2013年鑑賞映画作品/141-150 感想リスト

『シロメ』……白石晃士監督。先ごろ観た同監督の『オカルト』が面白かったので、何の気なしに手に取った。人の純粋な願いは叶えるが、生命を奪うこともある「シロメ様」がいるという廃校にアイドルユニット“ももいろクローバー”を連れ出すが、そこに怪奇現象が──というフェイク・ドキュメンタリー。とはいえ撮影時、ももクロのメンバーには劇場用映画であることを伝えずに心霊バラエティの企画として撮影を行っているので、怖がっている彼女たちは「マジ」という、どちらかというとドッキリTVとしての趣が強い。ももクロにほとんど知識も興味もない僕にとっては、彼女たちのいわゆる“約束事”のくだりやライブ映像といったファン向けの部分は正直しんどかったが、それなりに手の込んだ前振りで彼女たちを騙していく白石監督──本編にも番組ディレクターとして登場──の手さばきは興味深い。スタッフロールで「ドッキリでした」と明かされて安心するメンバーが映され、その後もう一押し「でももしかしたら」というショット──こちらは演出されたシーン──で映画は終わるが、やっぱり劇映画としては、その先こそ観たいなぁと思ってしまったのは僕のわがままか。

PARKER/パーカー』……テイラー・ハックフォード監督、ジェイソン・ステイサム主演。仲間の裏切りに遭い瀕死の重傷を負ったプロの盗人パーカーは、自分を陥れた者たちに復讐するべく、単身マイアミへと向かう。ステイサム演じる悪党パーカーの「無用な殺しを許さずに仕事をこなす」というキャラクター性がかっこよく、抑制の効いた無駄のない演出で楽しめる。決してつまらないのではないが、この感覚はとても表現しづらいのだが、あえて言えば「面白すぎずに適度に面白い」とでもいったらよいのか。

ジャンゴ 繋がれざる者』……クエンティン・タランティーノ監督。賞金稼ぎのシュルツ医師によって自由人となったジャンゴは、彼の協力のもと奴隷として捕われたままの妻を救おうとする──という西部劇。タランティーノの前作『イングロリアス・バスターズ』でナチスに鉄槌を下したのと同様に、アメリカの奴隷制度という歴史の暗部に対してジャンル映画ならでは鉄槌を下してみせる痛快な映画で、とにかく面白い! ある種の冗長さ──もともと連続ドラマの企画だったとも聞く──ゆえにゴタゴタした印象だった前作よりも、映画の作り自体が洗練されスマートになっているのもその一因だろう。ジャンゴを解放し彼とコンビを組むシュルツ医師が近年の映画では稀にみる真の善人で、彼の人柄には本当に惚れる。冷静沈着で話術に長け、常に合理的判断の上でしか銃を抜かなかったシュルツがついに激情に任せて銃を抜く瞬間、そしてそこから始まる怒涛の、しかし趣向の凝らされたペキンパーばりに血みどろの銃撃戦シーンの壮麗さたるや見事というほかない。間口の広さ、ストレートな面白さという意味では、間違いなくタランティーノの最高傑作だろう。

最強のふたり』……エリック・トレダノオリヴィエ・ナカシュ監督。“大富豪だが全身不随(白人)”のフィリップと“健康だが貧困移民層(黒人)”のドリスのふたりが、その真逆ともいえる身体的・社会的溝を越境して人生の相棒となってゆく姿を描く、実話を基にした作品。本作が特徴的なのは、前述したようなふたりの関係性の変化のみにドラマの重点を置いていることだ。すなわち身体障害者としてのフィリップの苦しみや、その介護の困難さの描写は必要最低限どころかほとんど登場しない。この演出意図に乗れるかどうかで、本作を楽しめるかどうかが大きく異なってくるだろう。しかしこの演出は、身体障害者を特別視しないある種のデリカシーの欠如ゆえにフィリップと打ち解けるドリスの視点に観客をいざなうことで、ふたりの関係性とその変化・成長に観客の意識をさせるためであり、非常に的を得た判断だ。そしてこの限定があるからこそ、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの楽曲が流れる冒頭や中盤に素敵な多幸感が生まれている。そして後半、説明的な演出なしに、ふたりの行動や状況のみで彼らの成長──とくにドリス──を描いてみせる手腕なども素晴らしい。見事な作品だった。余談だが、ドリスのキャラクターは多分にフーテンの寅さんを思い出させるもので、その観点からも面白かった。

