2014年鑑賞映画 感想リスト/121-130 + TVアニメ

ルパン三世』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20140903/1409741860


『スリーパー』……ウディ・アレン監督。1973年に治療目的で冷凍冬眠されたマイルズは200年後の世界で目覚めるが、全体主義を砕く暴力革命に加担させられてしまう──というSFコメディ。舞台こそ未来だが、そこで人類がやっていることといえば現代(1973年)とひとつも違わないのが皮肉。そのなかで、全体主義も反共革命もインテリもコミューンもファクトリーも健康食品も遺伝子組替食品もなにもかもイヤだイヤだといい続ける主人公がなんともアレンらしい。それでも、道中仲良くなったヒロインの愛だけは素直に欲しがるわけだが、アレン自身の人生を思えば、なんとままならないものかと思う。若干フィルムのコマ数を抜いて再現された無声映画風のスラップスティック・シーンでは、未来のテクノロジーに翻弄されるアレンの姿がキートンマルクス兄弟もかくやで可笑しい。とくにDVDのパッケージにもなっている、アレンが執事ロボットに必死こいて化けている一連のシーンは爆笑必至。


ミッドナイト・イン・パリ』……ウディ・アレン監督。処女小説に悪戦苦闘中のギルは、婚約者とその両親とともにパリに旅行中だったある真夜中、かねてから憧れていた1920年代にタイムトリップしてしまう──というフィニイ風SF。主人公ギル(すなわちアレン)を演じたオーウェン・ウィルソンが、しゃべり方から立ち振る舞いまでアレンそのもので素晴らしい。“よきこと”──今回は、お高くとまったアメリカ保守派的価値観──への同調をしきりに強いてくる婚約者らに、いじいじと文句をいい続けるしか出来ないギルの情けなさがとてもイイ。そんな彼が夜な夜な向かうのは“迷える世代”の芸術家たちが一堂に会した1920年代のパリで、フィッツジェラルド夫妻など次々に登場する芸術家たちの「あるある」ネタの楽しさは、ギルが感じているであろう多幸感そのものだ。しかしなにより、ギルが「昔はよかった」とかき抱く“ノスタルジー”の持っているジレンマに、誰あろう彼自身が気づくという展開が見事。自虐的ともとれる鋭い考察だけに、とても胸に迫って感動的だ。その後のラストに到来する落としどころが結局そこかいな、と呆れまじりに思わなくもないが、そこはまあ男の子の夢ってことでひとつ。


ザ・ウォード/監禁病棟』……ジョン・カーペンター監督。1966年、クリステンは精神病院の同年代の少女4人がいる隔離病棟に収容されるが、ひとりずつ“誰か”が彼女たちを殺害しはじめる──というホラー作品。オーソドックスなホラー映画的な画作り──ショッキングなゴア描写やグロテスクな怪物描写──もさることながら、脚本がすごく面白かった。映画はひとつのある真実に収斂していくが、そこに向かって散りばめられていたとやがて知れる細かい布石や演出が巧妙だし、オチ自体の視点が斬新に思われた。てなことで、「いやあ、たいへん面白かった」と満足げにため息なぞ洩らしつつエピローグを眺めていたら、やっぱりあったホラー映画的定石のキメの1ショットが予想を遥かにしのぐ勢いで、けぽっと心臓が喉から喉から飛び出るかと思われるほど驚いた。アレは反則だよう。


イースタン・プロミス』……デヴィッド・クローネンバーグ監督。助産師アンナは、女児を産み落として死亡した14歳の少女の身元を示す唯一の手がかりからロシア料理店トランスシベリアンに赴くが、そこで悪名高きロシアン・マフィア「法の泥棒」の運転手ニコライと出会う──人身売買をテーマにおいたイギリス舞台のヤクザ映画。暴力描写がすさまじい。凶器が銃でなく、ほとんどがナイフだからなのもあるが、観ているだけで強烈に「痛い」のだ。それが最高潮に達するのが、やはりクライマックスのサウナでの戦闘シーン。ニコライを演じたヴィゴ・モーテンセンがフルチンでナイフを持った刺客と命を取り合うギリギリの戦いは、文字通り身を切るような名シーンだ。また、単に身体的な暴力だけではなく、言葉による精神的な暴力も凄惨。それが、マフィアの連中よりも、とくにアンナの伯父の言動が本当に「ギョッ」とするほどひどくて、やるせない。これらの暴力シーンが一様に無様に映されているのもよかった。それゆえに、ラストに描かれるほんとひとかけらの希望が胸を打つ。


スミス都へ行く』……フランク・キャプラ監督。上院議員の空席を埋めるために担ぎ出された純朴な青年スミス氏は、民主主義の理想のもと上京するが、そこで腐敗した政治の世界を目の当たりにする──。芋臭いオノボリさんだったスミスがやがて真実の政治家としての風格を持つまでを演じ分けたジェームズ・ステュワートの演技と、それを丁寧に追うキャプラの演出が見事だ。映画後半、悪徳議員らが押し通そうとする不正法案を阻止するためにスミスが敢行する議事妨害──休憩なしで議席に立って発言し続けるフィリバスター──を巡る一連のシーンでの、様々な誘惑や世間の風評、師と仰ぐ先輩議員の裏切りや執拗な嫌がらせにもめげず屈せず立ち続けるスミスの姿が感動的だ。一方で、70年以上前に作られた本作の感動がひとつも薄まらないほどに代わり映えのない政治にゲンナリするばかりだ。


