2020 10月-11月感想(短)まとめ

2020年10月から11月にかけて、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆“ボルケーノ・ロック・シティ” の女王バーブが企てる世界征服を防ぐため、“ポップ村” の女王ポピーと仲間たちが旅に出るトロールズ ミュージック★パワー』(ウォルト・ドーン、デヴィッド・P・スミス監督、2020)は、可愛らしい見た目と裏腹に、とても奥深いテーマに切り込んだ1作だった。

ポップでカラフルな色使いが目に楽しい本作の色彩設計も然ることながら、おそらく本シリーズの世界とは子どもたちの人形を使ったごっこ遊びなのだろう──日本でも '90年代にトロール人形が流行っていた──なと思わせるキャラクターや背景美術などといった質感表現も素晴らしい。フェルト人形のようにフワフワとした毛並みが柔らかなトロールたちや、クッションやマットレスを重ねて作られたかのような山や地面のテクスチャ表現が面白いし、オブジェクトによってはアニメーションの技法自体が異なるかのように演出された動きの差異も楽しい。

本作で語られ、そして事件の発端ともなる様々なジャンルの──劇中では、ポップス、ロック、テクノ、カントリー、ファンク、クラシックの6つの国として描かれる──音楽とは、多様性そのものの象徴だ。どんなジャンルの音楽を好み、そしてどのように音楽を受容するかは、劇中のトロールたち同様、われわれ観客もまた十人十色である。これを、バーブのように「ロック以外の音楽(とロック的な受容)しか認めない」と言って世界を支配しようとすることは、視野狭窄で差別的な同調圧力の暴力であり、到底認められるものではないと誰もが思うことだろう。これに対抗するために、主人公ポピーたちは冒険の旅に出る。

ここで現実世界に目を向ければ、音楽などの芸術や文化の好みといった趣味嗜好だけに留まらず、あらゆる側面においてバーブの提唱するような暴力的な言動を見ることができる。人種や民族差別、性差別やLGBT差別、ルッキズム歴史修正主義などなど、挙げだしたらキリがない。今日(こんにち)でも、こういった抑圧に対して世界各地で声が上がっていることはご存知のとおりだ。

そして、そんな問題を取り上げた本作は、単純な勧善懲悪の物語に留まることなく、むしろ誰でもが簡単に “抑圧する側” になってしまう──あるいは、知らぬ間になってしまっている──ことをまざまざと描く。

ポップスを愛し、音楽とは人を楽しませるためにこそあると信じてはばからないポピーは、旅の途上で立ち寄るカントリー音楽の国 ”ロンサム・フラッツ村” の住民たちの音楽性にひとかけらの理解も示そうとせず、逆にポップスを布教しようとして手痛いしっぺ返しを喰らってしまう *1。そんな彼女の姿は、ロックだけの世界を作ろうとするバーブの鏡像にほかならない *2。自分の国しか知らなかった彼女は、無自覚に他者を抑圧しようとしてしまうのだ。

こんなふうに言葉にしてしまうと、なんとも堅苦しい作品のように感じられるかもしれないが、本作自体はスラップスティックなギャグやアクション、そして見事なオリジナル楽曲と既存音楽のネタ──ポップ村のトロールたちがM.C. ハマーの「U Can't Touch This」(James & Miller, 1990)を聴くと踊らずにいられない症候群だったり、映画の開幕がダフト・パンクのPV『インターステラ5555』(竹之内和久、西尾大介監督、2003)へのオマージュだったり──を散りばめた、底抜けに楽しく、めっぽう笑えるファミリー映画だ。だからこそ、鮮やかな画面を楽しみ、ゲラゲラ腹を抱えて笑っているうちに子どもと大人それぞれがそれぞれに、世界に深く根を張る問題について思いを馳せられる。本作のクライマックスでは、それに対するひとつの回答と希望が描かれるが、その映画的としかいいようない演出もまた見どころだ。

もちろん、本作が提示する回答は決してベストなものではないだろう。しかし本作を観た人にとって、なにかのきっかけにはなるはずだ。ことほど左様に、間口は広く、同時に内容は奥深い本作は、必見の傑作だ。


