2018 10-12月感想(短)まとめ

ちょこまかとtwitterにて書いていた2018年10月から12月にかけての備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】

◆タクシーの運転手に転職しながらも、目についた悪を持てる技術全開で制裁する元CIA特殊捜査官マッコールの活躍を描くイコライザー2』アントワーン・フークア監督、2018)は、クズの大小やイデオロギーに関わらず正義の鉄槌を下すマッコールの勇姿に胸がすく快作。

本作において、マッコールがタクシーという移動手段を得たことでより一層の広がりと増加を見せた活動範囲とタスクを淡々とこなしてゆく様子は、快感であると同時にちょっと怖ろしくすら──彼が敢えて“ナメられキャラ”を演じる瞬間の妙な緊張感たるや!──ある。前作(同監督、2014)ではわりと見せないことで描写されたマッコールの暴力描写が直接的になり、彼の悪への慈悲なき制裁の凄惨さが垣間見られるのも、それに拍車をかけるだろう。彼は、文字どおり神出鬼没でタスク・マネージメントのできる勧善(完全)懲悪中毒おじさんなのであった。たいへん怖い──もとい、かっこいい! やっぱり悪党が皆殺しになる映画はいいですね。心が穏やかになる。

その、ある種の荒唐無稽さをマッコールが一身に担う一方で、本作の演出は非常に文学的でかつ古典的だ。キャラクターや物語がはらむ感情の起伏は、雨が涙の代わりであり、嵐の到来は文字どおり物語の抑揚であるといった具合に、むしろ風景や気候が雄弁に語ってくれるだろう。また、前作のキーとなる舞台の夜のダイナーが明らかにエドワード・ホッパー風であったように、嵐の上陸によって一時的なゴーストタウンとなった町を舞台に展開される本作のクライマックスもまるで絵画のように──当てずっぽうではあるが、ハドソン・リバー派の筆致を思い起こさせる──描写されており、正義の裁定者たるマッコールのキャラクター設定とも相まって、荘厳さすら感じられる印象的な名場面となっている。余談だが、この舞台立てと、ここでマッコールの取ったある行動が、『荒野のストレンジャー』(クリント・イーストウッド監督、1973)のクライマックスを彷彿とさせるのも興味深い。

そういった細やかな演出の積み重ねの末に訪れる本作のラスト・ショットの──デンゼル・ワシントンの立ち位置を含めた──構図の美しさにも注目したい。感動もひとしおだ。


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◆最愛の妻と娘を強盗に襲われたことで、街に巣食う悪党たちの制裁に目覚めてしまう外科医ポール・カージーの姿を描くデス・ウィッシュイーライ・ロス監督、2018)は、オリジナル版『狼よさらば』(マイケル・ウィナー監督、1974)とはまた違った魅力を放つ快作。

なんといっても、さすがホラー映画で鳴らしたロス監督の面目躍如というべきか、本作に数多ある襲撃シーン──カージー一家が襲われるとき、あるいはポールが制裁に出向くときの受動/能動を問わず──は、実に的確なカメラワークや編集、テンポでどれも観る者の不安や緊張感をグイグイ煽ってくれるので、その臨場感たるや凄まじく、冷や汗モノ。同様に、徐々に自警意識の狂気に呑まれてゆくポールの心理描写もまた見事なものだった(背景美術の色味に注目)。ポールが銃の扱いを学ぶのがユーチューバーの動画だったり、彼の凶行がSNSで即座に拡散されるのも、いかにも今日日(きょうび)のリメイクといった感じで楽しい。

ただ、よくも悪くも、本作は後半にかけて、いよいよ逃れようもなく狂気に沈んでゆくオリジナル版とは逆に、普通のアクション映画的展開になってしまうので、そこは若干の食い足りなさが残ったところもある。ラストショットの“あの”同じポーズの印象がだいぶ異なるが、いずれにせよ直接の原因たる悪は、ポールそのものではないところは、どちらも一貫しているといってよいだろう。悪党皆死すべし! 面白かった。


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◆違法な人体実験を行っているという“ライフ財団”を追っていた記者エディ・ブロックが、財団が宇宙で採取した寄生生命体“ヴェノム”と融合してしまうマーベル・コミックスの実写化『ヴェノム』ルーベン・フライシャー監督、2018)は、粗を探せば山ほどあるが、それでいてキュートな魅力を持った不思議な印象を残す作品だった。

本国での批評家受けが芳しくないのも納得で、前半の1時間は展開や話し運びがなんだかマゴついていたり、妙に辻褄が合っていなかったりで、正直退屈だった。けれど、ついにエディに巣食ったヴェノムが覚醒してからの後半は打って変わって、スピード感溢れるアクションのつるべ打ちと、その最中に交わされるふたりの軽妙で漫才のような掛け合いの楽しさに一気に引き込まれた。まるで「水曜どうでしょう」のロケ中にまろび出る大泉洋のボヤきのごときヴェノムの台詞の数々──アンゼたかし氏による字幕翻訳も素晴らしい──が可愛らしく、なるほど『ゾンビランド』(2009)のフライシャー監督作なのだった。

映像表現の面白さは、長い長いスタッフロールの果てに付された“アレ*1”に全部持っていかれた感もあるのが残念だが、予告編とはまるで違った体験を味あわせてくれる本作は一見の価値アリだ。


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◆2万年後の未来の地球を舞台に、生き残った人類たちとゴジラとの攻防を描く長編アニメシリーズ第3作にして完結篇GODZILLA 星を喰う者静野孔文瀬下寛之監督、2018)は、前2作にあった問題点はそのままに、とりあえず終わった、という感じ。

たしかに、低音を効かせたサウンド・デザインは聴き応えがあるし、ある種の日本人論をやろうとした本シリーズの筋立て、というか着眼点は面白いものだと思う。日本人である主人公ハルオ・サカキに対して、それぞれが日本人のルーツを思わせる3種族──縄文人弥生人、そして南洋の人々──が異なった価値観をぶつけ、彼がその渦中で葛藤し、どの未来を選び取るのかという展開は興味深い。

また、そこかしこに付されたユダヤ教キリスト教的な味つけについても、やりたいことはわかる。ゴジラ映画第6作『怪獣大戦争』(本多猪四郎監督、1965)に登場するX星人が種族名の由来である「エクシス」の神官であり、本作では人類(=ハルオ)を篭絡して破滅させようとするメトフィエスの名は、ファウストに魂の契約を持ちかける悪魔メフィストフェレスのモジリだろうことは明らかだし、彼がハルオを抱く本作のポスター・アートは、受難のイエスを抱く聖母マリアを表した「ピエタ」像そのものだ。

同時に、ひたすらな献身──信仰──と供物を求める本作のキングギドラヤハウェを髣髴*2とさせ、そんなギドラを盲信するメトフィエスが終盤において丘の上に祭壇を築き生贄を供える様子は、ヤハウェの命令に従って息子イサクを奉じようとしたアブラハムの姿に重なるだろう*3 *4 *5。こういった試みを「ゴジラ」でやろうとすることそれ自体は面白い興味深いと考えるものである。

ただ、いかんせん映画としての面白さを伴っていない。小説朗読やドラマCDもかくやとばかりにひたすら台詞は多いが、同じ話を3度も4度も繰り返すばかりで、話が遅々として進まない。たとえば、何回「ギドラはゴジラに噛みついているだけなのに!」という台詞を聞いたかってことであって、脚本段階での整理がなされていないのは明々白々だ。そのくせ空間描写はおざなりなので、相変わらず誰がどこにいて、どういったスケールや距離感なのかがサッパリつかめない。というか、今回の目玉であろうゴジラとギドラの闘いが、文字どおりポスター・アート以上でも以下でもないとは、いかがなものか。まったく、ゴジラキングギドラよりも、絶望したのは映画の出来だよ!


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◆地球を覆い尽くし、数多の人命を奪った謎の群生体と、それを統べる“エウレカセブン”に対抗すべく選出された少女アネモネの姿を描くリブート版第2作『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション京田知己監督、2018)は、シリーズで描かれてきた世界に文字どおり外側から切れ込みを入れるという構成もあって、なんとなくリブート版前作(京田知己総監督、清水久敏監督、2017)を未見のままで観たものの、けっこう楽しめた(テレビ版と旧劇場版はほぼリアルタイムで観賞)。

もちろん自身の不勉強さゆえに腑に落ちない点もあったし、クライマックスは画面どおり駆け足だった嫌いもあるが、本作が新規に作った画面を観てもわかるとおり『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、2016)など庵野監督作の影響が色濃い本作らしく、昨今の国内情勢に対する痛烈な皮肉がそこかしこに込められている──思い起こせばオリジナルのテレビシリーズもそうだった──ところなども、本作のSF的ストーリーとも相性がよかったのだろう、しっかりと効いているのも印象的だ。

画面それ自体に関していえば、戦闘や爆発などのエフェクト・アニメは非常に見応えがあり、大画面でこその臨場感が味わえたものの、基本の画面サイズがシネマスコープになったためか作画部分に解像度に不足がところどころ感じられたり、部分的にトゥーン・シェイドCGで描画されたキャラクターの動きには若干の違和感があったりで、こういった技法/技術的伸び白はまだまだあるといったところだろうか。


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◆一世を風靡した英国のロックバンド“クイーン”のリード・ボーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を描くボヘミアン・ラプソディブライアン・シンガー、デクスター・フレッチャ*6監督、2018)は、自身の出自や性格、容姿やセクシュアリティから来る自他からの抑圧によって孤独にあえぎながら、それでもなお安住の地と“Somebody to Love”を求めて放浪するひとりの人物をテンポよく、かつ非常に繊細に描き出した見事な1作。

歴史考証によって徹底的にリアルに再現された当時の光景もさることながら、本作は、フレディの内面にそっと寄り添うかのような画づくりと編集が本当に素晴らしい。画面構成から照明、色彩の変化、切り替えしたフレディの視線の先になにが見えるのか、あるいは彼の後ろにはなにがあるのかに至るまで、計算され尽くしている。撮影のニュートン・トーマス・サイジェルの仕事ぶりに驚くことしきりだ。そしてもちろん、音楽演出──ときおり挿入されるクイーン以外の楽曲にも注目したい──の的確さも格別で、本作を観れば、劇中でも使用された何曲かのクイーンの楽曲で歌われる詩の意味が、より重層的に心に迫ってくるだろう。そして、だからこそ映画のオープニングがあの曲だったのかと、膝を打つはずだ。

クイーンのファンであるか否か、あるいは知識の在る無しに関わらず*7、きっとなにかしら得るものがあるはずだ。本作ばかりは、ぜひ劇場のスクリーンと大音響で観てほしい1作だ。


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◆テレビシリーズ全12話とOVA版を約2時間にまとめ上げたガールズ&パンツァー 第63回戦車道全国高校生大会 総集編』水島努監督、2018)は、なるほど映画館で観ると、音響のアップグレードによって増幅された戦車まわりのサウンド・エフェクトが、ズンと腹に響いて気持ちがいい。

もちろんシリーズとおして約6時間あるものを3分の1程度の尺にしているので、いろいろ無理もあるのだけれど、そうとなれば主人公・西住みほを巡るドラマに焦点を置いた編集にして、あんこうチーム5人のナレーション演出──彼女たちが、われわれと同じ映像を見ながら思い出語りをしているという設定だが、せっかくの音響を邪魔する部分もかなりあり──を排せば、もっとスッキリしたのじゃないかしらん。


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◆ホフマンの小説とチャイコフスキーによる組曲を元に映画化されたくるみ割り人形と秘密の王国』ラッセ・ハルストレムジョー・ジョンストン監督、2018)は、お世辞にも巧い映画とは言い難い作品で、ハッキリ言って話運びや展開は大雑把そのもの。テーマの描き方もいささか陳腐だし、ギャグもいちいちスベっている。

ただ、ヴィクトリア朝ロンドンの町並みを完全再現した冒頭の長い空撮風ショットに始まり、やがてヒロインの少女クララが迷い込む秘密の王国に至るまで、画面に映るものすべてを──メイク、衣装、セット、そしてVFXと、あらゆる技術を総動員して──徹底的に作り込んだ美術デザインの数々は、まさに総天然色──『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督、1939)や『ファンタジア』(ベン・シャープスティーン監督、1940)などを思わせるシーンもチラホラ──と言い表すにふさわしい絢爛豪華さだ。

しかしながら、その目のくらむほど──実際、情報量が多すぎて目がチカチカしたのだけれど──人工的に隅々までカッチリと組み上げられた映像*8のなかで、もっとも見応えがあったのが中盤とエンドロールに映されるバレエ・ダンサーたちが舞い踊る生身のパフォーマンスだという皮肉。なんとなれば、本作をこそミュージカルとして撮ったほうが、題材とも合っていたのではないかしらん。