エレファント・マン』……デヴィッド・リンチ監督。19世紀後半のイギリスを舞台に、幼いころから身体が醜く変形してしまい“エレファント・マン”と呼ばれた実在の青年ジョン・メリック(実際はジョセフ・メリックが正しい)の半生を描く。映像特典など資料を見ると、実際のメリックの人生をモデルにしつつも時系列などが大幅に映画用にアレンジされた部分も多いようだ。けれども──むしろ、それによって──、社会からはみ出してしまった者の孤独と他者への希求の心もちがより強調されていて、胸を打つ。メリックが“見世物”としていびられるいくつものシークェンスは悪夢のように陰惨である一方、彼がほんの些細な他人のやさしさに触れて思わず感極まってむせび泣いてしまう場面や、彼の愛する芸術から彼自身が“愛されている”とついに実感する今際のひと時は、涙なくしては観られない。


『ノア 約束の舟』……ダーレン・アロノフスキー監督。旧約聖書『創世記』で語られるエピソードのひとつである「ノアの方舟」を大胆にアレンジして描いたファンタジー巨編。巨大な堕天使たちの力を借りて組み上げられてゆく方舟の様子や、洪水とその間際に描かれる方舟奪取を目論む難民たちとの戦闘シーン、幼少時にこの話を見知ったとき抱いた「いかに数多の動物たちを方舟に乗せるのか」という疑問に答えてくれる方法など、なるべく実写であることに則って設定されたリアリティ・ラインを守り抜く映像化が楽しい。ただ、やはり本作の白眉は、世界が神の大洪水に呑まれたあとの船内で展開される、ノアとその家族の物語だろう。映画後半、ノアは、本来は解釈してはならない神の命令を解釈したために、自身の家族に対して驚くべき凶行を働く。ここで描かれる、ノアの狂人ぶりと家族崩壊の序曲は、観客の精神を徹底的に追い詰めるアロノフスキー節全開の凶悪シークェンスだ。まったく胃が痛い。それでいて、ほぼ原作どおりの結末に着地する関係各所に気を遣いまくったラストには、感心するやら微笑ましいやら。そういう意味では、後半登場する天地創造のイメージ映像のバランスも面白い。


『ザ・イースト』……ザル・バトマングリ監督。民間調査会社に勤めるジェーンは、身分を偽って過激な環境保護団体“ザ・イースト”に潜入調査を開始するが、そこで出会った指導者ベンジーらと過ごすうちに思想信条を理解しはじめる──エコ・テロリストを巡る社会派サスペンス。敵組織に侵入して、バレるかバレないかの瀬戸際で展開されるスパイ・ドラマとしての面白さはもちろんのこと、ここで描かれる社会的状況は、バトマングリ監督と主人公ジェーンを演じ、製作・脚本も担当したブリット・マーリング──彼女は傑作SF『アナザー プラネット』(マイク・ケイヒル監督、2011)でも同様の役職をこなした──がかつて映画同様、実際にリサーチした内容に基づいて制作されているだけあって、非常にリアルだ。環境や健康を無視する企業、それに鉄槌を下そうとする過激環境保護団体、そして彼らを調査することで利益を売る調査会社の三者三様の正義とエゴが入り乱れる様子は、ジェーンに、そして観客に重々しい疑問を投げかける。なにが正しいのか、どうすれば社会はよくなるのか。その地獄巡りの果てにジェーンが選び取った、たったひとつの冴えたやりかたに一縷の希望をみたい。


『Sintel』……コリン・レビィ監督。人里から遠く“門番の地”に単身やってきた少女シンテルは、目的を問う老師に「ある竜を探しに」と答えた──ブレンダー・ファウンデーションが自社のフリーCG制作ソフト「Blender」を用いて制作した短篇ファンタジー。1人物やドラゴン、石や木で作られた街、四季折々の自然描写などなど様々な、しかも完成度の高い質感表現を有するシーンが15分ほどの本編のなかに盛り込まれていて、見ていて飽きるところをしらない。ソフトウェアのポテンシャルを堂々と見せつける技術力もさることながら、物語の強度もきちんとあるのが素晴らしい。台詞を控え、アクションの積み重ねで語られるちょっと苦みばしった余韻も美しい。youtube上で公開されており、日本語字幕──ちょっと誤訳が多いのが難点だが──も選択できるので、未見の方はぜひ。▼


130


     ○


TVアニメ『有頂天家族』……森見登美彦原作、吉原正行監督。狸と天狗が人間に紛れて暮らす京都を舞台に、かつて「偽右衛門」として狸界を纏めながらも物故した下鴨総一郎を父にもつ狸4兄弟の奮闘を描くコメディ(全13話)。一部、原作小説とは構成を入れ替えながら1話ごとにそれぞれ見せ場を用意した作劇で、テンポよく観られるのが楽しい丁寧なアニメ化となっていた。森見小説のアニメ化としては『四畳半神話大系』(湯浅政明監督、2010)に続く2作目だが、彩度とパースなどを強調した画面のケレンの強さと、森見作品の醍醐味のひとつである語り(=ナレーション)の面白さ前面に押し出した『四畳半〜』とは異なり、写実的な画面と最低限のナレーションでみせる本作は、むしろ原作小説が持っていたオーソドックスな面白さをより引き立てている。ただ、主人公・弥三郎の師匠である飛べない天狗・赤玉先生が飛べなくなった原因の事件をきちんとは明示していない──ただ、その発端の理由が理由だけに、いま描くのは難しかったのだろう──ので、これについては若干散漫になっているのは否めない。とはいえ、これを差し引いても原作ファンからも十二分に面白いアニメーションであることは間違いないだろう。さて、そろそろ森見屈指のSF大作『ペンギン・ハイウェイ』の映像化も観たいゾ!