2021 12月感想(短)まとめ

2021年12月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆天才ゲームクリエイターのトーマスが、意に沿わぬゲームの続篇制作を強要されることで精神をすり減らしてゆくマトリックス レザレクションズ』(ラナ・ウォシャウスキー監督、2021)は、非常に内省的で根源的な問いに立ち返るような1作だった。


すでにそこかしこで、本作について「『マトリックス』と思って観に行ったら『8 1/2』だった」というような指摘がなされているとおり、本作はたしかに『マトリックス』シリーズの続篇であるけれども、それ以上にもっと本質的なことを語ろうとする作品だった。いったい僕はなにを観ているのだろうとグラグラするようなスリリングさが楽しいとくに前半数十分に渡るパートをはじめとして、可能ならば内容を知らずにご覧になっていただきたい次第だ。

さて、本作『レザレクションズ』をひと言で表すなら、観客にとって、映画会社にとって、そしてなによりラナ・ウォシャウスキーにとって、映画『マトリックス』とはいったいなんだったのか? ──を自己言及的に語る作品だといえるだろう。前者の2方向──とくに映画会社──については劇中で露悪的なまでに語られるから、本作を観れば一目瞭然といったところだが、ではラナにとってはどうだったのか? その答えの手がかりは、そもそも3部作完結後、続篇の制作を拒み続けてきたラナ・ウォシャウスキーが本作を撮ったのかについて彼女自身が語ったなかにある。

ベルリン国際文学祭で行なわれた、脚本に関するパネルディスカッションにて彼女は本作の物語が生まれた経緯について、両親や友人との死別によって悲しみにくれていたことがきっかけだとコメントしている。そして、処理しきれないほどの悲しみのなかにあったとき突然、ネオとトリニティーを復活させる物語が誕生し、それが彼女の慰みになったのだという。このように、本作制作スタートのきっかけは、ラナの非常に個人的な心情だったのだ。


このことには──ポン・ジュノアカデミー賞でのスピーチで引用したことでも記憶に新しい──マーティン・スコセッシの「最も個人的なことこそ最もクリエイティブなこと」という言葉を思い起こしてしまう。そもそも1作目『マトリックス』自体、かつて兄弟だった姉妹が、制作当時にあった自身の性と社会の性(というシステム)と不適合による違和感から解放されるために撮り上げた作品だと後に明らかにしたように、とても個人的な心情を吐露した作品でもあった。

同じパネルディスカッションの会場でラナは「シンプルなことだけど、これこそがアートの役割であり、物語の役割。私たちを慰めてくれる」とも語っている。この彼女の言葉を借りるなら、『マトリックス』とは第1にアートや物語であり、それはとりもなおさず虚構(フィクション)である。その役割を十全に果たすからこそ、ラナは本作『レザレクションズ』を撮り、そして僕ら観客は『マトリックス』を愛する。だからこそ、クライマックスにおいてとあるキャラクターがマトリックス内の虚構世界を「美しい」と言うのだろう。本作『レザレクション』をいま一度ひと言で表すなら、芸術や物語といったフィクションとはなんなのか? ──という普遍的で根源的な問いを語る作品だといえるだろう。

ところで、フィクションの力によって人々を、世界をより善くすることが可能なのだろうか。シリーズ完結から約20年、世界の価値観は一進一退を繰り返しながら、それでも着実にアップグレードされてきている。本作で描かれるネオとトリニティーの闘いは、まさしくその変遷と結果を垣間見るような気さえする。もちろん、まだまだ不十分であるし、これからもわれわれは世界を作り変えてゆかねばならない。そのためにも物語や芸術は必要だ。事実『マトリックス』シリーズは、映画史に名を刻むだけでなく、その創造性によって映画そのものを変え、多くの人に影響を与えたことを思い出そう。物語や芸術が「赤い錠剤」となって「世界の空を七色に変える」ことの一助にならないと、どうしていえようか。


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◆結婚して2児の父となったティムが、長女タビサとの距離に悩むうち、ふたたびベイビー・コープの社員とともに世界の危機に立ち向かうボス・ベイビー ファミリー・ミッション』トム・マクグラス監督、2021)は、前作の魅力はそのままに、ファミリー映画として大いに笑って楽しめる1作だ。

前作『ボス・ベイビー』(同監督、2017)は、弟の誕生によって両親からの愛を失うのではないかと恐れた長男ティムがやがて弟を受け入れてゆくまでの過程を、じつは弟の中身はベイビー・コープから派遣された社員で精神的にはオッサンという、いっぷう変わった設定を用いた一種のバディものとして、鮮やかな色彩と、すこしばかりドイツ表現主義を思わせる風味を足した絶妙なプロダクション・デザイン、迫力満点のアクションと軽妙愉快なギャグとユーモア、そして『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの「ガンダルフ」パロディを──本作にも健在──なぜか加えて、面白おかしく映像化した作品だった。いささか力技な展開もあるものの、これはティムの子ども時代の妄想なのではという視点を要所要所に組み込むことで、大きなノイズになっていないところもなかなかのバランス感覚だ。

