2013年鑑賞映画作品/21-30 感想リスト

『ヤング・ゼネレーション』……ピーター・イェーツ監督。高校を卒業したものの、就職も進学も決めかねている男子4人組の日々、そして自転車レースでの成長をユーモラスに描く。いわば、成長できなかった『スタンド・バイ・ミー』の4人組をみているような感覚だ。4人組のなかでとくに気になったのが、背高のっぽのシリル。主人公をはじめとしたほかの3人には、自転車レースでの勝利、家族との和解、恋人との結婚といった明確な成長の「お墨付き」があるのだけれど、シリルにはそれがない。おそらく、彼こそがモラトリアムという今を信じ、孤独を恐れていたのだろう。優勝の歓声と人ごみに揉みくちゃにされながら、ひとり孤独そうな視線を仲間に向ける彼が忘れられない。

『刑事ニコ/法の死角』……アンドリュー・デイヴィス監督。スティーブン・セガールのデビュー作。いわゆる「沈黙」な感じはせず、スタローンだとかシュワちゃんだとかが演じていそうなガテン系刑事を楽しそうに演じている。いわゆるセガールの顔見せシーンが長かったりで、若干脚本にアラが見え隠れするけれども、楽しく見られた。映画本編ではやっぱりセガールの日本語が一番うまいね、さすが!

『1969』……アーネスト・トンプソン監督、キーファー・サザーランド、ロバート・ダウニーJr.主演の青春ドラマ。サザーランドは見るたびに体系が変わる不思議な役者だなぁと常々思っているが、今回もまたしかり。ベトナム戦争に端を発する鬱屈感を主演ふたりのだめな青春と重ね合わせて見せる手法は、平凡だが面白かった(ダウニーJr.のキレッぷりが最高)。ただ、最後がどうも演説映画になってしまったのが残念だった。

『血を吸うカメラ』……マイケル・パウエル監督。窃視症を持つ青年が、カメラを回しながら殺人をおこなう様子を描く。そのいっぽうで、彼の覗き見殺人は、彼が自身のトラウマを解消しようとする行為にも見え、その倒錯性が不思議な味わいと悲劇性を醸している。モンスター映画では、モンスターの主観映像を用いることで観客にある種の共犯性を感じさせるが、今作でも殺人時の主観映像──時代が時代ゆえに、「追いつめる」ところまでではあるが、それでも公開当時(1960年)はセンセーショナルだったという──が用いられ、なおかつそれがカメラ=映画(まさに我々がいま観ているもの)からの主観であるために、なんともいえぬ気持ち悪さがある。

『七瀬ふたたび』……小中和哉監督。原作小説との差異については、方々で語られているのでここでは省略(言いたいことはいろいろあるけどね)。ただ、やはりネックとなったのは、どう七瀬というキャラクターを描くかということだろう。原作小説でも映画版でも、他人の心を読むという七瀬の能力ゆえにサスペンスが発生する物語ではあるが、映画ではこの設定に実は足をすくわれているのではないか。というのも、映画版では原作にある七瀬(の思考)に関する説明が描かれないために、七瀬以外のキャラクターのことはよくわかるのだけれども、肝心のヒロイン七瀬のことに関してはよくわからないという不思議な倒錯構造を、本作は内包してしまっている(七瀬主観によるテレパス描写自体は、音声、映像、文字を組み合わせて作られていて、よく出来ていた)。そして、この倒錯をなんとかしようとしたためか、この映画は説明台詞による応酬が多くて、まったく映画が動かない。クライマックスくらいは、七瀬に森を走ってもらいたかったのだけど、そういうわけでもなく残念。いっそのこと、あえて登場人物(能力者)の数を減らしたり、原作小説の物語をもっと根本的に解体・再構築したほうが、映画としては盛り上がったのではないだろうか。*1

