2020 4月感想(短)まとめ

2020年4月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
第一次大戦の最中、罠とも知らず独軍めがけて明朝突撃しようとする連隊への攻撃中止命令を携えて戦場を走る2人の兵士を描いた『1917 命をかけた伝令』サム・メンデス監督、2019)は、全篇1カット(ふう)を限りなく完遂した見事な冒険映画だった。

まずはなんといっても、本作で第92回アカデミー賞撮影賞を受賞したロジャー・ディーキンスによる撮影が凄まじい。絶妙に白んだ曇り空と荒地と化した土地の色合いや、朝陽の昇る前の淡いのしっとりと薄明かり、ラストに拡がる楽園のように──皮肉にも──穏やかな田園風景など、その切り取り方の巧みさは折り紙つき *1。とくに後半、廃墟と化したドイツ占領下の町並みのなかを逃げ惑う主人公を捉えた一連の夜間シーンは、漆黒の闇のなかで輝くオレンジ色の炎と照明弾の閃光によって織り成される影のコントラストがなんとも知れぬモノトーンの情感を湛えていて、地獄のような風景とシチュエーションながら嘆息の出るほど美しい。画面に深く沈んだ闇を撮らせたら、やはりディーキンスは天才的な手腕を発揮する。

また、その撮影素材をVFX等も用いながら限りなく違和感なく1カットふうに繋いだリー・スミスの編集も見事。どちらかといえば──クリストファー・ノーラン作品などで見ることのできる──ショットとショットの積み重ねやカットバックの巧みさが印象的だっただけに、ある意味ではその真逆のようにさえ見える仕事をやりきったのは凄い。2時間1カットのなか、平板になることなく緩急に富んだリズムで物語を進行させており、決して飽きることはないだろう。そうそう、本作のカメラワークは客観だけれど、時間経過は主人公たちの主観、というつくりはクレバーだし興味深かった。

本作が描く「突撃攻撃中止命令の伝達」という物語は、メンデス監督の祖父が語って聞かせた逸話を元にしているとされるものの、すでに多くのところで指摘されているように、史実的にはおそらく正しくはないのだろう。実際には──『突撃』(スタンリー・キューブリック監督、1957)のなかで描かれたように──無謀な突撃命令によって多くの兵が命を落としている。本作が映すよりも、戦場はもっと凄惨な風景だったに違いない。つまり本作は、作り手たちが映画のなかでだけでも死にゆく兵士たちを救おうとした一種の寓話やファンタジーとして捉えるべき作品といえる。それは本作の語り口が──メンデスが前2作の007作品で採用したように──非常に神話的であり、なんとなれば主人公であるトム・ブレイクとウィリアム・スコフィールドのふたりは象徴的なイエスとその弟子として描かれている *2ことからも窺い知れる。神が預言者の口をとおして人々に救いの御心を伝えたように、英国軍司令部の指令を命がけで伝えることで1,600人もの兵士たちを救おうとするだろう。そして、だからこそ本作の画が美しくあるのだ。

ことほど左様に、撮影・編集の巧みさ、そして音響やトーマス・ニューマンによるスコアも魅力的な本作は、映画館で体験してこその作品であるのは間違いない。


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◆超巨大都市ワージーを拠点とする強力なギャングの後継者争いの鍵となる「ブラックボックス」を巡り、特別捜査官アショークらが立ち上がる『サーホー』(スジート監督、2019)は、たまらなく過剰に熱のこもったなにかを観た、といった感じの作品だった。

まあ見せ場に次ぐ見せ場のつるべ打ちが楽しい。冒頭、主人公を演じるプラバースが徒手空拳で『ザ・レイド』(ギャレス・エヴァンス監督、2011)よろしくヤクザたちが暮らすアパートへのカチコミをかける武道アクションに始まり、銃撃戦からカーチェイス──もちろんインド映画お約束のミュージカル・シーン *3も挟みつつ──、挙句の果てには空中戦(!)までに発展する本作のアクション・シーンの数々は、最近の「ワイルド・スピード」シリーズに「ミッション: インポッシブル」シリーズ、「MCU」といったアメコミ映画作品群などにみられるハリウッド大作アクションのエッセンスを貪欲に取り込み、かつそれを割らずに、なんなら荒唐無稽さをさらに増した特濃な味わいをガツンと醸しており、これらの画を実現させてしまう撮影スタッフとVFX技術、そして注ぎ込まれた熱とアイディアの豊富さには目眩すら覚える。本作を観ながら、いま自分は何本目の映画を観ているのだっけ、と思うこと必至である *4

このサービス精神のいきすぎた本作であるがゆえにか、シナリオもまたヒネりにヒネっており、いささかヒネりすぎて捻じ切れそうなのが弱点といえば弱点。とにかく本作は、劇中「○○だと思った? 残念、▼▼でしたーっ!」というツイストをこれでもかと──少なく見積もっても4、5回は──盛り込んでおり、不必要に物語が複雑化している点は否めない *5。そのせいか、情報開示の順序を逆ぶしたほうがサスペンスやインパクトに効果的ではないかと思われる編集もチョイチョイあってもったいないし、前述のような怒涛の特盛りアクションを精一杯楽しむためには、あるいはもうすこしシンプルな筋立てのほうがよかったのではないだろうか *6

ことほど左様に、よくも悪くも過剰に熱のこもった凄まじい作品だった。


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【コロナ禍の影響により映画館休館】


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*1:戦闘機がこちらに向かって突っ込んでくるシーンは、『北北西に進路を取れ』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1959)を思い起こさせる。

*2:パンやワインの挿話、聖油や聖痕、文字どおりスコフィールドが眼を見開く展開など。

*3:世界各地の絶景/観光地の数々や、超現実的な光景が──いちおう前フリとして、ヒロインが趣味でスケッチブックに描いている絵が登場しており、その具現化として──バンバン出てくるのが楽しい。

*4:本作のタイトルが映されるタイミングも最高だ。

*5:オープニングで語られる本作の背景が、そもそも複雑。そういえば、拉致されてた大臣とその孫娘はどうなったのかしらん。

*6:余談だが、中盤にある欧州のホテルの一室でのアクション・シーンにおいて、『ターミネーター2』(ジェームズ・キャメロン監督、1991)の同一シーン(T-800とT-1000、ジョン・コナー少年がはじめて一堂に会するショッピングモールのバックヤードでの戦い)が延々リピートされているのには笑いました。

2020 3月感想(短)まとめ

2020年3月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆タウンゼント探偵社が擁するスパイの一員であるサビーナとジェーンのもとに、新エネルギー装置「カリスト」の主任プログラマーであるエレーナから、それが武器への転用も可能であるとの内部告発がもたらされるチャーリーズ・エンジェルエリザベス・バンクス監督、2019)は、粗がないではないが、シリーズの価値観のアップデートを試みた意欲作だった。

冒頭、クリステン・スチュワート演じるサビーナが悪役(=男)──そしてスクリーンをとおして僕ら観客──と文字どおり正面から対話する内容が、愚直なまでに本作の目指したところを語っていてハッとさせられる。そこで語られるのは、「女性がなにか行動をするとき男性の許可なぞ万が一にも必要ないし、自分の好きなように振舞うことができるのだ」という、まさしくガールズ・エンパワーメントを意識した内容であって、それを「チャーリーズ・エンジェル」のフランチャイズでやることの意義と刷新性は大いにあるだろう。

これは、本作がいわゆる単体でのリブートでなく、オリジナルのテレビ・シリーズ(1976-1982)と映画版2作(マックG監督、2000-2003)からの地続きの世界観にあること──ラストでちょっとした仕掛けもある──を明言しているのも、本作に込めた作り手のそういった意志が如実に感じられる *1。また、シリーズお決まりであるオープニングのチャーリーによるキャラクター紹介を廃してあえて挿入された唐突──これまでシリーズに馴染んできたファンにはとくに──な、まるで少女たちを映したホームビデオのような映像群も、じつはクライマックスの大団円への布石となっていて、これには思いがけず感動もした。

事実、その後こともなげに悪役たちをなぎ倒してゆくエンジェルたちの姿には快哉をさけびたくなるし、劇中で様々な衣装を活き活きと着こなす姿は躍動感に満ちている。それは単に格闘アクションの見せ場に限らず、これまでであれば割と手間をかけてきた敵地へ潜入するまでの段取りをサクっと手早く片付けてしまう点──IDカードを盗むくだりなど最高だった──なども、彼女たちの「デキる」スパイ感が醸されていて素晴らしいし、キャッキャと楽しげに会話のキャッチボールを交わす姿も多幸感に満ちている。とにもかくにも主演陣の演技アンサンブルは見事だし、彼女たちの活躍の一挙手一投足は軽やかなのだ。

ただ本作、見せ場のメインのひとつであろうエンジェルたちのアクション・シーンの演出がいま一歩だったのが非常に惜しい。シーンのなかでいささかカット割りが多すぎて動きが追いづらい──ショットごとには、キメ画として格好いいものも多いのだけど *2──し、撮影素材が足りなかったのかどうか、編集が微妙にポッと飛ぶものだから位置関係がアヤフヤになりがちだったりするのも輪をかけてノイズになっているのは否めない。話運びも前述のような「手早さ」が魅力の部分も多い反面、どこかモタついていたり、うまく展開が噛み合っていないところも多い *3。ひと言でいえば、かなりユルい。

こういったことが関係したのか、あるいはフランチャイズ自体の受容があまりなかったのか、もしくはフランチャイズのツボを敢えて外すような演出が多かったから *4なのかどうか、本国で批評的にも興行的にもかなり苦戦を強いられているという本作。でもね、本作はとっても軽やかで──そのユルささえも──楽しい味わいでかつ伝えるべきメッセージを世界に届けようとした意欲作であっただけに、これ1本で終わるには惜しい作品だ。みんな観よう!


