かつて結婚式のリハーサル中にビルの襲撃を受け、愛する夫とお腹の子どもを殺された“ザ・ブライド”。昏睡から奇跡的に目覚めた彼女はビルへの復讐を誓い、襲撃に関わったかつての仲間たちを次々と仕留めていった。残るはバドとエル・ドライバー、そしてビル――。さっそく彼女は次なる標的のバドを倒すため、テキサスの荒野へ向かう。一方バドは、もはや殺し屋としての面影もなく、アル中に落ちぶれていた。彼にも与えられた服部半蔵の刀は質屋に出したと言い放ち、兄ビルの忠告も空しく聞こえるばかりだったが……
殺し屋ビルにすべてを奪われた孤高の女アサシン“ザ・ブライド”が、ついカッとなってやってしまい今は反省しているビルを尺の都合で前作で殺せなかったその弟子ともども皆殺しにしてしまうまでを描く2部作の第2作目。
怪奇映画風味のスタートから、前作とのテイストの差にいきなり面食らわされるのもつかの間、やはりタランティーノの趣味が全開の映画であることには、やはり変わりなかった。カンフー映画は言わずもがな、マカロニ・ウエスタン、チャンバラ、ゾンビ映画と様々なレディ・メイドな構成で、さらにそのシーン(ジャンル)ごとにカメラ・ワークやフィルムの質感、さらにはアクションのテイストまで変えてしまうのだから、その凝りようは尋常ではない。たとえば“ザ・ブライド”を鍛え上げる老獪パイ・メイ。彼と“ザ・ブライド”とのアクション・シーンのえもいわれぬ脱力した(もちろんこれは受け手の印象。タランティーノは本気だろう)演出は感涙もの、まさにカンフー映画そのものだ。
もちろんそういった「オマージュ精神」も観ていて楽しいが、映画の主人公たちである“ザ・ブライド”とビルとの因果な愛憎を描くなど、今回はストーリィもぐっと深みを増している。とかくアクションアクションで押しまくっていた前作とは異なり、深く掘り下げらるストーリィと快心の一撃必殺をアクションに用い、より印象的な演出となっているし、終盤、ビルの語る「スーパーマン-クラーク・ケント論」も素敵に知的だ。
それでもひとつだけ解せないのは、前作でもスタッフ・ロールに流れた演歌調(もちろん日本語歌詞)の挿入歌「怨み節」が本作でも同じように流れるのだが、何故かそれに日本語字幕がついていたこと。何故だ、前作にはついていなかっただろう字幕スーパー。ミスなのか、それともギャグなのか、最大の謎だ(考えるまでもないが)。
詳細『キル・ビル Vol.2』
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=318988#2