2019 3月感想(短)まとめ

2019年3月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆元園芸家で、後にシナロア・カルテルの運び屋に就いた老人レオ・シャープの実話をモデルにした『運び屋』クリント・イーストウッド監督、2018)は、イーストウッドによる歳を重ねながらも作品ごとにいまだソリッドに研ぎ澄まされ、しかし同時に肩肘の張り過ぎない、適度に力の抜けた軽やかな──散文詩、いや、短歌や俳句のような余白感とでもいおうか──演出の枯れることのない妙技を味わえる一品だ。運転中、ずっと鼻歌を歌い、ハンドルに置いた手でペシペシとリズムを取っている姿など、もはや素である。

本作において最も興味深い点は、イーストウッドが『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督、1964)以降『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド監督、2008)まで、自覚的に演じ続けてきた暴力の連鎖を断ち、罪人を滅ぼす裁定者としてのイエス・キリストを象徴するキャラクターから降りたことだろう。むしろ本作で彼が演じたアールには、キリストではなくイーストウッド自身の半生が重ねあわされているはずだ*1

本作でイーストウッドが演じたアールは、デイリリーの栽培については数々の賞を受賞するほどの高評価を得ているが、その仕事にかまけて家族を省みず、果ては麻薬の運び屋にまでなってしまった。イーストウッド自身、映画人としての評価は非常に高く、アカデミー賞を2度受賞するほど名実ともに確固たる地位を築いているが、いっぽうで私生活は、既に結婚して家族を持ちながら、これまで幾人もの女性と浮名を流し、婚外子も多く離婚暦もあるなど、決して褒められたものではない側面を持っている。そんなアール=イーストウッドは、公私における罪をやがて認めて、自ら進んで裁きを受けるのだ。

同時に本作はある種、継承の作品でもある。本作における、運び屋となったアールと、彼を追う麻薬捜査官コリン(演ブラッドリー・クーパー)の関係は、かつてイーストウッドが監督・出演した『パーフェクト ワールド』(1993)におけるケビン・コスナーとの関係の裏返しであるし、コリンの相棒になるトレヴィノ(演マイケル・ペーニャ)がメキシコ系だという点は、『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)におけるハリー・キャラハン──しかも結婚生活がそれなりにうまくいっているらしいのが皮肉──を思い起こさずにはいられない。そして、本作より以前にイーストウッドの『アメリカン・スナイパー』(2014)に主演したブラッドリー・クーパーが監督・主演した『アリー/スター誕生』(2018)は、もともとはイーストウッドの企画であったのだ。

ことほど左様に、予告編で謳われた「集大成」という言葉は、嘘ではなかったのだ。


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◆1987年、地球に飛来して記憶を失った機械生命体と父を亡くした孤独感に胸を痛める少女チャーリーが出会う “実写版トランスフォーマー” 前史バンブルビートラヴィス・ナイト監督、2018)は、懐かしくて新しい傑作。画調やプロダクション・デザイン、物語展開──まあ、ぶっちゃけ『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1982)です──などといった映画のルックは、舞台となる1980年代の映画の手触り──かつてテレビの洋画劇場でとっぷり浸かった“あの”感じ*2──を限りなく再現しつつも、キャスティングや演出のそこかしこ、そして実写と違和感なく馴染んだVFXは、今日(こんにち)でしか作りえない新鮮さに溢れている。

監督に、ライカにて人形アニメーターとして手腕を揮い、大傑作『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(2016)を撮り上げたトラヴィス・ナイトが登板しただけあって、その画面構築力とアクションの見せ方は非常に丁寧でかつ適確。マイケル・ベイの、とにかく爆発が爆発を呼び、グチャドロに変形するオートボットをシェイキーなカメラワークと編集で盛り重ねてきた前作までのシリーズにおけるアクション・シーンとは一線を隔する出来映えで、安心して映画の世界に入り込むことができる。

そして、本作でチャーリーがバンブルビー──ラジオの選曲やボディ・ランゲージだけでなんとかコミュニケーションを図ろうとするバンブルビーも、その一挙手一投足がこれまで以上に可愛げでエモーショナルな実在感に満ちている──や、後に出会う同い年のボンクラ少年メモと辿る冒険を、彼女の亡き父との想い出を絡めながら纏め上げた脚本も素晴らしく、終盤には思わずホロリとさせられた。

正直、あまり思い入れのなかった『トランスフォーマー』シリーズでこんなにグッと来る日が訪れるとは思ってもみなかった。まあ、実写版の本シリーズは作中における歴史修正がもはやメチャクチャで、その上さらにこれかい、といったところもなくはないが、本作はむしろ独立した1本として見事な完成度を誇っているので、ぜひとも本作だけでも観てみたい。きっと元気になるよ。


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◆ジャマイカアメリカ人のピアニストであるドン・シャーリーと、彼のアメリカ最南部を巡るツアーに同行して運転手兼ボディガードを務めたイタリア系アメリカ人の警備員トニー・ヴァレロンガの実話を基にした伝記コメディ『グリーンブック』(ピーター・ファレリー監督、2018)は、ファレリーらしい毒っ気とペーソスとユーモアが──控え目ながらも──ピリッと効いた1作。