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保守系ケーブルTV局「FOXニュース」のCEOロジャー・エイルズによるセクシャル・ハラスメントに対し、女性職員が彼を告発するまでを描く『スキャンダル』(ジェイ・ローチ監督、2019)は、テンポよく無駄のない構成が映える実録モノであり、そして劇中で語られる醜聞については心底腹の立つ作品だった。

シャーリーズ・セロン演じるキャスターのメーガン・ケリーがFOXニュース社内の構造を観客に向かって説明する冒頭──モブまで自然にこちらに「ハァイ」と手を振って挨拶するあたり、『オースティン・パワーズ』シリーズ(1997-2002)のローチ監督らしい軽やかさだ──から、彼女とニコール・キッドマン演じるグレッチェン・カールソン、そしてマーゴット・ロビー演じる新人カイラ・ポシュピシルの3人を軸に事件の顛末をテキパキと伝えるソリッドな構成と、登場人物への極端な──わかりやすい──感情移入を誘わない抑え目な演出は、観客に冷静な鑑賞姿勢を求めるだろう。

第92回アカデミー賞において本作の特殊メイクを担当したカズ・ヒロ(旧名: 辻一弘)がメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したことからもわかるとおり、たとえばセロンの風貌を限りなくメーガン・ケリーへと──しかし、セロンであることも分かる程度に──変貌させたメイクの自然さは見事なもので、これに加えて俳優陣の巧みな演技も相まって、画面内に非常なリアルさが溢れているのも見逃せない。予告編でも流れた主演3人が同じエレベータに鉢合わせるシーンでのなに気ない所作や表情づけなど素晴らしい。また、カイラと友情を育むこととなるジェスを演じたケイト・マッキノンの、微妙な立ち位置ゆえに揺れる心情表現もよかった。

だからこそ、ロジャー・エイルズ──演じたジョン・リズゴーはいい仕事してる──がその文字どおり肥大しきった権力とエゴによって彼女たち──そしてFOXニュースに勤務する(していた)数々の女性たち──に様々な圧力をかけ、挙句にセクシュアル・ハラスメントを働く非道さには腹が立って腹が立ってしようがなかった。ほかにも、ラストもラストでとある登場人物が偉そうに立つ場所──カメラも一瞬寄るが、その足許に注目だ──の安さ/みみっちさには、そうまでしてその虚栄心を維持したいものかと心底呆れかえった。人間ああなっちゃオシマイだよ。本作で描かれた事件だけに限らず、同様の事態が数多く起こっている現状──日本だって、つい先日「アースミュージックエコロジー」の社長によるセクハラ事件が明るみに出たばかりだ──には、ほとほとウンザリする。権力を盾にこういった非道を行う手合いには「外道! きさまらこそ悪魔だ!」というデビルマンの台詞を投げつけたい。

われわれ観客とも決して無縁ではない現在進行形の現実社会の実状をあらためて見つめなおす意味でも、ぜひとも観ておきたい1作だ *5。本作は、決してエイルズを倒してめでたしめでたしという作品ではないのだから。


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◆ゴールドラッシュに沸く19世紀末のアラスカを舞台に、西海岸からソリ犬として拉致されてきた飼い犬バックが辿る冒険を描くジャック・ロンドンによる同名中篇小説(1903)の実写化『野性の呼び声』(クリス・サンダース監督、2020)は、VFXによる犬たちの表現が凄まじい1作だった。

本作の見所はなんといってもバックをはじめとする犬の独特な実在感、これに尽きる。フルCGによって形成された──近作では、たとえば『名探偵ピカチュウ』(ロブ・レターマン監督、2019)やリメイク版『ライオン・キング』(ジョン・ファヴロー監督、2019)を彷彿とさせる──犬たちの毛並みの質感と骨格や筋肉の動きは、実写と見紛うばかりにリアリスティックなものでありながら、漫画チックになり過ぎない程度にデフォルメされた人間くさい表情の絶妙なマッチングが、なんとも愛らしい。本作を観ると、犬のこんなところが可愛く、あるいは恐い、というのを再認識できるし、一切の台詞のない犬たちの感情も手に取るようにわかることだろう。

とくにそれが活かされているのが、カルフォルニアの裕福な家の飼い犬だったバックが、やがて郵便配達のソリ犬として成長するまでを描いた冒頭から前半部だ。スラップスティック・コメディともみえる冒頭のバックのアクションから、厳しい極寒の自然環境やほかのソリ犬たちとの交流や対決の果てに成長してゆく彼の姿は、テンポのよい作劇とダイナミックでスピード感溢れるアクションの連続も相まって、手に汗握ること必至だ。さすがに『リロ&スティッチ』(ディーン・デュボアと共同監督、2002)や『ヒックとドラゴン』(ディーン・デュボアと共同監督、2010)を手がけたサンダース監督の面目躍如といったところか。ハリソン・フォードをはじめ、バックの主人となる人間のキャラクターも登場するけれど、観ていて感情移入する対象はバックになること請合いだ。

その分、後半やや単調になった嫌いがあったり、ちょくちょく挿入されるフォードのナレーションがむしろ邪魔なのではないかと思わなくもないけれど、犬たちの活躍をとくと堪能したいなら、本作はうってつけの作品だろう。


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◆47歳で急逝したジュディ・ガーランド最晩年のロンドン公演を主軸に、彼女の知られざる内面を描く『ジュディ 虹の彼方に』(ルパート・グールド監督、2019)は、レネー・ゼルウィガーの見事な名演と、『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督、1939)をキーにした構成とが相まった、物悲しくも力強い1作だった。

最晩年のジュディと交互にフラッシュバックする彼女の少女期(ダーシー・ショウ演)の思い出が明かされてゆく本作の構成は、ある意味では実に壮絶な人生をあぶり出すだろう。MGMのルイス・B・メイヤーたちから徹底的に自由を束縛され、自由に飲むことも食べることも許されず薬漬けにされ、ショウビズ業界に囚われ続ける──しかもMGMからは契約を切られている──ジュディは、歳を経てもその呪縛から逃れられず苦しみ続けている。そんなジュディを本作は、さながら彼女がスターダムを駆け上るきっかけとなった映画『オズの魔法使』に登場する「エメラルド・シティ」に囚われ続けたドロシーのように演出している。

本作のオープニングにおいて、メイヤーが「君を大スターにしてやろう」と年端もゆかぬジュディに囁きかける場所を思い出すなら、それは『オズの魔法使』の「納屋」のなかであり、やがて彼は彼女をつれて「黄色のレンガ道」を歩き、その向こうにあるエメラルド・シティ──彼らはこちらを向いており、その光景は映されないが──を指し示す。映画のなかでは、偉大な魔法使いとはデッチ上げであり、エメラルド・シティが単なる虚飾に過ぎないことが明かされることによってドロシーは現実に帰還するが、ジュディは留まらざるをえなかった。照明にせよ、セットや小道具や衣装にせよ、本作の画面に始終ついて回るエメラルド・グリーンの色調は、まさにジュディを拘束する檻にほかならない。

だからこそ、その檻から一瞬でも解放されたかのように映されるクライマックスの歌唱シーンは、とても力強く、同時にすこし儚げでもある。ジュディが虹の彼方にあるどこかを求め、エメラルド・シティでしか生きられなかったことを否定するのではなく、やさしく包み込むかのようなラストのとある顛末はとても印象的だ。演技のみならず力強いジュディの歌唱まで自らすべてをこなしたレネー・ゼルウィガーの表現力は、アカデミー賞をはじめ数々の賞で主演女優賞を獲得したのにも納得の素晴らしさ。まるでガーランド自身が憑依したのではないかとも思えるような本作のゼルウィガーだが、彼女自身しばらく休養を要して映画界から離れていただけに、どこかシンクロする部分が多かったのかもしれない。


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◆フランスの文豪ロマン・ガリが、シングルマザーだった彼の母ニーナと歩んだ半生を記した自伝小説『夜明けの約束』を映画化した『母との約束、250通の手紙』(エリック・バルビエ監督、2017)は、いわゆる “感動人情モノ” を思わせる予告編などから受ける印象とはまったく異なる作品だった。もちろんいい意味で。

たしかにシャルロット・ゲンズブールが熱演するロマンの母ニーナは、肝っ玉と商才と行動力があり、彼女がそれらを駆使して立ちはだかる幾多の困難にも果敢に闘いを挑んでは勝利を掴んでゆく姿はじつに逞しい。そして息子ロマンを「おまえはフランスの偉大な有名作家になって、大使にもなる」と信じて鼓舞し続ける彼女の愛情は本物だ。実際、彼女のサクセス・ストーリーとして本作を観るなら、見所と笑い所とちょっとした感動をテンポよく映した作品として捉えることもできるだろう。

しかし同時に、本作には──画面の色彩がそうであるように──どこか翳りがある。それは、そのようなニーナの大きな愛と願いの許に育ち、やがて──史実として──母との約束の数々を果たしたロマンの人生が、彼自身にとってどうだったのかという問いかけだ。母の愛と願いゆえにロマンは常に苦心し、やがて成長して大学や戦地へ赴いたことで母と離れても、彼は不在の彼女を完璧なまでに内在化できるまでになってしまう。その様子は、どこか心霊映画のような寒々しさがあるし、ロマンを支えた母ニーナの愛がある意味では呪いだったのではないかと一抹の不安がしたたる。

だからこそ、本作がメキシコの「死者の日」の祭り *6を映して開幕するのだろう。そしてラストにおいて、文字どおり「支(つか)え」が取れた──そもそも、なぜそれが必要だったのか──ロマンの表情を見るとき、えもいわれぬ余韻が鈍くこだまする。ラカンの「欲望は、他者の欲望である」とは、よく云ったものだ。


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◆突然の家族の死によって塞ぎ込んでいたダニーが、恋人のクリスチャンやその友人たちと共に独特な風習の残るというスウェーデンのホルガ村で行われる夏至祭に赴く『ミッドサマー』アリ・アスター監督、2019)は、なんとも無気味で、えもいわれぬ鑑賞後感をもたらす作品だった。

日本で封切られてから「山田と上田の出てこない『TRICK』」と一部で喩えられていたけれど、なるほどさもありなんといった感じの作品で、本作をあえてほかに喩えるなら「稗田礼二郎の出てこない漫画『妖怪ハンター』シリーズ(諸星大二郎)」、あるいは「SDKのいないゲーム『SIREN』」とでもいおうか。ダニーたちがやがて呑まれてゆく──そして、映画冒頭の “絵” にすべて予感される──ホルガ村の9日間にも及ぶ夏至祭には、アニミズムや客人(まれびと)信仰、輪廻転生やファルス信仰など様々な民俗学的風習の味わいを見ることができる *7。また、『ウィッカーマン』(ロビン・ハーディ監督、1973)を連想させる要素も多い。

アスター監督の前作『ヘレディタリー/継承』(2018)と同様に、登場人物たちの感情を言外に示しつつ、同時に彼/彼女たち全員が卓上の駒のように思えるような閉塞感を醸す徹底的にデザインされたカメラワークは本作でも健在。じっと耐え忍ぶような長回しや、ふいにリズムを途切れさせるようなタイミング、あるいは巧みなアクション繋ぎなどを用いた編集の緩急も相まって、なにも起こっていないシーンすら無気味極まりない。夏至祭が白夜に行われるという設定から、本作ではホラー映画にあるまじき明るい画面が延々と映されるわけだが、ゆえに我々が見てはならないおぞましい “なにか” がまざまざと映されているように思えてならない居心地の悪さは特筆に値する。

その他、ドイツ表現主義を思わせる歪んだ家屋のデザインやその後の展開を臭わせる数々の絵画、画面の周囲や一部が絶妙にウニョウニョと歪むトリップ表現、祭の儀式がついに臨界点を越えてふいに顕わになる “肉体” のそっけなさなど、最小限の効果で最大限のインパクトを与えてくれる。そして、あの手この手でダニーたちを篭絡、あるいは排除してゆく *8村人の晴れやかな表情──手をヒラヒラさせたりなんかしてね──もまた、なんとも得体の知れぬ情感に溢れていてドキドキさせられることだろう。

アスター監督が「自らの失恋体験を映画に持ち込んだ」と各所で語るように、ダニーとクリスチャンを巡る本作の物語は、ホラーやモンド映画という枠組みを用いて語られる、ある種の──冷め切った──恋愛モノである点も興味深い。ふたりの関係がどのように変化するのか、あるいはどうすればよかったのか、と観る者に常に問いを投げかけてくる。いみじくも劇中でホルガ村を「カルトの一種か?」と尋ねる台詞があるように、本作に登場する村民や奇祭とは、決定的な他者──深く理解しあえなくなった恋人あるいは家族、友人──の象徴なのだろう。ダニーとクリスチャン、あるいは彼らと村人たちは胃がキリキリと痛くなるようなスレ違いを見せる。しかし同時に、そんな村人たちこそがダニーに対して深い、いや、深すぎるほどの共感をもたらしてくれる存在としても──少なくとも表面上は──描かれており、はたして我々の暮らす現実社会とホルガ村のどちらが正しいのか、あるいは幸福なのかの判断は、ラストのダニーの表情を観る我々に任される。

本作をどの登場人物の視点──あるいは客観──で観るかによって、受ける印象はずいぶん異なったものになるはずで、このフラットな作りがよりいっそう観客の心の内をグラグラと揺さぶりにかけることだろう。ラストに「ある種の解放感を感じた」あるいは「カルト宗教そのものだ」というどちらの感想も、それぞれがそれなりの正しさを持ち得る。そういう意味では、本作は非常に危険な劇薬のごとき作品だ。

その他、前半のいたるところに配された鏡の使い方が最高とか、登場人物の息遣いに紛れる絶妙な低音の混じり気や “盆踊り” シーンでの劇中曲を鳴らす360度うねりまくる音響設計が臨場感満点で気味悪いとか、とはいえ若干長尺で間延びした感は否めないとか、エンディングテーマの選曲が例によって超意地悪 *9だとか、いろいろあるけれど、なんにせよ本作は心底無気味で不可思議な作品だった。アリ・アスターは本当に世界を呪っているなあ。!ホッ( ゚д゚)ハッ!