いっぽうで、『死霊館』(ジェームズ・ワン監督、2013)なんかのころからするとすっかり大きくなった主演のマッケンジー・フォイの可憐なフォトジェニックぶりは見事。その美少女ぶりと演技の豊かさは、並の猛獣なら一撃で倒せそうではあったので、彼女のアイドル映画として観れば、本作は5億点満点だろう。けれど、せっかくテコンドー黒帯の彼女にアクションをさせるのだから、ジャッキー・チェンとかブラッド・アランをアクション演出に招けばよかったのになあ。そうすれば、冒頭のつかみであったピタゴラスイッチが、クライマックスでもっと活かせたろうになあ。惜しい。


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ドクター・スースによる児童文学をイルミネーション・エンターテインメントが長編CGアニメーション化したグリンチヤーロウ・チェイニースコット・モシャー監督、2018)は、鮮やかだが煩すぎない適確な色彩設計とデザイン、3D上映を徹底的に意識した画面レイアウトとカメラ・ワークによって繰り広げられるアクションの臨場感や疾走感、高所感溢れる演出とスラップスティックな笑いを誘うコメディとが合致した楽しく、思いやりの心を描くクリスマス精神に溢れた作品。CGによる毛並みや雪の質感表現も──新作を観るたびに思うけれども──見事だ。

ひねくれ者グリンチの映画前半で描かれる独り暮らしシーンが物悲しくもどこか楽しげでね(シミジミ)。飼い犬マックスや、はぐれトナカイのフレッド相手に喋りまくるヤサグレ感も楽しく、大泉洋のボヤキ吹き替えもバッチリ!*9 原語版のベネディクト・カンバーバッチも早く聞きたいものだ。あえて難を言えば、クライマックスがいささか性急過ぎる嫌いがあったのと、画づくりとアクション演出が完璧だった本作には返ってナレーションは邪魔だったのじゃないかしらん、ということくらいだろうか。ともあれ、様々なソリ滑りシーンは超楽しいゾ*10


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◆レトロなアーケード・ゲーム機内のキャラクターであり、深い絆で結ばれたラルフとヴァネロペがインターネットの世界に迷い込むシリーズ第2作シュガー・ラッシュ: オンライン』(リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン監督、2018)は、前作*11とは違う意味において、いたく感動させられた作品だった。

インターネット内の世界を見事にカリカチュアして視覚化したカラフルで多種多様なデザインの数々に目を見張るし、インターネット内外の現実社会*12から、ディズニーの各種自社製品──劇中にあるミュージカル・シーン用の楽曲を、ディズニー・ルネサンス期の作品を支えた作曲家アラン・メンケンにわざわざ書かせている徹底ぶり──までを強烈に皮肉った毒のあるギャグの乱れ撃ちが、まずは楽しいところ。前半のラルフとヴァネロペの仲睦まじい様子もとても微笑ましいし、前作同様にカー・アクションも迫力満点だ。まあ、ちょっとそれらに傾倒しすぎて、たとえば物語内設定が前作と微妙に矛盾していたり*13、明らかにタイムリミット・サスペンスとしては失敗していたり*14と作劇のバランスが若干おかしくなっている点は否めない。はっきり言っていびつである。

それでもなお本作が胸を打ったのは、本作の物語が、友情や恋愛、あるいは結婚といった様々な人間対人間どうしのつきあいのなかで必ず起こりうる変化や、各々が取りがちなふるまいについて徹底的に向き合って──ラルフやヴァネロペが、それぞれのやり方で文字どおり自分を見つめ直すシーンを思い出したいし、そういった意味でクライマックスは正しく怪獣映画*15なのだった──葛藤し、もがきながらも前進しようとするキャラクターたちを描き、僕らにそれについて考えさせてくれるからだ*16

変化のない人間関係はないし、ディズニーが描いてきたようなキスひとつで決定される“不変の愛”もないが、だからこそ尊いのだという、本作の導き出す結論は、とても現代的な着地だろう。自分も1個の人間なら、相手だってそうなのだ。ファースト・シーンの対となる本作のラスト・シーンには、ほろ苦くもあたたかい機微が溢れていた。


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【ソフト】

孤独死した人々ひとりひとりと誠実に向き合って荼毘にふしてきた民生係のジョン・メイだったが、人員整理による解雇が決定してしまい、いま調査中の向かいの部屋で亡くなった男性が最後の仕事になるおみおくりの作法』(ウベルト・パゾリーニ監督、2013)は、もの静かで几帳面で、そして彼自身も孤独であるジョンの日常──その繰り返しと、変化──を、エディ・サーマンの微細な演技と、衣装や美術、カメラと編集によって口数は少なく、しかし豊穣に切り取ってみせる。この丁寧な積み重ねがあればこそ、本作のクライマックスに置かれた、ある種ロジックを飛躍/超越するような展開が不思議とストンと腑に落ち、むしろえもいわれぬ感動を呼び起こしてくれるだろう。


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◆創造主たる人間の手を離れ、あまつさえ人間を排除しながら無限増殖する階層都市に住まう人間たちの戦いを描く弐瓶勉の同名SFコミックの映画化BLAME!瀬下寛之監督、2017)は、さすがに美術やデザイン・ワークといったヴィジュアル面について見事のひと言。だが、他の瀬下監督作品同様に空間把握のしづらい画面構成と編集、そしてアクション構築によって、せっかくの舞台立ての魅力が十分には活かせておらず、なにより同じ話題を短時間に2回、3回と繰り返す展開が鈍重に感じられてならない。もうちょっとスマートに、かつ、設定やら説明を少しずつ詳(つまび)らかにしてゆく作劇を考えるべきではなかったか。


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◆不勉強ながら観ていなかったディズニーのアトランティス 失われた帝国(ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ監督、2001)は、いかに物語を素早くかつ判りやすく展開するかに特化した画面レイアウトの連続が凄い。恐ろしくテンポが早いのに、スルスル飲み込めてしまう。また、ディズニーのアニメーション映画とは思えないほどに人が直接的にむざむざとたくさん死んでいくのにも意表を突かれた。


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◆マンゴー湖にて溺死した少女アリスの家族に、やがて不可解な現象が起こりはじめる『レイク・マンゴー ~アリス・パーマーの最期の3日間~』(ジョエル・アンダーソン監督、2008)は、少女の遺族や関係者にインタビューをしつつ過去を再構築してゆくモキュメンタリー型ホラー。本作の肝は、なんといっても心霊写真演出。派手な脅かし演出をいっさい排して、じっくりとフィルムや低解像度のデジタル・カメラにうっすらと見える画面の“しみ”が、こちらを見ていることに気づく戦慄を、本作はいやというほど味合わせてくれる。そして同時に面白いのが、心霊映像についての事実が二転三転しながら重層的になってゆく展開だ。「こう」かと思われたものが、別の真実へと繋がり、登場人物や地域社会の持つ隠された暗部がさらけ出され、ただでさえ不穏な空気がより澱んでくる。しかも、それらすらもレッドヘリングであったかのように付される本作のラストを観るとき、いいようのない感情が芽生えるだろう。


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◆考古学者ジャッキー・チェンが古代インドに伝わる財宝に挑戦するカンフー・ヨガスタンリー・トン監督、2017)は、ジャッキーらによる華麗なカンフー・スタントに加えて、作中でも言及があるように『インディ・ジョーンズ』シリーズや、近作の『ワイルド・スピード』シリーズの面白さを取り入れたVFX満載のバッキバキの映像とアクションがとにかく目まぐるしく楽しい。しかも最後には皆で踊り狂って大団円という、なにが“ヨガ”なのかはサッパリ判らないが、とにかくハッピーな作品だ。日本での劇場公開時に正月に観ていれば、そりゃ運気も上がったろうさ。


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◆人生に行き詰まって酒に溺れ、同棲中の彼氏にも振られて帰郷したアラサー女性グロリアが、突如ソウルに出現した怪獣と自分の動きがシンクロしていることに気づくシンクロナイズドモンスターナチョ・ビガロンド監督、2016)は、どこかコメディ的な突飛な設定ながらも、あくまでも人間ドラマを主眼に置いた、とても心に染み入る傑作。アン・ハサウェイの絶妙なダメ人間っぷり──なんやかんやで全然安眠できない天丼ギャグが楽しい──や、ジェイソン・サダイキスのどこか緊張感を醸す雰囲気など、役者陣の演技アンサンブルがたいへん見応えがあるし、部屋の内装の変化といったキャラクターたちの心理を暗喩する美術演出が非常に細やかになされていて素晴らしい。本作が示すように、怪獣はいつでも自分の心のなかにいることを忘れないよう心がけたい。


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◆ピエール・クリスタンとジャン=クロード・メジエールによるバンド・デシネを実写化したヴァレリアン 千の惑星の救世主リュック・ベッソン監督、2017)は、ベッソン監督作としては久々に普通に楽しめる作品。本作のキモはなんといっても、“千の惑星の都市”と呼ばれる人口惑星「アルファ」内部をはじめとした、多種多様で雑多で絢爛豪華でプリミティブでエキセントリックな美術デザインの数々だ。シーンごと、あるいはショットごとに目まぐるしく変転する画面内のあれこれを眺めるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまう。そのぶん若干テンポが単調な気もするが、今日(こんにち)こそ観られるべき問題提起をはらんだSF的ストーリーも評価されうるポイントではないだろうか。


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ジャッキー・チェンが出演&アクション演出までしているCGアニメーション『レゴ®ニンジャゴー ザ・ムービー』チャーリー・ビーン、ポール・フィッシャー、ボブ・ローガン監督、2017)は、決してスマートで要領のいい作劇とはいえない。しかし、目のくらむような情報量の映像と、ジャッキー印でありながら同時にアニメーションならではの新鮮さに溢れたアクションがなんとも楽しい。そして、それらもさることながら、父子、母子を巡る物語として思わず感動してしまった。あと、にゃんこがかわいい。


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◆心臓外科医スティーヴンが、とある少年と知り合ったことで、家族をも巻き込む不条理に呑まれてゆく『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』ヨルゴス・ランティモス監督、2017)は、もう本当にイヤなイヤなイヤな気持ちになる作品(褒めてます)。スタンリー・キューブリック映画を思わせるシンメトリックで硬質な画面作り、それを作中の空気感そのままに絶妙に揺らぎながら移動するトラッキングショット、キリキリと神経を逆なでする不協和音、ひたすら抑揚のない早口で冷たい台詞まわし、そして噴出する家族それぞれのエゴイズムが軋みだす展開が怖い。出口のない話なのに、ひたすら画面に「EXIT」が映りこむのが非常に意地悪で最悪なのが最高。


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◆長年観たいと思っていたジャック・フィニイ原作の2度目の映画化作『SF/ボディ・スナッチャーフィリップ・カウフマン監督、1978)をようやっと観た。グッと闇に沈んだ色調や不気味に傾いだカメラ・ワークが、もの言わず徐々に侵食される日常を端的に描いていて、なんとも知れぬ不穏さが映画全体を貫いている。主人公たちを追うサヤ人間たちの様相や生態は、時折使用される特殊メイクの見事さとも相まって、まるでゾンビのように、あるいはそれ以上に怖ろしい。そして、不意に訪れる映画技法的な平穏のなかで突きつけられる最後の大オチ……うーん、絶品!


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【ソフト(ネット配信ドラマ)】

◆1983年、インディアナ州の田舎町で起きた失踪事件に端を発して巻き起こる怪異現象に立ち向かう少年たちを描いたNETFLIXオリジナル・シリーズストレンジャー・シングス 未知の世界〈シーズン1〉』(ダファー兄弟、ショーン・レヴィ監督、2016)は、スピルバーグからカーペンター、クローネンバーグなど愛すべき'80年代SFホラー映画へのオマージュ、スティーヴン・キングや『グーニーズ』を思わせる負け犬少年チーム、超能力少女、そしてウィノナ・ライダーと、とかく僕の好きなものしか入っていない幕の内弁当的な内容でかつキッチリと楽しめるという、まぁツボにはまりまくるシリーズだった。ドラマ・シリーズゆえに、ちょっと間延びした部分もなくはないが、それでも全8話とコンパクトでよろしい。


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*1:日本では来年公開予定の、異なる世界線スパイダーマンたちが一同に会するアニメーション長編『スパイダーマン: スパイダーバース』(ボブ・パーシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン監督、2018)のイントロ的な短篇。

*2:エクシスが持つギドラのエンブレムはダビデの星だろう。

*3:それをハルオは否定するわけだけれども……本作がラストに辿るあの結論はどうなんだろう? ちゃっかりハルオは現地妻に子種だけ宿した上に、元カノと一緒に神になっているではないか!! なんだそりゃ、育児放棄か!! このヤリチン野郎がよゥ!! なんだかゴジラそっちのけ宗教戦争している印象のほうが勝っているんだよなあ。それについては、劇中にキャラクター自身がハルオに突っ込みを入れているし……、やっぱり整理が足りてないよ!

