2020 9月感想(短)まとめ

2020年9月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆売れないお笑い芸人である山野ヤマメが起死回生をかけて、いわくつきの物件に居住して心霊現象をカメラに収めようとする『事故物件 恐い間取り』中田秀夫監督、2020)は、なんだかいろいろ喰い合わせが悪かったのかしらん、といった印象の1作だった。

とりあえず、本作で僕のいちばん好きだったところを挙げるなら、主人公が傷心のヒロインをテレビ局の控え室で慰める本編中盤のシーンでのカメラワーク。そこで交わされる会話の内容からピアノとストリングスがポロロンと鳴る劇伴にいたるまで、あくまでちょっとした泣かせシーンなのだが、ここで画面奥にあるメイク用の鏡に映り込んだ主人公の切り取られ方 *1が、じつに不穏でよかった。たぶん、ここが1番怖い。

えっ、ホラー・シーン? それが、あんまり怖くない。

監督インタビューによれば、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(アンディ・ムスキエティ監督、2017)に触発され、本作が怖くも面白い按配となることを目指したという *2。しかし、『IT~』の面白さとは、物語展開から恐怖演出まで徹底的にこだわり、それがある種の臨界点を超えたからこそのものだったのに比べて、本作の恐怖表現にそこまで突き抜けたものはみられなかった。

というのも、恐怖演出の出し方が、起こることのバランスや順番、段取りも、初手が派手なわりにその次がかなり地味だったりとチグハグになっているし、主人公が様々な──本作では4件の──事故物件に移り住んでは怪奇現象に遭遇するという構成は、ほとんどオムニバス作品のようで──本作には諸悪の根源を思わせる存在を独自に挿入してはいるものの──なかなかドラマが盛り上がらないために恐怖感自体も平板だ。ただ、これは松原タニシによる実録ノンフィクションである原作 *3を完全な劇映画として映画化した本作……という企画 *4の喰い合わせが、そもそも悪かったのではないかという感は拭えない。

また、時間的スケールが欠如しているのも難点。本作は劇中において──もちろん原作でも──数ヶ月から年単位の時間経過があったはずだが、それに画が伴っていない。具体的にいえば、登場人物の衣装がずっと厚手のコートを着込んだ冬服のままなのだ。もし本作が、地球が氷河期に移行しようとする未来を描いたSF作品だったならいざ知らず、2020年の現代が舞台の本作において現状のような映し方をすると、どの物件も2泊3日ずつぐらいしか居なかったのじゃないかと思えてくる。時間的なスケールをもっと緻密に描いたなら、主人公の語るお笑い芸人としてモットーが事故物件に住むことで揺らぎはじめ、精神的にも疲弊してくるといった展開をより説得力をもって画面に定着できたのはないだろうか。

結局のところ、冒頭に描かれる主人公たちのカラ滑りのコントが、本作のすべてを如実に表していたといえるかもしれない(ゴメンね、オイラは「そんな主人公たちのコントが大好きなんです」というヒロインのように鷹揚な心にはなれなかったよ)。本作のクライマックスやタイトルのフォント *5を観るに、『IT~』というよりも『霊幻道士』シリーズや『幽幻道士』シリーズといった「キョンシーもの」に寄せていったほうが勝算があったような気もするけれど、いかに。


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第三次世界大戦を勃発させて世界を破滅に導くという、未来から送られてきた時間を “逆行” する機構を巡る攻防を描く『TENET テネット』クリストファー・ノーラン監督、2020)は、なにがなにやらがいっぱいで最高! ──といった1作だった。

いみじくも映画前半の台詞で「理解しようとしては駄目、感じなさい」とあるように、未来から時を遡って送られてきたという時間を “逆行” させる機構の仕組みは、本編を観るだけではいささか難解だ。本作をつかさどるマクガフィンでもある、この謎めいた存在の仕組みについては意図的に説明を省いて描写されており、わけもわからず攻防に巻き込まれた「主人公(=Protagonist *6)」である名もなき男と同様に観客を煙に撒こうとするだろう。実際、なにがどうしてそうなるのかを本編を観ながら考え出すと思考がまったく追いつかない *7