時をかける少女(2010)』……谷口正晃監督、仲里依紗主演。僕はこれまでに“時かけ”は、筒井康隆の原作および細田守版を消費しているが、今回の実写版は“時かけ”としては特異な出来である。主演が仲里依紗であることから、アニメ版のクライマックスが容易に想像される走る里依紗のショットを、タイムリープとは関係なしにオープニングに持ってきたり、そこにとってつけたように大林版のテーマソングを流したりと、往年のファンには「わかってないな」と云われること必至の演出から、短いスパンによるタイムリープの繰り返しや、それによる歴史改変によるカタルシスをいっさい廃すなど、これでもかと“時かけ”的イコンをかなぐり捨てているところが興味深い。ここまで来ると、単に「わかってない」のではなく、作り手が明らかに意図して“時かけ”的イコンを排除したと考えるほうが自然だろう。“時かけ”であれば容易に作り出せるカタルシス/快楽を極限までにそぎ落として尚、青春映画としての『時をかける少女』として成立するかの実験である。この僕はこれを最大限に支持したい。というのも、そうすることで本作は、タイムリープ(タイムトラベル)が本来持ち合わせている切なさや、時間/歴史が内包してしまうどうすることもできない残酷さを見事に写し取っているからだ。そして、その時間の大きな潮流のなかで懸命に駆け回るヒロインの姿は、仲里依紗の瑞々しい演技とも相まって、素敵に魅力的だ。過去に遡ったヒロインと、そこで出会う映画青年とのやりとりはこっ恥ずかしいほどベタだが、それを臆せず丁寧に演出することで彼女の持っている資質を十二分に引き出している。もちろん、ラスト30分はいくらなんでもモタモタし過ぎだろ、とか、1回しかないタイムリープの描写があんまりだとか、あのショットはこう撮ってこう繋いだほうが効果的だろ、とか色々と細々と突っ込みたいところはあるけれども、僕はどうしたってこの映画を嫌いにはなれない。

『赤い天使』……増村保造監督。太平洋戦時、前線の病院に勤める従軍看護婦の奮闘と愛を描く。前半のハイライトである、負傷兵の足の切断手術シーンにある身のすくむな現場や桶に無造作に切断された足やら腕やらが突っ込まれているという極限状態においてヒロインの歩む過程は、状況が状況でなければ滑稽にすらみえる。しかし、その滑稽さゆえにその我々の日常とはかけ離れた前線という極限状態がある種のリアルさを伴って画面に宿っている。この感覚は、ポン・ジュノ監督作品に近い。

バーク アンド ヘア』……ジョン・ランディス監督。“バークとヘア連続殺人事件”を元にしたコメディ。ランディスの手堅い演出と、重たくくすんだエディンバラの風景──ロケやセットが素晴らしい──を舞台に乾いた笑いが楽しめる。サイモン・ペッグアンディ・サーキスの掛け合いも楽しいし、天下のクリストファー・リーが“まさか”なかたちで出演しているのも見もの。少し単調な嫌いがあるが、楽しんで観られた。

『テッド』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130305/1362440758

『第7鉱区』……キム・ジフン監督。『デュエリスト』(2005)のハ・ジウォンがヒロインを演じた、東シナ海に浮かぶ石油プラントを舞台にした韓流モンスター・パニック。外の風景がほぼコンピュータ・グラフィックスなので、アウト・シーンの多い前半部分は人物以外が全部合成という『スター・ウォーズ エピソード2』ばりのグラグラした感覚を味わったが、慣れてしまえば、まァこんなものかといった感じ。クリオネをモデルにしたモンスターの造型や、とある特殊な設定は「これは勝てそうにないな」という感じがヒシヒシとあって良かったが、登場までの展開──一部分だけを見せるとかいったフリ──にもう少しの緩急があればもっとハラハラしたんじゃないかしら。登場人物らも情け容赦なくバンバン殺されてゆくので、そういう意味では中だるみなく楽しんで観られた。

30

*1:ところで、本作の演出──記憶のフラッシュバックの多用、七瀬の跳躍──の端々に、ゲーム『アリス マッドネス リターンズ』との類似点が見られる。しかし、映画が2010年公開、『アリス〜』が2011年6月発売と、時系列がアベコベなので、直接的な関係ではなかろうから、僕が勝手に不思議がっているだけの余談ということで。