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*1:オリジナル・キャストのカメオ出演や、今回ボズレーの “ひとり” を演じたパトリック・スチュワートと歴代エンジェルたちとの記念スナップ──クレジットによれば、彼がピカード艦長を演じた『新スタートレック』(1987-1994)なんかから顔画像を引っ張ってきたらしい──も気が利いている。

*2:中盤の採掘場でのシーンで、ジェーンが傾斜のついた連絡橋の屋根の上を滑りながら敵を銃撃するショットなど素晴らしい。

*3:エレーナが「あんたは死んだことになっているのだから、ここ(隠れ家)でジッとおとなしくしてて」と言われるシーンは、完全にミスだろう。

*4:これすらも、おそらくはいままで執拗に強要されてきた「らしさ」からの脱却を目指しているのはないか。

*5:FOXニュースの偏向報道の是非はまた別の話。

*6:しかも、ファースト・ショットは棺桶から死者(に扮した人物)が飛び出して──甦って──くるというものだ。

*7:このゴッタ煮感というか即席感は、むしろ彼らのコミューンが最近形成されたのではないかとも思わせられ、ペレや村人の台詞の端々から「90年に1度」の夏至祭といったことが果たして本当なのかどうか疑わしくもある。

*8:自分たちに都合の悪いことに対する「言い訳」になると、途端に口数が増えるのが可笑しい。

*9:フランキー・ヴァレ版「太陽はもう輝かない The Sun Ain't Gonna Shine (Anymore)」(Bob Crewe, Bob Gaudio, 1965)。ダニーの心境を表しているようでもあり、冒頭に映されている(?)ようなホルガ村の日常をうたっているようでもある歌詞──そしてライムスター宇多丸がラジオで指摘したとおり、この曲が収録されたアルバムのカバー・アート──が、背筋を冷たく震わせるだろう。

2020 2月感想(短)まとめ

2020年2月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


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【劇 場】
◆半地下物件にて貧困のなか暮らすキム一家が、ひょんなことから富裕層パク一家の邸宅へ様々な使用人として身分を偽って入り込んでゆく『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督、2019)は、まずはもうさすがのジュノ監督節満載の、とにもかくにもメチャクチャ面白い作品だった。ベリー・インタレスティング(←本編リスペクト!)。

まずは予告編でも明かされている、最初に息子ギウと娘ギジョンがパク家の姉弟の家庭教師として、そして父ギテクが運転手、やがて母チュンスクが家政婦として、それぞれが身分を偽りながらひとりずつパク家の豪邸に入り込んでゆく前半部からして面白い。彼らがいかにしてパク家の信頼を口八丁手八丁で得ていき、すでにいるポストの前任者を追い払ってゆくかを描く作劇は、丁寧かつテンポよく組み上げられた画と編集、「えっ? そんな手で……」と呆気にとられるようなブラックな笑いを織り込みつつ一気に魅せてくれるし、アルカイックな表情を浮かべ続けるソン・ガンホはじめ、役者陣の絶妙機微なアンサンブルも実在感に溢れている。

やがて、ついにパク家の豪邸へのパラサイトに成功したキム一家に訪れる転機──この嵐の到来を文字どおり予感させる演出も、オーソドックスだが見事だ──を境にあれよあれよと転がり落ちるような後半部の展開もまた、すべてが予想の斜め上を辿っていて凄まじく翻弄される。「あの暗闇の向こうになにが……?」とさんざん引っ張っておいて見せつけられる光景には唖然とするし *1、あるいは画面内で起こっていることはメチャクチャしょぼいのに恐ろしくゴージャスなスリリングさを味わえる──『母なる証明』(同監督、2009)にもあったような──サスペンス・シーンには手に汗を握ること必至。そして、これらのシーンですらスラップスティックな雰囲気を意地悪く入れ込んでくるポン・ジュノ作品の醍醐味のひとつを、本作でも存分に楽しむことができるだろう。あんなシチュエーションの最中に、そんな体勢って見たことあります? ベタァーってね。よく思いつくわ! リスペクト!

本作の主な舞台は、キム一家が暮らす低所得者向けの半地下の部屋──もとは、北朝鮮による核攻撃に備えたものだという──と、パク一家が暮らす豪邸だ。このそれぞれの美術──ちょっとした色彩や照明効果の違いにも注目したい──や画面の切り取り方などが素晴らしく、貧困層と富裕層のかけ離れた実態を目の当たりにすることができるし、こんなミニマムな舞台立ての切り返しだけで、むしろ広々と物語を語ってしまう本作の演出は見事としかいいようがない。そして後半のある部分で、文字どおり世界がパッと開ける展開があるのだけれど、しかし、ここで観客に本作が提示するのは決して開放感ではなく、さながらボッティチェリの地獄図を思わせるような圧倒的で絶望的なまでの “高低差” なのだ。このシーンには思わず胸が締めつけられる。そしてここに来てハタと気づくのだ。いかに本作が──画的にも、暗喩的にも──高低差表現によって物語を豊潤に語っていたかを。

クライマックスにおいて──ここで詳細を記すのは控えるが──、「彼」が唯一まっとうな怒りを爆発させる瞬間、そしてオープニングと対になるようなラスト・ショットを呆然と眺めるとき、えもいわれぬ感情が胸中を埋め尽くす。これこそポン・ジュノ作品。世界はスクリーンの向こうでなく、僕らの眼前にこそ拡がっていることを思い出させてくれることだろう。世界は地続きだ。画面のなかの出来事は、われわれ観客にも決して無関係ではない。欲をいえば、もうすこし家庭教師としてパク家の子どもたちを篭絡してゆく様子──とくにインディアンにハマっている弟 *2のほう──を見たかったとは思うが、しかし見事な1作だ


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◆幼いころから霊の見える臨床心理士・森田奏の周囲で謎の死や失踪事件が相次ぎ、やがて彼女自身も怪異に巻き込まれてゆく『犬鳴村』清水崇監督、2020)は、嫌いじゃないけれど、なんとも惜しい作品だ。

本作の前半部はかなり健闘していて、画面の隅や暗がりのなかに霊がポツネンと立っているというオーソドックスなJホラー的表現を効果的に用いていて無気味だし、ヒロイン奏が見えてしまう体質ゆえに「霊が見える」ようになる物語の展開も自然に運んでいる。また、カットを割らず1ショット──いくらかは擬似的なものだと思われる──内での視線移動で霊がチラリズムする演出や、ふと遠景でループしている怪異の表現も楽しい。

しかし、残念ながら後半部になって脚本の練り不足がかなり目立っている感は否めない。たしかに、どちらかといえば伝奇モノやダーク・ファンタジーのような転換を辿る展開そのものは面白いものの、では “彼” はいったいどういう存在なのか非常にあやふやで呑み込みづらかったり、彼女たちはどこであの映像を──記録フィルムと奏が一体化するかのような演出は面白かったものの──見たのか判然としなかったりと、細部の詰めの甘さがノイズになってはいまいか。また、結末部の見せ場において奏たちが長時間立ちんぼだったのはいくらなんでもどうか──つまずいて転んでしまって身動きが取れなくなる、とかあったのではないか──と思うし、明かされる真実にしても──悪い意味で──どっちつかずのままだ。

物語のブラッシュアップがもうすこしでもなされていたなら、よりいっそう見応えのある作品なったはずだ。


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心不全のうえに眼球が破裂という奇怪な死に方で親友を失った瑞紀が、やがて彼女自身もその死にまつわる呪いに巻き込まれてゆく『シライサン』安達寛高 *3監督、2020)は、たしかに話運びに若干のこなれなさもあるものの、メインディッシュである「シライサン」関係はたいへん恐がって観られる1作だ。

そっと画面に影が射して鈴の音が「チリン」と鳴るというかすかな予兆とともに、廊下や舗道の暗がりの奥に不意に現われてこちらを向いて佇むシライサンを、その呪いの設定上から我々も登場人物とともにジッと見つめ続けなければならない──絶対にふり返ってはいけないダルマさんが転んだとでもいうべき──恐怖は、そのジットリとした静謐な撮影や編集、特殊メイクで表現された “やたらと目の大きな女” の造型──等身の高いグレイ型宇宙人、もしくは顔色と出来の悪いデカ目メイクアプリの画像とでもいおうか──も相まって、世にも恐ろしい。

まあ、せっかく画がたいへん無気味であるがゆえに「眼球破壊」のSEがちょっとやかましく聞こえたり、シライサンが割と律儀に登場手順を守るので若干マンネリに思えたり、彼女の性質上いささかシュールな画になっているシーンもあったりする点は否めないが、謎が徐々に明かされながらも絶妙に足許をすくわれてゆく物語のなんとも知れぬ歯がゆい展開が続くこともあって、その無気味なテンションを維持することには成功しているだろう。また、劇中で登場人物が「承認欲求の塊だな」と指摘するように、シライサンは或いは “いいね” 時代を生きる我々の集合的無意識の結晶なのかもしれない。

それにしてもホント、あんなのに夜中に出会いたくはないわ、と背筋に冷たいものが走る作品だった。そういえば、任意でスマートフォンなどのアプリケーションを用い、追加音声トラックをイヤフォンで同時に聴くという上映方式だったが、そちらはどんな感じだったのだろう? ところどころSE──鈴の音など──が足りないような気がしたのは、そのためなのかしらん?