しかしながら本作はコロナ禍以降ひさびさに世界的に映画館で──ノーランが配信による公開を断固拒否し、譲らなかったという──公開された大作映画であり、大スクリーンで観てこその画面の豊穣さは折り紙つきだ。「007」シリーズ等のスパイ映画における観光映画的な側面もさることながら、CGを極力使用しない主義で知られるノーランのこと、アクロバティックな格闘シーンや巨大貨物飛行機の爆発、カーチェイスなどといった本作を彩るアクション・シーンすべてを極力VFXに頼らない “実写” 映像で撮影した画面 *8は、だからこその迫力と説得力、そして撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマの手腕による美しさに溢れている。

そして、それでいながら──むしろ、だからこそ──本作の画を、果たしてどのようにして作り上げたのかが皆目見当がつかない。前述した “逆行” の機構を作動させた登場人物は文字どおり物理時間を反転して行動するため、映像は──客観ならば彼/彼女らの動きが、逆に主観ならば周囲に映るすべてが── “逆再生” になるわけだが、本作がトリッキーなのは、ひとつの画面内において通常の時間にいる人物と “逆行” した時間にいる人物とが格闘し、追走劇を演じ、集団での銃撃戦すら行うといった具合に複雑に絡み合うことだ。

銃弾は銃に戻って爆炎はしぼみ、追いつ追われつ、というよりも、追っていたと思われたものが実は追われていたような展開が頻出し、そんな画を口で説明しようとすると言葉に詰まる……どの要素をどういったやり方や順番に撮影して合成や編集を施せば、ここまで複雑怪奇な映像をフィルムに定着できるのかが不思議でならない。まさしく映像/映画でしか語りえないようなアクション・シーンの数々はとにかく新鮮だ。SF的な難解さはともかくも、その映像的に抜群な面白さを発生させる “逆行” とその描写は本作の発明であり、これを観るだけでも十二分に価値がある。

ところで、本作に散見される要素──第三次世界大戦、未来から送り込まれた物資、名のない男、そしてタイトルをその一部に含むラテン語の回文「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS *9」が指し示すかのような本作の構造──を眺めたとき、やはり短篇『ラ・ジュテ』(クリス・マルケル監督、1962)が思い出される。ノーランの前々作『インターステラー』(2014)が、多分に『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968)へのオマージュを含んだ作品だったように、本作『TENET テネット』もまた『ラ・ジュテ』を彼なりに継承・発展させようとした作品だったのではないだろうか。そう考えるなら、空港が重要な舞台のひとつとなることや、美しく長身な妻キャサリンに異様な執着をみせる本作の敵アンドレイ・セイターと船をめぐる顛末も納得がいく(ような気がする)*10 *11

ともあれ、こうしてあれこれ書きながらも掴み損ねはヤマとあるに違いなく、「なにがなにやら!」と甘美な苦悶と興奮が冷めない本作は、いま一度ふりだしに戻って観直したいと思わせる見事なSFアクション大作だ。映画館へ急げ!


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【ソフト】
◆引っ越した家に地下室で見つけた謎の穴を巡る怪異を描いた『ザ・ホール』ジョー・ダンテ監督、2009)を、そういえば観てなかったので、ようやっと観た。律儀なくらいスティーヴン・キングふうに仕立て上げられた、郊外の家が舞台の郷愁感あふれるジュヴナイル・ホラーだが、本作での郷愁がほぼ往年の怪奇/怪獣映画に向けられているのが、いかにもジョー・ダンテらしい *12


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◆「インディ・ジョーンズ」というか「アンチャーテッド」的なごった煮感が楽しい『トレジャー・オブ・ムージン 天空城の秘宝』(フェイ・シン監督、2018)は、その粗さも含めて、中高生のころに観たなら無闇にハマっていたろうだろう1作。ちなみに、なにも知らず観たけれど、調べてみると『ロスト・レジェンド 失われた棺の謎』(ウー・アールシャン監督、2015)*13の続篇とのこと。キャスト等総入れ替えだったので、まったく気づかなかったよ。


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ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男』(ロバート・D・クロサイコウスキー監督、2018)は、老齢の主人公が送る日常(’87年)と戦時の回想とをカットバックさせつつ、その途上にビッグフット討伐を挟むという変化球な構成だが、世界観の作り込みや人物の掘り下げが非常に丁寧で見応えがある。


