『ダークナイト ライジング』

インセプション』を挟んでのクリストファー・ノーランバットマン・シリーズ完結篇。ジョーカー、トゥーフェイスとの死闘から8年後。ゴッサムシティは新法『デント法』の下、平和な街となっていた。その一方でバットマンことブルース・ウェインはデントの罪を全て自らが被り姿を晦ませていた。肉体的にも精神的にもボロボロとなり、引きこもった生活を送っていたウェインだったが、彼の前に新たな脅威ベインとキャットウーマンが現れる。


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今回はいろんな意味で前作『ダークナイト』をボリュームアップした内容で、とくに爆発シーンがこれでもかというくらいに頻出。僕が飽きもせずアクション映画を観続ける理由のひとつにはやっぱり“爆発”があるわけだけれど、中盤に登場するあるシーンにおいては、『パトレイバー2』も(『マーシャル・ロー』以上に)かくやの連続爆発あり、ミサイルによる爆発がありで、こういうのを観ると無条件に嬉しくなってしまうのは悲しい性(さが)。

こういった具合に、VFXチームは今回たいへん素晴らしい仕事を見せてくれたと思う。また、まったく予想だにしていたなかった、あるキャラクターの再登場や、クライマックスにおいてバットマンがついに宵闇ではなく白昼に姿を現す展開には心躍りかつ胸が熱くなるというものだ。アクションで言うならやっぱりアーバンの飛行機強奪シーンの出来がすばらしい。飛行機をさらに巨大な飛行機で宙吊りにして、垂直になったところで風圧に翼が負けて吹き飛んでいく、といった一連の描写はけっこうフレッシュだった。


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今作の見所はなんといってもアン・ハサウェイ扮するキャットウーマンだろう。長身でスレンダーな肢体や、独特の大きな目や口を有する顔立ちといった、ある種マンガ的に誇張された(ように見える)身体の持ち主であるアン・ハサウェイは、そのネーム・バリュからみても、現行考えられるなかで最適のキャスティングだろう。

いわゆるキャットウーマン然とした出で立ちというよりもむしろ『キャッツ・アイ』的なデザインが功を奏しており、映画のルックにもピッタシであった。ハンス・ジマーによるキャットウーマンのテーマもよく、「なんだ、けっこう艶っぽい曲も書けるじゃん(←失礼)」と思ったのはココだけの話。

とはいえ、このキャットウーマンをはじめとした、新キャラクターの多さが、この映画の大きなマイナス点になったことは否めない。彼女をはじめ、今回の悪玉ベイン・熱血ブレイク巡査・女実業家テイト・副本部長ピーターなどなど、とにかくキャラ説明に次ぐ説明で、前作『ダークナイト』とは違った意味で息つく暇もない。映画開始から30分くらいのゴタゴタしっぷりはなかなかなもので、とくにキャットウーマンブルース・ウェインが対峙する顛末などは、音響的な面からみても編集が雑すぎ(これだけブツ切りなのも久々に観たよ!)。


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展開上の問題に対する指摘──とくに、ベインをはじめとした悪役の行動原理が映画前半と後半で矛盾している──をネット上の批評ではちょくちょく見かけるのだが、これもやっぱり新キャラクターの設定に問題があるように思う。たしかに物語上は矛盾はヤマのようあるが、これをそれぞれのキャラクター設定とその相互関係からみると矛盾がそれほどみられないのである。たぶん、脚本を書くにあたって、キャラクター配置から考えたんじゃなかしら、この映画。

だから、「このキャラクター的には……」という辻褄合わせに焦点を向けすぎたゆえに、物語上の矛盾に目が行かなかったのではないかと邪推してしまうのである。

というわけで、もし僕がこの映画のメイン・キャラクターをひとり割愛するとしたら、冒頭の雑さ具合を鑑みても、惜しいかなキャットウーマンです。もちろん彼女が、とあるキャラクターの対となる鏡像として登場していることは十分承知しているけれども、それでも彼女ひとりオミットすれば、もう少し映画の風通しもよくなっただろうと思われる。


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もちろん、楽しめなかったわけではないし、観ていて画面に入り込むように興奮し、息を呑んだ部分も多い(アン・ハサウェイが出てくるだけで嬉しくもなったですヨ)。でも、それは物語の展開を楽しんでいたのであって、もうひと匙なにかこう映画的な面白さが欲しかったなというのが正直な感想。ウェインが自身を克服するシーンの撮り方があまりにもあんまりだとか、空飛ぶバットモービルの登場シーンの展開上の位置とか撮り方とかをもう少しどうにかするとかさ、ノーランはあんまり上手くないのはわかっちゃいたけど、今回はちょっと輪をかけて外していたように思う。それもこれも、ちょっと欲張って詰め込みすぎたキャラクターの多さに起因すると思われるので、次は腹八分目でよろしくお願いします。