     ※

*1:このくだりは、黒沢清の一連のホラー作品や、とくに『クリーピー 偽りの隣人』(2016)を思い出した。

*2:征服者が被征服者への憧れを持つという構図がもうね……。

*3:乙一の本名名義。

2020 1月感想(短)まとめ

2020年1月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


     ※


【劇 場】
◆1996年のアトランタ五輪爆破事件において、最初に爆弾を発見して犠牲者の軽減に努めた警備員リチャードだったが、それによってFBIから第1容疑者として捜査対象になってしまう『リチャード・ジュエル』クリント・イーストウッド監督、2019)は、太刀筋軽やかながらズシンと心に迫る、さすが名人芸が光るイーストウッド実録モノだった。

例によって無駄な描写や説明を極力省き、カメラ・ワークも奇をてらわず、そして永年イーストウッド監督作に携わってきたジョエル・コックスによる一見単調だが実にテンポのよい編集──ふいに爆弾が爆発する緩急など見事──も相まって、本作が描き出すリチャード・ジュエルたちの日常が音を立てて崩れ去っていく様子はとにかく恐ろしい。リチャード・ジュエルと、のちに彼を弁護することになるワトソン・ブライアントとの出会いを描く序盤では「ふたりの関係性を描くにはコレとコレとコレだけでOK」と文字どおりポンポン時間が過ぎたり、ときおり「ハイハイ、説明的描写はココまで」とでもいうように「えっ?」というタイミングで劇伴が消えたりするのも、ひとつのイーストウッド話芸であり、ご愛嬌といったところか *1

本作で印象的なのは、登場人物の誰しもが、多かれ少なかれ “浅はか” だということだ。性欲に負けて操作機密をリークしてしまうFBI捜査官 *2、自身の名誉欲のために情報の精査もないままにリチャードを犯人に仕立て上げるニュースを書いた地方新聞記者たちも浅はかなら、リチャード自身も単なる聖人君子ではなく、浅はかな部分がある人物として描かれている。冒頭、法執行官に憧れるリチャードに対してワトソンが「権力に溺れてクソ野郎になるな」と釘を刺すにも関わらず、実際に保安官補などの職に就いた彼はその驕りによって前科を犯したり職を失ったりしているし、いざFBIの捜査対象になってからも、ついついその──ある種宗教的とでもいえるような──憧れから要らぬことをベラベラ喋ったりしてしまう。

本作が描くように、人間誰しも浅はかである。それはしかたのないことだ。その浅はかさを浅はかにも隠匿しようとすることもあるだろう。しかし、それが絶大な権力と結びついたとき加速度的に肥大化してしまう。それによって無関係な第三者に矛先が向かうこと──そして、それに対して無自覚であること──の恐怖を本作はまざまざと描き出す。ラスト、いかにも不味そうなドーナツを食べるリチャードの表情に、なにを思うだろうか。


     ○


フェラーリ買収に失敗したフォードが、打倒フェラーリに向けてレーシング・カー開発を決定し、ふたりのはぐれ者をチームに引き入れる『フォードvsフェラーリジェームズ・マンゴールド監督、2019)は、繊細な人物描写と臨場感溢れるカー・アクションが融合した見事な1作。

本作はタイトルや予告編にある「企業」対「企業」の闘争という印象に対して、むしろフォード内部における「現場」対「中間管理職」対「幹部」間にあった軋轢や葛藤のなかで培われるマット・デイモン演じる元ドライバーの技術師シェルビーとクリスチャン・ベール演じるイギリス人ドライバーであるマイルズの “はぐれ者” コンビの関係性を軸に描いている。彼らが徐々に一心同体となってゆく過程──中盤にある仲直りのための喧嘩シーンの微笑ましさたるや──をマンゴールド監督らしい無駄なく丁寧な演出で描いており、バディものとして一級品だ。もとはマイケル・マン監督で製作される予定だったらしく、そのときにはもっと群像劇的な仕上がりを目論んでいたともいわれ、マンゴールドが監督に登板するということで現在の本作のような脚本に変更されたというが、それが実に功を奏した結果となった。

とくに本作における、誰がどのキャラクターを見ているかの視線のやりとり演出は、俳優の立ち位置や表情の機微、画面の切り取り方から編集にいたるまで非常に細やかだ。マイルズの姿にかつての自身を重ねるシェルビー、常にコースの消失点の先を見据えるようなマイルズの爛々とした瞳、現場と幹部の狭間に立つアイアコッカの絶妙な表情の変化などなど素晴らしい。また中盤、とある事情によってル・マン参戦チームを降板させられたマイルズが、倉庫のなかでひとりラジオで実況中継を聴いているシーンでの、倉庫の外を移動する牽引車の照明に照らされる自動車の列の影が、まるで彼の脳内イメージのなかで走っているかのようにマイルズの横顔の奥の壁に映されるショットといった、言葉に頼らず多くを語る映画的演出もさりげなく、しかし巧みに用いられている。

そしてもちろん、当時のル・マン24時間耐久レースのコースを再現し、実際に車を走らせて撮影したというレース・シーンも素晴らしい。決して昨今のアクション映画にあるようなVFXを多用した派手なものではない──同監督の『LOGAN/ローガン』(2017)における、VFXを使用しながら実に地味に仕立て上げたカー・アクションを見てもわかるように、本作にド派手なのを期待しては駄目よ──が、路面スレスレにセッティングしたカメラで撮影されたスピード感あるショットと車内のドライバーの表情に肉迫するショットの組み合わせ、そして腹の底を揺さぶるようなエンジン音の巧みなサウンド・エフェクトも相まって見事な臨場感を醸していて、思わず身を乗り出しそうになるほどだ。

やがてシェルビーとマイルズに訪れた2度目の青春は、彼らふたりにはどうすることのできない力によって終焉を迎えるが、舞台となる時代もあって、それはアメリカン・ニューシネマの作品群にも似た切なさや寂寥感に溢れている。しかし同時に、人間いつだって人生のアクセルを踏み込むことができると、高らかに謳い上げるようなラスト・シーンには、温かな爽やかさにも満ちているのだ。


     ○


◆バイキングの長となったヒックとトゥースたちの精力的な活躍によってドラゴン保護区の様相を呈しだしたバーク島を狙うドラゴンハンター・グリメルらの魔の手から逃れるべく、亡き父が探し求めていた幻の地を探す旅に島民総出で繰り出すヒックとドラゴン 聖地への冒険』(ディーン・デュボア監督、2019)は、3部作の終章として見事な大団円を迎える1作だった。

前作『2』(同監督、2014)が世界的な成功にもかかわらず日本では劇場未公開(DVDスルー *3)に終わったため、1作目と3作目だけが劇場公開されるという不遇を被ったシリーズだが、なんにせよ本作を劇場のスクリーンで体感できたことは、とてもありがたいことだ。

閑話休題。こういったCGアニメーション作品を観るたびに決まり文句のように書いてしまうので恐縮だが、本作もまた、その映像美の凄まじさは前作のそれをも凌駕するものだった。滑らかで、ちょっとひんやりとしそうなドラゴンたちの体表、トゥースの大きな瞳に映り込むヒック、毛髪から産毛まで微細に描き込まれたキャラクターたちの纏う衣装のそれぞれに異なった布地、材木の温もりや葉っぱの1枚1枚のきらめき、若干の湿り気がありながらもサラサラとこぼれる砂粒といった自然物の手触り、様々に表情を変える波や雲といった流動表現などなど、カットによってはさながら実写にさえ思えるほどのリアリスティックで美しい質感表現には、たちまち目を奪われる。

また、冒頭に映される多種多様のドラゴンたちが文字どおりウジャウジャ暮らしているバーク島の風景などは、その作成過程を思うと目眩のするような情報量が画面一杯に埋め尽くされている。そしてもちろん、本シリーズ最大の売りのひとつであろうドラゴンに跨っての飛翔シーンや、縦横無尽に立体的に展開されるアクションも一層ブラッシュ・アップされており、それらの臨場感と高揚感ともに見事なものだ。実写的な撮影も美しい。

たしかに脚本に若干の粗は認められる。突き詰めて考えると本作の “聖地” の設定は若干後付け感があるような気がしないでもない──これはシリーズをとおしてのことでもあるが、そういった秘密の地がわりとすんなり見つかってしまうのも惜しい──し、ヴァイキングたちの行動の早さには驚いたし、本作の悪役グリメル以外の敵キャラたちの印象が妙に薄かったりもする。

しかし本作が、第1作『ヒックとドラゴン』(クリス・サンダースと共同監督、2010)の、とくに結末部において賛否両論となった「ペット *4か否か」問題について逃げを打つことなく向き合い、結末部において極めて誠実な回答を示してみせたことは特筆に価するだろう。「僕は自分の理想ばかり追い求めていた」と思い悩むヒックの辿り着いた結論は、ぜひご自身で確かめてみていただきたい。

1作目では少年少女だったヒックたちの姿に、みんな大きくなったなあ、と涙なくしては観られない終章だ。


     ○


捨て猫ヴィクトリアが迷い込んだロンドンのとある路地裏で、天上へ昇って生まれ変わることのできる猫が長老猫によって選ばれる年に1度の舞踏会の幕が上がる『キャッツ』トム・フーパー監督、2019)は、なんとも名状しがたい感じの作品だった。

本作が、T・S・エリオットによる詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」(1939)を元にアンドルー・ロイド・ウェバーが作曲を手掛けたミュージカル作品(初演: 1981)の映画化であることについては、もはや多くを語る必要もあるまい。本作でも当然ながら披露される楽曲の数々は──テイラー・スウィフトによる本作のための書き下ろし曲「ビューティフル・ゴースト」も含めて──聴き応えがあるし、演者陣が披露するダンスやアクション、そして表情のニュアンス付けなどといったパフォーマンスは総じて素晴らしい。

また、本作において──いろんな意味で──最も目を惹くであろう、最新VFX技術を用いた猫の擬人化ならぬ演者陣の “猫化” も──たとえばSF映画などでひとりふたりがというのではなく、登場キャラクター全員がというのも含めて──これまで観たことのない映像の手触りがあって新鮮だ。彼/彼女らの毛並みのボリューム設定は、おそらくパフォーマンスの際に躍動する演者の筋肉の動きを余すところなく微細に捉えるために相当細かく調整されたはずで、着ぐるみでもなく衣装でもなくレオタードでもない独特の按配は、なんとも知れぬ実在感を醸している。覚えておいでだろうか、まるで舗道に敷き詰められた石畳のごとくミッチリと羅列された無数のVFXアーティストたちの名前がせり上がってゆくスタッフロールを……これだけの人物が──もちろん全員がではないだろうが──一気呵成に猫の毛を作っていたと思うと、なかなか味わい深い感慨が生まれる。しかもジュディ・デンチイアン・マッケランといった錚々たる顔ぶれが皆して猫の姿をしている画は、おそらく今後2度と拝めないのではないか。

とはいえ、本作が前述したような元よりのパフォーマンスと映像的新鮮さとを十全に活かしきれているとはいい難い。とくに気になったのがカメラワークと編集だ。

まずはカメラワークそのものだが、やたらカメラがフラフラ動くショットが多い。おそらくドキュメンタリー的な手持ちカメラ風の撮影を用いることで、観客が実際に猫の世界に迷い込んだかのような臨場感を生もうとしたのだろう。しかし画面が安定しないぶん、せっかくの演者の身体動作や、それを肉感的に切り取る精緻な猫化ヴィジュアルに集中し辛い。加えて本作の編集は基本的に1ショットが短く、カメラもショットごとにアッチに行ったりコッチに行ったりアップになったりロングになったりとせわしないため、画面内の位置関係が恐ろしくわかり難いのだ。その結果、ダンスもいまいち印象に残らない。いっとき流行ったチャカチャカしたアクション映画の編集を見た感じに非常に近いといえば、想像しやすいだろうか。それどころか、単純な切り替えしさえ出来ていない箇所すら散見──いちばんのクライマックスで180度ルールをガン無視した編集が出てきたときには、さすがにどうかと思ったよ──される。カットの前後でいっぺんに背景が変わるといった、映画ならではの編集的見所もあるぶん、たいへんもったいない。