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*1:主人公メインのショットでは、彼の首から下だけが鏡に映り、切り替えしてのヒロインがメインのショットでは、彼の目が映らない。もちろん、これはすでに怪異に呑まれている主人公の危うさと、このシーンで彼が暗にヒロインに申し訳なくも頼もうとする用件における負の面の暗示でもあろう。

*2:web『CINEMORE』内、SYO「『事故物件 恐い間取り』怖さは時代で変化する――中田秀夫監督と考える、現代ホラー論【Director's Interview Vol.74】」、2020年9月6日参照。

*3:松原タニシ『事故物件怪談 恐い間取り』二見書房、2018年。

*4:おそらく製作・配給の松竹としては『残穢 ─住んではいけない部屋─』(中村義洋監督、2016)に続く「実録」原作ものホラー──原作小説『残穢』(新潮社、2012)は、小野不由美による実録 “ふう” モキュメンタリー作品──の流れとして本作を作ったのだろう。

*5:劇中のキャプションは、作品の雰囲気にそぐわないフォントや見せ方が採用されていて、マジか、となった。

*6:原語版での役名。いわゆる「hero」ではなく、演劇用語である。本作を最後まで観とおしたとき、じつはある種のシナリオに忠実に則って物事が進んでいたことに気づくだろう。

*7:そのじつ「未来の技術だから、よくわからん」理論で、科学的な設定そのものを厳密に構築はしてなさそうでもある。酸素ボンベを装着してれば大丈夫とか、なぜ自動車を運転できるたり船を操舵できたりするのかの説明は、いっさいなかった。とわいえ、これは赤/青=順行時間/逆行時間の色分け、音楽の逆再生といった演出のように、ヴィジュアルとして観客に呑み込みやすくするための工夫だろう。

*8:昨今の大作とは比較にならないくらい、エンドクレジットに掲載されたVFXアーティスト関係のスタッフ人数は少ない。

*9:日本語では「農夫のアレポ氏は馬鋤きを曳いて仕事をする」となるこの回文を形成するすべての単語がキーワードとして、本編のそこかしこに登場している。ところで、「SATOR =セイター」とは農耕神サトゥルヌス(英語ではサターン)を指すともいわれるが、「AREPO =アレポ」が贋作を描いた作家はゴヤであり、ゴヤは「我が子を食らうサトゥルヌス」の絵を描いている。これは自分の息子に殺されるという予言を恐れたサルトゥヌスが、反対に子を喰らったとする伝承をモチーフにしたものであるが、それを思い起こすなら、セイターの「わたしの唯一の罪は、子を設けたことだ」という台詞が重層的に響いてくる。 ▼その他、「OPERA =オペラ」はオープニングの舞台であり、車輪や円盤を意味する「ROTAS =ロータス」は中盤に登場する貸金庫会社の名前、そして本作のクライマックスは「TENET =テネット」の綴り自体を映像化したようなものだ。

*10:まさしく回文のように、『TENET テネット』は『ラ・ジュテ』を反転/逆転させたかのような作品とも捉えられるだろう。かつての少年がやがて……と仮説される展開──僕自身はこの仮説については、ちょっと考えすぎなのではないかという気がしている──もまたしかりである。

*11:また、映画評論家の町山智浩氏などによって、本作自体が映画作りのメタファーであるという指摘──たとえば、ニールは映画監督の役であり、彼が劇中で見せるファッションはクリストファー・ノーランのそれなのだとか──がなされており、なるほどなあと思う。

*12:たとえば、ヒロインが迎えるクライマックスの舞台となる木造のジェットコースターは『原子怪獣現る』(ユージーン・ルーリー監督、1953)のクライマックスと重なる。また、主人公兄弟の弟ルーカスがテレビで観ていたイギリスの怪獣映画『怪獣ゴルゴ』(ユージン・ルーリー監督、1961)は、わが子を探すゴルゴがロンドンに上陸するという──後に日活が『大巨獣ガッパ』(野口晴康監督、1967)にて大いに参考にした──物語であり、兄デーンが直面する毒親であった父との邂逅の布石となっている。そして、デーンが迷い込む異空間はまさに、怪奇映画の祖先であるドイツ表現主義如実に思わせる画作りがなされている。

*13:一昨年にこれを観たときも似たような感想を抱いたものだ。