*4:また、メトフィエスが終盤において、ある種の隻眼となるのは、初代『ゴジラ』(本多猪四郎監督、1954)に登場する芹沢博士のオマージュ、というよりは、彼が柳田國男いうところの「一つ目小僧」の系譜であることを仄めかすであろう。彼自身がハルオの神格化の生贄になってゆくのだから。

*5:あるいは本シリーズを、虚淵玄による水木しげる論と捉えることもできるかもしれない。本作の辿る、発達した科学文明を捨て、プリミティブに生きることを選択する顛末──あの挿入歌とともに、中途半端にディテール・アップしているせいで微妙に気持ち悪い静止画を垂れ流すダサいダサい演出もどうかと思うけれども──を観れば、本シリーズはむしろ「ゲゲゲのゴジラ」とでも呼ぶべきなのやも。

*6:ノン・クレジットだが、シンガー監督が途中降板して以降を担当している。

*7:クイーンについては、不勉強ながらほとんど白紙の状態──いちばん馴染み深いのが、『ハッチポッチステーション』内でグッチ裕三が「ボヘミアン・ラプソディ」を完璧なパロディにしていた「犬のおまわりさん(GUEEN)」という体たらく──で観たけれど、本当にいい映画だった。

*8:雪の積もった寒空の下で、息がひとつも白くならないのはご愛嬌か。

*9:劇中に映る文字表記のローカライゼーションも──フレジテビが金を出しているからかどうかは知らないが──徹底されていて舌を巻く(ディズニーも見習ってほしい)。まぁ正直なところ、過度な──エンド・ロールまで日本語とか、吹替え版キャスト表記とか──ローカライゼーションは面白くもあるが、洋画を観ている感じが薄れてしまって、それはそれで微妙な感覚になりはするのだけれど……。

*10:同時上映の短篇ミニオンのミニミニ大脱走(ファビアン・ポラック、セルゲイ・クシュネロフ監督、2018)は、サイレント時代のキートンやロイド、チャップリン映画を思わせるスラップスティック・アクションコメディで、それなりに楽しかった。

*11:リッチ・ムーア監督、2012。公開当時の僕のつたない感想はこちら>>拙ブログ「『シュガー・ラッシュ』(日本語吹替え版2D)感想」。

*12:本作に登場する動画投稿サイト「BuzzTube」絡みの描写で、流行は、もはやA.I.が作り出し、流通させているという描写はなかなか考えさせるものがある。

*13:前作では「悪しきこと」とされていた「ターボする」ことの捉え方の反転が、もっとも大きな部分だろう。

*14:eBayへの支払期限と、ゲーセンが開店するまでに帰らなければない件──前作とは変わって、ラトウィック氏のゲーセンに客足が遠のいていることを示唆する描写もあるにはあるけれど──がうまく噛みあっていないからではないか。後者に関しては、ひとつ台詞を入れれば解決しそうだけれど。

*15:もちろん本作のクライマックスの画づらは、劇中ゲームである『フィックス・イット・フェリックス』の元ネタである『ドンキーコング』(任天堂、1981)の名前の由来である映画『キング・コング』(メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック監督、1933)で描かれるエンパイア・ステート・ビルでの攻防シーンへのオマージュである。それと同時に、ここに出現する怪物は、まさしくラルフ自身が生み出したイドの怪物──怪獣やモンスターとは、往々にして登場人物の抑圧された無意識的欲望を具現化した存在でもあるのだから──なのである。だからこそ、ファミリー映画としてはあり得ないほどに怪物が気色悪い造型なのも意図的だ。ときに傲慢ともとれるような自身の欲望こそ、人間がもっとも目を背けたくなるもののひとつなのだから。

*16:だからこそ、前作より引き続いて、日本語吹き替え版において非常にザツなローカライゼーションを施された“ヒーローのメダル”が惜しい、というか勿体ない。なんだよ、あの愛のない丸文字ゴシックは。前作も、というか最近のディズニー作品にも思うことだけれど、だったら画面の脇に字幕処理とかのほうが、よっぽどイイよ。デザイン性や演出意図が崩れないし、読みやすいもの。

2018 7-9月感想(短)まとめ

ちょこまかとtwitterにて書いていた2018年7月から9月にかけての備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】

◆若き日のハン・ソロの冒険を描くハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーロン・ハワード監督、2018)は、たしかにおもしろく観られるのだけれど、オリジナル3部作──いいかえれば、本作の辿る未来──との関連付けをアレもコレもと盛り込みすぎた感があって、そういったノルマは達成したのだろうけど、いささか鈍重な印象が拭えない。正直、過去作との関連づけは、チューバッカとの出会いだけに絞ったほうが、よかったのではなかろうか。

まあ、本作も監督の交代劇やら脚本の修正やら再撮影やら制作途上のゴタゴタに見舞われていたので、きちんと整理する時間がなかったのかしらん。ただ、中盤にある“反乱”シーンは、まさにいまこそ描かなければならないという危機感の高まりがヒシヒシと感じられて、非常に印象深いものとなった。


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◆勤務する会社が起こした不良債券取引によって失意のどん底に叩き落された証券マンが、離れて暮らす妻子に会おうと韓国からシドニーに降り立つ『エターナル』(イ・ジェヨン監督、2017)は、画面や展開にささやかにほのめかされる伏線から、観るうちに「おそらくは、こういうオチなのだろうな」と予想はしていたのだが、その種明かしの方法があまりに変化球だったので、ものすごくビックリして、ア然としてしまった。その分、それに続くエピローグがちょっと長ったらしいのが惜しい。


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◆顔に障害を持つゆえに家庭学習で育ってきた少年オギーが、ついに普通の学校で過ごす1年間を描いたワンダー 君は太陽スティーブン・チョボスキー監督、2017)は、登場人物に対する演出の着かず離れずの距離感と、メインから脇に至るまでの役者の見事な──きわめて自然な──演技のアンサンブルに裏づけられた、単に難病感動モノに留まらない見事な1作だった。テンポのよさと的確な見せ方の按配も相まって、出番の大小に関わらず、本当にキャラクターが生き生きしている(1シーンだけ合成の甘いところがあったが、あのシーンは黄泉の国なので、あれはあれでよし!)。

たしかに本作は、“いい人”ばかりに溢れた理想主義的な映画にもとれよう。劇中の台詞にもあるように「現実の社会に即していない」と。しかし理想とは、現実に即して捻じ曲げるものではなく、われわれが目指してゆくものではなかったか。僕たちが向かうべき理想の世界を観客に示すこと、そしてわれわれ自身がそれを再認識することにこそ、本作の意義があるはずだ。必見。


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◆東京サミット開催予定地で勃発した爆破テロの容疑者として毛利小五郎が逮捕されてしまう劇場版第22作名探偵コナン ゼロの執行人立川譲監督、2018)は、近年陥りがちだったキャラ同士の馴れ合い描写への偏重と行き当たりばったりな展開がかなり抑制され、事件そのものから軸がブレずに展開されるので、かなり見易く面白い。貪欲に『君の名は。』(新海誠監督、2016)や『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、2016)を思い起こさせる要素を取り込んでみたり、キー・パーソンである降谷零まわりのアクション演出も度が過ぎていたりで楽しい。

欲をいえば──毎度の恒例となっているとはいえ──クライマックス、謎解きの後に追加されている“2回目”のタイムリミット・サスペンス&アクションは楽しいといえば楽しいけど、蛇足だったかなあ。


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◆前作から3年後、火山活動によって壊滅寸前のイスナ・ヌブラル島から恐竜を救出するミッションに挑むオーウェンたちの冒険を描いたジュラシック・ワールド/炎の王国J・A・バヨナ監督、2018)は、第2作『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1997)のストーリーをかなり踏襲しつつ、同時に第1作『ジュラシック・パーク』(同監督、1993)の恐竜描写あるい演出への熱いオマージュに溢れた作品だった。本作で再現される1作目の恐竜描写に、四半世紀を経たVFX技術の変化に注目してみるのも面白い。

そして、なにより本作の見所は、バヨナ監督による恐竜とホラー演出の融合だろう。画面の奥に、ふっと現れる大きな影やピンボケの姿から、溜めに溜めて襲い掛かってくる恐竜の怖いこと怖いこと。本作の後半は、もはや洋館ホラー映画もかくやの展開と見せ場が目白押しで、さすが『永遠のこどもたち』(2007)を撮った監督だけのことはある。


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◆生まれたばかりの妹ミライちゃんに両親の愛を盗られたと思い込んで膨れっ面のくんちゃんの前に成長した姿のミライちゃんが現れる未来のミライ細田守監督、2018)は、なるほどカットごとの作画や背景描写などのクオリティは非常に高く、アニメーションを観ることの多幸感に溢れている。子ども特有のやわらかな肌の質感や挙動を再現した作画など、とくに素晴らしい。しかし、作劇上の問題が多いのも確かである。

とくに気になるのは、本作の劇中における「ルール」が曖昧というか適当すぎる点だ。本作は、主人公くんちゃんがことあるごとに妹に嫉妬して感情的になったとき、ふいに彼の目の前にふしぎな異世界が拡がり、未来のミライちゃんらと冒険をするという構成を繰り返す、いわばオムニバスのようなつくりだが、その異世界や体験がくんちゃんの見た夢/幻なのか、はたまたタイムトラベルなのか、そもそも実際にあったのかどうかがまるでハッキリせず、その場しのぎ的に放置されたまま次のシーンに突入してしまう。しかも、そのくせ──本作のクライマックスで殊に顕著だが──ここで言いたいことはこういうことですよと、作者の意図からテーマまですべて説明台詞で処理してしまうのだ。

これでは、きっと本作が元々目指していたのであろう、童話や昔話(=本作)がくんちゃん──引いては観客自身の再体験として──の成長を促すという役割を本末転倒にも封じている。本来、その寓意性や見立てをくんちゃんや我々が読み込むことで結実することであり、だからこそ想像力や共感性がはぐくまれ、やがては成長に繋がるのではなかったか。本作を観終わってみると、下手な道徳の教科書を無理矢理読まされた挙句に最適解を述べよと強要されているような居心地の悪さばかりが印象に残ってしまうのだ。

これはおそらく、本作に、くんちゃんと両親のふたつの視点が混在していることに起因するのだろう。本作では、先に書いたようなくんちゃんの視点と、兄妹の育児に奮闘する両親とが入れ替わり立ち代わり描かれており、彼らの世界観は決して交わらない。彼らは、お互いそれぞれの見る世界を知らぬうちに、気がつけば互いに兄/親として成長している。これはある意味では、非常にリアルな描写であり、安易な共有に逃げない本作の評価されるべき試みだと思われる。しかし、前述したような「ルール」の不明確さと同様に、1本の映画としてのすり合わせが圧倒的に足りていない。その辻褄合わせのために前述のような説明台詞の応酬に陥ってしまったのではないだろうか。

ことほど左様に本作は、くんちゃんの不思議な冒険というせっかくのお膳立てがありながら、なんら拡がりを持ち得ない1作となってしまった。もったいない。


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◆“シンジケート”の残党が組織した“アポストル*1”によって盗まれたプルトニウムを奪還すべく世界中を奔走するIMF諜報員イーサン・ハントらの活躍を描くシリーズ第6作『ミッション: インポッシブル/フォールアウト』クリストファー・マッカリー監督、2018)は、トム・クルーズ本人によるアクションがひたすら連続する驚天動地の1作。

脚本すらアクションを撮りながらリアルタイムに作っていたという本作は、追走、跳躍、カーアクション、挙句の果てには山岳地帯でのヘリ・チェイスまで、隙さえあれば熱量も高く完成度も高い、たいへんなアクション・シーンを入れ込んできており、観終わるころにはこちらもグッタリするほど。それ以外はイーサンが登場人物と漫才ないしコント的なやりとりをしまくるという、本作はいよいよジャッキー・チェンの映画めいてきている。

アクションありきで作ったため、予告編にあったアクションが話の都合上バッサリ切られていたり、そうかと思えば、そこもわざわざアクション・シーン撮るのかよと、嬉しさ半分呆れてしまったところもあるけれど、まあ凄い。その分ストーリーは、「○○だと思った? 残念、俺でしたー!」という展開の多様に頼りすぎな嫌いもあるが、それはそれとして、撮影中のキャスト同様に振り回されながらトム渾身の怒涛のアクションを堪能しよう。


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◆スーパー・ヒーロー禁止法のもと、活躍の場も生活も場も奪われたパー一家が、現状の打破と家事に育児にと奮闘する姿を描くインクレディブル・ファミリーブラッド・バード監督、2018)は、同監督による前作から14年経つにもかかわらず、前作のラストと堂々直結した開幕が清々しい。ピクサー・アニメーション・スタジオ制作ならではの物語のフィクション・ライン上で最大限にリアルスティックな質感表現はいわずもがな、本作はやはり前作に引き続き、キャラクターからメカニカル・デザイン、美術、撮影、音楽、音響にいたるまで徹底的にデザインされたレトロ・フューチャー感が素晴らしい。

そんな映像世界のなかで、ブラッド・バードらしい捻くれ具合──好みの分かれるところだろうけれど──が主人公家族とヴィランの口を借りて問答しながら物語をスウィングしていく様子が面白いし、カートゥーン調のCGアニメーションならではのケレン味に満ち、かつ計算されつくしたアクション・シーンも、たいへん臨場感があって見応えがある。ところで……アレッ? そういえば、冒頭のモグラ男はどうなったのかしらん?