本作がこれほどまでにVFXを多用した画作りを志すのであれば、変に実写映画として撮ろうとするのではなく、いっそアニメーション映画のように──たとえばディズニーのアニメーション作品におけるミュージカル・シーンのような方法論などを用いて──描いたほうが、むしろ本作のトーンに合っていたのではないだろうか。


     ※

*1:中盤に登場するリチャードの悪夢シーン、あれ多分ポール・ウォルター・ハウザーに自撮りさせてるよね。

*2:この、女性記者が性行為と引き換えに情報を得たという部分については本作のかなり恣意的な創作であることは念頭に置きたいし、もうすこし別の表現がなかったのかとは思う。この点において、悪い意味でキャラクターをステレオタイプに落とし込もうとした作り手たちもまた、浅はかだったといえるだろう。

*3:【備忘録】発売当時の感想: 『ヒックとドラゴン2』(2D日本語吹替え版・Blu-Ray試写)感想 - つらつら津々浦々(blog)

*4:『1』のラストに付されたヒックによるドラゴンについてのナレーションでの表現。オリジナルの英語では冒頭が「ペスト(=害獣)」と表現されるドラゴンへのヒックたちの感情と──音的にも──対になった表現となっている。

2019年劇場鑑賞映画ベスト10

あけましておめでとうございます。
本年が皆様にとって善い年であるよう、心よりお祈り申し上げます。


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     ※


【2019年劇場鑑賞映画ベスト10】

『ヘレディタリー/継承』アリ・アスター監督、2018)
ロケットマン(デクスター・フレッチャー監督、2019)
スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督、2019)
トイ・ストーリー4』(ジョシュ・クーリー監督、2019)
バイス(アダム・マッケイ監督、2018)
『名探偵ピカチュウ(ロブ・レターマン監督、2019)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』クエンティン・タランティーノ監督、2019)
『ジョーカー』トッド・フィリップス監督、2019)
ファースト・マンデイミアン・チャゼル監督、2018)
『アリータ: バトル・エンジェル』ロバート・ロドリゲス監督、2019)

【備忘録】2019年鑑賞作品リスト

2019年に観た映画等の備忘録リストです。今年は初見194+α作品でした。
末尾に “◎” のあるものは劇場で観たものです。

気まぐれに短い感想を書いた作品もありますので、よろしければ過去投稿記事をご参照いただければ幸いです。

それでは皆様、よいお年を。


     ※


ジュピターズ・ムーンコルネル・ムンドルッツォ監督、2017)
『ソイレント・グリーン』リチャード・フライシャー監督、1973)
『地球最後の男オメガマン(ボリス・セイガル監督、1971)
タイクーン!!!!!』(ノンタコーン・タウィースック監督、2018)
『アリー/スター誕生』ブラッドリー・クーパー監督、2018)◎

パシフィック・リム: アップライジング』スティーヴン・S・デナイト監督、2018)
『ホーンテッドテンプル 顔のない男の記録』(マイケル・バレット監督、2016)
『追憶の森』ガス・ヴァン・サント監督、2015)
キングコング2ジョン・ギラーミン監督、1986)
ザ・シークレットマンピーター・ランデズマン監督、2017)


10


『ヘレディタリー/継承』アリ・アスター監督、2018)◎◎
『おとなの恋はまわり道』(ヴィクター・レヴィン監督、2018)◎
ザ・スクエア 思いやりの聖地』リューベン・オストルンド監督、2017)
イカリエ-XB1インドゥジヒ・ポラーク監督、1963)
トレマーズ4』(S・S・ウィルソン監督、2004)

『TAXi ダイヤモンド・ミッション』(フランク・ガスタンビド監督、2018)◎
『サイバー・ミッション』(リー・ハイロン監督、2018)◎
ニンジャバットマン水崎淳平監督、2018)
『時間回廊の殺人』(イム・デウン監督、2017)
『ヘンゼル&グレーテル』トミー・ウィルコラ監督、2013)


20


メリー・ポピンズ リターンズ』ロブ・マーシャル監督、2018)◎
『モンキー・ボーン』ヘンリー・セリック監督、2001)
スパイダーマン: ホームカミング』ジョン・ワッツ監督、2017)
『スプリット』M・ナイト・シャマラン監督、2016)
『アクアマン』ジェームズ・ワン監督、2018)◎

『劇場版シティーハンター〈新宿プライベート・アイズ〉』こだま兼嗣総監督、2019)◎
『ミネハハ 秘密の森の少女たち』(ジョン・アーヴィン監督、2005)
フェラーリの鷹』ステルヴィオ・マッシ監督、1976)
『天才作家の妻 40年目の真実』(ビョルン・ルンゲ監督、2017)◎
『アリータ: バトル・エンジェル』ロバート・ロドリゲス監督、2019)◎◎


30


スパイナル・タップロブ・ライナー監督、1984
『新・ドラゴン危機一発ドニー・イェン監督、1998)
『吸血鬼ドラキュラ』(テレンス・フィッシャー監督、1958)
『黒い箱のアリス』(サドラック・ゴンザレス=ペレジョン監督、2017)
狩人の夜チャールズ・ロートン監督、1955)

『グリーンブック』(ピーター・ファレリー監督、2018)◎
『運び屋』クリント・イーストウッド監督、2018)◎
デューン砂の惑星デヴィッド・リンチ監督、1984
大空港ジョージ・シートン監督、1970)
『グッバイ・クリストファー・ロビンサイモン・カーティス監督、2017)


40


バンブルビートラヴィス・ナイト監督、2018)◎◎
『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』ジョー・ダンテ監督、1993)
キャプテン・マーベル(アンナ・ボーデン、ライアン・フレック監督、2019)◎
『SPL 狼たちの処刑台(ウィルソン・イップ監督、2017)
『黒の怨(のろい)』ジョナサン・リーベスマン監督、2003)

『ダンボ』ティム・バートン監督、2019)◎
ラストエンペラーベルナルド・ベルトルッチ監督、1987)
ディストピア パンドラの少女コーム・マッカーシー監督、2016)
ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談ジェレミー・ダイソンアンディ・ナイマン監督、2017)
ファースト・マンデイミアン・チャゼル監督、2018)◎


50


きみへの距離、1万キロキム・グエン監督、2017)
『タクシー運転手 約束は海を越えて』チャン・フン監督、2017)
『サンダーボルト』マイケル・チミノ監督、1974)
ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷(スピエリッグ兄弟監督、2018)
名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)』(永岡智佳監督、2019)◎

『シャザム!』デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2019)◎
ファントム・スレッドポール・トーマス・アンダーソン監督、2017)
『ラスト・ボーイスカウトトニー・スコット監督、1991)
ウィンド・リバーテイラー・シェリダン監督、2017)
ぼくの名前はズッキーニクロード・バラス監督、2016)


60


アルカディア(アーロン・ムーアヘッド、ジャスティン・ベンソン監督、2017)
アベンジャーズ/エンドゲーム』アンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督、2019)◎
『名探偵ピカチュウ(ロブ・レターマン監督、2019)◎◎
スカイスクレイパーローソン・マーシャル・サーバー監督、2018)
スカイライン -奪還-』(リアム・オドネル監督、2017)

死霊館のシスター(コリン・ハーディ監督、2018)
アンタッチャブルブライアン・デ・パルマ監督、1987)
『ジェニファー8』ブルース・ロビンソン監督、1992)
『ラ・ヨローナ~泣く女~』(マイケル・チャベス監督、2019)◎
『この子の七つのお祝いに』増村保造監督、1982)


70


バトル・オブ・ザ・セクシーズ(バレリー・ファリス、ジョナサン・デイトン監督、2017)
ハドソン・ホークマイケル・レーマン監督、1991)
リプレイスメント・キラーズ』アントワーン・フークア監督、1998)
インパクト・クラッシュ』(サンカルプ・レッディ監督、2017)
『The Witch 魔女』パク・フンジョン監督、2017)

『レディ・ブレイド(イップ・ウィン・チョー監督、1971)
『貞子』中田秀夫監督、2019)◎
『魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』平尾隆之監督、2013)
『フェブラリィ -悪霊館-〈※ソフト題: フェブラリィ ~消えた少女の行方~〉(オズグッド・パーキンス監督、2015)
ゴジラ キンブ・オブ・モンスターズ』(マイケル・ドハティ監督、2019)◎◎◎


80


大人のためのグリム童話 手をなくした少女セバスチャン・ローデンバック監督、2016)
『ロサンゼルス』マイケル・ウィナー監督、1982)
『ぼくとアールと彼女のさよなら』(アルフォンソ・ゴメス=レホン監督、2015)
『秘密が見える目の少女〈※ソフト題: ウィッチ・アンド・ドラゴン 秘密が見える少女〉(ケネス・カインツ監督、2015)
バイス(アダム・マッケイ監督、2018)◎

search/サーチアニーシュ・チャガンティ監督、2018)
海獣の子供(渡辺歩監督、2019)◎
『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン(デヴィッド・リーフ、ジョン・シャインフェルド監督、2006)
10億ドルの頭脳ケン・ラッセル監督、1967)
メン・イン・ブラック: インターナショナル』F・ゲイリー・グレイ監督、2019)◎


90


『天使の処刑人 バイオレット&デイジー( ジェフリー・フレッチャー監督、2013)
『ギャザリング』(ブライアン・ギルバート監督、2002)
スターリンの葬送狂騒曲アーマンド・イアヌッチ監督、2017)
太平洋奇跡の作戦 キスカ丸山誠治監督、1965)
ザ・ファブル江口カン監督、2019)◎

イット・カムズ・アット・ナイト(トレイ・エドワード・シュルツ監督、2017)
スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督、2019)◎
『霧につつまれたハリネズミ(ユーリイ・ノルシュテイン監督、1975)
私はあなたのニグロではないラウル・ペック監督、2016)
『アラジン』ガイ・リッチー監督、2019)◎


100


恋人はスナイパー羽住英一郎監督、2001) ※TVM
恋人はスナイパー EPISODE 2』六車俊治監督、2002) ※TVM
恋人はスナイパー 《劇場版》』六車俊治監督、2004)
キスキス,バンバンシェーン・ブラック監督、2005)
『センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(ブラット・ペイトン監督、2012)

『MUFUNE: THE LAST SAMURAI(スティーブン・オカザキ監督、2016)
リグレッションアレハンドロ・アメナーバル監督、2015)
トイ・ストーリー4』(ジョシュ・クーリー監督、2019)◎
『SF核戦争後の未来・スレッズ』ミック・ジャクソン監督、1984) ※TVM
エンジェル、見えない恋人ハリー・クレフェン監督、2016)