それにしても、見事に大団円を迎えた前作の続篇をいかにして作るのか? この難題に本作はティムとテッド(ボス・ベイビー)の兄弟が既におとなとなった30年後の世界に設定し、テーマをある種のミドル・クライシスにアクロバティックにも変更して答えている。ティムは、成長とともに愛娘タビサからの愛を失うのではないかと恐れ、そしていつしか疎遠になってしまった弟との関係に悩む。そして本作では、ティムが文字どおり子ども目線に戻ることで父としても成長し、テッドや家族との関係をよりよく修復してゆく過程が描かれる。


このように書くと、本作がいかにも堅苦しい作品だと印象を与えてしまうだろうけれども、もちろんそんなことはない。前作に負けず劣らずつるべ撃ちされるギャグ──「しゃぶれ」「イヤだ」のくだりが最高──とアクションに抱腹絶倒し、そして奇想天外な展開と画面の美しさにあれよあれよと物語世界に引き込まれてしまうこと請け合いだ。前作で活躍したボス・ベイビーの部下たちもそれぞれちょっとした活躍をして続篇としても気が利いているし、舞台がクリスマスなのも相まって、なかなか小気味のいいファミリー映画に仕上がっている。

もちろん細かいツッコミどころがないではない。天空の赤ちゃんの世界をいよいよ客観的に観測──展開上処置なしとはいえ──してしまうことで、若干フィクション・ラインの位置づけが不安定なものになってしまっているし、デジタル目覚まし時計のウィジーをクライマックスで “動かして” しまうのはいくらなんでも理屈に合わないのではあるまいか。とはいえ、そういったことは観ているうちにはあまり気にならない程度のことであり、その力技で乗り切るテンションの高く肩肘の張らない作劇こそ本シリーズの魅力でもあるだろう。

ことほど左様に、年忘れ、あるいは初笑いにもってこいの1本だ。楽しかった。


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◆第1次大戦前夜、歴史の裏で暗躍する謎の組織の陰謀に、英国貴族オックスフォード公が挑むキングスマン: ファースト・エージェト』(マシュー・ヴォーン監督、2021)は、アクション・シーンは相変わらず最高なんだけどなァ……といった1作だった。

なんといっても見どころは、シリーズの魅力であるアクション・シーンの数々だ。アクロバティックな殺陣を、縦横無尽に駆け巡るカメラによる思いがけないレイアウトで捉えたショットをリズミカルに編集した一連のアクションは迫力満点。前半に登場する、バレエやコサックを躍り狂うかのように攻撃を仕掛けるラスプーチンの殺陣の奇抜さは新鮮だったし、クライマックス手前で繰り広げられる、自由落下する複葉機から如何に脱出するかの空中アクションは、すこし宮崎駿のアニメーションを思わせるスラップスティックな迫力もあって見応え抜群だ。

超法規的諜報機関キングスマン」の誕生前夜を描く本作の舞台は第1次大戦の頃合。貴族であるオックスフォード公とその執事たちが、なんとか大戦勃発、あるいは大戦の拡散を防ごうとする本作の大まかな設定は、カズオ・イシグロ日の名残り』(1989)を髣髴とさせる感があって面白い。また、あのときあの事件にじつはオックスフォード公たちが関わっていたのだ、とする歴史の裏側を紐解いてゆくような脚本も嫌いじゃないし、むしろ好きなタイプである。

なのだけれども、本作の難点はアクション以外のテンポが恐ろしく単調で抑揚に欠けるところにある。というのも、本作のストーリー展開は、いわゆる3幕構成というよりもテレビドラマのシリーズ3話を無理やり繋げたような構成となっているからだ。ひとつの事件が終結すると次の事件へ向かって解決……といったように、思いのほか1本の劇映画としてのまとまりが薄いのである。あるいは過去篇ということで、かつて作られた歴史大作風のテンポ感にしたかったのかもしれないが、しかして現状アクション・シーンのリズム感にまったく合っていないのも拍車をかける。

途中、物語の主人公がいちど入れ替わるのもテンポをより鈍重にしている。なんとなれば、映画中盤に描かれるオックスフォード公の息子コンラッドに焦点を当てた西部戦線での出来事は、本作において丸々カットしてもまったく問題なかったのではないか、とすら思えてくる。あくまで主人公はオックスフォード公なのだから、彼に焦点を当ててその周りは敢えて詳しく描き過ぎないほうが、いっそう1作の映画として引き締まったものになったのではないだろうか。

ことほど左様に、もうすこし展開などを精査していたなら、より見応えのあるアクション巨編になったろうに、もったいない1作だ。


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