『パシフィック・リム』(3D日本語吹き替え版)感想

ギレルモ・デル・トロ監督。太平洋奥深くの海溝から突如巨大な「カイジュウ(KAIJU)」が現出、各都市を襲撃した。人類の存亡をかけ、国際的な軍事組織、パン・パシフィック防衛軍は最終手段として、パイロットと神経を接続して動く2人乗りの巨大ロボット「イェーガー」を稼働させ、カイジュウ退治に向かわせた。しかし、日に日にカイジュウの出現頻度は狭まり、彼らもより狡猾になっていた。そんな折、イェーガー部隊を指揮するペントコスト司令官は、前線から脱退していたパイロット・ローリーを基地に呼び寄せる。しかし彼は、かつての戦いでパートナーの兄を亡くし、心に深い傷を負っていた……。


     ○


エス、KAIJU映画!

ゴジラガメラウルトラ怪獣……怪獣のいる国に僕は生まれ落ちた。彼らの全盛期からは遠く遅れたはしたものの、僕もまた、スクリーンやテレビ画面で暴れまわる彼らの姿に心躍らせる少年となった。生まれて初めて劇場で観た映画は『ゴジラvs メカゴジラ』だった。時は移ろい、この国から怪獣の姿はめっきり減った。東宝特撮を支えた大プールが撤去されたと聞いたとき、もう2度と怪獣映画は映画館で拝めないと思っていた。

しかし、『パンズ・ラビリンス』や『ヘルボーイ』を撮ったあのデル・トロが怪獣映画を撮ると聞いて幾星霜、ようやく劇場に足を運ぶことができた。結論から言えば、ちゃんと怪獣映画だったよ――!

つまり物凄く心躍る1本だった!!!!


     ○


まず、とにかく画面に登場するメカや基地、そして怪獣らのデザインがそれぞれ素晴らしい。対KAIJU兵器「イェーガー」たちのデザインでは、鉄人28号や往年のスーパー・ロボットを思わせる外見に、込み入ったギアや配線、立体表示のシステム画面などでディテールを作り込みまくって実在感を醸しているし、人型っていうのが何となく“着ぐるみ感”があってよかった。

また、デル・トロ的にはクトゥルフ神話に登場する異形のものらしい*1KAIJUのヌメッとしたデザインは、青を基調とした色調とも相まって非常に生物感に溢れている。そしてこちらは、最後の献辞にも名前があるレイ・ハリーハウゼンが手がけたストップ・モーション・アニメによるモンスターの動きを思わせる。

     

そして、やはり見せ場のバトル・シーンはもう文句なし! 凄いのひと言だ。

とくに中盤のクライマックスで描かれる香港市街地での戦闘シーンは、樹立する高層ビル群に埋もれるように怪獣たちが戦う*2という、僕がずっと観てみたかった画を実現してくれた夢のようなシーンだった。崩れ落ちるビル、舞い散る無数の瓦礫と自動車、爆発、踏みしめるアスファルトの砕けるさま――うーん、美しい!

また、映画の多くを占める海洋上での戦闘シーンも、とくにうねる波や飛び散る水しぶきに注目したい。ミニチュア特撮だとどうしても水しぶきが相対的に大きく見えてしまう。しかし、今回CGによって描かれたリアルな大きさ(実寸大=画面上では粒子のように細かく見える)の水しぶきのなかで怪獣たちが戦闘するというのは、なかなかに新鮮だった。水しぶきといえば、今回ほとんどのシーンで雨が降っており、その雨表現もまた昨今の高精度なCG技術ゆえに成しえた描写として見事だったし、映画の最後の最後でようやく青空が映るというのもベーシックだが巧い演出だ。やるね、デル・トロ!


     ○


そして、物語のケリが付く最後の見せ場に海底戦を持ってくるところが熱い! 海底深く秘密兵器を持って潜る2体のイェーガーが向かうのは、敵の総本山!――という展開は、まさしく第1作『ゴジラ』(1954)*3におけるクライマックスにほかならない。2体のイェーガーは、オキシジェン・デストロイヤーを両手に海底深く眠るゴジラに向かう尾形と芹沢博士の生き写しである。

しかし、しかしだ。

やはりここで苦言を呈しておかなければなるまい。それは本作が提示する最終兵器が核弾頭*4だということ。デル・トロよ、それだけはやってほしくなかったよ、僕ァ!



ハリーハウゼンと並んで献辞に名のあったのは誰だったかを思い出そう。それは第1作『ゴジラ』以降、多くの怪獣映画を監督してきた本多猪四郎だ。そして本多監督は、決して核の使用を怪獣映画のなかとはいえ許さなかったろう。監督作『地球防衛軍』(1957)では志村喬の口を借りて「いかなる理由にせよ、原水爆の使用はいけません」と言わせているのだ。かの東日本大震災をうけて脚本を書き直したと報道されていただけに、かえって観客に悪い印象を与えはしなかっただろうか。

そもそも、イェーガーの設定自体、原子力駆動である必要はなかったはずである。人型2足歩行ロボットで、搭乗する2名のパイロットは記憶を共有して操縦する――といった設定がすでにオーヴァー・テクノロジーなのだから、駆動力の設定も架空のものにしたところで違和感はそんなになかっただろう。それこそ、KAIJU から採取された物質が激烈な化学反応を引き起こして云々とかにすれば、クライマックスのとある展開ももっと盛り上がったのじゃないかなぁ。



ちょっとばかり複雑な心境になりもしたけれども、愛憎こもごも、デル・トロの怪獣特撮映画へのとめどない愛に溢れた迫力満点の最新KAIJU映画、ぜひ劇場でご覧ください。今後のためにもね。


     ○


最後に3D効果と日本語吹き替えについて少し。

僕自身はあまり3D方式の上映は得意ではないのだけど、事情により3D版しか観ることができなかったため、こちらを鑑賞(XPAND方式)。3D効果だが、本作は後付け3Dのためかその効果がほどよく抑制され、かつ奥行き感が整理されたものとなっており、これまで観た3Dのなかでも1番ラクに観ることができたので、非常に助かった。砂塵や水がピトっとカメラを汚すという場面では、臨場感があって良かったのではないだろうか。

また日本語吹き替え版も健闘していて驚いた。往年のロボット・アニメのファン層、そして映画の吹き替えファン層にも堪らないキャストたちのアンサンブルが聞けたのは嬉しい驚きだ。日本語版予告では原語版どおり「エルボー・ロケット」と訳されていた部分が、本編では日本人お馴染みの「ロケット・パーンチ」に変更されており、泣かせる*5。ここ最近の吹き替え版のなかでは、かなり出来のよい部類に入る素晴らしいものだった。

*1:たしかに、冒頭にあるナレーションやいくつかの設定など、それを思わせる。

*2:ガメラ3 邪神覚醒』における京都駅ビル内での戦闘をさらに発展させた感じだ。

*3:いま観ても、非常によく出来た映画なので、未見の方はぜひどうぞ。教養云々以前に面白いから。

*4:そして、イェーガーの原子炉それ自体。

*5:ただ、原語版を観ていないので確証はないのだが、誤訳と思われる箇所がひとつあったのが気にかかる。物語の文脈から察するに「2人の仲間を失った」のではなく「2体の仲間(機体)を失った」という意味だったのではないかしら。