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◆評判を聞いたらしい師匠と急遽出かけた『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督、2017)は、まーやられた! という感じの見事な大傑作。隅々にいたるまで的確すぎるキャスティング、緻密に重ねられた脚本と構成、間の取り方と数々の伏線の妙で、序盤からクライマックスまで、ゲラゲラ笑いながらも実に感動させられた。それだけに、元となった演劇と本作の作り手たちのあいだでの論争が、双方がきちんと納得する形で解決されることを切に願っている。


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スタジオポノック制作による3本の短篇オムニバス『ちいさな英雄 -カニとタマゴと透明人間-』米林宏昌、百瀬義行、山下明彦監督、2018)は、水の表現が凄まじい『カニーニカニーノ』、クレバスと水彩絵の具で描いたような『サムライエッグ』、フィルム・グレインの効いた『透明人間』と、おそらくは“赤ちゃん”をお題にした3本でも、それぞれに違った映像の手触りが楽しめる。

とくに面白かったのは3本目『透明人間』。誰からも見向きもされない主人公の設定も相まって、多弁に物語を語るのではなく、あくまで画とアクションを主軸に魅せてくれる。作画的な見所も多く、とくに中盤の高低差を活かした大跳躍(?)シーンは、映画館のスクリーンで観てこその迫力だ。


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◆ファッションの祭典“メットガラ”に潜入して超高級首飾りを盗み取る女盗賊チームの活躍を描いたオーシャンズ8ゲイリー・ロス監督、2018)は、実にちょうどよい湯加減の作品だった。変にシリアスぶることも、おふざけに走ることもなく、安心してサンドラ・ブロックケイト・ブランシェットアン・ハサウェイらの演技アンサンブルを楽しめる。クライマックスの大仕掛けも、いまどき珍しいくらい古典的なのも良い。まあ、ちょっとエピローグ部分が長ったらしいかな。


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◆とても賢く研究熱心な小学生アオヤマ君が、町に突如出現したペンギンと、それに関係しているらしいお姉さんの謎に挑むひと夏の冒険を描いた森見登美彦の同名小説を映画化したペンギン・ハイウェイ(石田裕康監督、2018)は、主人公アオヤマ君の性格や彼の暮らす町の様子、そしてペンギン出現事件から“ペンギンの通り道(ペンギン・ハイウェイ)”までをテンポよく的確に映し出すアバン・タイトルからオープニング・クレジットにかけての短いシークェンスが象徴するように、原作を劇映画として再構築した脚本の見事な交通整理力と瑞々しい演出、躍動感──ペンギンの総毛立つ作画が面白い──と疾走感に満ちたアニメーション、そして背景から小物に至るまでの実在感に溢れた美術設定の緻密な素晴らしさに裏打ちされた見事な映画化作品だった。

本作は、原作にあったSF的ギミックのロジックを文字どおりヴィジュアルで押し切った力技な部分もなくもないが、その分ジュブナイル的な要素を前面に押し出すことによって、実に爽やかな感動を与えてくれる。とはいえ本作は、過剰なほど直接的な感情表現が多い昨今の日本映画において、むしろそれが抑え目だ。むしろ、そんな安直な手法に頼らずとも、本作にはより一層豊かな感情が内包されている。

とくに、いくつかある本作の反復シーンを思い出してみよう。そこにはかすかな、しかし決定的な変化と成長、そして少年期の終わりと別れの予感が、言葉ばかりが多弁な映画よりもハッキリと刻印されていることに気づく。それは全篇にわたって置かれた、そういった変化のトリガーとなる風の演出だ。夏の日差しに焼けたアスファルトや石畳、草むらや木々、ひんやりとした雨、そして甘く香る長い髪を匂い立たせるような風が、キャラクターやわれわれ観客をそっと包み、次への展開へと後押ししてくれるだろう*2

ことほど左様な細部に至る緻密な演出の積み重ねによって、本作は原作小説を読んだときにそこはかとなく胸を打ったなにかを、たしかにそこに現前せしめた力作だ。ぜひとも劇場でじっくり堪能したい作品だ。ぐんない。


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◆“ソコヴィア協定”違反の咎によって自宅軟禁にあった2代目アントマン/スコット・ラングが、2年以上も絶縁状態だったピム博士とホープの父娘に突如呼び出されるアントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督、2018)は、第1作に引き続き、どちらかといえば捕り物合戦的楽しさを前面に出し、かつ小さくなったり大きくなったりといったアントマンの設定を活かしたアクション・シーンのアイディアと手際のよさを堪能できる良質な続編だった。ギャグが効いているのも相変わらずで、設定説明や中だるみなシーンになると、間髪入れずにユーモアを重ねてくれるのが嬉しいし、クライマックスにあるカーチェイスが──サンフランシスコが舞台ということもあるのだろう──『ダーティハリー5』(バディ・ヴァン・ホーン監督、1988)を彷彿とさせるのも興味深い。

時系列的には、先ごろ公開された『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(ルッソ兄弟監督、2018)の直前か同時くらいになると思われ、あんな世界的大災厄が進行するなかで、つい見落とされがちな市井の生活*3が描かれ、そして、シリーズ総体としてはかなりこじんまりとした冒険──今回のヴィランの苦々しい設定と、それが辿る顛末がそこはかとなく感じさせるヒューマニズム的な温もりも含め──があったことに、感動を覚えた。だからこそ、お約束のエピローグには、より深い絶望が待っているのだが……。


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◆上海沖200キロにある最新の海洋研究施設を古代より生き残ったメガロドンが襲うMEG ザ・モンスタージョン・タートルトーブ監督、2018)は、“世界イチ信頼のおけるハゲ”ジェイソン・ステイサムと“世界イチの超巨大ザメ”メガロドンとが並び立つ画でもはや100点満点の作品であり、テンポよく適度にスリリングで、時おり笑いも入る、肩肘の張らないポップコーン・ムービーとしてはなかなかの出来。文字どおりステイサムと一騎打ちする“白鯨”的な見せ場もたくさんあって、飽きさせない。もともとはディズニーが映画化しようとしていた企画ということもあったのだろうか、全篇を通して小さな女の子が現場に出ずっぱりなのも、なんとなくノホホンとした空気感もよかった。

いっぽう敢えて言い方をかえれば、このステイサムとメグという強烈な画ひとつで押し切った作品でもあって、惜しむらくは、メグの巨大さがイマイチ感じられなかったこと。水面下を巨大な影が泳ぐ俯瞰ショットなどはいいのだけど、彼が非常に巨大であり俊敏であるために、肝心の人間との接近遭遇が一瞬のうちにひと呑みにされてしまう。そして観客がそのスケールを感じる前にショットが終わってしまうのが、ひとつの要因かもしれない。多少大仰に振り切っても問題ないから、いっそバレット・タイムなり使って、しっかりと対人物比をじっくり感じられる画を盛り込んでくれれば、より一層スリルを味わえたのではないかしらん。


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◆人質救出作戦中に墜落してきたプレデターと遭遇した特殊部隊隊長マッケナが政府保有の謎の施設に連れられるザ・プレデターシェーン・ブラック監督、2018)は、丁々発止のくだらない台詞の応酬りと、半笑いで人がムザムザ死んでゆく軽妙な無惨さが延々と続く、よくも悪くもシェーン・ブラックと脚本のフレッド・デッカーらしさ満載の作品。本来の“プレデター”の意味と実際のエイリアンの習性を巡ってチマチマ言い争ったり、プレデターよりも人間のほうが露悪的に人を殺したりといった、これらの要素を好むか好まざるかで、だいぶ評価が割れそうな1本である。あ、僕ぁ好きですよ。

本作は、監督自身もかつてヤラレ第1号で出演したシュワルツェネッガー主演の1作目『プレデター』(ジョン・マクティアナン監督、1987)、そして舞台をロスに移したダニー・グローバー主演の『プレデター2』(スティーヴン・ホプキンス監督、1990)の正当な続編として作られており、プレデターのあの行為に「そんな意味が!」と驚くと同時に、本作で新たに披露される“彼”のわれわれ地球人に対するロジックを聞いて「お、お前ら勝手だな!」と思うこと必至。ただ、それは翻って鏡に映ったわれわれ自身の姿そのものであり、まさに「人のふり見て我がふり直せ」とはこのことだよなァ、と考えさせられるあたり、けっこうSFとしても上物なのではないかしらん。


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◆仕事の重責から家族と触れ合うこともままならなくなったクリストファー・ロビンの前に、かつての親友“くまのプー”が現れるプーと大人になった僕マーク・フォースター監督、2018)は、ディズニーが制作した最初期の短篇アニメ版をまとめた長編、いわゆる『くまのプーさん 完全保存版』(ウォルフガング・ライザーマン、ジョン・ラウンズベリー監督、1977)の直接の続編*4として、このエピローグ部分が本作のプロローグとしてリメイクされている*5。とにもかくにも、実際のぬいぐるみとアニメ版を非常に見事に融和したプーやティガーたちのデザインと、微細に作られたCGの造型が愛おしい1作だ。

この、ぬいぐるみたちの見事なデザインが示すように、本作ではクリストファー・ロビンの暮らす“現実”のロンドンと、あくまで幼少期のインナースペースであった100エーカーの森という、リアリティ・ラインの異なるふたつの世界を如何にしてシンクロさせるかという点に非常に苦心し、かつ慎重に構築している点が印象的だ。ある種、心霊映画的でもあるし、見ようによっては狂気に満ちたエンディングを迎えるのもたしかである。

また、本作の作り手たちが、おそらくは念頭に置いていたであろうディズニー版『メリー・ポピンズ』(ロバート・スティーヴンソン、ハミルトン・S・ラスク監督、1964)と並べて観ると興味深い。ビターな画調でスウィートな味わいと醸す本作と、スウィートな画調でビターな味わいを醸す『メリー・ポピンズ』を見比べると、なにかしらの発見があるのではないだろうか。なんにせよ、心にちょっとしたゆとりを与えてくれる素敵な1作だ。


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【ソフト】

ジェームズ・ワンの“死霊館”シリーズの前々日譚に当たるアナベル 死霊人形の誕生デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2017)は、呪いの人形──というか、シリーズ全体の主犯──の正体が“アイツ”なのは若干の陳腐さがあるけれど、本作のホラー・シーンの見せ方の巧みさに「超怖いな」と思ったら、監督が監督だけに仕方なし。


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◆架空の古代インドを舞台に、マヒシュマティ王国を巡る親子三代に渡る運命を描いた壮大な叙事詩2部作バーフバリ 伝説誕生S・S・ラージャマウリ監督、2015)とバーフバリ 王の凱旋(同監督、2017)は、壮麗なプロダクション・デザインと、それを具現化した見事なセットとVFX──いかにもなリアルさではなく、ちょっと模型っぽいCGの質感がまた良い!──を融合した見事な映像美、そして、物語の展開と感情の起伏に寄り添いつつ、なにより笑ってしまうほど──滑稽なという意味ではなく──カッコいい怒涛のアクションの連続に、度肝を抜かれること必至。これらすべてを統括する歌曲の数々も名曲ぞろいだ。

正直なところ、序盤はあまり乗り切れずにいたのだけれど、1作目の途上から2作目の大半を使って語られる過去編、すなわち主人公シブドゥ=マヘンドラ・バーフバリの父親アマレンドラ・バーフバリの物語が開幕するに至って、俄然面白くなった。アマレンドラの“真の王”っぷりが本当に素晴らしく惚れ惚れする。王たる者、こうであらねばならぬという姿をまざまざと観客に見せ付けてくれる。公開時の熱狂も納得だ。王を称えよ!