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◆故郷の森を追われた黒猫の妖精シャオヘイを救った同じく妖精であるフーシーと彼の仲間を追って、最強の執行人といわれる人間ムゲンが現われる『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』(MTJJ監督、2019)は、可愛い見た目にゴリゴリのアクションが絶妙にマッチした1作だった。

太くシンプルな描線でデザインされたキャラクターたちと、柔らかな筆致と淡い色彩で描きこまれた背景美術、そして『となりのトトロ』(宮崎駿監督、1988)や『千と千尋の神隠し』(同監督、2001)などを髣髴とさせるすこしファンタジックな世界観設定も相まって、画面の手触りはとても可愛らしく、ときおり挿みこまれるギャグも牧歌的だ。コロコロと動き回るシャオヘイや、ふんわりとはためく髪や衣服のしわといった細かな芝居も楽しい。

しかし、ひとたびアクション・シーンに突入すると、その本格さに圧倒されること請け合いだ。キャラクターたちが文字どおり縦横無尽に駆け/翔けまわるアクション・シーンの数々は、アクションやエフェクト作画の面白さに、レイアウトの的確さ *3と立体的なカメラワークの躍動感も相まって非常にスピーディーかつスタイリッシュにまとめ上げられており、昨今の大作ハリウッド映画にも引けを取らない出来栄えだ。動きの端々に武侠映画を思わせる殺陣や重力感が垣間見えるのも興味深い。

そして、大友克洋の『童夢』や『AKIRA』もかくやにゴリゴリのサイキック・アクションが展開されるクライマックスでは、衝撃によって一面にひび割れるガラスや舞い散る瓦礫の雨など、繊細かつダイナミックな都市破壊のディテールも付加されて大満足。本作のポスター・アートなどから、よもやこれほどまでに大規模なアクション・シーンが用意されているとは露ほども考えていなかったので、嬉しい驚きだった。

妖精と人間が共存している現在の世界、という本作独特の世界観 *4を語る映画前半部の導入や見せ方が多少まごついていて呑み込みづらさもあるが、目まぐるしく展開される怒涛の本格アクションを体感しに、ぜひ劇場に出かけたい1作だ。


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◆太平洋戦争前夜、神戸で貿易会社を経営する福原優作が国家機密を掴んだことを知ってしまった妻・聡子の葛藤を描く『スパイの妻〈劇場版 〉』黒沢清監督、2020)*5は、時代の流れと夫婦の情愛を対比してみせた、見事なサスペンス映画だった。

黒沢作品独特の雰囲気を醸す画面は本作にももちろん健在。どこか不穏に切り取られたショットごとのレイアウトや人物の立ち位置──日本兵が町中で行進する様子を、皆一様に画面から顔を背けるように佇んでいるショットなどとても気持ちが悪い──、そして画面の一部あるいは全部にぽっかりと顔を覗かせる深く落ち窪んだ闇の無気味さなどなど、本作は決してホラーではないにもかかわらず、スクリーンから漂い出る薄ら寒さを常に感じずにはおられない。そしてこれが、国粋主義ナショナリズムの暴走と、その最中(さなか)にあって移ろう優作・聡子夫婦の情感を対比するように描く本作の物語に非常に合致している。

そんな本作を彩る役者陣の好演も見もので、とくに聡子を演じた蒼井優の芝居は、その所作や声の作り方など──本当に当時の邦画から出てきたのじゃないかと思えるほどに──昭和の女優感を醸していて素晴らしかった。夫への愛と疑いのあいだで揺れる彼女の心情を表わすかのような衣装デザインとも相まって、見事な存在感を放っている。そして、映画中盤で明らかになる優作の秘密を聡子が知ったことで展開される、彼女のどこか無邪気で、同時にある種の狂気すら感じられる夫への愛と行動が、どのように実を結んでゆくのかが本作最大の焦点でもあり、黒沢作品のそこかしこで通底する「夫婦とは?」という問いかけにもなるだろう。