110


『ペット』(クリス・ルノー、ヤーロー・チーニー監督、2016)
ミニオンズ: アルバイト大作戦』(グレン・マッコイ監督、2016)
『ペット2』(クリス・ルノー、ジョナサン・デル・ヴァル監督、2019)◎
ミニオンのキャンプで爆笑大バトル』(2019)◎ ※短篇
『ロング・キス・グッドナイト』レニー・ハーリン監督、1996)

『007 カジノロワイヤル』ジョン・ヒューストンケン・ヒューズロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラスヴァル・ゲスト監督、1967)
『ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲』(デイヴィド・カー監督、2018)
『惑星大戦争福田純監督、1977)
ワイルド・スピード/スーパー・コンボ』デヴィッド・リーチ監督、2019)◎◎
ビューティフル・デイ(リム・ラムジー監督、2017)


120


『100万年地球の旅 バンダーブック手塚治虫演出、1978) ※TVM
『海底超特急 マリンエクスプレス出崎哲監督、1979) ※TVM
『フウムーン』坂口尚監督、1980) ※TVM
1987、ある闘いの真実チャン・ジュナン監督、2017)
『ミスター・ガラス』M・ナイト・シャマラン監督、2018)

『マネーショート 華麗なる大逆転』(アダム・マッケイ監督、2015)
『ポリス・ストーリー REBORN』(レオ・チャン監督、2017)
ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』水島努監督、2019)◎
『ディザスター・アーティスト』ジェームズ・フランコ監督、2017)
ライオン・キングジョン・ファヴロー監督、2019)◎


130


『ANON アノン』アンドリュー・ニコル監督、2018)
ブリグズビー・ベア(デイヴ・マッケイ監督、2017)
ロケットマン(デクスター・フレッチャー監督、2019)◎
ルパン三世 グッバイ・パートナー』川越淳監督、2019) ※TVM
ゴッホ 最期の手紙(ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン監督、2017)

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』クエンティン・タランティーノ監督、2019)◎◎
クローバーフィールドパラドックス(ジュリアス・オナー監督、2018)
アナイアレイション -全滅領域-アレックス・ガーランド監督、2018)
『Jurassic World: Battle at Big Rock(原題)』(コリン・トレヴォロウ監督、2019) ※短篇
そして誰もいなくなったルネ・クレール監督、1945)


140


『王朝の陰謀 闇の四天王と黄金のドラゴン』ツイ・ハーク監督、2018)
アナベル 死霊博物館』(ゲイリー・ドーベルマン監督、2019)◎
『アド・アストラ』ジェームズ・グレイ監督、2019)◎
『SHADOW 影武者』チャン・イーモウ監督、2018)◎
『新聞記者』藤井道人監督、2019)◎

スパイダーマン: スパイダーバース』(ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン監督、2018)
『明日、君がいない』(ムラーリ・K・タルリ監督、2006)
『ミカドロイド』原口智生監督、1991) ※OV
『レゴ®ムービー2』(マイク・ミッチェル監督、2019)
『アローン』ダヴィド・モロー監督、2017)


150


『ジョーカー』トッド・フィリップス監督、2019)◎
『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』ウィリアム・フリードキン監督、1977)
ジョン・ウィック: パラベラム』チャド・スタエルスキ監督、2019)◎
『マウス・オブ・マッドネス』ジョン・カーペンター監督、1994)
ガリーボーイ』(ゾーヤー・アクタル監督、2019)◎

『ムーラン』(バリー・クック、トニー・バンクロフト監督、1998)
スペシャルアクターズ』上田慎一郎監督、2019)◎
『アラン─阿娘─』(アン・サンフン監督、2006)
手塚治虫物語 ぼくは孫悟空りんたろう、波多正美監督、1989) ※TVM
『ピラニア』ジョー・ダンテ監督、1978)


160


『ハンターキラー 潜行せよ』(ドノヴァン・マーシュ監督、2018)
ジェミニマン』アン・リー監督、2019)◎
『パターソン』ジム・ジャームッシュ監督、2016)
西遊記 女人国の戦い』(ソイ・チェン監督、2018)
IT/イット THE END “それ”が見えたら終わり。』アンディ・ムスキエティ監督、2019)◎

サスペリアダリオ・アルジェント監督、1977)
『ボディ・スナッチャーズ』アベルフェラーラ監督、1993)
ターミネーター: ニュー・フェイト』ティム・ミラー監督、2019)◎
女王陛下のお気に入りヨルゴス・ランティモス監督、2018)
『ユニバーサル・ソルジャー: リジェネレーション』(ジョン・ハイアムズ監督、2010)


170


『リトル・プリンス 星の王子さまと私』(マーク・オズボーン監督、2015)
『英雄は嘘がお好き』(ローラン・ティラール監督、2018)◎
ルビー・スパークスジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス監督、2012)
『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』(まんきゅう監督、2019)◎
ミッドナイト・ランナーキム・ジュファン監督、2017)

まぼろしの市街戦』フィリップ・ド・ブロカ監督、1966)
アナと雪の女王2』クリス・バックジェニファー・リー監督、2019)◎
サスペリアルカ・グァダニーノ監督、2018)
『僕のワンダフル・ジャーニー』(ゲイル・マンキューソ監督、2019)◎
ブラック・ジャック 劇場版』出崎統監督、1996)


180


『イエスタデイ』ダニー・ボイル監督、2019)◎
地獄の黙示録・特別完全版』フランシス・フォード・コッポラ監督、1979、2001)
ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち』キム・グエン監督、2018)◎
『ドクター・スリープ』マイク・フラナガン監督、2019)◎
『ハロウィン』ジョン・カーペンター監督、1978)

ルパン三世 THE FIRST』山崎貴監督、2019)◎◎
『ザ・マミー』(イッサ・ロペス監督、2016)
アンダー・ザ・シルバーレイクデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督、2018)
『イップ・マン外伝 マスターZ』ユエン・ウーピン監督、2018)
『屍人荘の殺人』(木村ひさし監督、2019)◎


190


『映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!』(リチャード・スターザック、ウィル・ベッカー監督、2019)◎
スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』J・J・エイブラムス監督、2019)◎◎
『孤独なふりした世界で』(リード・モラーノ監督、2018)
ジュマンジネクスト・レベル』ジェイク・カスダン監督、2019)◎


     ※


【TVアニメ】
ポプテピピック(青木純、梅木葵監督、2018)
『SSSS.GRIDMAN』(雨宮哲監督、2018)
ルパン三世 PARTⅢ』青木悠三ほか演出、1984-1985)


     ※


OVA
ブラック・ジャック出崎統監督、1993-2000)
ブラック・ジャック FINAL』出崎統監修・シリーズ名誉監督、桑原智、西田正義総監督、2011)

2019 12月感想(短)まとめ

2019年12月に、ちょこまかとtwitterにて書いていた短い映画感想の備忘録(一部加筆修正)です。


     ※


【劇 場】
◆展望台ホテルの惨劇から生還したものの、やがて父同様にアルコール依存症に苦しむようになったダニーが、同じ能力を持つ少女アブラとともに闇の勢力との戦いに巻き込まれてゆく姿を描いたスティーヴン・キング原作の『ドクター・スリープ』マイク・フラナガン監督、2019)は、いかにもキングらしいサイキック・バトルものだった。

本作は、予告編が謳っていたような──あるいは前作『シャイニング』(スタンリー・キューブリック監督、1980)をそのまま継承したような──心霊ホラーやサイコ・ホラー的なテイストがじつは薄めの作品だ。もちろん、気がつけば林の奥に人影が……といったような『回転』(ジャック・クレイトン監督、1961)を思わせるような気味の悪いショットなどは散りばめられているものの、どちらかといえば作中で「シャイニング」と呼ばれるテレパシー能力を持つダニーらと、同じ能力を悪用し、人の「生気」を食糧にすることで永遠に生きながらえようとするローズ・ザ・ハットらの──ヒッピー的生活を送るドラキュラのような──コミュニティとの超能力合戦がメイン。喩えるなら、世界が滅亡するほどではないものの、町角や裏山でひっそりと行われているかもしれない “幻魔大戦” といった趣だ。

そんな本作の見所のひとつは、カメラワークだ。前作においては、キューブリックが得意とする左右対称に固定されたレイアウトに、当時使用されはじめて間もないステディカムによる移動撮影──ダニーがホテル内を三輪車で走る姿を延々後ろから追うショットなど──が追加されることで、ことさらに水平感が強調されていたのに対し、本作においては──とくに登場人物たちが超能力を発動するシーンにおいて──文字どおり画面の軸が回転して90度に直立したままカメラが登場人物を追って移動するといったような、垂直感が強調されていたのが興味深い。画面の構図そのものは極めてシンプルだが、それが返ってあまり観たことのない不思議な感覚を最大限に与えてくれる。

また、ユアン・マクレガーが演じる中年ダニーの、アルコール依存症に苦しみつつも後に克服し、やがて自らの超能力を持って戦いに身を投じるというダニーの役柄は、なんとなればマクレガーの代表作に数えられるであろう『トレインスポッティング』シリーズ(ダニー・ボイル監督、1996-2017)のレントンと、『スター・ウォーズ』プリクエル三部作(ジョージ・ルーカス監督、1999-2005)のオビ=ワンを合体したようなキャラクターであるので、彼のお家芸を堪能できるのは楽しい。また本作には、前作のキャラクターが “そのまま” の姿で幾人か登場するのだけれど、これを近頃流行りのストックフッテージからの合成や、そっくりそのまま形成されたCGモデルを用いる──これはこれで良い面も多分にあるし、驚かされるのだけれど──のではなく、雰囲気の似た役者をきちんと登用しているのも、むしろかつての「続篇」感を思い出させてくれるようで趣がある *1

やがて、いささか荒廃はしているものの、かつての邪悪さはそのままに登場する展望台ホテルにおけるクライマックスでの顛末は、あれだけ前作を毛嫌いしていたキングが本作を許したわけがなるほど理解できるつくりだった。展望台ホテルへの山道を風雪のなか移動する車を追う空撮ショット──前作当時には技術的に描けなかったであろう──をはじめ、まるで名所名跡を巡る観光旅行のように、立ち会う人物を換えながら前作の怪異が律儀に再現されてゆくけれど、その後に本作が辿る道筋は、まさしくキングが「本当は『シャイニング』をこう映画化してほしかった」ように前作を語り直したものにほかならない *2

その他、頭のなかの図書館描写や、さすがにちょっと直裁に過ぎるのではと思った「生気」捕食描写、ほんのすこしテンポがよくてもよかったのではないかしらん、といったキング映画あるあるも十全に楽しめる作品だ。さすがに本作ばかりは前作を観ていないと「なんのこっちゃ」となると思われるので、『シャイニング』を観て、劇場に出かけたい。


     ○


◆1960年代初頭、かつて初代が盗み損ねたと云われる秘宝「ブレッソン・ダイアリー」を巡る凶悪な陰謀に天下の大泥棒ルパン三世たちと考古学好きの少女レティシアが挑むルパン三世 THE FIRST』山崎貴監督、2019)は、映像と映っているアクションは見事だけれども、話運びにいささか難アリな1作だった。

