロイド系を思わせること──そのなかに白人であるアナとクリストフの鏡像である人物が登場することや、やがて明かされる姉妹の出自についても興味深い展開が待っている──や、キーとなる建造物 *12が指し示すとおり、それが昨今のアメリカにおける政治情勢への暗喩になっているのではなかったか。そして、アナたちが開かれた他者理解と共感をもって、新たな歴史を紡ぎはじめるという本作の結論は、とても今日(こんにち)的な希望と願いに満ちたものだ。

ただ本作にもネックはあって、表面的には、世界的な旋風を巻き起こした「レット・イット・ゴー (Let It Go)」に匹敵する劇中歌がなかったことが挙げられる。もちろん本作に登場する様々な楽曲はそれぞれ総じてレベルの高いものであり、聴き応え──エルサのまとうレオタード基調の衣装デザインがいまにもエアロビクスを踊れそうだったり、クリストフの歌う「恋の迷い子(Lost in the Woods)」が楽曲もミュージカル・シーンもMTV風だったりで、多分に ’80年代風なのも楽しい──もある。しかし、1度聴いたら耳から離れない──そして、作り手たち自身が、この曲が完成したところで、この曲のために脚本を大幅に修正してしまった──ほどのキャッチーさには、いまひとつと欠けるのは否めない。

そしてなにより、本作におけるタイム・リミットと地理関係の描写はかなり雑であり、果てしていつまでに事件を解決せねばならないのか、あるいは──劇中1カットだけ地図が登場するものの──キーとなる場所がどこにあって如何ほどの距離なのかがイマイチ呑み込みづらく、サスペンスとして盛り上がらないのはもったいない *13。こういった情報を補うような図像を伴なった会話/会議シーンを──たとえばノーサルドラの民のキャンプ地でのシーンなどで──もうすこし組み込んでもよかったのではないだろうか。

でもね、笑いと涙を両方かっさらってゆく本シリーズの良心ことオラフの活躍は100点満点だよ。


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*1:そして監督によれば──本作冒頭の救いのないゲイのカップルを巡るシークェンスこそが示すように──「僕たちは今、恐怖が道具として使われている時代に生きています。僕たちのリーダーは、僕たちの政府は、僕たちを分断している。互いの対立を煽っている。”それ”は、僕たちを分断しようとする、現実世界のモンスターの象徴」にほかならない。監督は続けて言う「『IT/イット』は、今を生きる僕たちにとって重要なテーマがあるんです。「クソ野郎を信じるな」というメッセージです。みんなで団結して、嘘や分断に立ち向かえと。「みんな違う人たちだ」とか言う奴らに立ち向かえと。恐怖に屈してはいけない。恐怖に立ち向かわなくてはならない。恐怖は、僕たちに悪いように利用されているからです」と。web『THE RIVER』内 『IT/イット THE END』監督が日本のファンに本気で語った「真面目な話」 | THE RIVER、2019年11月14日参照。

*2:前作が文字どおり無意識下への抑圧なら、本作では言い換えによる物語化だ。

*3:これまで『2』を起点として、まずは『3』(ジョナサン・モストウ監督、2003)→『4』(マックG監督、2009)と来て『4』を含む未来篇3部作が予定されていたが頓挫。また同時期、映画とは別の続篇としてTVシリーズサラ・コナー・クロニクルズ』(2008-2009)がセカンド・シーズンまで製作された。さらに映画版で『新起動/ジェニシス』(アラン・テイラー監督、2015)にて、やはり『2』を起点に再リブートされ、こちらもシリーズ化の予定があったようだが、やはり頓挫となった。

*4:彼が自らにつけた「カール」という名は西ゲルマン語由来のもので、「男」ないし「自由農民」を意味するものだという。これと同時にシュワルツェネッガーオーストリア出身であることを思い出せば、なるほど含蓄に富んだ命名だ。それにしても明治の某スナック菓子がもうすこし長生きしていたなら、素敵なコラボレーションが実現していたのかもなあ。

*5:骨格部と筋肉部とを分離させることで分身できるという設定は面白い。

*6:もちろん作品それ自体の完成度や面白さは別にしてである。しかし、その価値観の是非は常に問われ続けられねばならないだろう。

*7:このへんの設定はけっこうブラックなユーモアがある。

*8:そもそも本作の、様々なおとぎ話の世界を旅するすみっコたちという物語のおおまかな流れそのものが、「時間の海」や「無の海」といった様々な海を旅するビートルズの面々を描いた『ザ・ビートルズ/イエロー・サブマリン』がタネ元ではないかと思わせるし、「ひよこ?」の出自はジェレミーを髣髴とさせる。というのも、本作の脚本を担当した角田貴志が所属するヨーロッパ企画を主催した上田誠がかつてシリーズ構成と脚本を担当した森見登美彦原作のTVアニメ『四畳半神話大系』(湯浅政明監督、2010)内には『イエロー・サブマリン』へのオマージュを思わせる表現が──たとえば、第1話における、いわゆる「三条の土下座像」をグルリと素早く周回するカットや、ソフトに収録されたオマケの短篇──散見されるからだ。さらに森見は彼のデビュー作となった『太陽の塔』(新潮社、2003)のなかに、同作をちょっとした形で登場させている(そういえば、ナレーターのひとり本上まなみは森見の憧れの人だった)。

*9:当時の感想: 『アナと雪の女王』(2D日本語吹替え版)感想 - つらつら津々浦々(blog)

*10:およそディズニー・プリンセスらしくないアナの元気溌溂でガサツな性格設定も、当時新鮮だった。

*11:だから、本作のクライマックスを経てようやくアナとクリストフが結婚という社会的契約を結ぶのも故なきことではない。

*12:ノーサルドラの領地に建築された巨大なダム。これによって自然のバランスが崩れ、精霊の怒りを買い、森が隔絶されることとなったのだ。映画評論家・町山智浩によれば「ノルウェー政府のダム建設に少数民族サーミ人が抵抗した実際の事件を元にしているからだ」という。なるほど。

*13:まァ前作でも、アレンデールは氷産業が盛んらしいくせに、なんで氷で困ってしまうのか、という微妙なツッコミどころはあったけれど。