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◆実際にあった旅客機同士の衝突事故をもとに、遺族と担当管制官の葛藤を描いたアーノルド・シュワルツェネッガー主演アフターマスエリオット・レスター監督、2017)は、禁欲的ともいえるほど抑制の効いた演出が、返って事件の悲惨さや重大さを醸し出していて、観ながら胸をきつく締め付けられ、主人公たち同様に憔悴させられる重厚な人間ドラマとなっていた。実際の事件が、そして本作が辿る実にやるせない展開は、ジェイソン・ステイサム主演の『ブリッツ』(同監督、2011)で『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)のオマージュを見事にしてみせたレスター監督らしく、イーストウッド映画的な無常観を観る者に刻印するだろう。


     ○


◆とあるきっかけでサマラの呪いのビデオのデジタル・コピーを見てしまったジュリアが、恋人とともにその謎に挑むハリウッド・リメイク版シリーズ久々の第3作ザ・リング/リバース』(F・ハビエル・グティエレス監督、2017)は、日本での公開規模や世評、ソフトに日本語吹替えが入っていないことなどからもお察しの──邪険にするほどつまらなくもないのだが──出来ではある。ヒロインのジュリアは過度に状況に適応しすぎだし、そもそもサマラが画面内に登場しすぎるせいで“会いに行ける怨霊”になっているしで、正直あまり怖くないのだ。

ただ一方で、近年明るみに出つつある聖職者による児童の性的虐待を軸に置いた問題提起など、買うべき部分もある。また第1作はヤコブの梯子、第2作は洗礼、そして本作はヨハネの黙示録と、やはり徹底的にキリスト教圏的なアレンジが加わっており、リメイク版シリーズとオリジナル版シリーズとを並べることで、比較文学のテクストとして有用な作品でもあるだろう。


     ※

*1:実際の発音的には“アポッスル”のほうが近いような気もするけれど、なっちゃん訳だし仕方ないのかしらん。

*2:そして、阿部海太郎の手によるの劇伴はとても素敵だ。時おり、的確にエンニオ・モリコーネジョージ・マーティンらの楽曲をに思わせる味付けもグッとくる。

*3:冒頭に描かれるスコットの軟禁生活a.k.a.ほぼプー太郎生活が超楽しそうでね(しみじみ)。それを見たピム博士が思わず「中2かよ!」と突っ込むシーンとか最高だった。

*4:同様の立ち位置としては、『くまのプーさん』(スティーブン・アンダーソン、ドン・ホール監督、2011)がある。

*5:すなわち、本作はあくまでディズニー・アニメ版の続編であって、作者のミルンや実在のクリストファー・ロビンのその後とはいっさい関係ない

“はてなダイアリー”から移行しました

近く訪れる“はてなダイアリー”のサービス終了*1に伴い、拙ブログ「つらつら津々浦々」をこの“はてなブログ”に移行しました。

これまで前ダイアリー使用時に投稿した記事は、すべてこちらの新ブログにてお読みいただけます。

前ダイアリーの9年間に渡るご愛顧に厚く御礼申し上げるとともに、今後ともお楽しみいただければ幸いです。


「つらつら津々浦々」新URL: https://masakitsu.hatenablog.com/


※なお、ダイアリー時のリンク/ブックマークは、新ページに直接飛ぶように設定されています。

2018 4-6月感想(短)まとめ

ちょこまかとtwitterにて書いていた2018年4月から6月にかけての備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆1971年、米国の対ベトナム政策を決定的に左右したスクープを巡るワシントン・ポスト紙の攻防を、初の女性社主となったキャサリン・グラハムが直面する同紙の経営問題も絡めつつ描くペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書スティーヴン・スピルバーグ監督、2017)は、単なる実録ドラマに留まらない、現代にも──というか、まさに今日の現実問題に──通ずるテーマを内包した見事な傑作。

メリル・ストリープトム・ハンクスらの繊細な演技、構図や影の濃淡ひとつで状況や感情の機微を切り取るヤヌス・カミンスキーの美しい撮影とリック・カーターの美術セット、かつて自身の健康問題からトーマス・ニューマンが代打した『ブリッジ・オブ・スパイ』(同監督、2015)の音楽性をも取り込んで進化するジョン・ウィリアムズの楽曲などが、見事なアンサンブルを奏でている。企画立案からわずか9ヶ月で本作を完成させたスピルバーグの天才性に驚愕するとともに、なぜ彼がここまで急いだのか、その理由をぜひとも考えてみたい。我々はいつまで「古い時代」に居続けるつもりなのだろうか。まったくもって他人事ではない。


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◆300年に1度、曇天が空を覆うとき復活するとされる伝説のオロチに挑む曇(くもう)兄弟らの闘いを描く曇天に笑う本広克行監督、2018)は冒頭、長回しで映される祭りのファースト・ショットから、画面の太鼓と劇伴のBPMがズレているという気合いの入った導入に驚かされる*1。以降も明らかに脚本と、それ以上に演出の練り不足が目立つ。

曇天の期間が判らないためにオロチがいつ復活するのかといったサスペンスが当然のように成り立っていないのは堂に入ったもので、それどころかギャグも感動も同様にちんちくりんな失笑しか──否、すら──生まず、見せ場のアクション・シーンすらとにかく退屈で、そもそも編集が不恰好極まる事態が平気で頻発する。いや、ずっとそれである。

というのも、本作は必要なシーンどころか必要なショットが決定的に欠けているからだ。本作にはショットが足らなさ過ぎて、切り返しという編集の基本概念すら存在が怪しい。基本的に、ただ半端な構図でダラダラ回してテキトーに繋いだだけであるから1ショットが異様に長いゆえに、キメ画もキメ画たりえていない。ことほど左様に、どんなに集中しても映画の世界に入り込めないず、すがすがしいほどツマラナイ。殺意すら沸く。

本作には無闇やたらとヴァリエーションに富んだ予告編や番宣が用意されていたが、劇場に客を呼んだもん勝ち的な体制は、いいかげん見直していただきたいものだ*2。無論それも大事だが、そればかりではいけない。唯一の救いは、サカナクションによる主題化『陽炎』が、なんとなくゴダイゴがテクノプップやった感があって愉快だったのと、上映時間が短かったことくらいだよ!*3 


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ボードゲームからTVゲームに進化した“ジュマンジ”に吸い込まれた高校生たちが、性格も体格もまったく違う姿となって挑む冒険を描くジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングルジェイク・カスダン監督、2017)は、童貞オタク男子高校生のキョドリ演技を嬉々として披露するドウェイン・ジョンソンを筆頭に、自撮り命の女子高生を演じるジャック・ブラックなど、俳優人のいままで目にすることなかった演技合戦がとにかく楽しい。4人それぞれが心身ともに逆のプレイアブル・キャラクターとなったことで吐露される真のアイデンティティに触れることによって変化・成長する彼/彼女らの姿は感動的だ。

また本作は、主人公たちが挑む冒険を彩るアクション・シーンの構築と見せ方がとてもしっかりしている。TVゲームのなかという設定どおり縦横無尽に展開されるアクションながら、非常に安定したカメラ・ワークと編集によって、近年のハリウッド大作のなかでも抜きん出て見やすいので、安心して映画の世界にのめり込めるだろう。また、本作の日本語吹替え版の出来も、翻訳から演出まで実に素晴らしい完成度だったことを付け加えたい。とても楽しく面白く、ちょっと感動できる本作は、必見の“久々の”続編だ。


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◆思春期の姿のまま永遠の生命を生きる種族“イオルフ”の少女マキアが、大国の侵略によって故郷を追われた先で偶然に拾った、母を亡くした人間の赤ん坊を育ててゆく姿を描いたファンタジー長編アニメーションさよならの朝に約束の花をかざろう岡田麿里監督、2018)は、生命感溢れる精緻な作画、実在感のあるプロダクション・デザインと背景美術の数々は素晴らしく、達者な演者たちによるパフォーマンスと川井憲次による音楽はその画に情感を添え、シーンごとでの演出力はたしかにたいへん高く、見応えがある。

しかし本作は、圧倒的に尺が足りていない。それはラスト・シーンに集約されているだろう──「その思い出を、僕ら観客は共有してないよ」、と。本作のやりたいことはわかるし、その力量はたしかにあるが、いかんせん映画という時間的制約の範疇に収まりきる物語量ではない。だから見せ場だけが足早に過ぎ去り、本来なら画とアクションでみせるべき感情表現が安直な台詞に落とし込まれてしまう。TVシリーズ1クールなりかけて丁寧に物語を紡げていれば、より感動も大きかっただろう。だが、これだけの規模のものが劇場公開という枠組みでなく成立するのかどうか、素人目にはむつかしいところでもあり、なんというか非常にもったいない作品だった。


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  《1ヵ月半ほど入院》

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◆今年1番楽しみにしていたにも関わらず、入院のためずっと劇場に行けず、滑り込みでようやっと観たレディ・プレイヤー1スティーヴン・スピルバーグ監督、2018)が、期待をはるかに超えて面白くて楽しくて、観ているあいだ、ずっと鼻血を吹きそうだった。

未来世界のメガ・ストラクチャー描写や、前半に描かれるデロリアンと金田バイクたちのレースをはじめとした、目のくらみそうな画面の情報量にも関わらず、この観易さたるや! 5年ぶりくらいに3D上映を観たけれど、まったくストレスなく観ることができた。映像や演出もさすがのスピルバーグ印なら、映画やサブカルに対する劇中での落とし前のつけ方も素晴らしい。本作の原作小説が憬れ、また、ここ10年来作られてきた数々のサブカル・リスペクト映画がオマージュやパロディを捧げ続けてきた'80-'90年代──そしていまもなお──カルチャーの最前線を走ってきたスピルバーグだからこそ、彼の作品を観て育った──彼が育ててくれた──僕たちへの温かく優しいメッセージだと受け取りたい。とにもかくにも、本作について現時点で言えるのは、ただ「ありがとう、スピルバーグ、ありがとう」ということだけだ。


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◆のどかな湖水地方を舞台に人間とウサギたちが骨肉の争いを繰り広げる、ビクトリアス・ポター原作の実写映画化ピーターラビットウィル・グラック監督、2018)は、最初に公開された特報の雰囲気など微塵もない、ブラックでバイオレントな笑いを畳みかけてくる快作/怪作。

ピーターたちや、彼らを邪険にする新しいお隣さんのトーマスが互いに容赦なく殺し合う様子を、スピード感あふれるアクション演出を用いて不謹慎が過ぎるくらいにコメディ──しつこな天丼ギャグが効果的──として撮っているため、観ているこちらにも知性と理性を要求するパイソンズ的な毒っ気の効いた1本だ。それにしても、ニワトリのJWルースター2世の日本語吹替え版(演・千葉繁)はズルイよ!


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◆悪徳企業の陰謀によって巨大化・凶暴化した動物たちと、元特殊部隊隊員の動物学者ドウェイン・ジョンソンが骨肉の争いを繰り広げるランペイジ 巨獣大乱闘ブラッド・ペイトン監督、2018)は、キラー・ショット満載の楽しい楽しい怪獣映画だった。巨大なアルビノのゴリラ“ジョージ”とガチンコで対峙するドウェイン・ジョンソンという画だけで100点の作品だが、邦題のサブタイトルに恥じない巨獣たちの暴れっぷりは実に爽快。

彼らの活躍を盛り上げる、あくまでもシンプルなシナリオはテンポがいいし、大都市シカゴを舞台としたクライマックスでのアクションと破壊描写は、バリエーションに富みながら整理整頓されて構築されているので、とても観易い。ジョージをはじめ、巨獣たちのデザインから、本作は“キングコングの息子対バラン対アンギラスドウェイン・ジョンソン”でもあり、そういう意味でも眼福な作品だった。欲をいえば、冒頭のプロローグがやや冗長かな。


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◆2万年後の地球を蹂躙する超巨大怪獣ゴジラと人類とが骨肉の争いを繰り広げる長編アニメ・シリーズ第2部GODZILLA 決戦機動増殖都市静野孔文瀬下寛之監督、2018)は、虚淵玄らによる新怪獣の意外な設定や物語大筋そのものは、こういう解釈や展開もありと思うし、重低音の効いた熱戦や銃撃、初代ゴジラの断末魔をブラッシュアップしたサウンド・エフェクトなどは、かなり聴きごたえがあった。

しかし本作は前作同様、いくらなんでも演出が稚拙すぎる。相変わらず人気声優によるキメ台詞的なものに頼りすぎではないか。それぞれのシーンごとに膨大で説明的な台詞量が用意されるばかりか、本作は前半1時間、同じ台詞内容を直後のシーンで延々オウム返しすることを繰り返す。これでは展開のテンポを悪くする一方だ。

くわえて、その台詞のやりとりとシーンの繋がりに一貫性がないので、さらにモタついた印象を受ける。たとえば、劇中でパワードスーツを改良する際、「すべて機械化するから、操縦者の搭乗を考慮する必要はない」という内容の台詞の直後に、その改良型機を有人で試験運転させてしまう。一応、それから30分ほど経ったクライマックスにおいて台詞内容は回収されるが、これは単に都合の悪いことを都合よく割愛しただけであって、伏線とは呼べない──本作のサスペンスは基本的にこういった後出しジャンケンである──のではないか。だいたい、前作をふくめてなんの脈絡もなかった主人公とヒロインとの2回に渡るラブ・シーンや、肉食植物的なヤツのシーンなど、どう考えても1シーンにまとめられたものを意味もなく分割し過ぎである。話下手か!