モンキー・パンチによる原作漫画の映像化の歴史のなかで初の3DCG長編アニメーション映画となる本作の予告編が解禁されたとき、熱心にとは言わないまでも、長年それなりにアニメ版 *3に親しんできた身としては期待と不安が五分五分といった気持ちで受け止めたことを思い出す。映像はともかくとして、かつて山崎貴監督には同様の企画『STAND BY ME ドラえもん』(2014)でかなり手痛い目に合わされていたからだ *4

閑話休題。まず、本作『THE FIRST』のルックは見事というほかない。日本において、どちらかといえば主流な印象のあるトゥーンシェイドによる2D手描きアニメーション風の画を採用せず、欧米で制作されたの諸作品──ピクサーやディズニー製のものに近いかな?──を思わせる、いかにもコンピュータ・グラフィックス・アニメーションといった映像を採用した本作の画面の完成度は、非常に高いものだ。

画面内に登場する各種プロダクション・デザインの数々は映像的な手触りなども含めて素晴らしい。立体的にも不自然のないように、しかもこれまでのアニメ版からも逸脱しないように注意深く形成されたキャラクター・デザイン──次元の髭には苦労したんだろうな──の絶妙さ、衣服ごとの素材によって異なる肌触りを醸した質感表現のこまかやかさにはとくに驚いたし、実在感に溢れた背景美術や小道具、そしてそれらを彩るライティングと撮影も美しい。実写的でありながらも、同時に間違いなく漫画映画的であるアクションも楽しく、これまた日本アニメでは珍しいプレスコで収録された台詞にバッチリ合った口元の演技にも注目したい。ことほど左様に本作の画に関しては、現状における日本映画のなかで、ひとつの到達点を見せられたようで、たいへん満足だ。

本作の「インディ・ジョーンズ」シリーズや「007」シリーズ──もちろん原作のコンセプトのひとつが和製007ではあるし、「インディ~」シリーズの元ネタのひとつもまた「007」シリーズである──をやりたかったのだろうなとありありと判る本編そのものも、概ね楽しめるものだ。本作が時代設定をあえて1960年代初頭においたのも、それらのシリーズでお馴染みのアイテムや人物、組織を不自然なく登場させたかったためだろう。本作のゲスト・ヒロインの「レティシア」という名前は、おそらく『冒険者たち』(ロベール・アンリコ監督、1967)のヒロインからの引用かと思われる。

そして同時に、1968年が舞台である皆大好き『~カリオストロの城』(宮崎駿監督、1979)へのオマージュもあれこれ──銭型警部がインターポールといいつつ埼玉県警を引き連れたり、「昭和ひとケタ」といった台詞を言わせてみたり、「ごくろうさん」マークを随所で登場させたり、などなど──挿し込みたかったのだろう。また終盤には、いかにも山崎貴監督らしいメカニック・デザイン──トンボみたいな例のデザインがほんとに好きなんだねェ──も登場し、セルフ・オマージュをも挿入している。

ただ、表面的/表層的な部分では楽しめたところも多かったぶん、重要な本筋の脚本や演出の詰めの甘さが余計にもったいなく感じられた。公式ホームページ等を参照すると、本作ではストーリー構築に日本映画としては異例なほど力を入れているようだが、それにしては奇妙に粗が多いのも事実だ。

たとえば前半部にある、ルパンとレティシアが敵の巨大飛行艇の内部へと潜入し、艇内で「ブレッソン・ダイアリー」の捜索と秘密の解明を経て、艇内から脱出するまでの流れは、いくらなんでも不自然過ぎる。具体的な潜入の経路やアクションを端折っているので、艇内の構造が不鮮明だったり、見つかるか見つからないかのサスペンス的スリル感が削がれているからだ *5。しかもルパンたちがそんな閉所空間──あろうことか敵の本拠地のなか──でワアキャア喋りどおしだったのは、敵に泳がされたフリをしていたにしても不自然極まりない *6。そののちに展開される自由落下アクションからチェイス・シーンに連なる見せ場そのものはアニメ的なケレンに満ちていて楽しいのだけど、降りた先のあの荒野がいったい地球上のどこなのか──ここだけ場所のキャプションが “あえて” 出ないのもあって──サッパリわからないため、妙なノイズが残っている。

あるいは後半に登場する、クリアされるべき遺跡の仕掛け──もろに『~最後の聖戦』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1989)チックでしたな──の具体的な解除方法が奇妙にボカされているので「え、その部品取っていいの? そんなことして、また仕掛けが発動しないの?」、「そのキメポーズは格好いいけど、それで仕掛け解除されるの? とおり抜けた先になんかスイッチとかないの?」と要らぬところでサスペンスが生じてしまっているし *7、せっかく付与されたアイテムのとある設定 *8をアクションにあまり活かせていない面もある。ラスト近くでの愁嘆場は相変わらず妙に長い *9

また、レティシアは着ている “黄色い” ジャケットを──衣装デザインそれ自体は良いのだけれど──前述の飛行艇のなかでの “とある” やりとり以降で脱ぐなり、別のものに交換するなどしておいたほうが、より物語の展開に画的な説得力が──海外マーケティングを考えるならいっそう──増したことだろう。黄色い衣服は、キリスト教絵画においてイエスを売ったユダの身につけた衣の色として使用されることから、ときとして「裏切り」や「不実」を表すことがあるからだ。

その他、地球上あちこち出かけるわりに序盤のパリ市街を除いて舞台のご当地感──前述の荒地も含め──どんどんが薄れていっているし、ガヤの音声が極端に少なすぎやしまいかと思うし、不二子の着替えシーンでその繋ぎ方はいくらなんでも無理があるだろうとか、あの娘は後ろ手にくくられた縄をいつ解いたんだ! ……と、大小さまざまに気になる点が多かった。

アラ探しが過ぎる、といわれればそれまでではあるけれど、なんにせよ本作最大の見所である精細なCG映像それ自体は巨大なスクリーンでこそ映えると思われるので、大きなハコで上映しているうちに、出かけてみてはいかがかしらん。わしゃ責任取れんけど。


     ○


◆「神紅大学のホームズとワトソン」の異名を持つ自称学生探偵・明智と万年助手・葉村が、謎の少女探偵・剣崎に連れられて訪れたとあるサークルの合宿先のペンション「紫湛荘」で起こる不可解な殺人事件に巻き込まれる、今村昌弘による同名小説を原作とする『屍人荘の殺人』(木村ひさし監督、2019)は、もうすこしやりようはなかったのかしらん、といささか首を捻らざるを得ない1作だった。

たしかに、主人公・葉村を演じた神木隆之介が醸す相変わらずの年齢不詳感や、剣崎を演じた浜辺美波の可憐だがミョウチキリンな美少女ぶりなど、一部原作小説から役柄の設定を変えるなどして集められたキャスト陣の存在感はよかった。キャラクターに合ったイイ顔を揃えている。

しかし、彼/彼女らに面白くもないギャグやヘンテコなひと言を言わせては変顔させてみたり、そのたびに「ポコペン」といった面白気なSEをのべつまくなしに鳴らしてみたり、字体もサイズも内容もダサいキャプションを入れてみたりと、気を利かせたつもりが総じて寒い *10。だいたいノッケからそんな非日常的な演出をしては、本作の肝である──ネタバレ厳禁な──ツイストの衝撃が薄れるわ、後半にいたっても緊張感が出ないわ *11で理に適ってないのではないか。

まあ、そのあたりは作り手の座組から事前に予想されるので100歩譲るとしても、しかし本格ミステリ小説を原作とする本作において、その隔絶された舞台(クローズド・サークル)となるペンション「紫湛荘」の見せ方に、いかほども工夫もみられないのはいかがなものか。少なくとも序盤から前半にかけて、どういった立地にある建物なのか、どの外観と内装が一致するのかなどをキッチリ描いておかなければ──本作では、とくにそれがトリックや展開に重要なだけに──観客の興を削ぐばかりではないか。「1階」だ「2階」だのといったキャプション──それがなんども登場する──で済まそうとしているあたり、もはや演出の放棄も甚だしい。

原作小説の筋の面白さでなんとか観られるものの、したり顔であの映画作品 *12フッテージを引用している場合じゃないよ。あの映画から学ぶべきところはたくさんあったのではないかしらん。


     ○


◆半年前に攻略して破壊したはずの「ジュマンジ」を、スペンサーが修復してゲーム内に舞い戻ったことを知った仲間たちが再びゲームに挑むジュマンジネクスト・レベル』ジェイク・カスダン監督、2019)は、前作の魅力をより一層深めた楽しい1作だった。

予告編で謳われていたほどにはゲームのバグり感がなかったのは残念だったが、砂漠に市場、山間のつり橋から雪山の要塞にかけて展開される高低さを活かしたアクション・シーンはそれぞれに見応えがあって楽しいし、ゲーム内の無国籍感というか、ごった煮感というか、なんでもかんでも雑多に詰め込んだかのようなプロダクション・デザインの数々も見ていて面白い。

また、前作に引き続いてゲーム内のアバター役を演じたドウェイン・ジョンソンジャック・ブラックケヴィン・ハートそしてカレン・ギレンらの芸達者ぶりが本作でも堪能できる。前作では、彼らのキャリアとあまりに異なるプレイヤー(=役柄)の内面を演じきっていたのがフレッシュで笑いを誘ったが、本作ではプレイヤーとアバターの組み合わせがアベコベになったり、果ては老人ふたりがプレイヤーに紛れたりしてさらにややこしいことになっている。役者陣がこれを見事に、また楽しそうに演じていることで生まれるアンサンブルが楽しい。老人ふたりがテレビゲームに馴染みのないために自分たちがどこにいるのか、なかなか理解できない前半の天丼ギャグのやりとりなど最高だった。

ふんだんなギャグとアクションで突き進む本作が描くのはしかし、自分自身としてはなかなか素直になることのできない人間の性分だ。楽しそうに青春生活を送る仲間に引け目を感じてしまったがために凶行に及んだスペンサーの心境はいたたまれないし、同時にひょんなことからゲーム内に巻き込まれてしまったスペンサーの祖父エディと、彼と仲違いしたままになっている級友マイロが織り成すドラマも味わい深い。誰しもが他人の姿と声を借りればこそ自分や友だちに素直になれるというテーマは、ある意味では現代社会の合わせ鏡であり、だからこそ観客の心を掴んで離さない魅力があるのだろう。そして、そうなれたときには、決定的に手遅れである場合だってあることも描いた本作のちょっとばかりほろ苦い顛末は──描き方に多少の問題はあろうが──胸を打つものだ。

それにしてもダニー・グローヴァーダニー・デヴィート、老けたなあ! *13


     ○


◆きょうも平和な農場に現われた迷子の宇宙人ルーラをお家に帰すため、ショーンたちが奮闘する『映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!』(リチャード・スターザック、ウィル・ベッカー監督、2019)は、大いに笑ってほがらかな気持ちになれる作品だった。

アードマン・アニメーションズによるストップモーション・アニメのアクションやカメラワーク、編集のテンポ感が織り成す見事な完成度は相変わらずで、よくぞここまで実在感を醸す画がつくれるものだと感嘆することしきり。そして例によって、隙あらば1カットごとに、これまた実に気の利いたギャグやユーモアを入れ込んでくれるので、常に笑顔がまろび出てしまった。序盤も序盤におけるフライド・ポテトを巡って延々と展開されるギャグや、「作業員たち」のなんとも知れぬ挙動の可愛さをはじめとして枚挙に暇がない。それでいてきちんと物語の展開にハラハラさせ、最後にはちょっとした感動すら与えてくれるストーリー・テリングの達者さには舌を巻く。