どこのコミュニティにも属せない寄る辺なさと、それでもなお屹然と理知的にふるまおうとする意思の強さの両面をたたえたドクター・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリの見事な表情づけ──アカデミー賞助演男優賞も納得だ──や、これまでの面影をまったく感じさせないまでの肉体改造をして挑んだヴィゴ・モーテンセンのがさつだが溌溂とした佇まい──そして、ピザの“あの”食べ方!──など素晴らしく、彼らが旅を経るなかで反目しあいながらも友情を育む様子はとても胸を打つ。

そして本作がさらりと暴き出す当時の差別の横行とその構造には、幾たびもギョッとさせられる。トニーやシャーリーが旅の途上で出会う人々の──そして、ときには彼ら自身の──ふるまいを思い出そう。黒人だから、土地柄だから、風習だから、伝統だから……実はなんの根拠にもならないことを論拠に、悪びれもせず無自覚──そういった論拠には「自分が」という視点が抜けているので、なおのこと厄介だ──に差別や偏見や蔑みを振りまく姿は非常に醜悪だし、なにより恐ろしい。

これはなにも舞台となった1960年代アメリカ南部だけに限ったことではなく、現代アメリカ、否、引いてはわれわれ自身において無関係ではない。僕らはいつだって、本作でシャーリーたちを貶める側に無自覚にも立っている可能性を自覚しなければならない*3。そしてもちろん、それは人種問題だけに限った話ではない。性やセクシュアリティや権力といった様々なものにまつわる差別や偏見やハラスメント──この21世紀に、いまだ正気とは思えないニュースが次々に飛び込んでくるような今日である*4──など、ありとあらゆる問題が含まれるだろう。

ふたりの目を介して描かれる人間の醜悪さは、われわれ自身の似姿にほかならないのだから。


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◆1995年、自身の出生にまつわる記憶を失ったまま地球に降り立ったクリー帝国の首都・惑星ハラの特殊部隊員ヴァースが、やがて真のヒーローへと目覚めてゆくキャプテン・マーベル(アンナ・ボーデン、ライアン・フレック監督、2019)は、スタイリッシュなアクションと映像の数々や、デジタル処理によって25歳ほど若返ったサミュエル・L・ジャクソン、そしてなにより今日の社会問題を大きく取り入れてヒーロー映画として爽快なまでに昇華させてゆく見事な展開が見モノの傑作。

劇中、ヴァースに投げつけられる「感情を消し、俺の言ったとおりにやれ」といった指導や、彼女に「笑えよ、可愛いコちゃん」と侮蔑的に言うバイカー風情のオヤジ、とあるキャラクターが地球を「あそこはクソだめ(Shit hole)だよ」と揶揄する台詞、また中盤にある意表を突いた展開など、本作にはいまなおアメリカ──そして世界──を覆う男根主義や女性蔑視、移民やマイノリティに対する不寛容がまざまざと刻印されている。

そういった因習的な理不尽さの数々に対して、ヴァース=キャプテン・マーベルが持ち得る全力と正義感を持って次々に否をつきつけ、文字どおり吹っ飛ばしてゆく様は爽快そのもの。彼女が対峙した本作のラスボスとの虚を突かれるような呆気ない幕切れも、「そんな感傷的マチズモなんかにつきあっちゃられないよ!」という力強い意気込みだろう──だからこそ、ヴァースが地球に降り立って最初に吹き飛ばすのが“彼*5”の頭なのだろう──し、結局は彼女のそういったスタンスこそが世界を解放へと導いてゆく展開は感動的だ。

その他、中盤の『フレンチ・コネクション』(ウィリアム・フリードキン監督、1971)や『ロボット』(シャンカール監督、2010)を思わせる地下鉄内外でのチェイス・シーンが最高だったり、マーベル・スタジオのオープニング・ロゴが特別仕様で感涙したり、サミュエル・L・ジャクソンが本当に'90年代の頃の姿に見えて驚いたり、クライマックスにある宇宙船内でのアクション・シーンがちょっと暗くて見えづらいのが残念──ただし、ある台詞を巡る意味を逆転したやり取りは最高──だったり、ネコ(仮)が可愛かったりと、いろいろ思うところはあるけれども、マーベル・シネマティック・ユニバースMCU)作品群に新たな傑作が誕生したのは間違いない。


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*1:アールが朝鮮戦争従軍者であるという設定は、レオ・シャープの経歴ではなく──彼は第二次世界大戦従軍者だった──、イーストウッド自身の経歴だ。

*2:画面もアメリカン・ヴィスタ──監督へのインタビューによれば、レンズも当時と同型を使ったという──だし、ナイト・シーンも適度に明るいし、カーチェイス・シーンには場所こそ違えどトンネルも出てくるぞ!

*3:われわれは、自分たちがそう思うほどマジョリティではない──その実、名誉白人と呼ばれて喜んでいたころとなんら変わらないのじゃないか、と腹立たしい気持ちになることのほうが多い──し、マジョリティだからと許される権利なぞこれっぱかしもないのだ。

*4:あらゆるヘイト発言は個人・メディア・政治家問わずに止まず、根拠のない歴史修正主義が跋扈し、労働者ばかりが理不尽に抑圧され、政権は正気とは思えない発言と行政を繰り返し、レイプ犯は次々と無罪となって挙句にその被害者を訴えるとは、いったいどういう了見なのか。恥を知れ、恥を。

*5:『トゥルー・ライズ』(ジェームズ・キャメロン監督、1994)のポスターに印刷されたアーノルド・シュワルツェネッガー