『ヘルハウス』……ジョン・ハフ監督。リチャード・マシスン『地獄の家』を原作に、呪われた屋敷でその心霊現象の調査に挑む科学者と霊媒師4人の姿を描くオカルト・ホラー。同時期に公開された『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督、1973)と比べるとスケールや画面は地味だが、主人公たちが科学者と霊媒師であり、心霊現象を軸に彼らの対立をサスペンスのひとつとして持ち込んでいる点が面白い。また幽霊を光学的には観測できない──つまり見えない/カメラに映らない──ものながら、電気的などその他の要因からは観測可能なものとして科学的に描いているのも、独特のリアリティがあってよかった。ラスト、幽霊屋敷の主との心理戦に挑む霊媒師のひとりフィッシャーを演じたロディ・マクドウォールの姿は迫力満点だ。

RED/レッド』……ロベルト・シュヴェンケ監督。歴史的陰謀に巻き込まれた“年金暮らし”の元CIA諜報員たちの奮闘を描くアクション。ブルース・ウィリスモーガン・フリーマンヘレン・ミレンなどそうそうたる面子が出演した“お祭り感”溢れる1本で、前半のジョン・マルコヴィッチの狂人演技に如実に象徴されるような、妙に軽薄な残虐性に満ちたアクション・シーンが無性に楽しかった。ただ、後半になるといわゆる普通のアクション・サスペンスになっていってしまって、もちろんそれはそれで面白いのだが、若干の物足りなさも残った。果たして公開中の続編はどうなっているやら。

『赤い影』……ニコラス・ローグ監督。幼い娘を事故で亡くした夫婦がヴェニスに移り住むが、あるとき妻は霊感のあるという老姉妹に「娘さんはずっと側で笑っているわ」と告げられ、夫は街中に娘の影を見るようになるが──というオカルト・スリラー。とはいえ本作が描くのは、夫婦──すなわち男と女の決定的な断絶だ。彼らがどんなに互いを愛し合っていても、ふたりの間にはどうしても越えられない溝があることを暗に提示し続ける。それ故に物語は、ある唐突ともいえる悲劇を迎えることになる。しかし、細かく張り巡らされた映画的布石と、不気味に画面を横切る“赤い影”がえもいわれぬ不安感を醸す見事な1作だ。

『殺人者はライフルを持っている!』……ピーター・ボグダノヴィッチ監督。極平凡な青年ボビーが突然ドライブイン・シアターでライフルによる無差別殺人を決行、そこには自身の主演作の舞台挨拶へオーロックが向かっていた──というサスペンス。人々の恐怖の対象が、物語や怪奇映画のモンスターから“いまそこにある現実”としての人間に代わりつつある時代(1968年当時)を切り取った社会論、あるいは映画論的なテーマを含んだ見事な1本。だからこそ、かつてフランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフが、自らの鏡像である落ちぶれた怪奇映画俳優オーロックを演じていることに意味がある。ラスト、ボビーの引き起こした惨劇を眺めて「これが現実か……」とつぶやくオーロックの姿が印象的だ。しかし、そんな現実を前にフィクションは無力なのか?──という問いに対しても、本作は「そんなことはない」と力強く訴えていたように僕には思えたが、果たして……。

風とライオン』……ジョン・ミリアス監督。数々の大国の思惑が渦巻く1904年のモロッコを舞台に、米人未亡人とその子供たちを誘拐したリフ族の首長ライズリーと、人質救出の名目で艦隊を派遣する米大統領ルーズベルトとの息づまる駆け引きを描く。ライズリーを演じるショーン・コネリーの独特の色香と存在感が見事で、彼が部族を引き連れて闘いに赴くべく剣を空に掲げれば、それはウットリするほどだ。黒澤明ファンとしても知られるミリアスだけに、それらしい演出もちらほら。サム・ペキンパーセルジオ・レオーネらの映画を思わせるラストの一大アクションシーンも迫力満点だ。

永遠のこどもたち』……J・A・バヨナ監督。かつて自身が育った孤児院で家族3人暮らし始めたラウラだったが、あるとき息子シモンが姿を消し、家では怪奇現象が起こるようになる──というギレルモ・デル・トロ製作のスパニッシュ・ホラー。暗く沈んだ撮影や、家の軋む不気味な音、ときおり挟まれる痛ましいゴア描写などデル・トロ印のホラー演出が満載で面白い。クライマックスの「だるまさんが転んだ」で幽霊たちを呼び出そうとする長い1ショットは、「いた」と思ってもゲームのルールから1度視線(=カメラ)を外したうえでもう1度そこを見なければならないという、なんともいやな緊張感がある。それにしても本作の結末は観客の感情や観念を正負の境界線上で揺さぶりにかけるもので、「よくもまあそんな残酷なことを考えるなァ、すごい」と、もうどうしてよいやら判らなくなる素晴らしいものだった。ただ、オープニング・クレジット時に背景で描かれる「壁紙を剥ぐ」ことが、もうちょっと物語的に絡んでくると、より印象的になったのではないかしら。
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