それと同様に、空間の見せ方がデタラメ過ぎて、どこに誰がいて、なにがあって、どれくらいの大きさなのかといったことが非常に判りづらい。したがって、せっかくの見せ場であるクライマックスにおいてさえ“ゴジラ・アース”や“機動増殖都市”がどれだけ巨大で広大なのか──台詞ではひたすら「デカイ広いスゴイ」とおだてあげられるが──実感もわかず、アクションも乗り切れない。そして、やはりそこにいるはずなのにいては都合の悪い“その他大勢”の人たちは、都合よく画面から消えるばかりである。

ことほど左様に本作は前作同様、非常に鈍重な作品となった。いっそ40分くらいのほが、まだよい。残念。最終部である次回作において完成度的な巻き返しがあるのかどうか、今冬を期待して待ちたい。


     ○


◆6つ集めれば世界を思いのままにできるといわれる“インフィニティ・ストーン”を求めて地球を狙う最強の敵サノスとアベンジャーズとの闘いを描いたアベンジャーズ/インフィニティ・ウォーアンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督、2018)は、MCUシリーズのうち何本かを未見のまま鑑賞した身であっても、キャプテン・アメリカをはじめ何人ものヒーローたちに過たず見せ場を与えつつ適確にストーリーを進め、かつルッソ兄弟演出の真骨頂ともいうべきソリッドな、しかし整理されて非常に観易いアクション演出、そして神の道を歩まんとする悪役サノスのキャラクター性の新鮮さ、そして予想だにしなかったラストの展開など、非常に見応えがあった。欲をいえば、ちょっと各ヒーロー同士のジャレ合い(ユーモア)シーンに尺を取りすぎな点と、も少し一般の人々が世界の危機に翻弄されるさまを描いたほうがよかったのではないかしら。それにしても、今後どのようにMCUを展開してゆくのかが俄然楽しみになる1作だった。


     ○


◆みんな大好き俺ちゃん映画の続編デッドプール2デヴィッド・リーチ監督、2018)は、見応えのあるアクションと、露悪に自虐からパロディまで、これでもかと小ネタに小ネタを──もはやハッキリいって冗長ではないかというくらい──パンパンに詰め込んでおきながら、それでもなお、いま現在あり得べき正義のヒーロー譚として昇華してしまっている最高の続編となっていた。

それにしても、冒頭のツカミとモノローグに始まって、感涙のクライマックスに劇伴までシレッと流用するなんて、デップーどんだけ『LOGAN/ローガン』(ジェームズ・マンゴールド監督、2017)好きなんだよ! 俺も大好きだけどな!


     ※


【ソフト】
◆自らの孤独とセクシャリティに悩みながら、居場所とアイデンティティを求め続けるシャロンの姿を描く『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス監督、2016)は、彼の魂の彷徨を映す映像が本当に美しい。撮影後のデジタル処理によって、さりげなく、しかし徹底的に調整された画面の色彩は、本作のドラマをよりいっそう詩的で、情緒溢れるものにしている。本作を構成する3章それぞれに別々のフィルムの感触を擬似再現していることからも、そのこだわりぶりが伺える。シャロンの内面にそっと触れるような音楽演出も見事な、傑作だった。


     ○


◆伝統ある百人一首の団体「皐月会」を巡る連続爆破殺人事件に挑む名探偵コナン から紅の恋歌静野孔文監督、2017)は、なるほど公開時twitterのTLが「せやかてせやかて」と盛り上がっていたのも頷ける服部平次遠山和葉の活躍ぶりと、開き直ったかのように爆発し続ける劇場版的展開が思う存分楽しめる。そのいっぽう、謎解きの要素──とくトリックの部分──がちょっと弱かったのが残念。あるいは、クライマックスの舞台となる“ある建物”の特性について、事前の検分シーンを挿入するなど、もうすこし丁寧な前振りがあれば、展開がよりサスペンスフルになったのではないかしらん。


     ○


◆ファッション・モデルとしてのし上がるヒロインを襲う業界の闇を描いたネオン・デーモンニコラス・ウィンディング・レフン監督、2016)は、思いがけず抽象性の高い御伽噺のようなホラー。レフン監督らしい彩度の強い映像美と、見た目だけが勝負のモデル業界よろしく画面の表層だけを汲み取るかのような演出──キャラクターの内面描写をメイクの変化だけで描いてみせたり、など──が独特の余韻を残す。


     ○


ジャッキー・チェン演じる刑事が麻薬王逮捕のために、詐欺師を相棒にユーラシア大陸を縦断する羽目になるスキップ・トレースレニー・ハーリン監督、2016)は、アクションをはじめとするジャッキーのパフォーマンスは楽しくて見事というほかないが、いわゆる観光映画的にねじ込まれたモンゴルと中国を縦断して香港に(基本)歩いて帰るという「水曜どうでしょう」ばりの脚本には無理がある。だって、いくらなんでもタイム・サスペンスとして成立してないんだもの! なんとも残念だ。


     ○


◆カナダの山岳地帯にある別荘に出かけたマットたち6人が遭遇する未知の恐怖を描いたPOVホラー『グレースフィールド・インシデント』(マチュー・ラザ監督、2017)は、登場人物の全員が清々しいほどバカばっかりなので、恐怖演出を頑張っているわりに緊張感に欠けるのが残念といおうか微笑ましいといおうか。けれど、事故で失った片目の義眼に超小型カメラを仕込んだ主人公という設定を活かしたシームレスなシーン転換の編集──観客の観ている映像(直前のシーンの末尾)、実は録画映像を主人公が“いま”観ている主観映像だったことが判る──など、ところどころは見所もある。まあ、まばたきが録画されていないのはご愛嬌か。それにしても、クリーチャー・デザインせよ物語のオチにせよ、妙に見覚えがあるなァと思っていたが、『リターナー』(山崎貴監督、2002)だ、コレ。


     ○


◆ソウル駅を中心にゾンビ災害が巻き起こる『ソウル・ステーション/パンデミックヨン・サンホ監督、2016)は、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(同監督、2016)へ続く前日譚的長編アニメーションで、同じくたいへん面白かったが、まったくの真逆ともいえる味わい。冒頭から幕切れにいたるまで、シビアで無惨で、なにより厭なイヤァな展開がこれでもかと繰り広げられる地獄のような本作は、人間や社会の持つダークサイドを徹底的にあぶりだしてみせる。


     ○


◆ネット・ミームとして広まった“スレンダーマン”を、あのダグ・ジョーンズが演じたPOVホラー『都市伝説: 長身の怪人』(ジェームズ・モラン監督、2015)は、洋画ホラーとしては意外にも静謐な恐ろしさに溢れた作品だ。ミームのもととなった加工画像がそうであるように、ちょっとした予兆を経たのち、画面の奥に、はたまたフレームの端に、ふいに映りこんでいるスレンダーマンの姿を見つけてしまったときは、なかなか怖い。いうなれば本作では、カメラを通してしか見えないという独自の設定を活かした、Jホラー的実録心霊動画スタイルが貫かれており、カメラのデジタル・ノイズを巧みに使った恐怖演出も効果的。日本初公開時のタイトルは『スレンダー 長身の怪人』。


     ○


◆タイトルどおりの内容であった『燃えよ! じじぃドラゴン 龍虎激闘』デレク・クォック、クレメント・チェン監督、2010)は、脚本がヘンテコ──主人公の青年への感情移入のできなさは異常──だとか、変なエフェクト入れなきゃいいのにとか、雑で微妙な部分もたしかに多い。けれど、知らず知らずのうちに出会っていた往年の顔ぶれと一同に再会できて懐かしい。ラスト・バトルはちょっと泣いた。


     ○


妖怪ハンターとして食うや食わずの旅路を行く三蔵法師たちの冒険を描いた西遊記2〜妖怪の逆襲〜ツイ・ハーク監督、2017)は、チャウ・シンチーツイ・ハークとが持つそれぞれの奇想天外さがいい具合にマッチングしており、ギャグもアクションも特撮もブッ飛んでいて面白い。スー・チー以外のメイン・キャストをまるっと変更して──孫悟空をホアン・ボーからケニー・リンへという似ても似つかないリ・キャスティングも逆に笑える──も、それなりに成立してしまうのは、題材の持つ強固さか。それにしても、前作に続いて日本語吹替え版の出来のいいこと!


     ※


【ソフト(TVドラマ)】
テレビ東京旧社屋に残された大量の未確認素材をチェックする部署に配属されたAD常田大陸らが見舞われる怪奇現象を描いた深夜テレビドラマ『デッドストック〜未知への挑戦〜(全11話)』(権野元、三宅隆太、森達也監督、2017)は、毎話冒頭に挿入される“いわくつきの恐怖映像”を、かつてのVHS時代の映像的質感で再現することをアリにした物語的仕掛けがまず面白い。そしてなにより、その揺らめき濁った映像と、その後に展開されるHD映像によるホラー演出が怖い、でも怖すぎない、だがしかし怖い絶妙な按配でグイグイ引き込んでくれる。深夜、なにも知らずにチャンネルをまわして本作に当たったら、よほど思い出深い出来事になったろう。基本的に1話(30分)完結形式でとっつきやすいうえ、全体を貫くクリフハンガーもあって一気に観てしまった。


     ※

*1:この、空撮からの逃走犯の背後を追尾する長い長いショットの最初に映る橋の中央に、よく観ると曇天下の後ろ姿が小さく映っている。おそらく作り手としては、やがて追走劇のすったもんだののちに、待ち構えていたかのような天下に犯人が御用となることの伏線のつもり──実際、この追走シーンはそういった顛末を辿る──なのだろう。しかし、天下が祭りを楽しんでいるようで実は周囲の気配を機敏に察しているかのようなショットがその後カットバックされるでもなく、位置関係もへったくれもなく適当な祭りの群集が挿入されるだけで唐突に天下が登場するので、そのようには作用していない。いや、多分『007 スペクター』(サム・メンデス監督、2015)の冒頭的なことをやりたかったんだろうけどさ、こっちはちゃんとバンドと劇伴のBPMをきちんとマッチさせるところからちゃんとやってるからね!

*2:アメリカのトーク・ショーを思わせる白人女性と黒人男性の軽妙な──つもりらしい──やりとりによって映画を宣伝するシリーズがあったが、これを面白いと思っている作り手たちの感性とか品性とか正気を疑いたくなるほど、ゲッソリするほどクソつまらない。この手の予告編を半年近く継続して見せられた挙句にこの本編であって、実際に心身に支障をきたすほどの健康被害を被った。

*3:【初出の暗号ツイート全文】300年に1度、寒天が食卓を覆うとき醗酵するとされる伝説のモロミに挑む相撲協会らの闘いを描く『寒天に習う』(マイケル・ベイ監督、2018)は冒頭、長回しで映される舞踏会のファースト・ショットから、画面のタンゴと劇判のBPMがズレているという気合いの入った導入に驚かされる。以降も明らかに脚本と、それ以上に演出の練り不足が目立つ。というのも、本作は必要なシーンどころか必要なショットが決定的に欠けている。寒天の賞味期限が判らないためにモロミがいつ醗酵するのかといったサスペンスも成り立たず、ギャグも感動も同様に失笑しか生まず、見せ場のアクション・シーンすらとにかく退屈で、そもそも編集が不恰好極まる。ことほど左様に、どんなに集中しても映画の世界に入り込めないのである。本作において、無闇やたらとヴァリエーションに富んだ予告編や番宣が用意されていたが、劇場に客を呼んだもん勝ち的な体制は、いいかげん見直していただきたいものだ。唯一の救いは、上映時間が短かったことくらいだよ! 【以上、暗号ツイート終わり】

2018 1-3月感想(短)まとめ

ちょこまかとtwitterにて書いていた2018年1月から3月の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆奇抜なアイディアとケレン味、そして行き過ぎたユーモアに溢れるアクションを前作から十二分に引き継いだキングスマン: ゴールデン・サークル』(マシュー・ヴォーン監督、2017)は、しかし一方で展開をあれもこれもと盛り込みすぎの嫌いがあって、いささか感情のやり場に困った作品であった。


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◆劇場公開“も”するOVAガールズ&パンツァー 最終章 第1話』水島努監督、2017)は、そのメディアの性質上「えっ、そこで終わるの?」という物足りなさはあるが、それなりにいいぞ……てな印象。戦車ばかりでなく、キャラのアクションも豊富で楽しい。そうとも、戦車の砲弾とは、よけるものなのだ。


     ○


スティーヴン・キングによる大長編小説の映画化ダークタワーニコライ・アーセル監督、2017)は、小説の壮大さにはもちろん欠けるが、精緻に描かれた画面とケレンのあるアクション・シーン、95分の尺にテンポ良くまとまった構成など、SFアクションというジャンルものとして十二分の出来映えだ。


     ○


◆近未来、気象の完全掌握を可能にした衛星システムが、謎の暴走にみまわれて世界が大変なことになる超ディザスター映画ジオストームディーン・デヴリン監督、2017)の良かった点は、上映時間が2時間以内であることと、都市破壊シーンが夜間でも適度に明るくて観やすかったことの2点、以上です。