同時に、本作のマクガフィンである国家機密の内容は酷たらしく凄惨なものであるのだけれど、それが今日(こんにち)の国内に蔓延る様々な問題とも地続きであるのが、なんとも歯がゆくやるせなく、そして恐ろしい。日々報道される入管収容者や外国人技能実習生に対する非人道的行為、内閣や省庁による書類偽装などを見るにつけ、この国は当時からちっとも変わってないのじゃないかと暗澹たる気持ちになる。優作が聡子に放つ「君はなにも見ていない」という台詞や、ラストに聡子が「でも私、しっくりくるんです」に続けて言う台詞が胸に重くのしかかるだろう。

ことほど左様に第77回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門銀獅子賞(最優秀監督賞)も納得の傑作だ。


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【ソフト】
◆第二次大戦下、ロシアにて物資供給等に奔走した輸送機関車隊の実話をベースに描く『脱走特急』(フェドール・ポポフ監督、2019)は、いわゆる戦闘シーンのない戦争映画の系譜かつパトレイバー的チーム感が非常に楽しい作品。しかしながら、結末に訪れる──みんな死んでほしくないのに、なんてむざむざと──やるせない展開は、便宜上 “彼らの活躍が国家に貢献したのだ” というテロップは入るものの、あきらかに国家や人類史に対しての “恥を知れ、しかるのち死ね” という演出であり、作り手たちの心意気に惚れた。余談だけれど、日本版パッケージであたかもヒロインのように見えるキャラクターは、本来のヒロインの親友なので混乱なきよう。


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◆ひょんなことから時間逆行装置を発明してしまった男たちを描く『プライマー』(シェーン・カルース監督、2004)は、難解なタイムトラベルSFとして──そして『TENET テネット』(クリストファー・ノーラン監督、2020)が、本作との類似を指摘されたりして──名を馳せているらしいけれど、その肩書きに恥じぬわけのわからなさでタハーッという感じであった。けれど、登場人物とともに次第に収拾がつかなくなってゆく状況に放り込まれる感覚は快感だし、親友同士で次世代の新発明をしようと家のガレージでものづくりをしている姿もまた楽しい。そしてエンド・クレジットのタイポグラフィ──ほとんど個人製作映画であり、Adobe Premiere で編集したそうだから、劇中の主人公ふたりの研究と同様に “ありもの” のフォントで形成されたのであろう──はめちゃんこカッコイイぞ *6


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◆空を飛ぶことを夢見る足の不自由な青年フェリックスと、死んだ父の墓守を続けるベティの兄妹の住む荒野にただ1軒だけ残された家に、謎の青年スミスが彷徨い来る『スピリッツ・オブ・ジ・エア』アレックス・プロヤス監督、1988)は、後のプロヤス監督作にもある黙示録感とコントラストの強い色彩設計でフィルムに定着された美しい画面が印象的な1作。タルコフスキーなどのエッセンスを落とし込んだとプロヤスがインタビューで語っているように、本作はアンビエントでゆったりとしたテンポで描かれる寓話的な作品であり、けっして万人向けのエンタテインメント作というわけではないが、たとえば諸星大二郎が描く異世界SF系の短篇漫画を思い起こさせるような独特の雰囲気が楽しめる。


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*1:もちろん、このシーンで展開されるポップ・ミュージックの名曲メドレー・シーンはちゃくちゃ楽しいし、その手前にあるロンサム・フラッツの日常を描くパートも、なんとも知れぬ毒っ気があって最高だ。

*2:ファンクの国の王がもらす「理解しあえないこともある」といった台詞や、そこで明らかになるトロール世界の真の歴史は、抑圧される側のやるせなさや痛み、そして文化盗用問題の根深さを痛烈に風刺するだろう。

*3:水平線1本で描き切った本作のラスト・シーンなど、シンプルであるがゆえに凄い。

*4:本作は、2011年より同監督によって制作されているWEBアニメシリーズの劇場版であり、その前日譚を語るものとなっている。

*5:もとは2020年6月6日(14:00 - 15:54)にNHK BS8Kで放送されたテレビドラマ作品である。

*6:というか、たぶん本作も映画づくり──しかも、しっちゃかめっちゃかになってしまうタイプ──のメタファーという側面もあるのだろうなァ。