また、今回の物語がおよそ『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1982)を下敷きにしていうることもあるのだろうけれど、映画冒頭のアードマンのロゴ表示シーンが明らかに『未知との遭遇』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1977)のクライマックス──と、なぜか『空飛ぶモンティ・パイソン』の「オルガン奏者」を掛け合わせたような──であったりするほか、標識の文字など、往年の宇宙人SFを思わせる小ネタも満載だ。

年忘れにもってこいの1作だった。


     ○


レイア姫の率いる反乱軍に敵の総攻撃が迫るなか、レイやフィン、ポーそしてカイロ・レンら若者たちが辿る命運を描くスター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』J・J・エイブラムス監督、2019)は、なにはともあれ、といった1作だった。

というのも、本作は冒頭のオープニング・ロール1文目から「いきなりそれ言うの!?」といった内容ではじまり、「前フリなんか知ったことか」と新キャラに新要素と怒涛の展開をブチ込んで、めまぐるしく上映時間が過ぎてゆくからだ。おそらくは前作『最後のジェダイ』(ライアン・ジョンソン監督、2017)において監督登板の条件として脚本をも自筆したジョンソンが物語を、当初のエイブラムスや製作のキャスリーン・ケネディらの思惑とは相当異なったものに変更したため──誤解なきように申し上げておくが、僕自身はこの破戒的な『最後のジェダイ』が、その破戒的さゆえに大好きである──に、それを自身の下へと軌道修正しようとしたのだろう。

本作の脚本的な容量は、いつもの「スター・ウォーズ」なら1.5~2作分はあろうかというもので、前半から中盤にかけてのやや単調にも見える展開の矢継ぎ早さ──エイブラムスお得意の「まさか!」な展開もまた、気を抜くとすぐ入ってくる──が、それを物語っている。ここでその詳細を語ることは差し控えるが、ひとつ思ったのは「さては J・J、宮崎駿風の谷のナウシカ』(徳間書店、1982-1994)を読んだな?(邪推)」ということだ。

さて、本作の映像面はさすがの出来で、様々に色合いを変える宇宙空間や惑星ごとの自然描写や生物描写はバラエティに富んでいて楽しいし、予告編でもちらりと登場した圧倒的物量を持つ敵艦隊の重々しい質感とそれに立ち向かうファイターたちが織り成すドッグファイトのスピード感や、常に新しい殺陣に挑むライトセーバー戦の新鮮さなど──ちょっと今回フィルム・グレインが効き過ぎな嫌いもあるけれど──見応え十分。そして暗鬱に塗り込められてゆく画面のなかで、戸惑い、迷いながらも凛として立つ若者たちの姿は、デイジー・リドリーアダム・ドライバーら役者陣の好演もあって美しい。また、様々な形のパートナーシップを大いに画面に刻印したことにも、本作の今日性があるだろう。

それにしても『フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督、2015)から本作『スカイウォーカーの夜明け』にかけての新3部作は、“血(縁)” という過去の呪縛からの解放を謳う物語だったのだと、本作を観てつくづく思う。レイやカイロ・レンが本作で迎える結末は──シリーズの陣頭指揮を執っていたエイブラムスには、3部作としては不満の残るものだったのかもしれないが──そういう意味では必然であり、しかし同時にとても風通しのよいものだ。だからこそ、本作にひとつだけ──いや、まあいろいろ突っ込みどころや不満点はあるけれど──苦言を呈すなら、最後のあの “ひと言” がすべてを台無しにしている、ということだ。こんなところにまでエイブラムス節(=ちゃぶ台返し)を入れ込まなくってもなあ……。

その他、「チューイよかったね」とか「ヤッチャー!」とか「その話はまた今度──の件どうなった?」とか諸々あるけれど、ひとまずはシリーズの区切りである本作がなにはともあれ遂げた大団円を劇場で見届けたい。


     ※


【なんとなく書きそびれていた劇場鑑賞作品の超短評】
『劇場版シティーハンター〈新宿プライベート・アイズ〉』こだま兼嗣総監督、2019)は、良くも悪くも “まんま” だったのが妙味。しかたがないこととはいえ、絵の “感じ” というか色気は若干薄れていたかしらん。

『シャザム!』デヴィッド・F・サンドバーグ監督、2019)は、孤児であった主人公ビリーを迎える家族の面々のあたたかみや、サンドバーグらしい恐怖演出が楽しかった。ただ、もうちょっと尺が短ければと思わないでもない。

『新聞記者』藤井道人監督、2019)は、ズンと重苦しい空気感の醸し方や、第2幕で突然物語を切る構造などがフレッシュな余韻を残す。ただ、真に恐ろしいのは本作を実録モノで撮らせなかった社会そのものだよ。

『SHADOW 影武者』チャン・イーモウ監督、2018)は、セットや衣装に小道具といった美術、遠景を描くCGなどを駆使して、色彩をほぼ白と黒だけで統一した水墨画のような画面が凄まじい。出し抜けに映画のジャンルが変わる後半に虚を突かれたりもしたが、傘型の秘密兵器の格好良さとアクションのケレン *14水墨画的画面に滴る赤い血の生々しさが印象的。

ガリーボーイ』(ゾーヤー・アクタル監督、2019)は、インド社会を覆う問題や軋轢のなかで乱れ飛ぶライミングが爽快感に満ちている。また、すべての曲に字幕をつけてくれた心意気やよし!

『英雄は嘘がお好き』(ローラン・ティラール監督、2018)は、笑ってよいやらドン引きしてよいやら絶妙な味わいがなんとも知れぬ魅力をたたえている。ジャン・デュジャルダンメラニー・ロランらの演技アンサンブルも素晴らしい。

『僕のワンダフル・ジャーニー』(ゲイル・マンキューソ監督、2019)は、犬はいいなァ(それにひきかえ人間はなァ)、としみじみ感じ入る作品だった。大中小様々な犬が犬で可愛い。「黄泉の国」の表現は美しさと寂寥感が混在していて面白い。

『イエスタデイ』ダニー・ボイル監督、2019)は、曲はなんとなく知っているが、具体的にはあまりビートルズを知らない世代を主人公にしたのが面白い。後半に訪れるとある展開には号泣。それにしてもヒロインがいい人でね……。


     ※

*1:あるいは、権利関係でそうするほかなかったのかもしれないけれども。ほら、『レディ・プレイヤー1』(スティーヴン・スピルバーグ監督、2018)にも彼だけはキチンとは登場しなかったし。

*2:父と子の、交わらないカメラワークが切ない。

*3:原作漫画は不勉強ながら数話ほどしか読んでおらず、映像化作品についてもすべてはカバーできていない。これを書いている2019年12月現在までに観たもの──▼『パイロットフィルム』全2種。▼TVシリーズ:『1st』全話、『2nd』飛び飛びで1/4くらい、『Part III』全話、『峰不二子という女』全話。▼長編映画: 本作を含め全作。▼中篇映画「LUPIN THE ⅢRD」シリーズ: 最新作『峰不二子の嘘』を除く全作。▼TVSP: 最新作『プリズン・オブ・ザ・パスト』を除く全作。▼OVA:『風魔一族の陰謀』、『生きていた魔術師』、『GREEN vs RED』の3作。以上。 ▼また、北村龍平監督の実写版。

*4:などとブツクサ書いていたら、スタッフ続投による『2』の製作が発表された。い、嫌じゃあ。ドラ泣きなんか、もうしとうないんじゃァ(12月12日記)。公開当時の感想: 『STAND BY ME ドラえもん』(2D版)感想 - つらつら津々浦々(blog)

*5:そりゃ、直前のシーンからおもんぱかって積荷にまぎれてってことかもしれないが、であれば、そこをきちんと描くべきではないか。本作が──予告編も含めて──やたらと関連づけたがる『カリオストロの城』はそのあたりをきちんと描写していたし、アニメーション的/映画的な見せ場としても成立させているのであって、取り込むならこういうところをもっと取り込むべきだろう(というか、ケイパーものである本作が潜入描写をちゃんとしてないのが、そもそもおかしいんだって)。前述したような台詞だマークだとか、FIAT-500だ可憐なゲスト・ヒロインだとかいった表面的な目配せばかりやってる場合じゃないよ。作り手たちは多分勘違いしているのだけど、そういったキャラクターやガジェットを出したから『~カリオストロの城』が面白いわけじゃないんだから。

*6:ルパンたちはどうやってか難なく潜入した飛行艇からの脱出を「警備が厳重だから」と諦めて艇内に留まってブレッソン・ダイアリーの解読に移るが、たとえば後に続くシーンの順番を多少変更して、先に飛行艇を発進させるだけでもだいぶ違うと思うのだけれど。

*7:あと2番目の仕掛けについては「クリアするアイテムは、ここまでさんざん登場させてきた古代遺物の欠片のほうが気が利いてない? というかその仕掛け、単にあいつがあれを使えない状態を作り出すために逆算で考えただけだろ」と思ったりもした。古代人の声を聞こうよ。

*8:最初の仕掛けでルパンが手に入れる、重力を自在に操ることのできるボール。というか、「エクリプス」というオーパーツが重力を意のままに操ることのできる装置だからこそ、それを圧縮してブラックホールを生むことができるのだ、くらいのちょっとした説明台詞もあってもよかっただろう。

*9:また例によって、あんな離島に置いてけぼりされたかのように見えるレティシアが、どうやって帰還するのか心配になる。うしろの遠景にでも、ICPOの増援部隊がやって来ている画を──それこそ『~カリオストロの城』がやっぱりちゃんとしていたように──追加してもよかったのではないか。

*10:寒いといえば、夏が舞台のはずなのに撮影時期を隠すこともなく、総じてキャラクターの吐く息は白いのであった。だいたい冒頭の「彼女(=剣崎)は夏だというのに長袖のカーディガンを着ているから不自然だ」という旨を言っている明智自身がいちばん厚着なのはどうなのか。

*11:アップテンポの16ビートをとりあえず流しとけば緊張感が煽れると思ってない?

*12:ショーン・オブ・ザ・デッド』(エドガー・ライト監督、2004)。メイクも安いし、クリティカル・ヒット描写も酷いというか、ンなもの繰り返してるんじゃないよ。くどいわ! なにより、映画部の前田君を呼んでおいてコレかよと、うなだれたのでありました(いろいろ混同した文章)。

*13:今回鑑賞したのは日本語吹き替え版だったのだけど、彼らふたりの世代を考慮してか、思わず「久々に聞いたよ!」となるような懐かしの流行語などが飛び出したりするキレのある翻訳がなんとも素晴らしいし、なんと加山雄三が担当したグローヴァーのジュマンジ内のアバター(=ケヴィン・ハート役の伊藤健太郎)に加山雄三のキメ台詞を言わせるというなんとも回りくどいギャグをやったりなどしていて可笑しい。

*14:目抜き通りを空飛ぶガメラの群れの行進か、といわんばかりに疾走するシーンは必見。