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◆紳士なフレンズ、もといクマが活躍するパディントン2ポール・キング監督、2017)は、絶妙な存在感のパディントンが魅せるスラップスティックさに抱腹絶倒しながらも心温まる見事なコメディ。往年のチャップリンキートンへのオマージュにくわえ、ウェス・アンダーソンからの影響も興味深い。


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◆鳩と二挺拳銃のマエストロ翁が一大日本ロケを敢行したマンハントジョン・ウー監督、2018)は、なんていうか、変わらねえなあこの爺さんはというか、遅れてきた’90年代アクション映画というか、絶妙にたまらんものがあるですな。


     ○


◆唐の都・長安を舞台に、若き空海と詩人・白楽天が妖猫の呪いの謎に挑む夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』の映画化空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』チェン・カイコー監督、2017)は、絢爛な巨大セットが持つ力み加減と、あいだの演出における絶妙な緩み加減の按配が、どこか’80年代角川超大作を思い出す感触。角川映画らしいといえばらしい。


     ○


◆タリス銃乱射事件(2015)を映画化した15時17分、パリ行きクリント・イーストウッド監督、2018)の、けっして“劇映画”向きとはいい難い実話ベースの脚本──しかも本人ら主演──を、たしかに不思議な感触だが、かくもソリッドにまとめ上げてしまうイーストウッドの手腕の凄まじさよ! 感嘆。



◆音楽を憎む一家のなかでただひとり音楽を愛する少年が黄泉の国を彷徨うリメンバー・ミー(リー・アンクリッチ、エイドリアン・モリーナ監督、2017)は、スリリングで面白く、黄泉の国を彩るなんとも知れぬ総天然色が美しく、そして本当にいい映画だった。邦題が原題を超えた久々の例ともなった。


     ○


◆謎多きアフリカの小国“ワカンダ”の国王が活躍するMCU作品ブラックパンサーライアン・クーグラー監督、2018)は、アフロ・フューチャリズムを徹底的に具現化した意匠や美術が美しく新鮮。また、思いのほか暴力描写が容赦ないところもよかった。主人公たちのルーツを巡る旅路と葛藤が胸を打つ。


     ○


◆人気ゲーム・シリーズの実写リブート版トゥームレイダー ファースト・ミッションローアル・ユートハウグ監督、2018)は、アクションの見せ方や謎解きの面など惜しいところ──それがどうしてそうなったのか、その仕掛けがどうして解けたのか、のロジックと段取りがあまりに乏しい!──がそこかしこにあるし、画面がもうちょっと明るければなと思う部分もあるけど、 トレーニングによって肉体改造を経たアリシア・ヴィキャンデルの熱演と、敵味方が怪我を負いながらジタバタ戦うという割と泥臭いアクション演出の感じもあって、かなり「好き!」な作品だった。3作くらいは、ぜひ続けてほしい。原作ゲーム(2013年のリブート作)でララ・クロフトを演じた甲斐田裕子を登用した日本語吹替版もイイ出来。


     ○


◆サーカスの創始者P.T.バーナムの半生を描くミュージカルグレイテスト・ショーマンマイケル・グレイシー監督、2017)は、古色蒼然たる総天然色と意匠による往年の黄金期ミュージカル映画的な画面の手触りと、今日ならではのビートやテーマ性とが融合した、ジャンルを刷新する意欲作だった。


     ※


【ソフト】
◆恥ずかしながら、続編の存在すら知らなかったクリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』オリヴィエ・ダアン監督、2004)は、たしかにリュック・ベッソンによるオリジナル脚本には細かいツッコミが多々あるが、しかし演出がかなり巧みで最後まで楽しく観られるオツな1本だった。


     ○


◆かつて悔恨を残した遺跡に再び挑む羽目になったトレジャー・ハンターたちの冒険を描く『ロスト・レジェンド 失われた棺の謎』(ウー・アールシャン監督、2015)は、実に“ちょうどイイ”按配。少年時代に木曜洋画劇場とかで偶然観たらドハマリしそうな感じって伝わりますかね。近頃流行のI-MAX撮影のシーンのみ縦横比が変わるのを、シネマ・スコープとアメリカン・ビスタを使いわけて廉価に再現しているのが泣ける。吹替えも贅沢なつくり。


     ○


◆全篇主人公主観のアクションSF『ハードコア』イリヤ・ナイシュラー監督、2015)は、主観カメラのみで進行する映画ながら、豊富なアクションのアイディアと見せ方の工夫、劇中の設定を用いた自然な編集も相まって、かなり観易く面白い。ただし作品の性質上、僕含め弱い人は酔うので休み休み観よう。


     ○


◆清掃局と思われたバイト先が実はキョンシー退治の専門業者だった霊幻道士/こちらキョンシー退治局』(ヤン・パクウィン、チウ・シンハン監督、2016)は、キョンシーものに『ゴーストバスターズ』と『ベスト・キッド』、そしてなにより『ヒックとドラゴン』を見事にブレンドし、スマホの使い方など、そこかしこに新鮮なアイディアを盛り込んだなかなかの一品だ。いやほんと、翻案のお手本みたいな映画だった。見事なり。


     ○


◆本当は劇場で観たかった三島由紀夫原作の『美しい星』(吉田大八監督、2017)を遅ればせながら観た。ハッキリ言って、たしかに本作はパッと見トンデモ映画に属することは間違いないかもしれないが、しかし、本作もまたこれまでの吉田監督作同様に、客観的には常軌を逸したようにも思える虚構にすがることが、当人のささやかな、しかし切実な救いになることを複眼的にまざまざと見せ付けられるような作品だった。上映開始40分を境に激変する本編のテンションや編集、音楽使いなど、面白くって胸をグサグサ突かれるところ目白押しで最高だ。本当に吉田監督の映画は観るのに体力が要るなあ。


     ○


◆死亡事故が起きた演劇の再演前夜に巻き起こる恐怖をPOVで描いた『死霊高校』(クリス・ロフィング、トラヴィス・クラフ監督、2015)は、米本国では低評価らしいが、これがなかなか面白い。件の演劇を巡る因縁が呼び込む物語的円環構造、静かに忍び寄る死霊など洋画ホラーとしては地味、だがそこがいい。


     ○


◆爆発が過剰なシリーズの第5作トランスフォーマー/最後の騎士王マイケル・ベイ監督、2017)は、実写とCG入り乱れる目を見張るような画の情報量にくわえて脚本があまりに支離滅裂なので、ついていくだけでも疲労困ぱい。なにを思って3種の縦横比をショットごとに混在させたのかも、謎を残す。


     ○


◆人気海賊シリーズ第5作パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊(ヨアヒム・ローニング、エスペン・サンドベリ監督、2017)は、まずまず面白いが、アクションの見せ方が絶妙に下手で、痒いところに手が届かないもどかしさ。やっぱり、ヴァービンスキー(1〜3監督)はアクション演出が巧いね。


     ○


◆宇宙ステーション版“ニューヨーク1997”映画ロックアウト(スティーヴン・セイント・レジャー、ジェームズ・マザー監督、2012)は、良くも悪くもヨーロッパ・コープ製らしい雑多な面白さとユルさの混在している作品だが、本作はとにかく日本語吹替え版の出来が最高なので、一聴の価値あり。


     ○


◆モスクワ郊外に巨大宇宙船が墜落する『アトラクション 制圧』(フョードル・ボンダルチュク監督、2017)は、ID4かと思いきやスターマンでトワイライトで、ちょい第9地区という、なんともヘンテコな作品だった。ただ、冒頭の宇宙船墜落シーンと、それによって半廃墟と化す街の美術は見事な出来栄え。


     ○


◆江戸時代、師の行方を辿り日本に潜入した宣教師が、増勢する切支丹弾圧の現実に“転ぶ”までを描く遠藤周作の小説の映画化沈黙 -サイレンス-マーティン・スコセッシ監督、2016)は、素っ気ないほどの演出のなかに発露する暴力の空気が恐ろしく、ある種の潜入捜査モノとしてもソリッドで面白い。


     ○


◆張込捜査のために痴呆気味の老婆の部屋を間借りした刑事コンビのもとに、家出少女が転がり込む『OVER SUMMER 爆裂刑事』(ウィルソン・イップ監督、1999)は、やがて擬似家族となる4人をほがらかに映す人情喜劇の側面が味わい深い。後半、映画史上でもトップクラスに緊張感溢れる晩飯シーンは必見。


     ※


【TVアニメ】
◆すっごーいと評判だったTVアニメけものフレンズたつき監督、2017)をようやっと観た。ほんわかとしたキャラクターデザインや「狩りごっこ」という台詞が示すように、基本的にはお遊戯のようなユルさで進むにも関わらず、展開や画面のそこかしこに絶対的な虚無や死の香りがにおい立っていて、観ていると、楽しさのなかになんとも知れぬ不穏な感覚が立ち上ってくる。本作について「実質、飛浩隆『グラン・ヴァカンス』(早川書房、2002)のアニメ化ともいえまいか」という声を伝え聞いていたけれど、それも納得だ。正直、こんなに夢中になって観られるとは思ってもみなかった。たいへん面白かったです。


     ○


◆先日読んだ原作漫画(コトヤマ小学館、2014-)が面白かったので、TVアニメ第1期『だがしかし』高柳滋仁監督、2016)を観た。原作の精緻な作画を継承しつつ、1話8頁という作話を丹念に解きほぐし再構成した見応えのあるアニメ化だった。ただ、原理的に終われないのは、昨今のアニメ事情的にやむなしか。

2017年映画ランキング(映画館鑑賞作品) + 鑑賞作品リスト

すっかり開店休業状態なので恐縮ですが、今年僕が映画館で観た映画(39本)を備忘録としてゆるやかなランキング形式──“○”で区切られたなかは、ほぼ順不同くらいの気持ち──で並べております。なお、地方在住者であることに加えて、筆者の偏食具合から、かなり偏った作品リストになっていることをご容赦ください。それでは皆様、"Have yourself a merry little Christmas"

※気まぐれになんらかのコメントを書いた作品は、タイトルの後ろに記事へのリンクを貼っています。


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LOGAN/ローガンジェームズ・マンゴールド監督、2017)……記事参照
ブレードランナー 2049ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017)……記事参照
新感染 ファイナル・エクスプレスヨン・サンホ監督、2016)……記事参照



     ○



猿の惑星: 聖戦記』マット・リーヴス監督、2017)……記事参照
『エイリアン: コヴェナント』リドリー・スコット監督、2017)……記事参照
『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』新房昭之総監督、武内宣之監督、2017)……記事参照
スター・ウォーズ/最後のジェダイライアン・ジョンソン監督、2017)……記事参照
ダンケルククリストファー・ノーラン監督、2017)……記事参照


夜は短し歩けよ乙女湯浅政明監督、2017)……記事参照
IT/イット “それ”が見えたら、終わり。アンディ・ムスキエティ監督、2017)……記事参照
ラ・ラ・ランドデミアン・チャゼル監督、2016)……記事参照
『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド監督、2016)……記事参照
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス』ジェームズ・ガン監督、2017)



     ○



『フェリシーと夢のトウシューズ(エリック・サマー、エリック・ワリン監督、2016)
ハクソー・リッジメル・ギブソン監督、2016)
オリエント急行殺人事件ケネス・ブラナー監督、2017)……記事参照
ひるね姫〜知らないワタシの物語〜』神山健治監督、2017)……記事参照
ワンダーウーマンパティ・ジェンキンス監督、2017)


散歩する侵略者黒沢清監督、2017)
キングコング: 髑髏島の巨神』ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督、2017)……記事参照
『22年目の告白─私が殺人犯です─』入江悠監督、2017)
『ライフ』(ダニエル・エスピゾーサ監督、2017)
『DCスーパーヒーローズ vs 鷹の爪団』FROGMAN監督、2017)……記事参照



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ローガン・ラッキースティーブン・ソダーバーグ監督、2017)
『バリー・シール/アメリカをはめた男』ダグ・リーマン監督、2017)
『T2 トレインスポッティングダニー・ボイル監督、2017)……記事参照
ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたちティム・バートン監督、2016)
ワイルド・スピード ICE BREAK(F・ゲイリー・グレイ監督、2017)


アサシン クリードジャスティン・カーゼル監督、2016)……記事参照
ザ・コンサルタント(ギャビン・オコナー監督、2016)
ジャスティス・リーグザック・スナイダー監督、2017)
怪盗グルーのミニオン大脱走カイル・バルダピエール・コフィン監督、2017)……記事参照
『ゴースト・イン・ザ・シェル』ルパート・サンダース監督、2017)……記事参照



     ○



バイオハザード: ザ・ファイナル』ポール・W・S・アンダーソン監督、2016)……記事参照
キング・アーサーガイ・リッチー監督、2017)
バイオハザード: ヴェンデッタ(辻本貴則監督、2017)……記事参照
メアリと魔女の花米林宏昌、2017)
ザ・マミー/呪われた砂漠の王女アレックス・カーツマン監督、2017)


GODZILLA 怪獣惑星静野孔文瀬下寛之監督、2017)……記事参照



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【以上39作品】



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▼2017年鑑賞映画リスト

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【◎……劇場にて鑑賞】

◆『バイオハザード: ザ・ファイナル』(ポール・W・S・アンダーソン監督、2016)◎
◆『ソロモンの偽証/前篇・事件』(成島出監督、2015)
◆『ソロモンの偽証/後篇・裁判』(成島出監督、2015)
◆『ライズ・オブ・シードラゴン/謎の鉄の爪』(ツイ・ハーク監督、2014)
◆『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(ザック・スナイダー監督、2016)

◆『ミケランジェロ・プロジェクト』(ジョージ・クルーニー監督、2014)
◆『エンド・オブ・キングダム』(ババク・ナジャフィ監督、2016)
◆『劇場霊』(中田秀夫監督、2015)
◆『ミッドナイト・アフター』(フルーツ・チャン監督、2014)
◆『リリーのすべて』(トム・フーパー監督、2015)

10


◆『マギー』(ヘンリー・ホプソン監督、2015)
◆『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』(ツイ・ハーク監督、2010)
◆『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー監督、2016)◎
◆『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝/アイアン・モンキー』(ユエン・ウーピン監督、1993)
◆『地球に落ちて来た男』(ニコラス・ローグ監督、1976)

◆『PERSONA3 THE MOVIE ─#1 Spring of Birth─』(秋田谷典昭監督、2013)
◆『PERSONA3 THE MOVIE ─#2 Midsummer Knight's Dream─』(田口智久監督、2014)
◆『PERSONA3 THE MOVIE ─#3 Falling Down─』(元永慶太郎監督、2015)
◆『PERSONA3 THE MOVIE ─#4 Winter of Rebirth─』(田口智久監督、2016)
◆『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』(ジェームズ・ボビン監督、2016)

20


◆『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(ティム・バートン監督、2016)◎
◆『青春のマンハッタン』(ブライアン・デ・パルマ監督、1968)
◆『黒いチューリップ』(クリスチャン・ジャック監督、1964)
◆『ザ・ボーイ~人形少年の館~』(ウィリアム・ブレント・ベル監督、2016)
◆『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督、2016)◎

◆『死霊館』(ジェームズ・ワン監督、2013)
◆『死霊館 エンフィールド事件』(ジェームズ・ワン監督、2016)
◆『アナベル 死霊館の人形』(ジョン・R・レオネッティ監督、2014)
◆『処刑剣 14 BLADES』(ダニエル・リー監督、2010)
◆『アサシン クリード』(ジャスティン・カーゼル監督、2016)◎

30


◆『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールズ・エンド』(ゴア・ヴァービンスキー監督、2007)
◆『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』(ロブ・マーシャル監督、2011)
◆『ニューヨーク・ニューヨーク』(マーティン・スコセッシ監督、1977)
◆『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(ジョン・マルーフ監督、2014)
◆『アイアムアヒーロー』(佐藤信介監督、2016)

◆『クリーピー 偽りの隣人』(黒沢清監督、2016)
◆『メカニック: ワールドミッション』(デニス・ガンゼル監督、2016)
◆『ライト/オフ』(デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2016)
◆『アナザー』(ジョアン・スファール監督、2015)
◆『ビッグ・ガン』(ドゥッチオ・テッサリ監督、1972)

40


◆『ロスト・バケーション』(ジャウム・コレット=セラ監督、2016)
◆『三国志英傑伝 関羽(ソフト邦題: KAN-WOO/関羽 三国志英傑伝)』(フェリックス・チョンアラン・マック監督、2011)
◆『サクラメント 死の楽園』(タイ・ウェスト監督、2013)
◆『貞子vs伽椰子』(白石晃士監督、2016)
◆『エクス・マキナ』(アレックス・アーランド監督、2015)

◆『火の鳥 鳳凰篇』(りんたろう監督、1986)
◆『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(神山健治監督、2017)◎
◆『ジュピター』(ラナ&アンディ・ウォシャウスキー監督、2015)
◆『教授のおかしな妄想殺人』(ウディ・アレン監督、2016)
◆『キング・オブ・エジプト』(アレックス・プロヤス監督、2016)

50


◆『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース監督、2017)◎
◆『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅正明監督、2017)◎
◆『キングコング: 髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督、2017)◎
◆『コロニア』(フローリアン・ガレンベルガー監督、2016)
◆『スーサイド・スクワッド』(デヴィッド・エアー監督、2016)

◆『不思議惑星キン・ザ・ザ』(ゲオルギー・ダネリヤ監督、1986)
◆『リオの男』(フィリップ・ド・ブロカ監督、1964)
◆『ウォークラフト』(ダンカン・ジョーンズ監督、2016)
◆『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督、2017)◎
◆『ズーランダー NO.2』(ベン・スティラー監督、2016)

60


◆『名探偵コナン 純黒の悪夢』(静野孔文監督、2016)
◆『ダークスカイズ』(スコット・スチュワート監督、2013)
◆『ゴシカ』(マチュー・カソヴィッツ監督、2003)
◆『ターザン: REBORN』(デヴィッド・イェーツ監督、2016)
◆『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK ‐The Touring Years』(ロン・ハワード監督、2016)

◆『ワイルド・スピード ICE BREAK』(F・ゲイリー・グレイ監督、2017)◎
◆『ヘイル、シーザー!』(ジョエル&イーサン・コーエン監督、2016)
◆『マネーモンスター』(ジョディ・フォスター監督、2016)
◆『獣は月夜に夢を見る』(ヨナス・アレクサンダー・アーンビー監督、2014)
◆『完全なるチェックメイト』(エドワード・ズウィック監督、2014)

70


◆『ガルム・ウォーズ』(押井守監督、2014)
◆『マジカル・ガール』(カルロス・ベルムト監督、2014)
◆『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(マイケル・ベイ監督、2016)
◆『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス』(ジェームズ・ガン監督、2017)◎
◆『バイオハザード: ヴェンデッタ』(辻本貴則監督、2017)◎

◆『アングリーバード』(ファーガル・ライリー、クレイ・ケイティス監督、2016)
◆『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(ウェス・アンダーソン監督、2001)
◆『LOGAN/ローガン』(ジェームズ・マンゴールド監督、2017)◎
◆『殺人の告白』(チョン・ビョンギル監督、2012)
◆『殺人論文/次に私が殺される(テシス)』(アレハンドロ・アメナーバル監督、1995)

80


◆『帰ってきたヒトラー』(デヴィット・ヴェント監督、2015)
◆『キング・アーサー』(ガイ・リッチー監督、2017)◎
◆『マクロスプラス MOVIE EDITION』(河森正治総監督、渡辺信一郎監督、1995)
◆『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督、2016)◎
◆『ザ・ファーム 法律事務所』(シドニー・ルメット監督、1993)

◆『屍憶 SHIOKU』(リンゴ・シエ監督、2015)
◆『オリエント急行殺人事件』(シドニー・ルメット監督、1974)
◆『ある会社員』(イム・サンユン監督、2012)
◆『怪盗グルーの月泥棒 3D』(ピエール・コフィン、クリス・ルノー監督、2010)
◆『怪盗グルーのミニオン危機一発』(ピエール・コフィン、クリス・ルノー監督、2013)

90


◆『22年目の告白─私が殺人犯です─』(入江悠監督、2017)◎
◆『ミニオンズ』(ピエール・コフィンカイル・バルダ監督、2015)
◆『ライフ』(ダニエル・エスピゾーサ監督、2017)◎
◆『メアリと魔女の花』(米林宏昌、2017)◎
◆『ザ・ギフト』(ジョエル・エドガートン監督、2015)

◆『裸足の季節』(デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督、2015)
◆『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバデス監督、2016)
◆『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(アレックス・カーツマン監督、2017)◎
◆『トランスフォーマー/ロストエイジ』(マイケル・ベイ監督、2014)
◆『怪盗グルーのミニオン大脱走』(カイル・バルダピエール・コフィン監督、2017)◎

100


◆『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』(トム・ムーア監督、2014)
◆『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』(ジョン・M・チュウ監督、2016)
◆『シチズンフォー スノーデンの暴露』(ローラ・ポイトラス監督、2014)
◆『ターミナル・ベロシティ』(デラン・サラフィアン監督、1994)
◆『グッドナイト&グッドラック』(ジョージ・クルーニー監督、2005)

◆『ブレア・ウィッチ』(アダム・ヴィンガード監督、2016)
◆『白い家の少女』(ニコラス・ジェスネール監督、1976)
◆『フェリシーと夢のトウシューズ』(エリック・サマー、エリック・ワリン監督、2016)◎
◆『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(新房昭之総監督、武内宣之監督、2017)◎
◆『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』(アリエル・シュルマン、 ヘンリー・ジュースト監督、2016)

110


◆『ブルックリン』(ジョン・クローリー監督、2015)
◆『ワンダーウーマン』(パティ・ジェンキンス監督、2017)◎
◆『ひつじのショーン スペシャル いたずらラマがやってきた!』(ジェイ・グレイス監督、2015)
◆『トレジャーハンター・クミコ』(デビッド・ゼルナー監督、2014)
◆『新感染 ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督、2016)◎

◆『ジェーン』(ギャビン・オコナー監督、2016)
◆『高慢と偏見とゾンビ』(バー・スティアーズ監督、2016)
◆『ダンケルク』(クリストファー・ノーラン監督、2017)◎
◆『レッドタートル ある島の物語』(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、2016)
◆『エイリアン: コヴェナント』(リドリー・スコット監督、2017)◎

120


◆『モーガン プロトタイプL-9』(ルーク・スコット監督、2016)
◆『ブレードランナー ブラックアウト2022』(渡辺信一郎監督、2017)
◆『2039: ネクサス: ドーン』(ルーク・スコット監督、2017)
◆『2048: ノーウェア・トゥ・ラン』(ルーク・スコット監督、2017)
◆『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フークア監督、2016)

◆『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド監督、2016)◎
◆『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ監督、2015)
◆『神様メール』(ジャコ・ヴァン・ドルマル監督、2015)
◆『散歩する侵略者』(黒沢清監督、2017)◎
◆『猿の惑星: 聖戦記』(マット・リーヴス監督、2017)◎

130


◆『ヘッド・ショット』(ティモ・ジャヤント、キモ・スタンボエル監督、2016)
◆『トリプルX: 再起動』(D・J・カルーソー監督、2017)
◆『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』(ショーン・レヴィ監督、2014)
◆『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』(マイケル・アルメレイダ監督、2015)
◆『西遊記 孫悟空vs白骨夫人』(ソイ・チェン監督、2016)

◆『DCスーパーヒーローズ vs 鷹の爪団』(FROGMAN監督、2017)◎
◆『少女は悪魔を待ちわびて』(モ・ホンジン監督、2016)
◆『ドライブ・アングリー3D』(パトリック・ルシエ監督、2011)
◆『死刑台のエレベーター』(ルイ・マル監督、1958)
◆『ブレードランナー 2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017)◎

140


◆『ドラゴン×マッハ!』(ソイ・チェン監督、2015)
◆『SING/シング』(ガース・ジェニングス監督、2016)
◆『グレートウォール』(チャン・イーモウ監督、2016)
◆『イップ・マン 継承』(ウィルソン・イップ監督、2015)
◆『バリー・シール/アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン監督、2017)◎

◆『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017)
◆『おじいちゃんはデブゴン』(サモ・ハン・キンポー監督、2016)
◆『ローガン・ラッキー』(スティーブン・ソダーバーグ監督、2017)◎
◆『ジャスティス・リーグ』(ザック・スナイダー監督、2017)◎
◆『GODZILLA 怪獣惑星』(静野孔文瀬下寛之監督、2017)◎

150


◆『サスペクト 哀しき容疑者』(ウォン・シニョン監督、2013)
◆『TAICHI/太極 ゼロ』(スティーブン・フォン監督、2012)
◆『TAICHI/太極 ヒーロー』(スティーブン・フォン監督、2012)
◆『テスター・ルーム』(ジョン・プージェ監督、2014)
◆『バーフバリ 伝説誕生』(S・S・ラージャマウリ監督、2015)

◆『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック監督、2016)
◆『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(アンディ・ムスキエティ監督、2017)◎
◆『狼の血族』(ニール・ジョーダン監督、1984
◆『オリエント急行殺人事件』(ケネス・ブラナー監督、2017)◎
◆『哭声/コクソン』(ナ・ホン・ジン監督、2016)

160


◆『ハーバー・クライシス〈湾岸危機〉 Black&White Episode 1』(ツァイ・ユエシュン監督、2011)
◆『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(ライアン・ジョンソン監督、2017)◎
◆『ナイル殺人事件』(ジョン・ギラーイン監督、1978)
◆『ドクター・ストレンジ』(スコット・デリクソン監督、2016)
◆『その女諜報員 アレックス』(スティーブン・カンパネッリ監督、2015)

◆『レイルロード・タイガー』(ディン・シェン監督、2016)

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